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氷の女神は魔法が使えない ―忘れられた神の物語―  作者: mom
静まり返る森

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第2話 新しい副ギルド長

リュゼルディア王国の王都は、朝から多くの人で賑わっていた。商人たちが店を開き、荷馬車が石畳の道を行き交う。


魔法の才能だけでなく、本人の能力や実績を重んじる。それが、この国の掲げる理念だった。もっとも、魔法を使えることが当たり前の社会で、その理念が誰に対しても平等に働くとは限らない。


そんな王都の一角に、国際ギルド連盟の王国支部がある。仕事は幅広く、毎日大勢の人が訪れていた。


そして今日も、エレノア・アシュベリーはいつもどおり出勤した。


――少なくとも、本人はそのつもりだった。


正面扉をくぐったところで、普段よりも賑やかな声が耳に入ってきた。


「肖像画より実物のほうが素敵だって聞いたわよ」


「帝国支部にいた知り合いが言ってたの。女性だけじゃなくて、男性職員からも人気があったんですって」


「でも、あの若さで副ギルド長でしょう? 相当優秀なんじゃない?」


受付職員たちは書類を仕分けながら、楽しそうに話していた。


エレノアはすぐに思い当たった。そういえば、今日だった。


「エレノア!」


聞き慣れた声がして、受付の奥からルルが現れた。


「おはよう、ルル」


「おはよう! ねえ、今日が何の日か覚えてる?」


「新しい副ギルド長の赴任日でしょう?」


「なんだ、覚えてるじゃない」


「昨日、何度も聞かされたもの」


「だって楽しみなんだもの!」


ルルは声を弾ませた。


「ゼイン・ヴァレンティス様。銀髪に紫の瞳で、背が高くて、ものすごく整った顔立ちなんですって。しかも辺境伯家の次男!」


「ずいぶん詳しいのね」


「当然よ。情報収集は大事でしょう?」


「ええ。それは認める」


エレノアが真面目に頷くと、ルルは一瞬きょとんとしてから笑った。


「そういうところ、ほんと調子が狂うわ」


エレノアも小さく笑い、抱えていた書類を持ち直した。


「ところで、昨日お願いした青葉草の採取記録なんだけど」


「もう用意してあるわよ。過去半年分の依頼達成状況と再募集の件数。前年分は少し時間がかかるけど、今日中には確認できると思う」


「ありがとう。助かるわ」


そのとき、受付の奥からルルを呼ぶ声がした。


「あ、いけない。今日は私、館内案内も頼まれてるの」


「新しい副ギルド長の?」


「そう! ギルド長への挨拶と部門長との顔合わせが終わったら、私が案内するの」


「それなら忙しいわね」


「容姿に見とれて説明を忘れないようにね」


「エレノア!」


抗議するルルに手を振り、エレノアは調査部門へ向かった。


*


執務室の扉を開けると、同期の調査官リオネル・クラウゼンが、すでに机に向かっていた。整えた金髪も、制服の着こなしも、朝の早い時間から乱れがない。


「遅い」


「まだ始業前よ」


「俺より遅い」


「それを遅刻とは言わないわ」


相変わらずの挨拶だった。青灰色の瞳が一度だけこちらを向き、すぐに書類へ戻る。端正な顔立ちのわりに、愛想というものがない男だ。帝国出身らしい几帳面さで、特に事故案件の扱いに長けている。仕事は正確で早い。ただ、その能力を人当たりのよさに振り向けるつもりはないらしい。


「昨日の救助者への聞き取り、進んだ?」


「一通りはな。負傷者本人の証言と照合する必要があるが」


「現場の状況も追記しておいたわ。事故が起きたとされる場所から救助地点までの経路について、確認してほしいことがあるの」


「後で見る」


「お願い。それと、青葉草の採取記録も調べたいの」


「事故とは別件か?」


「今のところはね」


「なら、混同するなよ」


「分かってるわ」


言い方は気に入らないが、指摘はもっともだった。


エレノアは席に着き、昨日の調査記録を広げた。まず、自分の書いた記録を読み返す。記憶が新しいうちに書いたはずでも、一晩置くと、書きぶりの曖昧なところが見えてくる。


――倒木の脇を通った。


――標識の手前で、沢の音が近くなった。


青年の証言を写した部分だ。順番どおりに並べると、地図の上でどうにも収まりが悪い。倒木と標識の位置関係が、既存の記録と少しずれている。青年が混乱していたのか、記録のほうが古いのか。今の段階では、どちらとも言えない。


