第173話 宝石と寿司④
前回のあらすじ:
ビワマスのスシバトルは握りの工程に。
◆◆◆
シャリの仕上がりは既に寿司を食べて把握しており、私が手を加える必要がない状態。氷水で冷やした手を綺麗な布巾で水分をしっかり取り準備は完了。あとは握り方……早握り勝負では無いので、握り慣れている本手返しで行こう。それでいて手数は極力減らす。
本手返しは体が覚えており意識せずに握る事ができる。練習する時は流石に動作を確認しながら握るけど、普段は本能に任せていると言って良いのかもしれない。
周囲が少し騒がしい。イナリスカウトもどきが何かしたのか? 気にはなるけど、自分の寿司に集中する。
……このまま焼き霜造りの寿司でも良いけどビワマスを味わうための薬味はワサビでは無い気がしてきた。何も付けないのも手だけど、ほんの僅かに残る川魚の匂いが目立ちそうだ。ワサビより控えめな薬味は……生姜が置いてある。ワサビよりもマイルドだし、すりおろした生姜を食べる前に添えるのが正解かな。
そうなると少し酸味も欲しい。出汁入りのポン酢は合いそうだけど……先にカボスが目に入った。カボスの酸味はマイルドだし、ビワマスの邪魔はしないだろう。これも直前に絞って提供すれば脂の甘み、ビワマスの風味がより引き立つはずだ。
料理をする時は、より美味しくあれ、と考えを巡らせるようにしている。そうする事で調理に集中できるし、仕事を丁寧にする事ができるからだ。誰かに師事して寿司を学んでいない私にとって、守らなければいけない数少ないルールの一つだ。
「す、凄い。数年修行した俺よりも握りが上手いし早い……」
「しかもあれ本手返しだろ? どこの寿司屋で学んだんだ?」
「仕事も丁寧だ」
十貫握り終え、一呼吸置いたタイミングで店員さんからそんな声が聞こえてきた。修行で得られるのは握り方だけではない。食品を扱う職人としての所作や礼儀、そう言った物を身につける期間だと私は思っている。私は当然それらをせずに握りの練習だけをしてきたので、技術の取得が早いのは当然である。私も所作や礼儀には気を付けてはいるけど、ここは無意識には行えない。
初心のようなものを思い出し、気持ちを引き締めながら残りの寿司を握り始める。
◇◇◇
「……よし、こっちは終わった。黒鷲の所持者様は終わっていないのか?」
見た感じ、イナリスカウトもどきは現在十貫を超えたぐらい。
小手返しで整形する手数は多め……仕上がりは綺麗だけど。
「早握り対決でも無いのに急かさないでください。しかし、貴様の寿司は皮付きですか……琵琶湖の宝石の価値をわかっていないようですねぇ」
琵琶湖の宝石の価値?
「脂の乗った美しいサーモンピンク……この輝きを阻害するような物を表に出すなど言語道断!」
美味しければ見た目はそこまで重要では無いと思うけど……美味しそうな寿司は確かにビジュアルも良いのでこいつの言い分も一理ある気がする。ただ、私の寿司はビジュアルで劣っているようには見えない。自分が食べたいレベルだし。
「くっくっくっ……その顔は本当にわかっていないようですねぇ! 見せてあげましょう、宝石を彩るのに相応しい食材!」
イナリスカウトもどきは脇に置かれていた黒い小瓶を開け、その中身を寿司の上に振りかける……金箔粉だ。味には影響しないけど……必要ないと思う。
「驚いているようですねぇ! この美しさ! 価値に! この勝負……私の勝ちです!」
呆れているが正しい。
「……宝石の価値を決めるのは審査員、お客さんだ。御託は良いから早く残りを握ってくれ」
「貧乏人はせっかちで困りますね。大人しく待ってなさい!」
せっせと握り始めるイナリスカウトもどき。何か言ったら手が止まりそうだし、言われた通り大人しく待とう……
◇◇◇
「お待たせしましたねぇ。さぁ、お客様方、審査をして貰いますよ!」
残ったビワマスで刺身を食べていたら、ようやくイナリスカウトもどきが握り終えた。金粉を丁寧に添えているから時間が掛かったんだなという寿司……
私の寿司を乾燥しないように寿司桶に避難させ、きつく絞った濡れ布巾で覆っておいて良かった。
「先攻は譲りますよ」
「はぁ」
イナリスカウトもどきに譲られた先攻で、自分の握った寿司をお客さん達に配る。
