表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼女の旅路~Load of memories  作者: きのじ
72/73

第六十九話『アンサング・ロマン』

『アンサング浪漫』


 日常はいつだってすぐそこにある。

 私は重たい瞼をこすり、白色の光線が差し込む窓を眺める。

 いつもは温かな暁の光だけど、今日はゆっくりと眠っていたこともあり、外からは既に赤色の太陽光は消えていた。

 寝坊だ…とため息を吐き、自分の赤い髪を軽く掻く。

 今日は相部屋のマイさんは昨日からの依頼で出ており、「おはよう」を言ってくれる人はいなかった。

 マイさんが忙しい時は、大抵リディちゃんが慌ただしくドアをノックし、新たなる発見と知見に興奮しながら私を起こしてくれる。

 また寝てないでしょ?と注意すると、

『3時間は寝ました!おそらく!多分!おおよそ!』

と帰ってくるのが日常でもあった。

 それでなければ、先日の訓練以降仲良くなったレオーナさんが、食事(肉料理)を誘ってくれたり、ケイレムさんがもっちゃもっちゃと何かを食べながら、「暇なら手伝え」と仕事に誘ってくれたりもする。

 今日はそれらがない。

 だからこんな時間まで寝てしまった…というのは言い訳。

 4人が同じ依頼をリリア副長から命令され、私は実力不足ということで残された。

 そんな当然と言えば当然なのに、疎外感というアンニュイさが私の胸中を支配している。

 4人が対処する予定なのは、オーガ…

 大柄の巨人を思わせ、ボロボロで赤黒い肌、腐敗臭、そして剛腕と知恵を持つ危険な魔物。

 私も何度か戦ったことはあるけれど、いつだって一人では勝てない…というか、勝てる気がしない化け物だ。

 リディちゃんが初依頼で遭遇し、文字通り瞬殺したけれど、そんな時でも私は足手まといでしかなかった。

 もっと強くならなきゃ…

 そう呟くと、首筋に柔らかな痛みが走った。

 怒っている…というよりも、当然と拗ねて見せている…そんな痛みだった。

 その痛みの中にある温かみは私への応援だと思う。

 空は青い。空は綺麗。事実上休み。休むのも仕事…だけど。

「よし!」

 私はそう気合を入れると同時に立ち上がり、顔を軽く叩く。

 簡単な依頼なら…それがダメなら訓練にでも行こう。そう決心をし私は腰に剣を携え、師匠から貰った鎧を纏い部屋から出る。

 私の出で立ちはまさにゴブリンそのもの。鼻が低いのと、肌が肌色なだけ。

 華やかな鎧も、煌びやかな魔術も、力強い技がなくても、私…カホは前に進むと決めたのだから。


 私が自室から出て、受付兼酒場へ向かう。その道中で、『幼き翼』の三人とすれ違った。

 三人は今日は教会へ行くらしく、私も誘われた…けれど何とか断わった。

 教会へ行って勉強する、というのは凄く魅力的だけれど確か入学金みたいなものもいるみたいだし、何よりも強くなると決心したのにいきなり逃げるのには抵抗があった。

 それでも魅力に心を痛め、少し重たくなった足取りで受付へとたどり着く。

 受付は、いつもどおりだ。今日も今日とて男性の同僚達が酒を煽っている。

 この人達は仕事しているのだろうか…とは思わない。

 私よりも早く仕事をこなしているから、空いている時間はこうやって羽を休めている。

 ベテランとルーキーの違い、と自分を納得させる。

 私が受付へ入ってきたのに一番早く気付いたのは受付の女性だった。

 スタイルが良く、顔も整っている。

 女性から見ても綺麗な人でしかも仕事も出来る。

 私には何一つ勝てるところがない彼女に依頼がないか…と確認しようとしたところで、急に私の足が宙を掻いた。

 意味が分からなく、足を数回漕いだところで、首への圧迫感に気付き同時に声が落ちてきた。

