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氷の女神は魔法が使えない ―忘れられた神の物語―  作者: mom
静まり返る森

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第24話 動き出す支部

一行が支部に戻ったのは、日が傾きかけた頃だった。


出迎えたエレノアは、まず人数を数えた。五人、全員揃っている。フィンの腕には布が巻かれていたが、足取りはしっかりしていた。


(無事で、よかった)


胸の奥で、張っていたものがほどけた。送り出したときから、報告書の束の向こうでずっと気にしていた重さだった。


ただ、一行の顔は軽くなかった。ガレスもアルヴィンも、口数が少ない。ほっとした気持ちは、すぐに別の緊張に取って代わられた。


受付の前で、フィンがエレノアに向き直った。懐から見取り図を取り出し、少しだけ緊張した手つきで広げる。


「確かめてきました。鳥の声の境目は……ここでした」


エレノアの点線の上に、もう一本の線が重なっていた。


迷いのない、まっすぐな線ではない。


何度か確かめ直した跡のある、少し曲がった線だった。


「……私の点線より、ずっと南」


「はい。……すみません、もっと手前だと思って、何度か確かめ直しました」


エレノアは図を見つめた。


見立ては外れていなかった。


けれど、森のほうが先に進んでいた。


その事実は、ほっとする材料にはならなかった。


それでも、彼女はまず礼を言った。


「ありがとう。……腕のほうは?」


「あ、これは平気です。かすっただけなんで」


フィンの顔から、張っていたものが少しだけ抜けた。


*


報告は、副ギルド長の執務室で受けた。


ガレス、アルヴィン、イーリス、フィン。


それにエレノアと、途中から呼ばれたカイル。


机の上には、フィンが持ち帰った見取り図と、書きかけの報告書が広がっていた。


「死体を確認した。大きな一頭だ。はぐれなのか、群れ同士でやられたのか、ほかの魔物の仕業か、事情は分からん。足跡は複数あった。その中に、ひときわ大きなのが混じってる」


ガレスが言い、アルヴィンが続けた。いつもの笑いはない。だが、声に乱れはなかった。


「群れに襲われたので対処した。三頭は仕留めたが、遠吠えが一声聞こえた途端、全頭がぴたりと止まって、そのまま一斉に引いていった。群れの全容は、正直つかめていない」


「動きが、揃いすぎているんだ。正面で注意を引くやつがいて、その間に回り込んで後ろを狙ってくる。力のある者には当たろうとしないし、イーリスの術も、最初は当たっていたのに、途中からは幹の陰に回って角度を外し始めた」


「……知能が発達したみたいだ、としか言いようがないな。次に当たるときは、並の群れのつもりでいると危ない」


ゼインは、黙って見取り図に目を落としていた。


エレノアの点線と、フィンの線。二本の線の間にある隔たりが、この数日で森に起きたことの速さだった。


ゼインはしばらく考え、口を開いた。


「本来なら、規模を確定させてから動くのが順序です」


全員の目が集まった。


「ですが、今日の顔ぶれで襲われ、三頭仕留めても、向こうは合図ひとつで引いただけです。群れの脅威は、去っていません。軽い調査隊を別に出せば、同じ目に遭うでしょう。……最初から討伐できる編成で入ります。進みながら、規模も確かめる」


机の上の図に、指を置いた。


「本隊は、黒曜の四刃と私とカイル、ガレス。護衛にロイとタリアを付けます。沢の北から、奥へ」


「俺も入るのか」


カイルが、少し意外そうに言った。


「術を外してくる相手だ。前に出て戦える人間が、もう一人要る。頼めるか」


「……分かった」


「別部隊も作ります。いくつかのパーティーに、別の縁と入り口の警戒と討伐を任せる。支部側は採取区域への立ち入りを止め、採取者には避難と延期の案内を出す。後方はリオネルを中心に、物資と伝令を」


矢継ぎ早に指示が並んだ。ゼインはギルド長の決裁を仰ぐため、一度席を立った。


*


執務室に戻ったゼインを待っていたのは、エレノアだった。


カイルも、アルヴィンも、まだ残っていた。


ギルド長の決裁は下りた。遠征の実施と、編成の細部は副ギルド長に一任されていた。


エレノアは真っ直ぐにゼインを見た。


「私も、本隊に加えてください」


ゼインの答えは、少し遅れた。


「……理由を聞かせてください」


「境目の位置も、群れの痕跡も、戦いが始まればその場で乱れて、元には戻りません。沢の北の地形と、石の板の位置を一番詳しく知っているのは私です。進みながら確かめる編成なら、私がいたほうがいい」


筋は通っているように聞こえた。


だが、ゼインは分かっていた。


痕跡が乱れるのは本当でも、それは彼女自身が行かなければならない理由にはならない。


地形の知識なら、図に落として渡せる。


これは理屈ではない。


自分の目で確かめたい。


それが彼女の本音だった。


(器のない彼女を、あの群れの前に)


「待て、ノア」


声を上げたのは、執務室に残っていたアルヴィンだった。


「お前は残るんだ。奥は、今日の比じゃないぞ」


「分かってる。でも――」


「必要かどうかは、行く側が決める」


兄妹の声が、少しずつ張っていく。


ゼインは、二人の間に割って入らなかった。


アルヴィンの反対は、兄の感情だけではなかった。


今日、現場で群れを見たリーダーの判断でもあった。


エレノアは、しばらく兄を見ていた。それから、静かに息を吐いた。


「……分かりました。引きます」


アルヴィンが、意外そうに目を見張った。


「その代わり、後方を私に任せてください」


「後方?」


「入口の小屋に、受け口を置きます。本隊と別部隊からの報せは、まず小屋に集める。私がそこで見取り図に落として、次の判断の材料に変え、支部と本隊の両方へ流す。物資と人の手配はリオネルが強い。でも、報せを束ねて『今、森で何が起きているか』を描くのは、私の仕事だと思います」


ゼインは、少し考えた。


彼女が引いたのは、感情に負けたからではなかった。自分の場所を、自分で選び直したのだ。


「……分かりました。後方は、アシュベリーさんを中心に組み直します。リオネルと分担して、伝令の集約と記録、帰還の受け入れまで」


「はい」


「ノア」


アルヴィンが言った。


「……頼んだぞ」


「うん。任せて」


*


その夜から、支部は物々しくなった。


採取者への通知の文書が、次々に馬便へ回された。


明日の朝、入口の小屋には立ち入りを止める案内が出る。


倉庫の前には物資が積み上がり、職員の行き来は夜になっても止まらなかった。


普段は静かな廊下に、冒険者たちの装備を整える音が響いていた。


エレノアの机の上にも、小屋へ運ぶ記録の束と見取り図が積まれていた。


出発は、三日後の夜明け。


執務室に残ったカイルが、ぽつりと言った。


「お前が前に出るのは、久しぶりだな」


「……ああ」


ゼインは窓の外を見た。帝国の支部にいた頃から、数えるほどしかなかったはずのことが、この支部では続いている。


「俺は、お前の目が届かないところを見る」


カイルが言った。


「だから、無理に見るなよ」


ゼインは、小さく笑った。


「ありがとう」

お読みいただきありがとうございます。

次回は、夜明けとともに始まる正式遠征。沢の北の奥で、一行を待っているものは――。

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