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彼女の旅路~Load of memories  作者: きのじ
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第七十話『魔物の坩堝 上』

『魔物の坩堝 上』


 いつもの朝―

 赤い光が私の瞼を叩く。ゆっくりと薄く目を開ける。

 まだ暁が空に昇り、薄雲の先から大地を照らしている。

 暁の赤が、私の赤い髪に当たり視界の先に揺れる。

 視界の先で手入れされた黒い髪が揺れた。

 髪の持ち主は、私よりも先に起きていたようで、まさに生まれたままの姿であった。

 昨日は少し暑かったから、きっと汗の処理も含めて着替えをしているのだと思う。

 彼女が下着に足を通したのと、私が体を起こすのはほぼ同時だった。

 彼女は私と相部屋であり私の先輩で、ペアを組んでいるマイさんだ。

 私の布団が擦れた音でマイさんも私に気付いたのかゆっくりと振り向いた。

 一応同性とは言っても、私のようなズボラではないマイさんはまだ隠せていない胸の部分をタオルで隠しながら、

「おはよう」

 静かに、そして優しく私に挨拶をしてくれた。

 なんだかその言葉に落ち着く。

 私もきっと笑顔になっていたんだと思う。

 マイさんとは同年代だけれど、何処かお母さんのような優しさと温かさに安らぎを感zにてしまう。

「おはようございます」そう返すと、マイさんはゆっくりと頷きながら笑顔になる。

 マイさんはそのままの恰好で私の元へと寄り、片手でタオルを押さえながら、私の髪を軽く撫でる。

 その行動を不思議に思っていると、「また増えてる」と少し悲しそうな声色で言いながら私の額を撫でた。

 額の傷は特段大したことじゃない。

 菊さんと練習をした時についただけのこと。

 木剣でも当たればケガはするし、当たり所が悪ければ死にも直結する。

 菊さんの一撃―雷。

 まさにその通りの名と思わせる、剛剣。

 上段からの打ち下ろし。なれど、構えは見えても、目視出来ない程の速度の打ち込み、打ち合った瞬間に炸裂音を放つ…文字通り雷の如き一撃。

 レオーナさんと一瞬だけでも拮抗したその一刀を弾こうとしたけれど、無為な力が入った所為で剣先がぶれた。だから、菊さんの木剣を木剣の刀身で真正面から受けてしまい、折れた破片が額を掠めた。ただそれだけ。

 菊さんが振りぬいていれば…多分死んでいた。

 余談だけれど、レオーナさんと菊さんの模擬戦は誰もが固唾を呑んだ。

 全部で3戦。結果としてはレオーナさんの完勝。だけど、その一刀を届かせんと気迫の籠った一撃は空気を振るわせた。

 素早く、柔軟…されど必殺剣。

 そうリリア副長が評した菊さんの剣技。

 それでも真正面から、レオーナさん本来の彼女の得物に近しい武器、ハルバードを前にしては、その剛力により剣をへし折られた。

 次戦は技術で押し切ろうとした菊さんを、まるで赤子の相手でもするかのように、菊さんの足元への足払い。それに気を取られ一瞬緩んだ瞬間に菊さんの一撃を掴み取り、そのまま空いた片手で袖を掴み投げ飛ばして見せた。

 そして、続いた三戦目。

 菊さんは自身の愛用の木刀を取り出し、真っ向からレオーナさんと打ち合った。

 それでも、始めは違った。技量の戦いだった。

 レオーナさんの振り下ろしの一撃を鎬で受け、躱し。

 派生してのハルバードの突きや、足かけには最低限の動きで躱すと共に、鎌部分に物打ちを差し込み、梃子の原理で打ち上げようとし、確実に距離を詰め切っていた。

 一足一刀の距離となった瞬間に菊さんは小手先を捨て、捨て身で雷の如き一刀を振り落した。

 寸でのところで菊さんの一撃は防がれ、勿論、結果は言った通り最終的にはレオーナさんが勝った。

 それでも競り勝ちと思わせる程の連撃をお互いが打ち合い、やがて菊さんが詰めた距離分有利となった。

 …でも、レオーナさんはさすがだった。

 前に出る…それを分かっていた。距離が詰まれば詰まるほど菊さんが有利だと多分分かっていた。だから、菊さんをわざと近づけ、打ち合いに応じ、雷の如き一撃を肩に受けながらも菊さんの顔面にヘッドバッド喰らわせた。

 先に剣を届かせたのは菊さん―それでも、立ち上がれなかったのは菊さんだった。

 菊さん曰く”私程度の”雷”とはいえ…”雷”を受けて、怯みすらしない人を初めて見ました。彼女は化け物です”と悔しそうに頬を膨らませていた。

 実際、打ち据えられたレオーナさんからは爆裂音に似た音はしていた。でも、実際彼女の負った傷は青痣程度だった。確かに化け物だと思う。

 勿論、菊さんの顔面にヘッドバッドをしたことで、リリア副長から怒鳴られ、しかも、謹慎処分中だったのに訓練に参加したこともあり、

”お前はどうやらおつむの訓練が必要そうだなぁ!?”とレオーナさんにとって死刑宣告を告げられた挙句に、リリア副長に抵抗したからボコボコにされ、コテンパンに叩きのめされてから「ヤメロー!シニタクナイ!シニタクナーイ!シニタクナーーーイ!」と断末魔を残しながら副長に連れていかれた。