「おい、カホ」と気軽でぶっきらぼうな挨拶。

 それと同時に声の主が私を猫の親が子猫を持ち上げるように襟を掴んで私を持ち上げていることに気付いた。

 それと同時に圧迫された喉へ肺が空気を欲して悲鳴を上げているのも聞こえてきた。

「じ…ぐる…ど…だちょ…?」

「誰が、ジグルだ?」と私が必死に出した言葉を額面通りに受け取ってしまったらしい。

 喉の痛みと苦しさ、それらに抗い意識を保てるのは、首筋の痛みと、右手の甲の痛みで何とかといった所だった。

 それでも意識を手放しそうになったところで、今度は羽が生えたように体が軽くなり喉に急に空気が通り、肺が咽る。

 私が空気におぼれていると、「シグルド」と優しくも、いつもより厳しい声が響いた。

 その声に聞き覚えがあり、顔をあげると柔和な表情をした、特徴がないのが特徴といった雰囲気の上司…トーマスさんがいた。

 どうやら私は彼に抱きかかえられているようで、その体勢もお姫様抱っこに近しい…と気付くと同時に、今度は私の心臓が跳ねあがる。心臓の拍動で息が詰まり、声が出せずにいると、再度首筋と右手の甲にさっきよりも数段強い痛みが走った。

 抓られている…というより、もう噛みつかれている程の痛みに私はようやくショウキニモドッタ。

「トーマスさん?」と私が声を上げると、トーマスさんは私に視線を落とし、柔らかく微笑んだ…かと思うと急に涙目になり顔を真っ赤にした。

 慌てた様子で、彼が私を床へと下ろし、「誤解だ!」と叫んだ。

 その意味が分からなかったけれど、多分、慣れ親しんだ理由だと分かり私の芽生えかけたサプライズ恋心は消え失せた。

 胸もトキメキだったはずのモノは、ただ静かな痛みとなりこんな時に限って首筋の痛みも、右手の痛みも消えていた。

 私はため息を吐きながら、大柄の巨漢。漆黒の鎧を纏ったギルド長、シグルド団長を見上げる。

「なにか用ですか?」と私が尋ねると、シグルド団長はニカリというよりかは、ニヤリと笑い懐から何かを取り出した。

 それを私に向けてズイと差し出してくる。

 小さな麻袋。

 恐らく報酬金が入っているであろうそれを私はキョトンと見ていたものの、シグルド団長が無理矢理私の手に握らせる。

 何これ?

 そう思うしかなく、シグルド団長を見上げると、シグルド団長は私の頭を乱暴に撫でまわしながら。

「調査報酬だよ」

 そう言い終わった頃には私の髪は落ち武者のようにぐちゃぐちゃになっていた。

 視線の端に映る赤い髪にため息がこぼれながら、マイさんには同じこと絶対しないだろうなぁ、と思いながら首を傾げる。

 意見が欲しくてトーマスさんの方を見てみると、トーマスさんは何処か感心した様子で。

「器用なものだね」と嬉しそうに頬をほころばせ、まるで頼りにならない。

「調査報酬ってなんですか?」と私が尋ねると、トーマスさんは目を丸くし、シグルド団長は噴き出した。

 絶句してしまったトーマスさんは頼りにならず、シグルド団長に答えを求めると、

「素直だな」と呆れと嬉しさを交えた表情を浮かべてから。

「ギルドってのは国の益になるから認められてる。魔物退治に、新種の報告、異常個体の把握。そらの防除も当然国の益になる。だが、情報だけでも金にはなる」

 団長はそこまで言うと、私に「これは分かるな?」と確認をしてくる。

 私は頷きながら、マーケティングやインフルエンサーみたいなものかな、と勝手に解釈する。勿論、細部どころか大まかには間違っているけれど、情報を売るという商売という点では一緒だと思う。

 シグルド団長の言葉に補足するようにトーマスさんはゆっくりとした口調で。

「昔の冒険者は”歩いて稼ぐ”って言われていたくらいだからね。獣道の発見や魔物の痕跡。地図の作成。薬草の群生地の把握。そういった情報を町で売っていたって言われているよ」

