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17話 軍師、撤退する

 リーンの報告を受けたアキトは少しでも早く多く移住を済ませようと、帆船をすし詰め状態で出発させた。


 未だ千五百人の兵士と極少数の住民が残っている。


 今日最後の避難の船。夜に船は出せないので、アルシュタットに戻ってくるのは、夜明けにアルスを発ったとして朝。


 そしてアキトを含め、最後の避難が済むのは丁度昼ぐらいになる算段であった。


 南魔王軍到達までにギリギリ間に合うかどうか。


 アキトは出来るだけ時間を稼ぐため、アルシュタットにおける最後の対策を協議していた。


 埠頭近くの宿舎の一室ではアキト、リーン、シスイ、アカネ、セプティムスが卓を囲み、外には第十七軍団の兵が待機している。また、アルスからはベンケーも呼び寄せられ、宿舎の外にいた。


 アキトの師駒の中では、ハナとフィンデリアがいないことになる。フィンデリアは寝込んでおり、ハナはアルスでの農場づくりで手が離せなかったのだ。


 宿舎の一室に、アキトの声が響く。


「まずは城壁に、旗と藁人形をありったけ立てる」

「なるほど。兵を多く見せるのですね。よき案かと」


 セプティムスはアキトに対し、そう答えた。


 しかし、相手は好戦的な魔物。恐らくは臆することなく、城壁へ近づくだろう。

 相手に用心深い策士がいれば、一度は警戒するかもしれない。その程度でも、アキトは打てる手は打ちたかった。

 シスイがアキトへ質問する。 


「アキト殿。城壁に手勢は配さないのでござるか」

「まともに戦うだけ無駄だ。城壁も半壊状態。足止めにすらならない」

「ふむ。確かに五万ともなると、波に小石を投げるようなものでござろうな」


 納得したようにシスイは答えた。

 なるべく戦闘を避け、時間を稼ぐ。それがアキトの作戦の狙いだった。


「リーンに放ってもらった流言が生きているなら、敵は神殿を目指す。埠頭へ来るまでの時間も稼げるだろう」

「その神殿には、何か細工を仕掛けたのですか?」


 アカネの問いに、アキトは一瞬言葉を詰まらせた。


「うん。大司教の進言でね……敵の一部をそこで一網打尽にするするつもりだ」


 アキトは更に続ける。


「それと、何らかの理由で船が間に合わない可能性もある。その場合は、住民を沿岸へ北上させるまで、時間稼ぎをする必要がある」


 アキトはさらにそう続けた。風がやんだり、向かい風が帆船に吹いたり、嵐になる可能性も否定できなかった。


「なるほど、我らで殿を務めると」


 セプティムスはアキトの言葉に頷く。


「ああ。もちろん、船が間に合えば、その必要もないけど。だけど、もしものときは……皆に命を懸けてもらうことになる。その時は、皆どうかよろしく頼む」


 アキトは師駒達に頭を下げる。少し後には、兵達にも同様にそう告げていた。

 まず口を開いたのはシスイだ。


「アキト殿、何を言われるか! 殿こそ、武士の誉れ! この上ない喜びでござる!」

「そうです、我ら師駒はアキト殿のため戦えれば本望」


 セプティムスも頷いて、そう答えた。それを聞いたアカネも続ける。


「旦那様のため、わたくしも精一杯尽くします!」

「リーンもアキト様のため死ねるのであれば、それ以上望むことはありません!」

「皆、ありがとう。だけど、俺は皆を死なせる気はない。もちろん、兵達もだ。この戦いは俺達が生き残ることが勝利だ。それを肝に銘じて、明日は行動してくれ」

「おう」

「では、具体的な作戦を伝えるぞ」


 打てる手はすべて打った。アキトは皆に、良く休むよう伝えるのであった。


〜〜〜〜


 翌日の早朝、海は異常に静かであった。静かな波、柔らかい風。


 だが、アキトはその心地の良いはずの朝に肩を落としていた。


 風は弱く、アルシュタットからアルスへ流れている。

 