配る直前に寿司にすりおろした生姜を少量乗せ、そこにカボスを絞って数滴かける。
「翡翠の寿司とは少し違うけど、見事のビワマスのお寿司ね……! 炙られた皮も食欲を唆るわ!」
「問題は味だ。俺は寿司に詳しいんだ……美味い!? 生姜の風味とかぼすの酸味で凄く爽やかな寿司になっている! しかも薬味がビワマスを殺さずに引き立てている!」
「脂が乗った身の部分とは違うタイプの脂の旨み……! 皮を残した意味がわかる美味さだ! 薬味を直前に仕込む心遣いも嬉しい!」
好評で何より。二貫ほど余ったので後で自分も食べよう。
「なかなか高評価のようですが……くっくっくっ……スシバトルは後攻が圧倒的に有利! まんまと騙されましたねぇ! さぁ私の寿司を食べなさーい!」
後攻有利の理屈はわからないけど、そのために私に専攻を譲ったらしい。
イナリスカウトもどきは金箔の乗ったビワマスの寿司を配り始める。
あんなに皮目の脂を削がないように慎重に剥いていたのに、皮の部分を使っていないのか。色合いは鮮やかで綺麗だけど……私の寿司の後に出したら……
「……うん、普通のビワマスの寿司だね」
「美味しいけど、ちょっと物足りない気がするわ」
「これはもう、決まったんじゃないか?」
皮目を使った私の寿司に風味負けするに決まっている。後出し不利。
「な、何だと!? バカ舌どもが! この金箔の味がわからないのか!?」
金箔は無味無臭である。
それにしても……私がこんな事を言って良いのかわからないけど、寿司罵倒協会の職人はレベルが低い気がする。帯刀さんや山田さんのような本物もいるけど、二人は明確には寿司罵倒協会の人間ではない。田中や鎌瀬、そして目の前のこいつは寿司業界を裏から操る組織の人間としては酷い腕前だ。
「……私の寿司が美味しいと思った方は、手を挙げてください」
この場は終わらせてしまおう。
寿司を配ったお客さん全員が手を挙げる。ここまで差が付くとは思っていなかった。
「ば、バカな!? この私が負けた!? く、黒鷲の使い手のこの私がぁ!?」
狼狽えるイナリスカウトもどき。
「宝石も磨かなければ価値の低い石……お前は磨き方を誤った。それがこの結果だ」
「が、ガキがこの私に説教などぉおお! はぁ……はぁ……おっと、私とした事が……こんな茶番で怒るなど、アンガーマネジメント、アンガーマネジメントですよ」
茶番扱いされてしまった。暴れたりしないだけマシか。
「ここから、ここからが本番だ! 黒鷲の力はこんな物では無い! 私の真の実力! 今度こそお見せしてあげましょう!」
まだやるの? 時間の無駄だと思う。
もしかして……営業妨害で通報できるんじゃないかな?
「……お父さん、不審者が鮨の翡翠で暴れてるって警察に電話して」
「そうだな。彼の言う通り茶番は終わりで良いだろう」
お父さんはスマホを取り出して、警察への通報を始める。
「ま、待ちなさい! スシバトルマナー違反ですよ! それは! それでも貴様はスシバトラーですか!?」
「私はスシバトラーじゃない」
「ぬうううう! きょ、今日はこの辺にしてあげましょう! しかし、寿司罵倒協会に喧嘩を売った事を後悔する日が必ず! 必ず来るでしょう!」
とっくに喧嘩は売っている。寿司を舐めてる連中に手心は不要だ。
「お父さん、堪忍なぁ。通報は色々まずいねん」
「なっ! 何をするんだ!?」
何者かが背後からお父さんのスマホを取り上げ、通話を切る。
「な、何故貴様がここに!?」
イナリスカウトもどきがその人物に向かって叫ぶ。
お父さんの背後から姿を現したのは……白い狐のお面に、黒いコート……!
「い、イナリスカウト!?」
イナリスカウトが……二人! 複数人いるのは知っていたけど、まさか同時に現れるなんて!
「おう、イナリスカウトちゃんやで。おっと、お姉さんもカメラ止めてな。カットもよろしく」
「え!? あ、はひぃ!」
イナリスカウトはスシバトルの様子を撮影していた女性にもやんわりと撮影を止めさせる。
……学校で遭遇したイナリスカウトは標準語だったはず。それに雰囲気も軽い感じだし……何者なんだ、このイナリスカウトは!?
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こちらの作品はカクヨムからの転載版です。