 トーマスさんはそこまで言って「勿論、嘘つきの情報は買われないけどね」と苦笑いをしながら付け足した。

 情報は金になる…それは何処でも一緒なのだろう。

 私のいた世界でも、情報は金だった。

 広告で店が倒産するくらいには、情報は重要視されていたし、価値もあった。

 中には悪い印象や悪評で無理矢理意識付けたり、というのもあったのは覚えている。悪評は無名に勝るとはまさにこのことだろう。

 ただ、無駄な情報や悪評の所為で企業が傾く、なんていうのも嫌という程見た。

 悪評は無名に勝る…とはいっても、限度はきっとあるのだろう。

 なら、本当にいい商品を紹介するレビューにこそ価値がある。正確な情報を供給するという信頼あってこそ情報には価値がある。

 …そこまで考えてから、さっきの嘘つきというのはトーマスさんが率いる調査隊のチョンボのことだろうか、と不安になった。

 ただこれに関しては私の責任ではないと思う。

 知らぬ間に自分で地雷を取り出して、自分で踏みぬいたようなものなので、最善を探してみたところ、地雷で吹っ飛んだ彼を見ないふりすることにした。

 トーマスさんは少し焦った様子のまま。

「今でも変わらないのだけど、ただ、ギルドの場合は国に売るから、前に報告したような売れない情報もあるし、反対に継続的に調査が欲しい物は自ずとお金が出るんだよ」

 と続けた。

 継続的に欲しい情報…。

 そういわれると、何となくイメージが付いた。

 魔物の動き等は確かに常に見張っていたいだろう、と…一人旅時代の寝ていた背中に岩鹿のかちあげを受けたのを思い出した。

 あんな危険な魔物か動物か分からない生き物がいるなら、事前に知っていたい。

 近くにいたり、縄張りがあるなら、その危険の未然防止にもなる。

「なるほど」と私は何となく納得し、納得いかない麻袋に視線を落とす。

「で?これはなんですか?」と私が聞き返すと、シグルド団長は目を細めながら。

「菊から、だ」と優し気な声色でそう答えてくれた。

 その答えに受け取った麻袋を一度凝視する。

 菊さん…。極東から来たという女性の同僚。

 着物姿に刀というステレオタイプな侍姿…と思っていたら、ただの町娘、なのにとんでもなく強い人だ。

 そんな彼女とは前に仕事を一緒にし、報酬金のことで揉めたのを思い出す。

 急ぎでお金が必要そうだったから、譲ったけれど…やっぱり頑固みたいでこんなに早く行動してくるとは思わなかった。

 つまり、菊さんが調査した内容を私名義で報告した…ってことかな?

 そう結論付けると気まずくなる。

 何もしていないのに、お金だけ受け取るのも、ただでさえ貧困な菊さんからお金を受け取るのも気が引ける。

 チラリとトーマスさんに視線を送ると、彼は気まずそうに、まるで”私は何も聞いていない”とでも言いたげであった。

 仕方ないのでシグルド団長に視線を向けると、シグルド団長は静かに笑い。

「調査してねぇ奴に、報酬は渡せねぇなぁ」

 と彼が肩を竦めると、トーマスさんは目を見開き一瞬口を開いたものの、すぐに目を伏せた。

 シグルド団長は私の手から麻袋をひょいと取り上げ、「こいつぁ、菊に渡しておくよ。」と言いながら背中を向けた。

 その言葉に私はホッとする。だから、気付いたのかもしれないけれど、シグルド団長が小さく「ありがとよ」と呟いたのが聞こえた。

 その言葉の意味は何となく感じ取れた。

 去っていく背中を見送っていると、急にシグルド団長が踵を返し、「あと、嘘の報告ってことで、ギルドで奉仕活動でもさせようかなぁ?」とニタリと悪い笑顔をする。

 ここまで来ると、彼は結構、過保護なのかもしれないと呆れも出た。

 心配なら心配と言ってあげればいいのに、とため息が出そうになる。

 トーマスさんはそんな団長の真意をくみ取っていないのか「菊さんにも悪気があった訳じゃないよ」と宥めながらギルド長の後に続いた。

 …二人が去った後、結局トーマスさんが何をしに来たんだろうと不思議には思った。

 少女漫画でよくある、都合良すぎるヒーローだったのかもしれないけれど、如何せん気まずそうにしているだけだったので、もうちょっとヒーローしてくれても良かったなぁ、と思ってしまう。