 つまりはアルスからの船にとっては向かい風。船の到着は遅くなるだろう、と。

 そんなアキトへ追い打ちをかけるように、兵士の一人が声を張り上げる。


「南魔王軍、城壁から視認できます!!」


 ついに南魔王軍は、アルシュタットへ到来したのであった。


 アキトが肩を落としていた丁度その時、一ノ島に新たに建てられた居住区の小屋にフィンデリアは寝ていた。


 隣には、看病を続けるスーレ。


 南魔王軍がすでにそこまで来ていると聞いて、アルシュタットへ残る者達の身を案じていた。


 外へ水を汲みに行ったときに、アルシュタットの近くで立ち込める砂塵を目にしたのだから尚更だ。


 だが自分に出来ることと言えば、フィンデリアの看病と、アキト達を信じて待つことだけ。

 スーレは、フィンデリアの口に水を含ませた布を当て、呟く。


「早く良くなってね、フィンデリアさん」


 フィンデリアが良くなれば、アキトや皆を助けてくれる。


「神様……皆を助けてください」


 スーレは胸の前で手を組み、祈った。


 神頼みなどに意味がないことはスーレにも分かっていた。だが、それでもスーレは祈るしかなかった。そうしなければ、気持ちが落ち着かなかったのだ。


 だがその祈りが通じたのか、フィンデリアが口を開いた。


「……アキト」


 フィンデリアはゆっくりと目を覚ます。まるでスーレの呼びかけに応えるかのように。


〜〜〜〜〜


 アキトが埠頭からアルス島を眺めると、帆船はまだ一ノ島のすぐ側だった。


 何とか櫂で漕いだり、風魔法で帆に風を送るが、その速度は人の歩み寄りも遅い。


 一緒に見ていたリーンが冷静に告げる。


「アキト様、南魔王軍のほうが到着が早いかもしれませんね」

「ああ。間違いなくそうだろう……仕方がない、北方へ住民を逃がすとしよう」


 アキトはすぐに、兵士達を集めさせる。


 だが、機動力を持った魔物もいる以上、そう遠くまでは逃げられない。それまでに船が到着するには、再び帆船へ追い風が吹かねば難しいだろう。もはや神頼みと言っていい。この時期は常に東風が吹くので、今日のような日は例外と言って良かった。


 アキトは自然の気まぐれを嘆いた。


 しかし、こんな時のための逃亡計画。最後まであきらめては駄目だと思い直す。


「旦那様! 兵をすべて集めてまいりました!!」


 アカネとシスイ、そして兵士たちが前に止まると、アキトは口を開いた。


「おお、そうか! 皆、今より俺達は……」


 アキトは喋り始めて、兵士の視線が海へ向けられていることに気付く。

 シスイとアカネでさえも、信じられないといった顔で海を見つめていた。


「何だ?」


 アキトも振り返って、海を見た。すると、アルシュタットからアルスの間の海が、真っすぐに凹んでいく。

 何事か、と皆ざわつき始める。


「海が割れた!!」


 一人の兵士がそう叫んだ。


 次第に海は、凹むというよりは二つに割れていくようになった。海は綺麗に真っ二つになり、海底にアルスまで続く道が出現する。海はガラスで仕切られているかのように、その道の両側で壁のように留まっていた。