エレノアは記録帳の余白に、確かめるべきことを書き出した。


倒木の位置。標識の番号。救助地点から、それぞれがどう見えたか。


分からないことは、分からないまま並べておく。決めるのは、材料が揃ってからだ。それが調査官の仕事だった。


「ねえ、リオネル」


「なんだ」


「去年の巡回記録、あなたの机だったかしら」


「棚の三段目だ。何を見る」


「標識の番号。去年の記録と、青年の話に出てくる番号が合うかどうか」


「先に言っておくが、去年の記録が正しいとは限らないぞ」


「分かってる。どっちが正しいかじゃなくて、まず合うかどうかよ」


リオネルは小さく鼻を鳴らし、棚のほうへ顎をしゃくった。それ以上は何も言わない。協力する気があるときの、彼なりの合図だった。


机の端では、三つ目の福竜がこちらを見ている。丸々とした胴体に不釣り合いなほど短い脚、申し訳程度の翼。南方の露店で見つけた、エレノアのお気に入りだった。記録に区切りがついたところで、彼女は福竜の向きを少しだけ整えた。気持ちの切り替えには、こういう小さな儀式がちょうどいい。


「……何をしている」


「気持ちを整えているの」


「置物の向きでか」


「あなたには分からないでしょうね」


リオネルは呆れたように書類へ目を戻した。エレノアは構わず、地図を広げ直す。


やがて、廊下の向こうから、ひときわ大きなざわめきが聞こえてきた。


「……来たみたいね」


「誰が?」


「新しい副ギルド長よ」


「ああ」


リオネルは興味なさそうに書類へ目を戻した。


「顔で報告書が片づくなら、俺も見に行くんだがな」


「それ、ルルには言わないほうがいいわよ」


「なぜ?」


「長くなるから」


エレノアは笑いをこらえながら、記録帳を開いた。新しい副ギルド長がどんな人物なのか、興味がないわけではない。けれど、今の彼女には確認しなければならないことが山ほどあった。


*


昼前に、ルルが書類の束を抱えて顔を出した。青葉草の採取記録、過去半年分だ。


「はい、約束のもの。前年分は保管庫の奥だから、もう少し待ってね」


「ありがとう。案内の前なのに、早かったわね」


「副ギルド長が来る前に、できる仕事は片づけておきたかったのよ」


ルルはそう言って、少しだけ声を落とした。


「……ねえ、もうすぐ案内で回るんだけど。私、緊張してきた」


「あなたが? 初対面の相手にも物怖じしないのに」


「相手が相手でしょう? 銀髪の辺境伯家の次男で、あの若さで副ギルド長よ」


「大丈夫よ。容姿に見とれて説明を忘れなければ」


「エレノア、それさっきも言った」


「大事なことだから、二回言ったの」


ルルは抗議の声を上げかけ、結局笑って出ていった。


エレノアは束を机の端に置き、まず記録帳の照合に戻った。去年の巡回記録と、青年の証言を並べる。標識の番号。倒木の位置。どちらも、紙の上だけでは決め手に欠けた。


一段落ついたところで、青葉草の記録にも目を通した。半年分の依頼達成状況と、再募集の件数。前年分が揃えば、並べて見られるようになる。数字だけを追っても答えは出ないが、並べ方が分かれば、次に確かめることが決まる。