 そうは思ったものの被りを振って、思い直す。

 依頼を受ける為にも受付へと歩を進めようと思った…ところで、不意に足元に一枚の布が落ちていることに気付いた。

 4つに折りたたまれた、少し黄ばみがあるハンカチだ。

 手触りは心地いい。良い生地だと思う。具体的に何かは分からないけれど絹糸に似た手触りだ。

 元はきっと純白のハンカチだっただろうし、ハンカチの端には金色の糸で獅子が刺繍されている。

 少し黄ばんでいるのが勿体ないな、と思いながらも誰かの落とし物だろうと、周りを見る。

 相変わらず酒を飲んでいる人たち以外に人はいない。

 マイさんなら持っていてもおかしくない。リディちゃんも。

 後は…と考え、今しがた出て行ったシグルド団長とトーマスさんを思い出す。

 団長はないだろうとして、トーマスさんが落としたとしてもおかしくない。

 間に合うだろうと受付のある建物から出ると同時に歩いてきた人にぶつかった。

「いってぇ!」と若い男性の声が聞こえた。

「ごめんなさい!」と謝り顔を上げると、短い黒髪と少し馬面の顔の青年…異常者の同僚だ。

 前に何故か…未だに理解出来ないけれど私に意味不明な理由でキスしようと迫ってきた変態さんがいた。名前はまだ知らない。

「なんだぁ…てめぇ?って、カホ?」と彼がキョトンとした表情を浮かべたかと思うと、同時に彼は大きなため息を吐いた。

 理由が分からなかったものの。

「俺だって…どうせなら、マイの胸にぶつかってぇ!そのまま、窒息するくらい顔を埋めたかった!畜生ぉおおおおお!」

 絶叫だった。

 そんなに私じゃ不満かド畜生…と言いたい気持ちを必死に押さえる。

 変態さんは、そのまま…”倒れた時にマイの髪が俺に絡んで、しかもマイが足首痛めて起き上がれなくて、俺達はそのまま気まずい雰囲気のまま笑顔をこぼしてぇ…俺はマイの谷間の香りをかぎ続けるしかないッ!というのを合理的且つ合法的にしたいんだょ!うなじでも可!”と頭を抱えて絶叫した。

