第16話 歓迎会の幹事
ルヴィエラ・ベルローズは、受付の予定表を見て、手を止めた。
ヴァレンティス副ギルド長が着任してから、もう何週間か経つ。
部門長たちとの顔合わせの食事は、着任の週に済んでいた。けれど、それは上層だけの堅い席だった。職員全体で迎える歓迎会のほうは、開かれないままになっている。
着任直後は引き継ぎでばたつき、そのまま東の森の件が始まって、調査部門は今も忙しい。理由は分かる。分かるけれど、これは受付の落ち度でもある。新しい上司を皆の輪に迎える会は、支部の顔である受付が仕切るものだ。
ルルは予定表を閉じた。
決めた。開く。今度こそ。
昼休み、エレノアに話すと、彼女は包みを開けながら首を傾げた。
「歓迎会? 今さら?」
「今さら、なのよ。だからやるの」
「副ギルド長、来るかな。こういうの、苦手そう」
「そこは幹事の腕の見せどころ。――エレノア、当日の料理の量、あなたの意見を聞きたいんだけど」
「任せて」
幼なじみの目が、真剣になった。こういうときの彼女は頼りになる。
その日の夕方、ルルは執務室へ出向いた。
「ヴァレンティス副ギルド長。今週末、食堂でささやかな歓迎会を開かせてください」
「歓迎会、ですか」
ゼインは書類から顔を上げた。
「私のために、皆さんの時間を割くのは」
「副ギルド長」
ルルは穏やかに、しかしはっきりと言った。
「歓迎会は、新しく来た方を皆に紹介する、支部の行事です。副ギルド長のためだけのものではありません」
少しの間があって、彼は小さく息を吐いた。
「……分かりました。ありがとうございます、ベルローズさん。お世話になります」
「こちらこそ。当日は、手ぶらでいらしてくださいね」
勝った、とルルは思った。押し切るのではない。断る理由を、先に一つずつ潰しておく。それが受付の仕事だ。
準備は三日で整えた。
食堂の夕方の使用許可。料理の注文。席の配置。ミレーヌさんには声をかけたら、「行くわよ。少し遅れるかもしれないけど」と目を細めた。カイルは「幹事の手伝いなら」と言って、当日の飲み物の仕入れを引き受けた。リオネルには、断られる前に言った。
「あなたには、当日の受付をお願いしたいの」
「……なぜ私が」
「字がきれいで、人の顔を覚えるのが早いから」
「……分かった」
褒めるときは、具体的に。それも受付の技術だった。
当日。食堂の隅に料理が並び、職員たちが三々五々集まってきた。
ゼインは時間どおりに現れた。いつもの身なりで、少しだけ困ったような顔をしている。大勢の視線が集まる場所が、得意ではないのだろう。
「本日は、ありがとうございます」
「さあさあ、固い挨拶は乾杯のあとで」
ルルが仕切って、杯が上がった。
乾杯の音頭はガレスに頼んだ。四十代半ばの調査官は、短く言った。
「副ギルド長の着任を祝って。――森の件も、皆で乗り切ろう」
杯が触れ合う音がして、食堂に笑い声が広がった。
料理はよく減った。とくにエレノアの前が早い。彼女は作法よく、しかし着実に皿を空けていく。新しく来た職員が目を丸くしているのを、ルルは見逃さなかった。
(いつもの量なのよ)
心の中でだけ教える。あれが「普段どおり」だと知っているのは、長年の付き合いの特権だった。
ゼインは、席を回って一人ずつ礼を言っていた。受付の若い子にも、食堂の職員にも、分け隔てなく。それを見て、ルルは思った。この人は、場に馴染むのが上手いのではない。馴染もうと、丁寧に努力する人なのだ。
カイルがゼインの隣に杯を持って立った。
「今日は大所帯だな。この前は二人だった」
「あのときは、君に連れ出されただけだが」
「文句を言いながら、最後までいたじゃないか」
「……事実を言うな」
くだけた物言いに、周りが笑った。ゼインの口元も、少しだけ緩んでいる。
その様子を見ていたカイルが、近くの職員たちに杯を傾けた。
「こいつ、学生の頃からこうだったぞ」
「カイル」
「宴の席でもな、輪に入れずに端のほうで立ってる。飲みもしないで、人の顔を見ている。――なのに、終わる頃には同じ組の全員の名前と出身地を覚えてるんだ」
職員たちのあいだに、感心したような笑いが広がった。
「馴染むのが下手なんじゃない。時間がかかるだけだ」
「……余計なことを言うな」
「事実だろう」
ルルは、職員たちがゼインを見る目が、少しだけ柔らかくなったのを感じた。昔話というのは、人の距離を縮める。幹事の用意できない種類の、贈り物だった。