「道が……」


 アキトだけではない、この場にいるただ唖然とし我が目を疑っている。


 だが、目の前には緩やかに海底まで続き、まっすぐにアルスまで伸びる道が確かにあった。

 その時、シスイが何かに気づく


「む? アキト殿、一ノ島で何やら必死に旗が振られているでござる」

「本当だ。何かの信号か」


 アキトもその一ノ島で振られている旗に気付く。

 するとセプティムスが、アキトへ報告した。


「アキト殿! あれは私が定めた旗信号です。 これは……フィンデリア殿が目覚められた。進まれよ。とのことです」

「フィンデリアが?! 目覚めたのか。確かに、フィンデリアでなければ納得がいかない」


 だが、フィンデリアは起きたとしても病み上がりのような状態のはず。アキトは急がねばと焦る。


「よし……住民をまずは逃がしてくれ! 兵達は敵を妨害した後、北方ではなくこの道を進むぞ!」

「おお!」


 活路が開けたアキトたち。


 しかしその頃、アルシュタットの城門には南魔王軍の大軍が到達しているのだった。


〜〜〜〜〜


 南魔王軍は城壁上の藁人形を警戒もせず、アルシュタッットへと駆け込んだ。


「やはり城壁の人形はハッタリか。敵は皆、逃げたと見える! やはり人間は弱い生き物よ!」


 南魔王軍の指揮官ウドゥルは人気のないアルシュタットの市街を見て、ゲラゲラと笑った。部下のオーク達もそれを聞いて、笑い声を上げた。


 ウドゥルは周囲を見渡すと、一際高い場所にある神殿へと目を留める。


「あれが人間共の神殿か? 野郎ども、噂によりゃあそこにお宝が眠っているはずだ! 他の種族に奪われる前に、急げ!」


 藁人形や旗を気にせずウドゥルが入城を急いだのは、財宝のためであった。他の魔王軍の将に取られる前に、独占しておきたかったのだ。


 そんな中、メガネをかけた人間のような男が、ブカブカのローブを揺らしながらやってくる。

彼は南魔王軍の総司令官アルフレッド王子にパシュバルを補佐するよう任命された副将であり、アルフレッドの師駒である。


 パシュバルが言う。


「ウドゥル殿、危険です! ここは慎重に!」

「黙れ! お前は先ほど罠だと言ったが、結局城壁の上はハッタリだったではないか!」

「ですが、市街にも」

「黙れ、役立たず! 全軍、神殿に進め!」


 ウドゥルの命令に、オーク達は皆、神殿への坂道を駆け上がった。渋滞する数千の軍勢が、アルシュタットの街道を埋め尽くす。


 しかし、オーク達の目の前にある物体が転がってきた。


「な、なんだ?! 岩が転がってくるぞ!」

「下がれ! このままじゃ、潰されちまう!」


 神殿へ向け進んでいたオーク達は、引き返そうとする前列と後ろから殺到する者達とで、混乱する。岩に潰された者はそう多くはなかったが、オーク達の進軍は止まってしまった。