 ―この人はきっとダメだ。マイさんに近づけちゃいけない。

 私は強く決心した。

 変態さんは心からの叫びをしてから「でも、カサリア様が一番なのです!」と気持ち悪い口調で続けてくる。

 ―きもい

 と言いたいものの、先輩だし、キモい意外は割と普通にいい先輩なのでグッと堪えた。

 ついでに、菊さんに気があるんじゃないの?という言葉もグッと堪えた。

 堪えた言葉を飲み込んだところで、ふと思い付き、ハンカチを広げて見せ。

「これって、誰のか分かりませんか?」

 そう言いながらハンカチを変態さんに見せると、変態さんは眉を曲げハンカチをまじまじと見つめ。

「こんな小洒落た物…持っている奴なんているか?」

 と冷静になってくれてホッとした。私も「名前書いてないんですよ」と口を尖らせると、変態さんは軽く笑い「ハンカチに名前書く奴なんているのかよ?」と笑いながら、

「まぁ、紋章を刻んだりはするけどな」と続けた。

 紋章と言われ、獅子の刺繍があったのを思い出し「獅子ってどこかの家紋だったりします?」と尋ねる。

 彼は”家紋”という言葉に、一瞬眉を顰めたが、「紋章は基本的には個人を…」と言いかけた言葉を彼は飲み込んだ。

 そのまま彼は唾を飲んだかと思うと焦点の合わない瞳を空…空の空…その先を見つめるようにただじっと上へと向けた。

 足を閉じ、まっすぐ。両手を肩からまっすぐ天を仰ぐように上げた。

 昇りゆく太陽を表すようなその出で立ちはある種の美しさもあり、彼のきしょさもあり、雄大で尊大でありながらも、冒涜的でもあった。

 彼の気づきはきっと唐突に思考の爆発と共にやってきた。

「カサリア様ぁああああああ!!!」

 彼の声はまさしく絶叫だった。

「愛してる!あなた様に夢中だ!カサリア様ぁあああああああああああああああ!!!!!」

 魂の叫びだった。

「ちゅうううううううううきぃッ!!!!!」

 ただの騒音だった。

 彼はそれらを叫ぶと同時に、「かかかかか!かかっかっかあ!ささかかか!」と意味不明な言葉を並びたて始める。

 ついでに私はハンカチごと手を握られたあげく、ハンカチごと彼のほおずりを受けた。

 ぞっとする。背筋に鳥肌が立つが、その不快がこみあげて来ているという気付きすら得られない程に目の前の状況に対して脳の処理が追いつかない。

 逃げないといけないが、逃げられないという現実と幻想が一斉に押し寄せてくる。

 それが如何に真実だとしても、如何な嘘だとしてもきっと意味などなく思考の纏りのなさが奔流となり、ただ…きしょかった。

 目を離せばハンカチごと手を呑まれるのではないかと恐怖する程度には…きしょかった。

 そこまで思い、ふと考えがよぎる。

 カサリアさんのカードは持っている。けど、黒い獅子だったような…。

 そう思ったものの、目の前の状況が気持ち悪過ぎてすぐには言い出せなかった。

 それでも…勇気だ。

 その言葉を思い浮かべ、勇気を振り絞り。

「カサリアさんって、黒の獅子じゃ?」

「お前!カサリア様の何が好きか…それが分からないのかぁッ!?」

 ダメだ…会話にならない。

 イカレタ先輩に気圧されてしまい考える。

 混乱し、恐怖と怖気に呑まれた私には良い答えなんて見つからない。結局思いついた唯一のものも、持たざる者である私にとって、持ち得る者であるカサリアさんとの一番の違いだ。

「…胸とか?」

 と…言ったものの、その言葉だけで自分から地雷を設置して飛び込んで自傷した。

 胸はない。私に胸はない。あるけど、無いものとして扱うと言われても仕方ない程度だ。悲しくなる程度に発育が悪い。

 何に傷ついたか?それは、明らかに胸だけでなく全てにおいてカサリアさんの美貌に負けているからだ。

 なのに、唯一負けているとその気になっていた私はまさに道化で…お笑いだ。

 顔も、スタイルも、性格も、妖艶ではあるのにコロコロと変わる可愛らしいと美しいが同居する表情も…何もかも私は負けている。

 私が女としていかに何もかも御終いだ…というレベルでカサリアさんは格が違う。格が違うんだよ。格が…。

 そんな私を慰めるように右手の甲が疼く。慌てた様子で首筋にも温かみのある痛みがあ走る。

 同情しないで…と言いたくなるのを必死に堪える。

 キモい先輩は私の答えに、フッと笑い落ち着いた様子を見せる。

 多分、違うけど…合ってるんだろうなと私はホッとする。

 キモい先輩は…オタクに悪いけど、カサリアさんオタクだと思う。いや、これはオタクに悪いから、カサリアさんの狂信者だと思う。正直この言い方は好きじゃない。カサリアさんをカルト宗教みたいに扱うから、カサリアさんに悪いけれど…カサリアさんに悪い部分はなくて100対0でキモい先輩がただ盲目的に信仰しているので先輩が悪い。

「カホ…」

 きっしょい先輩は、ゆっくりと悟ったような声で…私の手ごとハンカチへ頬ずりしながら、それに見合った表情を浮かべ…。

わたくしは、カサリア様のありとあらゆる全てが好きなのです!愛です!愛なのです!全てが…愛!愛こそ全て!愛!愛!愛!全知でゼン(ぶエッ)チぃ!なのです!なのです!なのですっぅッ!」