席を回っていたゼインが、窓際の棚の前で足を止めた。古い木彫りの梟が、食堂の隅を見守るように置かれている。
「この梟は、食堂の備品ですか」
「昔の職員の手作りなんです。もう何十年も、食堂の主みたいにそこにいますよ」
ルルが答えると、彼は近くにいたエレノアのほうを見た。
「そういえば、アシュベリーさんの机の置物も、収集の一つですか」
「……よく覚えていますね」
「三つ目の福竜、でしたね。珍しい造形でした」
エレノアの目が、ぱっと輝いた。
「そうです。福竜は三つ。他にも、硝子の鳥と、石の亀と、木彫りの小熊と。仕事で出た先の露店で見かけると、つい足が止まってしまって」
語り出すと止まらない。私の自慢のコレクションです、と彼女は少し胸を張った。福竜の丸い胴体と短い脚の釣り合いの悪さがなんとも言えないこと。並べるときは大きさ順ではなく、顔の向きを揃えるのがこだわりだということまで、楽しそうに話した。
ゼインは真剣な顔で頷き、やがて尋ねた。
「選ぶ基準はあるんですか。造形の、どの点を見て決めるのでしょう」
エレノアが、吹き出した。
「副ギルド長、今の、魔物の査定みたいでした」
声を上げて、彼女は笑った。肩を揺らして、心の底から楽しそうに。
ゼインは一瞬、言葉を失ったように彼女を見ていた。
ルルはその様子を、少し離れたところから眺めていた。
(エレノアが、あんなふうに笑うの、珍しい)
幼なじみのルルと、兄のアルヴィン。それなりの時間を一緒に過ごしてきた人にしか、彼女はあの笑い方をしない。着任の日に福竜の前で小さくため息をついたのは、ルルだった。分かっていないのは本人だけだと、あのとき思った。
けれど今は、ため息の代わりに、少しだけ誇らしい気持ちがした。
会が半ばに差しかかったとき、食堂の入口が騒がしくなった。
「おや、楽しそうだね」
ギルド長だった。セオドール・ラングレーは、片手に菓子折りを持って立っていた。
「支部長まで。恐縮です」
ゼインが立ち上がる。ギルド長は手でそれを制した。
「座ったままで。私は顔を出しに来ただけだ。ヴァレンティス君、改めて、ようこそ王国支部へ」
「ありがとうございます」
「皆も、彼をよろしく頼む。――さて、私はこれで失礼するよ。若い人たちの邪魔はしない」
菓子折りを置くと、彼は来たときと同じ穏やかさで食堂を出ていった。滞在はほんの数分だったが、食堂の空気が一段温かくなったのを、ルルは感じた。
遅れて、ミレーヌさんが焼き菓子を持って現れた。
「あら、盛況ね。ガレス、私の分、席を取っておいてくれた?」
「ああ、こっちだ、ミレーヌ」
古参二人の、呼吸の合ったやり取り。ルルは小さく笑って、新しい皿を用意した。
終盤、ルルはゼインを促した。
「副ギルド長、一言だけお願いできますか」
ゼインは立ち上がり、少しだけ考えてから口を開いた。
「遅れてしまった歓迎会を、こうして開いていただき、ありがとうございます」
声は穏やかだった。
「着任以来、森の件で皆さんには負担をかけています。それでも、どの部門も丁寧に仕事を回してくれている。私がここでやれているのは、そのおかげです」
「これからも、よろしくお願いします」
拍手が起きた。彼は少し照れたように頭を下げた。
片付けの時間になっても、ゼインは残っていた。椅子を重ね、食器を運ぶ。幹事としては「お客様はどうぞ」と言う場面だが、ルルは止めなかった。混ざりたい人の手を、止めるのは野暮だと思ったからだ。
帰り道。エレノアと並んで歩きながら、ルルは言った。
「楽しかったね」
「うん。料理も美味しかった」
「あなたはそれね」
笑い合って、少し歩く。エレノアが、ふと付け加えた。
「……副ギルド長も、楽しそうだった」
「そうね」
ルルは夜空を見上げた。
(歓迎会は、新しく来た人を、皆の輪に入れるためのもの)
今日の食堂の笑い声を思い出す。あの輪の中に、銀髪の上司が、少しだけ不器用に、でも確かに混ざっていた。
遅れてきた歓迎会は、たぶん、遅れたからこそ開けたのだと思う。
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次話「帝国からの便り」――他支部への照会の返事が、ついに届きます。遠い土地の記録が、こちらの石板と静かに重なり始めます。
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