 そこに、今度はアルシュタットの兵士達が矢を射かける。渋滞したオーク達はそれを避けることも出来ず、倒れていく。


 アキトはこの神殿に通ずる道に、ベンケーが切り出した大きな岩と、弓兵を配置したのであった。


 ウドゥルはこれを見て、部下に命令を送る。


「ちっ! 兵を伏せていたか! ええい! 他の道から、神殿を目指せ!」

「へい! おい、お前ら西から行くぞ!」


 ウドゥルの命令通り、いくつかの部隊が、他の道から神殿を目指そうとする。だが、彼らが目指す街道にも、アキトの仕掛けた罠があった。


「おい、障害物があるぞ?!」


 オーク達の目の前に現れたのは、家具や木材、岩が置かれたバリケードだ。

 それを見て、オーク達はバリケードを乗り越えようとする。


 だが、その最中に、オーク達の頭上に一本の火矢が飛んできた。シスイが放ったその矢が、バリケードへと突き刺さる。


「あちぃっ!!」


 バリケードには油が掛けられており、それを登っていたオーク達は火だるまとなった。

 また別の街道では、アカネが同様にバリケードへ火を放つのであった。

 街道を登れないという報告が、次々とウドゥルの耳に入る。


 そんな中、パシュバルが言う。


「ウドゥル殿! ここは、ゴーレム隊を待ちましょう! 彼らなら、岩にやれることはない!」


 ウドゥルは舌打ちを響かせ言う。


「くそ!! 時間はかかるが仕方ない……ゴーレム隊を前に出せ!」


 その命令にオーク達は道を開けて、やがてやってきたゴーレム達に先方を譲る。ゴーレムはのそのそと坂を上がり始めた。


 しかし、ゴーレム達が坂を上り始めると、何故か岩は転がってこなくなっていた。


~~~~


「ゴーレムか……ここらが限界か。皆、撤退するぞ!」


 アキトは坂下のゴーレム隊を見て、速やかに兵を退かせる。

 兵と師駒は皆、割れた海のある埠頭側へと降りていく。


「アキト殿、我ら第十七軍団の陣形の中へ」

「ああ、頼む!」


 アキトはセプティムスにそう答え、大盾を持つ軍団兵の陣形に入っていった。


「リーンはいるか!」

「はい、アキト様!」


 リーンは鳥の姿でそう答えた。どの道に敵が来るかを、空からシスイやアカネに伝えていたのである。


 おかげで、バリケードに火矢を放つタイミングを、シスイ達は把握できた。


「シスイとアカネもいるな。よし、皆行こう!」


 アキト達は、こうしてアルスへの撤退をすぐに開始した。それ故、神殿内に残る者達の存在を知る由もなかったのだった。


~~~~

 

 ウドゥル達はようやく神殿前の広場へと足を踏み入れた。しかし、敵兵の姿はない。


「逃げたか、人間共……もうよい、宝を確認するぞ!」


 ウドゥルはそう言って神殿へと入っていく。


 副将のパシュバルもそれを追うが、周囲の兵士たちがざわついているのに気がついた。


 兵士達の視線は海に向かっている。パシュバルも何事かと海へよく目を凝らした。


「なんだ、ありゃ」


 海が、割れている。自分の目がおかしいのかと、何度も目をパチクリとさせた。だが、海は明らかに割れている。まっすぐと大きな島の方に向かって」


「幻覚? いや」


 割れた海の底に人影が見える。実際に、誰かが島へと歩いているのだ。

 

「島に逃げるつもりか!? 神殿へ我らの目を向けたのは、このため……」


 パシュバルはウドゥルを呼び戻そうと神殿へと入る。


 神殿の中には、大司教と爺がいた。二人は、自分達の判断がアルシュタットを苦しめたと、アキトやスーレに何も言わずここに残っていた。


 二人は自らを囮に、魔物達を罠にかけることにしたのだ。


 ウドゥルはそんなことにも気が付かず、人間が理解できるはずもない言葉を、延々と大司教へ浴びせていた。ウドゥルの手下は、神殿をくまなく探しているようだ。


 大司教はにっこりと微笑んだ。


「南魔王軍の方々。我々はあなた方を歓迎いたします」


 当然、ウドゥル達魔物には大司教の言葉が分からない。しかし、後から入ってきたパシュバルは種族が人間の師駒であるため理解できた。


「ウドゥル殿! こ奴らは囮! 敵は海の向こうです! 今すぐ外へ来てください! 敵が海を割ったのです!」

「海を割ったあ?! お前、やっぱり馬鹿だろ?!」


 ウドゥルはパシュバルを嘲笑った。


「ウドゥルの頭! この神殿、金なんてこれっぽっちもありませんぜ!!」

「よく探せ! 隠し扉か何かあるはずだ! いや……待て、直接この爺に問い正してみる! おい、糞爺!」


 ウドゥルは大司教の胸元を掴むと、分かるはずのない言葉で騒ぎ始める。


「この野郎!! お宝の場所を教えろ!!」

「貪欲な目……スーレ様達に、あなたのような者を近づけるわけにはいかぬな」


 大司教は、落ち着いた表情で喋る。当然、互いに言葉は分からない。

 だが、パシュバルは大司教の言葉が分かる。


「ウドゥル殿!! 私が訳します! だから手荒な真似は! っ?!」


 パシュバルは、大司教の顔が変に穏やかなのを見て、自分の予知能力を発動した。

 すると五秒後に神殿の屋根が崩れる光景がありありと目に浮かんだ。


「ウドゥル殿!! すぐにここから!!」


 パシュバルはすぐに叫ぶ。だが、ウドゥルたちは勿論、パシュバルですら外へは到底間に合わなかった。大司教が神殿の梁にいる爺に、目配せする。すると、神殿内に爆発音が響き渡った。