 凄い…。

 凄い声だった。

 あんな体勢からそんな大声を出せるんだ…と感心した。

 遠くに一瞬見えたヴォルフさんが、踵を返したのも…

 口をあんぐりと開けた、老紳士のような方も…

 全てが正しいと思えた。

 異常者に対して、もっとも正しい判断だと…本当に思えた。

「まず、あっ!はぁッ!」と発狂した先輩がまた口を開く。

 手に唾がかかる…とだけしか思えなかった。私の思考は閉じていく。闇に、深淵に溶けていく。

 殴っていいなら殴り飛ばしたいと思える程には、気色悪さと生理的嫌悪感を感じる。

「レッスン…わぁ~ん!まずはぁ…う・な・じぃ…」 

 そう話始めた彼をどうやって引きはがそうか…そう考え、「黄色の獅子なんですけど」と口を開くと彼はスッと私の手から離れた。

 彼は居住まいを正し、髪を整え、大きく一息をつく。

 それから。

「黄色じゃなくて、金なら、中央国の縁者かな?」

「うわ!急に冷静になった!?」

「騒ぐなカホ。周りに迷惑だろ?」

「どの口!?」

 私の絶叫を彼はたしなめるように、冷静な口調で「アルトヘイムは狼だからな」と続けた。

 私は唾で汚れた…私のいた世界でいうなら暴行とか性的暴行にもあたりそうな跡をズボンの裾で拭きながら。

「中央国って獅子なんですか?」と聞き返す。

 彼は頷きながら「初代が獅子王って呼ばれる程だったらしいぜ」と冷静になった彼はマジマジとハンカチを見つめていた。

「確かに…金獅子だな。楯も、剣もねぇってことは、庶子かぁ?」

 庶子ってどういう意味だったかな?

 そう思いながらも自分の無知を晒すだけになると思ったの聞かないで置いた。

 それに中央国なら、確か団長が出身だと聞いたことがある。

 あの柄で、こんな物を持っているとは思えないけれど、もしかすると恋人がいるのかもしれないので後で返しておこうと思う。

「アルトヘイムって狼なんですね?」と私が話題を変えると、先輩は眉を曲げながら。

「月と太陽に関連するからじゃねぇかな?獅子は太陽信仰の象徴みたいなもんだし、中央国に太陽ロイド信仰は多いしな」

 意外に博識なんだ…と素直にそれには感心した。

 今までのことがあるので、マイナス1000点から、マイナス999点になった程度だけど。

 悪い人じゃないけれど、気色悪い人ではあるのが…彼は玉に瑕。いや、泥団子に瑕だと思う。

 団長のところへ今から行くか、後にするか…そう考えていると、ドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。

 音の方を見ると、「カぁぁホざぁあああああん!」と怒鳴り声を上げて…薄い桃色の髪と、着物の袖を振り回しながら、菊さんが走ってきていた。

 どうみても…声からしても怒っているのが分かる。

 菊さんは私の前まで来ると、息を咳切らしたまま、

「何故!?何故!?何故!!ナズェ、受け取らなかったのです!?どうしてですかぁッ!?」

 とさらに怒鳴ってきた。

 視線を逸らす。理由は分かるから。遠くに見えたヴォルフさんがクスクスと笑っている…あの人だな、と私はうなだれる。

 嘘じゃないから質が悪い。

 菊さんは興奮した口調のまま私に詰め寄り、鼻と鼻が触れるような距離で。

「私は!借りを作ったままは嫌なんです!何故!?何故!?何故!?ぬぁあああぜぇぇぇッですかッ!?なぁにが不満なのですかあああ!?大人な対応ですかぁ!?それが大人ですかぁッ!?」

「…菊さん」と私が宥めようとしたが、菊さんに睨まれ怖気づいてしまう。

 それでも…勇気だ!

