第22話 縁の報せ
報せが届いたのは、朝の早い時間だった。
採取区域の縁で、採取者の男が灰牙狼の群れに襲われた。同行者に背負われて街道まで出て、馬車で支部に運び込まれたという。腕に噛み傷があったが、命に別状はない。
襲われた場所は、利用を控えてもらっている範囲の、すぐ外側だった。先日の事故のあと、支部は案内の範囲を広げて、危ない場所には入らないよう採取者に伝えてきた。その範囲の外で、人が襲われた。
受付は、朝からざわついていた。控える範囲を、もう一段広げるべきか。けれど広げれば、採取者の仕事場はそのぶん狭くなる。区域の安全を預かる支部にとって、ただの事故では済まない話だった。
聞き取りに立ち会ったエレノアに、男は掠れた声で言った。
「五つ、六つは見えました。……沢のほうから、出てきたんです」
連れが採取の鎌を振り回して大声を上げ、どうにか追い払ったのだという。男は、襲われる直前のことを、ぽつりと付け加えた。
「そういえば今朝は、鳥の声がなかった。……あの辺、前はよく鳴いてたのに」
指定区域の中で狼が出たことは、前にあった。だが、縁で、群れで、人を襲うのは初めてだった。しかも出てきた方角は、北だった。
聞き取りを終えて記録庫に戻る途中、ガレスとすれ違った。彼は、エレノアの手元の聞き取りの写しを一目見て、小さく言った。
「……縁か。俺たちの網の中だな」
それだけだった。けれど、その一言の重さは、エレノアにも分かった。
*
その日のうちに、依頼の行き先が決まった。
執務室で候補の名を検めていたゼインは、実績のある冒険者の名簿から、一つのパーティーを選んだ。一級冒険者を頭に、魔導士と斥候と回復役を揃え、森の依頼の実績も申し分ない。一級のパーティーともなれば、動向はギルドにもおおよそ届く。ちょうど前の依頼を終えて、近場で休みを取っているところだった。
「アルヴィン・アシュベリーの一行に、依頼を出します」
名簿には、パーティーの名も併記されていた。――黒曜の四刃。この名を決めたのが兄だということは、エレノアには訊くまでもなかった。
ギルド長の決裁も、その場で下りた。
エレノアは、記録の手を止めなかった。兄の名が公務の場で呼ばれても、驚きはなかった。実績だけを見れば、この一行が適任なのは、身内の目でなくても分かる。
ただ、依頼の記録には、自分の名で印を押さなかった。決裁の写しを作る手も、ミレーヌに頼んだ。身内びいきと見える余地を、最初から残さないためだった。
馬便が街道を走り、返事が戻り、数日が経った。
*
一行が着いたのは、昼下がりだった。
受付のざわめきに顔を上げると、見慣れた背格好が戸口に立っていた。旅装の埃を払いもせず、アルヴィンは真っ直ぐこちらを見て、歯を見せて笑った。
「ノア。元気そうだな」
「アル兄」
駆け寄るほどの歳でもないのに、声が先に弾んだ。兄は妹の頭に、ぽん、と手を置いた。子どもの頃からの癖である。
「背、伸びたか」
「二十五で伸びるわけないでしょ」
「そうだったか」
「アル兄こそ、相変わらずだね」
「お前もな。……今夜、飯でもどうだ。相変わらず、よく食うんだろ」
「明日、早いんでしょ。……帰ってきたら、行く」
後ろに、三人が続いていた。
黒髪を高く結んだ長身の女が、魔導士のイーリス。明るい栗色の髪にそばかすの青年が、斥候のフィン。亜麻色の髪を低く束ねた、穏やかな顔立ちの女が、回復役のノーラだった。
「エレノア、久しぶり。……それより、怪我をされた方の容体は」
ノーラが真っ先に尋ねたのは、襲われた採取者のことだった。
「命に別状はないよ。今は療養中」
「そう。……よかった。後で、様子を見に行ってもいい。回復の手伝いが、少しでもできれば」
「伝えておくね」
イーリスは、受付の壁に貼られた森の見取り図へ、もう目を走らせていた。
「エレノア、現状の資料を後で一通り見せて。縁の出没地点と、地形の最新のものを」
「うん。用意する」
フィンは、エレノアの前に立つと、少しだけ背筋を伸ばしすぎていた。
「エ、エレノアさん。お久しぶりです」
「久しぶり、フィン。……そんなに緊張しなくていいのに」