 神殿の屋根が崩れると、ウドゥルとオーク達は叫び声を上げることもなく重い岩の下敷きとなった。もちろん、大司教も爺も。


 パシュバルは必死に身をかがめたが、すぐに自分の体に岩が落ちたことへ気が付いた。


 広場にいた南魔王軍の魔物達は、突如神殿が崩れたことに狼狽える。


 そこにパシュバルが港へ向けた魔物が報告を上げる。


「人間だ! 人間が海の底を逃げているぞ!!」


 魔物達は、自分たちが騙されたことを悟った。崩れた神殿の瓦礫から、大将が出てこないと分かると、オークの一体がこう叫んだ。


「ウドゥルの頭の仇を討て!!」


 魔物達は大挙して、割れた海へと向かって行った。


「……ま、待て。皆、落ち着け」


 崩れた神殿から、パシュバルの声が響いた。

 パシュバルは満身創痍になりながらも、神殿の瓦礫から必死に抜け出そうとする。


「誰か!! 僕をここから出してくれ!!」


 そう叫ぶも、部下は皆割れた海へと向かってしまった。自分の救助のためではない。このままでは部下が危ない、とパシュバルは這うように瓦礫をかき分ける。


 やっとの思いで瓦礫から抜けたパシュバルの体からは、すでに大量の出血が。


 とりあえず止血しようと、外傷を癒す回復魔法をかけるが、魔力の低いパシュバルではどうにもならなかった。


 パシュバルが死を覚悟した時、一人の老人が声を掛けてきた。


「そこの方……まだ生きておられるのかな?」


 その声の主は、大司教であった。衣服はボロボロ。体からは、パシュバルほどではないが血が流れている。


「……してやられましたよ。あなた方は囮を。いや、見捨てられたのですか?」


 パシュバルは、人間の言葉でそう返した。


「見捨てられてなどおりませぬ。我々の意志でここに残ったのです」

「ふ……そうですか。人間はもっと冷たい生き物だと思っていたので」

「確かに人間には冷たい者もおるようだ。しかし、そうでない者もおる。魔物にもそういう者がいるようにな」

「……分かったようなことを。ところで僕を殺さなくても良いのですか? 仕留めそこなったのに」

「殺したくなどなかった。あなたも、あのオーク達も」

「馬鹿な。我々はアルシュタートの人間を数多殺してきたのに……え?」


 パシュバルは、自分の体が温かくなっていることに気付く。


「何を?!」

「私の体力はあなたにあげましょう」


 大司教は、自分の体力をパシュバルへ供給し始めた。


「な、何故?」

「私だけ生き延びたとなれば、爺……それに死んでいった者達が納得しない。それに、あなたを助ければ、少しでもアルシュタットのためになる」

「何を馬鹿な?! あなたの仲間を再び殺すようになるだけだ」

「いいえ。きっとスーレ様やアキト殿と会えば、考えが変わるはずだ」

「有り得ない!!」


 パシュバルはそう叫ぶが、大司教はばたりと倒れてしまった。

 すぐに倒れた大司教の肩を揺らすパシュバル。


「神官殿! あなたの名前は?」

「私はマヌエル……エリオ様の師駒……」

「マヌエル殿……かたじけない。でも、僕じゃ何にも……」

「エリオ様……今お近くに……」


 大司教は主人の名を最後に、息を引き取った。その体は次第に透明となって、黄金色の師駒石を残した。


「……僕だって平和が好きだ。でも、戦争を仕掛けてきたのは人間なんだぞ」


 パシュバルは大司教の遺した師駒石を握りしめ、港へ向かった。焦る兵達の指揮を執るためである。

 だが、すでにケンタウロスやヘルハウンドといった足の速い魔物は、アキト達の倍の速度で海の道を走っていた。


~~~~


 神殿が崩れる音は、海の道を進むアキトの耳にも入った。