 勇気を…なけなしの勇気を振り絞るとかそういった…もう残りかすの燃え残った何かに火をつけ…

 ―キッ

 と音がなるくらいに、そういう音を幻視してしまうくらいに菊さんに睨まれついぞ私の言葉は出てこなかった。

 言いたいことも言えない…と項垂れそうになったけれど、「団長が奉仕活動を命じるとか言ってましたよ?」と逃げの言葉を出す。

 責任転嫁。逃げの一声。逃げるは恥だが、逃げるんだよ…と私は自分に言い訳をする。

「ウソダゾンナゴドーン!」と菊さんが再度絶叫し、頭を抱えた。

 確か菊さんは使命とかと言っていた。

 時間がなさそうな雰囲気もあった。でも、それが何処か死に急いでいるようで、心配だったのもあるから…

 本心では、団長のあの言葉に安心していた。

 だから口をついた言葉。

 団長はきっと菊さんのことも大事な仲間として大切にしている。いや、これは疑いようがない。でなければあんな言葉はきっと言わないから。

 菊さんにもそれは気付いて欲しい。

 菊さんは青い顔をしながらも、一歩後ろに引き、怒りを湛えた表情で、顔を手で覆う。

「ほ、奉仕活動ってことは…!ハッ!つ、机の下で…執務している男性のを…!わ、私は既婚者なのですよ!破廉恥です!」

 …え?

 菊さんの言葉に私は言葉を失った。

 変態先輩は口元を手で押さえ、小さな声で「いいかも!」と言っていたので、後で副団長に報告しようと思った。

 菊さんを宥めようと一歩踏み出したものの、菊さんは顔を真っ赤にし。

「応対している時も休まずに!まるで道具のように使われるのですね!肉道具のように…ぐ!そんなことあってはなりません!団長を誅してきます!」

 …菊さんって暴走しやすいんだよぁ…。

 これこそ本当に玉に瑕としみじみと思い、思考を放棄した脳で、おそらきれい、と思うことにした。

「キスすんの?」と変態きしょ先輩が菊さんに告げると、菊さんの掌底が変態キモきしょ先輩のみぞおちに直撃した。

 変態キモキモ先輩は掌底の直撃で文字通り吹っ飛び地面を転げる。

 土ぼこりを巻き上げながらも彼は受け身を取るがそこにさらに菊さんの蹴りが飛ぶ!

「まずは貴様からです!往生せいやぁ!」

「どああああッ!?」とくぐもった悲鳴が聞こえたけれど、おそらきれい、だ。

 そうして、暫く打撃音が響いた…でも、おそらはきれい。

 悲鳴が聞こえたけれど、おそらはきれい。

 助けを呼ぶ声が聞こえたけれど、自業自得です。

「パンツぐらい履けよ!バーカ!」

「なぁんですってぇ!」 

 ふと思うことがある。

 事故で事故の責任割合みたいなものがあると聞いたことがある。

 どちらがどれだけ悪いか…ということらしい。

 どうも、追突事故とかで無い限り、10対0という、片方には全く責任はないということはないらしい。

 きっとそれは社会の縮図なのだと思う。

 因果応報。人事の厄…というか、全ては廻り廻っていて、責任を負うのだろうとか。

 そういった、理不尽もきっと本当はもっと理不尽じゃないんだろうなぁ…とか、そう思う。

 だけど、今のこの状況は100対0で変態さんが悪いと思う。

「うおおおおお!縦四方固めぇッ!」

「うお!しゅまった!やめろ!離せ!胸が…あれ?固い…?」

「死に晒せぇッ!」

 今日もギルドは…元気です。

 二人が…一方的だけど…ボコボコにされている騒がしさも…冒険者なんだろうな、そう青い風に思いを馳せる。

 鳥が飛ぶ。青い空を背に。白い光を背に受けて、何処までも、きっと何処までも飛ぶんだと思う。

「きにゃあああああああああああ!」

「地獄車ッ!」

―ちょっとそれは殺意が高いと思う。

 しかも…それって、漫画かドラマの技じゃなかったかな?