彼は耳まで赤くして、慌てて目を逸らした。兄が横で、面白そうに眺めていた。
宿と食事の手配は、ルルがあっという間に片づけた。一行の人数と、明朝の出発時刻と、馬の手配まで、聞きながらもう手が動いている。
「はい、四人分。宿は前に泊まった、あの宿でいいよね、アルヴィン」
「おう、助かる。……相変わらず頼りになるな、ルル」
「相変わらず口が上手いね」
言いながら、ルルの手は止まらない。昔から互いを知る者同士の、気の置けない掛け合いだった。
*
執務室で、ゼインが一行を迎えた。
「ヴァレンティスです。このたびは、急な依頼にもかかわらず――」
「アルヴィン・アシュベリーです。……お堅いなあ、副ギルド長」
握手のあと、兄は笑って言った。
「妹が世話になってます。エレノア、支部ではどうですか。ご迷惑は」
「こちらこそ」
ゼインは、穏やかに受けた。
「アシュベリーさんには、いつも助けられています」
横で聞いていたエレノアは、少しだけ目を伏せた。公務の場で、仕事を名指しで褒められるのは、思いのほか照れるものだった。
アルヴィンは、妹と副ギルド長を一度ずつ見て、にやりとした。
「……そりゃあ、よかった。副ギルド長もそう思うでしょ。うちの妹、仕事もできるし、美人だし」
「アル兄!」
エレノアの声が、思わず大きくなった。ゼインは一瞬だけ目を瞬いて、それから何事もなかったように頷いた。
「ええ。頼りにしています」
肝心のところだけ、さらりと受け流された。兄は、ますます面白そうに笑った。
そのあとは、早かった。被害の経緯、縁の地形、沢の北の静けさと、定期確認のいきさつ。確認すべきことが、矢継ぎ早に決まっていく。兄の顔から、さっきまでの笑いが引いて、冒険者の顔になっていた。
「で、副ギルド長は、沢の北に何がいると思う」
「分かりません」
ゼインは、即座に答えた。
「分からないから、まず縁からです。……北の話は、そのあとにしましょう」
明朝、一行は縁の被害現場へ入る。案内は、採取区域の網を知るガレスが担う。エレノアは支部に残る。ただし、襲撃地点と過去の出没記録を照らし合わせ、明日まず確かめるべき場所を絞り込むのは、彼女の仕事だった。
夕方、頼まれていた資料を届けに行くと、イーリスが応接の机に見取り図を広げていた。エレノアが、出没地点と「静かだった場所」を重ねて書き込んだものだ。
「……静か、という言葉が、これほど続けて出てくる記録も珍しい」
「はい。音がないことが、異常なんです。あの辺りでは」
「あんたの見立てだと、明日はどこから見るべきだと思う」
エレノアは、見取り図の一点を指で示した。
「襲われた場所と、沢の間です。鳥の声の境目が、どこまで南に下りてきているか。そこが分かれば、群れの動き出しの方向も見えてくるんじゃないかと思います」
イーリスは、写しから顔を上げないまま頷いた。その隣では、フィンが明日の行程表を何度も読み返していた。斥候の仕事は、明日の朝より先に、もう始まっているらしかった。
執務室を出たところで、兄が言った。
「じゃあ、明日、行ってくるな。ノア」
返事をしながら、エレノアは思った。明日、一行の入る森は、定期確認で通い慣れたはずの森だ。それなのに、少しだけ、知らない森のように思えた。
その夜、自宅で明日の見取り図に最後の書き込みをした。出没地点、鳥の声の境目、定期確認で「静かだった」場所。一つずつ確かめて、線を引いていく。自分は行かない。けれど、明日一行が森で最初に立つ場所は、この図の上にあった。
手を止めたのは、襲われた男の言葉を思い出したときだ。
――今朝は、鳥の声がなかった。
静けさは、沢の北だけのものではなくなってきている。そのことが、明日の森の輪郭を、少しずつ変えていくようだった。
エレノアは見取り図を畳んで、明かりを落とした。
お読みいただきありがとうございます。
次回は、アルヴィン一行が縁の被害現場へ入ります。そこで一行を待っているものは――。
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