窓の外では、訓練場の木剣の音が続いている。昼休みの鐘が近づく頃、廊下のざわめきが大きくなった。今度は、本当に近づいてきている。


それから間もなく、執務室の扉が叩かれた。


「失礼します。新しい副ギルド長をご案内しています」


ルルの声に、室内の職員たちが顔を上げた。エレノアも記録帳を閉じ、立ち上がる。


扉の向こうにいたのは、銀髪の青年だった。


紫の瞳。長身で、仕立てのよい上着をすっきりと着こなしている。ルルの言っていたとおり、ものすごく整った顔立ちだった。受付が朝から騒いでいたのも、まあ、分かる。


「お仕事中に失礼します。本日から副ギルド長として着任したゼイン・ヴァレンティスです」


丁寧な挨拶だった。室内をひととおり見渡す視線は静かで、誰かを値踏みするようなところはない。


「しばらくは皆さんの仕事を見せていただくことになると思います。ご迷惑をかけますが、よろしくお願いします」


ルルが職員を一人ずつ紹介していく。彼は一人ごとにきちんと向き直り、名を復唱して会釈した。役職者への型どおりの挨拶というより、相手を覚えようとしている人のやり方だった。窓際の机に来たところで、エレノアも名乗った。


「調査官のエレノア・アシュベリーです。よろしくお願いいたします」


「こちらこそ。よろしくお願いします」


ゼインは丁寧に会釈した。それから、視線がエレノアの机の端で止まった。


「……アシュベリーさん、ひとつ伺っても?」


「はい、何でしょうか」


「そちらの置物は、何を模したものなんですか?」


机の端にあるのは、三つ目の福竜だけだ。まさか、そこを聞かれるとは思わなかった。


「これは三つ目の福竜です。南方の露店で見つけたものなんですが、なかなか珍しい造形でしょう?」


言ってから、エレノアは少しだけ我に返った。初対面の副ギルド長への受け答えとしては、声に力が入りすぎたかもしれない。けれど、彼は置物をもう一度見て、穏やかに言った。


「ずいぶん個性的ですね」


個性的。つまり、この造形の面白さを分かってくれたのだ。


そう受け取って、エレノアは満足した。ルルでさえ「自由すぎる」と言う福竜の良さを、初対面で見抜くとは。やはり、ただ者ではないのかもしれない。


隣で、ルルが小さく息を吐くのが聞こえた。たぶん、案内の疲れが出たのだろう。


「お忙しいところ、失礼しました」


一礼して、彼は隣の机へ移っていく。


「リオネル・クラウゼンです。同じく調査官をしております」


「よろしくお願いします、クラウゼンさん」


「こちらこそ」


短い挨拶が済み、ゼインは職員たちに礼を述べて廊下へ出た。扉が閉まると、執務室にいつもの空気が戻ってくる。


「……何か、変だった?」


「何が」


「いえ、なんでも」


リオネルは興味なさそうに肩をすくめた。エレノアは席に戻りながら、もう一度、机の端の福竜を見た。出勤したときのまま、こちらを向いている。さっき整えた向きのままだ。


奥の席では、誰かが小声で「噂どおりの人ね」と言い、隣に窘められている。エレノアは記録帳を開いた。けれど、さっき書き出した「確かめるべきこと」の並びに、目はなかなか戻らなかった。


エレノアは深呼吸を一つして、記録帳の余白に向き直った。


確かめるべきこと。倒木の位置。標識の番号。救助地点からの見え方。


そこに「ルルがため息をついた理由」は、入っていない。当たり前だ。仕事ではないのだから。


彼女はペンを置き、届いたばかりの青葉草の記録の束に手を伸ばした。考えるより先に、確かめる。今日の分は、まずそこからだった。


新しい副ギルド長は、思っていたよりも静かな人だった。


挨拶は丁寧で、机に広げた地図にも、内容を尋ねるような素振りは見せなかった。人の仕事を覗き込まない。その距離の取り方は、嫌いじゃない。


それに、福竜の造形の面白さを見抜くくらいには、見る目もあるらしい。


ただ、一つだけ。


あのとき、隣でルルがついた小さなため息の意味だけが、どうしても分からなかった。

お読みいただきありがとうございます。

次話「副ギルド長の初日」――視点を変えて、ゼインの着任初日を描きます。エレノアが見ていない場所で、彼は何を見ていたのか。

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