 鳥を眺めながら、おそらきれい、と私はそう一人ごちた。

「どらごん…すー・ぷれくす!」

 そう青空に響いた声と影に、平和って素敵だな…と零した。

 あと、それも危険だからやめた方がいいと思う。 


 少しして、菊さんは落ち着いた。

 変態先輩は顔面がボコボコに変形した状態ではあったけれど、いつも通りだった。

「あへ…へへへんほぉ。いほぉうへんへんはほぉほへへへはっへふへへほおほぉ。」

※あぁ、そうだ。暇か?依頼受けんだけど、暇なら手伝ってくれよ

 何を言っているのか分からなかったけれど、何となく察して菊さんに視線を送る。

 菊さんはバツが悪そうに視線を逸らしていた。多分、さすがにやり過ぎたんだと思う。

 私も少しだけやり過ぎだと思う。

「あへへ…へんほぉ、ほぉほぉうほぁいいへ。ひはいしてんおほぉ」

※ああ、勿論。報酬は均等割りでいいぜ。期待してるんだし

 何を言っているのかさっぱりだけど、多分キモいだけの人だし、悪い人ではないから悪い条件ではないとは思う。

 菊さん次第かな、と思って視線を向ける。

 菊さんは…怒っていた。

「どうせそうやっていたいけな、生娘と人妻を薬や酒で酔わせて手籠めにする気でしょう!春画本みたいに!春画本みたいに!」

「そんな春画本あるの?見てみてぇな」

 変態先輩はそういった瞬間に、あ…やっべ、と声を漏らしたが時すでに遅しだ。

「てぇぇぇんちゅうううううううッ!」

 菊さんの声が響き渡る。

 変態先輩は…文字通りボコボコにされた。

 依頼は結局、菊さんと私の二人で行くことになった。

 先輩はもう動けないくらいどつき回されたので、仕方なくお休みとなった。

 けれど、不参加の彼にも平等割りする…と菊さんとの間で決まり、お見舞いの品を買って実際にそれに実行することになると彼が固辞した。

 だから、さらに先輩はボコボコにされたけれど…些事だ。匙を投げたくなるくらいの些事だ。

 ちょっと暴力的過ぎるし、きっと下品なんだけど…なんだかんだと笑えてる。

 周りが見たら、全然面白くないだろうけど、ここにいるから私はなんだか楽しく笑えてる。先輩のケガの具合はちょっと笑えないけれど。

 私たちの活動は、調査も討伐もきっと日の当たらない、地味な話で、依頼主くらいしか気にかけず、時が立てばそれすらも薄れる。

 アンサング。日の当たらない者達。

 それに、ヒーローが付いたら、縁の下の力持ち。

 私のこなした仕事が、因果を巡り巡って、誰かの為になるならそれはきっと誇らしいことだ。

 賞賛はない。このこなした仕事が認められることがなくてもいい。

 お給金が貰えるからで納得も出来るから。

 お金のない私はそれで何とかなるから。

 でも、そういった影で頑張る人達もいるから世界は廻っているんだと思う。

 日の当たる場所で頑張る人も偉い…。

 その苦労は日陰人アンサングな私には到底理解すら出来ない。

 でも、その人達も私のような有象無象がいないとなると、困ることもあるんだとも思える。

 人は一人では生きいけない。

 そういった言葉を強く感じる。

 だから、世界にとって不要な枝葉な仕事で、それと同じような私であっても…

 世界に浪漫を感じる―

 日陰の世界の美しさの浪漫を。

 通りを冒険者達が行く。整然と整列して、まっすぐに。

 アルトヘイムに存在するもう一つの冒険者ギルド。

 公的機関ともいうべき、装備も規律も整えられた、ある種、騎士や兵士のような出で立ちのギルド『金の翼』。

 それに反して、通りで今日の昼食を何にするかを、極東の着物姿の女性と、顔面がボコボコで”前が見えない”と言いそうな鎧すら付けていない男性、そして、簡素な皮の鎧と短い剣だけを差した私…が言い合っていた。

 私達が属する冒険者ギルド『青き風』。

 装備は自前。規律もそこそこ。脛に傷があるような者達の集まり。ならず者の集団と呼び蔑まれても言い返せないようなギルドだ。

 でも、この国には、どちらもきっと無くてはならないんだ、とそう思えた。

 光があれば、影があるのだから。

「肉だろ!」

「魚です!」

 先輩はお肉が食べたいらしい。それに対して菊さんは魚が食べたいらしい。

 そんなことを言い合えるのが、きっと平和なんだと思う。

 さて、どっちを選ぼうかな…と多数決の答えを私も考えあぐねていた。

 どっちも、というにはお財布が厳しいから、どちらかを。慎重にしっかりと決めないと。

 お肉もお魚もどっちも無くてはならないものなのだから。

短くて申し訳ないです。

データが飛んでから中々手が進みません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