 大司教が仕掛けたという爆薬。それが爆発したのだろうと、アキトは考えた。


「……だいぶ走ったな」

「はい、旦那様。丁度、アルスまで道半ばと言うところでしょうか」


 息を切らすアキトに、アカネはそう答えた。アカネやシスイ、セプティムスと第十七軍団は、悠々とした表情で走っている。


 だが師駒達以外の兵は皆、そろそろ息も切れ始めていた。


 フィンデリアが何時までこの状況を維持できるか。アキトの心配はそれに向けられていた。


 もし途中で海が元に戻れば、皆仲良く海の底だからである。

 そんなアキトに、追い打ちをかけるようにシスイが報告する。


「む。アキト殿、敵がアルシュタットから迫っているでござる」

「もう来たか……皆、急げ!」


 アキトの声に、兵士たちは皆後ろを振り返った。


 逃げるには、この道を少しでも早く進むしかない。そのせいか、皆の足が見る見るうちに速くなっていった。


 アキトもそれを追うように走っていく。


 しばらく走ると、海底に船の帆柱が突き刺さるように立っていた。ただの沈没船の残骸。皆逃げることに必死で、特に興味は示さなかった。


 しかし、アキトは帆柱の近くに、何か棒のようなものが刺さっていることに気付き、立ち止まった。


 棒の先には、天使の羽のような彫刻があしらわれている


「アキト様、いかがされました。うん? 杖みたいですね」


 リーンもアキトの隣に立ち止まって棒を見やる。


「みたいだな……」


 もしやこれは、とアキトは大司教の言葉を思い出す。


 前アルシュタート大公であるエリオ。スーレの祖父であるエリオは、アルシュタットとアルスの間の海で命を落としてしまう。


 その際に、持っていた師杖。それが、目の前にあるこの杖ではないかと。


「エリオさんのものかもしれない……スーレに確かめてもらおう」


 アキトはそう言って杖を引き抜き、再びアルスへと向かうのであった。


「逃げろ!! もう少しでアルスだ!!」


 アキトは皆に向かって叫んだ。目と鼻の先に見える一ノ島。


 だが後ろには、ものすごい速度で追い上げてくる魔物達の姿が。


 もう駄目か、アキトがそう思った時であった。

 大きな岩が魔物達へと投げ入れられる。潰されたのは数体のヘルハウンドだが、皆、それを避けるように進むので時間が稼げた。


「ベンケーか!!」


 アキトは、海の道のアルス側を見てそう叫んだ。


 ベンケーは、敵が追ってきた場合に備え、その背中を守りながらアルスを目指していた。


 続いて、一ノ島から矢が放たれる。矢は魔物達へ次々と射かけられた。


 矢を射かけたのは、アカネとシスイが訓練した兵だ。皆、それなりに魔物へ矢を当てられている。


 そうしている間に、アキト達は一ノ島へ到着することができた。


「アキト!!」


 スーレが叫ぶ。マンドラゴラのハナも一緒だ。


 そして少し離れた砂浜で、海へ足をつけながら両手を挙げているフィンデリアが。


「フィンデリア!! 皆、渡り終えた!! もう大丈夫だ!」


 アキトが叫ぶと、フィンデリアは振り返り、一度頷くと両手を降ろす。


 すると、割れた海は見る見るうちに、元の形へと戻っていく。


 海へ飲まれる魔物達。足の速い魔物の後ろに、オークや他の魔物も続いていたようだ。海面にいくつかの渦が出来たと思うと、それは魔物達を海の底へと引き込んでいった。


 しばらくして渦が消えると、海は何ごともなかったかのように元の平穏な姿へと戻る。


 南魔王軍は、誰もが思ってもいなかった損害を出すのであった。

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