第17話 帝国からの便り
歓迎会から、数日が過ぎた。
調査部門の朝は、いつもどおりだった。リオネルは標識の照合の束を広げ、エレノアは東の森の記録を日付順に並べ直す。照会を出してから、十日余りが経っていた。
返事は、まだ来ていない。
「標識のほうは、どう?」
向かいの席のリオネルは、束から顔を上げもせずに言った。
「食い違うのは、特定の年代の記録に寄っている。付け替えがあったのか、当時の書き方が違うだけかは、まだ言えない」
「でも、絞れてはきたんじゃない」
「……少しずつだ」
それきり、彼は束に戻った。滅多に進捗を口にしない男の、今の精一杯らしい。
そう思ったところで、扉が開いた。
「エレノア。記録庫から伝言。帝国支部の返事が届いたって」
ルルはそう言って、もう次の用件へ向き直った。エレノアは記録帳を閉じ、席を立った。
*
記録庫では、ミレーヌが封筒を机の上に置いて待っていた。厚い紙に、帝国支部の印。
「おはよう、エレノア。待っていたのよ」
名前で呼ばれたのは、初めてだった。歓迎会の夜から、何かが少し変わったのかもしれない。
「開けなかったんですか」
「開けるのは、担当と一緒がいいでしょう。――思ったより早かったわね」
「十日余りです」
「早いほうよ。馬便が順調だったのね」
ミレーヌは封筒をこちらへ寄せた。
「伝手は、伊達じゃないの」
文面は事務的だった。照会の件について、当支部の古い記録を調査したところ、該当すると思われる記載が見つかった。ついては、関係する記録の写しと、彫りの図を同封する。なお、当該の板の現在の状況については、記録以降の追跡調査が行われておらず、不明である――。
同封の図には、石の板らしいものの上部が描かれていた。彫りのある面の、部分的な写しだ。線は素朴で、ところどころ掠れている。それでも、輪と、それを横切る二本の線の組み合わせは、はっきりと読めた。
エレノアは、東の森の板の写しを取り出した。
「……ねえ、ミレーヌさん」
「ええ。私も、同じところを見ているわ」
二つの図を並べる。東の森の写しにある「輪と線」の要素と、帝国から届いた図の要素は、大きさも、線の癖も違う。けれど、輪を横切る線の置き方、その骨格は、よく似ていた。
「寸法のほうは?」
文面の写しには、帝国側の板の寸法も記されていた。高さは欠損のため不明。残っていた幅と、厚み。
「厚みは、東の森の板とほぼ同じね」
ミレーヌが、こちらの記録と見比べながら言った。
「幅と厚みの釣り合いも、近い。……偶然と言えば、偶然の範囲。でも」
「でも?」
「彫りの図まで寄ってくると、少し、偶然と呼びにくくなるわね」
ミレーヌは図の輪の部分を、指先でそっと示した。
「作られた頃が近いのか、作り手の型が同じなのか。私に言えるのは、そのくらい。同じもの、とは書けないわ」
「はい。今までどおり、類似までですね」
「ええ」
お茶を淹れ直しながら、ミレーヌが言った。
「ただね、エレノア。似た板が、帝国の記録にもあった。それだけで、こちらの板の見え方は変わるのよ。一つだけの妙なものが、型のあるものになる」
エレノアは頷いた。
沢の北の、音のない場所にある石の板。それが、遠く離れた土地の記録にも、同じような形で残っている。
分からないことは、まだ山ほどある。けれど、確かめるべきことの並びは、少し変わった。
*
報告は、昼過ぎになった。
ゼインは文面を読み、同封の図に目を通してから、しばらく封筒の印を見ていた。
「……様式は、昔のままだな」
小さな声だった。エレノアが聞き返す前に、彼は文面へ目を戻した。
「帝国支部の記録担当は、几帳面な仕事をします。この写しも、原文の癖まで残してある」
「寸法と図は、記録庫で照合しました。結論は出ていません。類似までです」
「それで十分です」
ゼインは図を丁寧に折り直した。
「むしろ、こちらで確かめられることが増えた、と見るべきでしょう。――アシュベリーさん、以前の話を覚えていますか。石の板の、下半分のことです」
「はい。掘るかどうかは、報告のあとで、と」
「計画を立ててください」
エレノアは顔を上げた。
「帝国側の記録が出たことで、こちらの板は『得体の知れないもの』ではなくなりました。型があるなら、全体を見る意味がある。方法は記録担当と相談して、板そのものを傷つけない手順で。編成は前回を基本に」
「分かりました」
「急ぐ必要はありません。準備が整ってからで」
「方法については、古い石造物に詳しい方に助言を仰ぎたいと思っています。記録担当の伝手で、嘱託のハンスという方がいるそうです」
「構いません。正式に依頼を入れてください」
部屋を出るとき、エレノアは一度だけ振り返った。ゼインはもう次の書類に目を落としていた。帝国の印の封筒は、机の端に、きちんと揃えて置かれていた。
*
二日後、正式な依頼を受けた嘱託が、記録庫に顔を見せた。
「紹介するわ。ハンス。連盟で長く、遺跡をはじめ古い石造物を扱ってきた人よ」
七十を過ぎてなお背筋の伸びた老人だった。ミレーヌとは旧知の仲らしく、紹介もそこそこに、写しの束を広げて見せる。
老人はまず作法を並べた。石は掘るんじゃない、頼んで出てきてもらうんだ。土は板の際から少しずつ、道具は木のへらまで。掘り進める前に支えと添え木を入れ、板は絶対に傾かせるな。写しは全部掘り切ってからではなく、露出したところから取る。作業は、昼までに切り上げる。
「昔の連中の書いたことは、案外当たっている。石仕事は、焦ると碌なことがない」
「埋もれていた部分の彫りは、どのくらい残っているものでしょうか」
エレノアの質問が始まった。
「土の中は風雨に晒されん。掘り出してみれば、上半分よりよほど綺麗に残っていることも、珍しくない。昔、川向こうの塚を掘ったときもな――」
「ハンス。その話、長いほう?」
「……短くする」
「そもそも、なぜ石に刻んだんでしょう」
「紙は朽ちる。木も朽ちる。百年先に読ませたきゃ、石しかない。昔の記録屋は、頑固者の集まりだった」
「今もです」
ミレーヌの即答に、老人は声を立てて笑った。
「はは。……質問の多い調査官だ。熱心な若いもんは、嫌いじゃない」
講義はそこからも止まらなかった。彫りには手癖が出ること。同じ人間の手か、同じ型で習った者の手かは、線の引き方で見当がつくこと。エレノアのメモは、みるみる埋まっていった。
「写しだけじゃ物足りんな。本物を見てみたいもんだ」
「石は逃げない、と言ったのは私だけど」
ミレーヌは少し笑った。
「今度は、掘る側の作法を決める番ね」
席に戻り、エレノアは計画書の清書を始めた。
余白の「確かめるべきこと」に、一行、書き加えた。
石の板の下半分。今度は、掘るための準備を。
お読みいただきありがとうございます。
次話――石の板の下半分を確かめるため、再び沢の北へ。今度は「掘る」ための準備をして向かいます。
次話は11月3日19時にアップ予定です。
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