 …というのが本当に余談だけど、なんだかいつも通りの賑やかさに思い出すだけで笑顔が零れてしまう。

 まだまだ届かない―

 自分の腕の未熟さもだけど、遥か高みにいる人達は今もさらに先へと進んでいる。

 追いつける気がしないけれど、歩みは小さくても…

 そう自分の決意を表すような、剣だこを握り込む。

 手に熱が走る。痛みと共に、それが自分の小さな歩の証だとも感じられる。

 不意に視界が影に覆われる。それと同時に柔らかさと、温もりが顔を包む。

「それでも、無理しちゃダメですよ」

 マイさんの声が落ちてきた。私が今、マイさんに抱きしめられている、そう気付くのには少し時間が必要だった。

 マイさんが今、どんな顔をしているのか分からない。

 だけど、優しい先輩はきっと悲しんでいるのだと思う。

 私に実力なんてないのに、背伸びし過ぎているというか、マイさんに心配掛けてしまっている。

 実力も何も未熟だ私は。

 …しかも、本来の目的のお金稼ぎも大して出来ていない。

 トーマスさんに言われたように、死ぬのが怖い。それが日に日に強くなっているから、訓練に参加することに精を出してしまっている。

 それで怪我して、休んでしまうのなら、本末転倒そのものだ。

 私が自分のふがいなさや、マイさんからの体温を感じ目を閉じかけた、その時だった。

「カホさん!おはようございます!朝です!起きる時間です!素晴らしいです!」

 ドアが乱暴に開かれ、白い猫耳ローブが目の端に映った。

 顔までは見えないけれど、こんな時間にこんな大声で、これだけのテンションで部屋に入ってくる人は一人しか…いや、思えばレオーナさんもそうだし、ケイレムさんもそうだし、リリア副長に、カリュディクスちゃんもそうだ。

 …冒険者になる女性って騒がしい人が多いのかもしれないけれど、今は声から入ってきた人が分かる。

「…リディちゃん?」

 私が声を掛ける。マイさんの胸で視界を覆われているから見えないけれど、声の感じからしても笑顔だと思う。狂乱しているのも何となく分かるけれど。

「見てください!素晴らしいでしょう!?どうです!?私はやったんだぁああああ!」

 狂気の声が聞こえる。

 きっといつもの徹夜空けテンションだ。

「どうし…」たの、と続けたかったものの、何故かマイさんがさらに強く私の体を引き寄せ声が出なかった。それでなくとも、私が言葉をふさがれるより前にリディちゃんは声高に話始めていたけれど。

「師匠からの手紙です!きっと恋文です!きっと愛です!そう!愛なのです!これこそ!愛!愛!愛!どうです?素晴らしいでしょう!ひゃはははは!」

 リディちゃんの高笑いが聞こえる。

 見なくて良かったと思う半面、いつまでもこうしているのは気まずい。

 マイさんにとって、今の私はきっとアテ布なのだろうけど、多分マイさんもいつも通りパニックになっているのだとは思う。

「…あ」と声が漏れたのは、リディちゃんからだった。

「す、すみません!もしかして!情事ですか!?セックスですか!?色事でしょうか!?すみません!出直します!退出します!わ…わぁ…わぁ!」

 声だけでリディちゃんが慌てているのが分かる。

 そして、なんとも恥ずかしい内容に私は少し申し訳なくもなる。

 多感な年頃だし、勘違いするのも仕方ない…というか、平素から男性と見間違えられる私がこんな状況なのだから、起き抜けで寝不足なリディちゃんでは仕方ない。

 ―……。

 何かが聞こえた。それと同時に、柔らかな感触が上下した。

 それを一瞬理解出来なかった。

―笑った?

 頭の回転が追いつかず、顔をあげると谷間の向こうに、見えたのはマイさんの細い顎と…わずかに見えた口角の上がった口元だけだった。

 それでも、それだけでマイさんが笑っているのが分かる。

「ま、マイさん?」

 私が彼女に声を掛けると、マイさんはゆっくりと私から離れ、「あぁ、ごめんなさい。」と言いながら私の頭を一撫でし、床に落ちたタオルを拾い上げ、着替えを再開した。

 自然な動きで着替えを再開するマイさんにポカンとしてしまったものの、私よりリディちゃんと一緒にいる時間が多いだろうし、悪戯か仲良くなったのかな…そう思うことにした。

 実際、リディちゃんは目を輝かせながら私の隣へ来てマイさんの背中を見つめながら。

「お、大人な表情…です。大人な対応です!お、大人色香です!わ、私もああいった表情が出来たら…いや、いっそのこと師匠を押し倒して…しまいましょうか…」

 興奮しながらとんでもないことを言い出した。

 大人な色香…と言われると、確かに…と同意したくなる。

 私なんて色香どころか、性別すら疑われるレベルだ。

 それに比べマイさんはスタイルから、所作、口調、性格…その全てが大人の色香を放っている。こんなことを同性である私が思うこと事態が情けないけれど。

 それでも、前に仕事を受けたカサリアさんと比べると、妖艶さがない分マイさんは親しめる。同年代で一足先に大人になったというのが私としての感想だった。

 ただ…問題はそこではない。リディちゃんの言動である、彼女の師匠…つまり、ファレンさんを押し倒すというのは如何せんどうかと思う。

 何か悪い本でも読んだのかな、と心配にもなる。

 マイさんが髪を掻き揚げる。

 ただそれだけの動作に、リディちゃんだけでなく、私も目を奪われた。

 …あんまり人の事言えない気がしてきた。

 二人してマイさんの着替えのアダルティさを見ていたけれど、それも少ししてリディちゃんが「あ!」と声を上げたことで、私も正気に戻った。

「そうです!それです!これなんです!」

 リディちゃんがその言葉と共に抱きしめるように持っていた手紙を私に差し出した。

「あぁ、手紙。ファレンさんからだっけ?」

「いえ!拘束魔術です!縛り上げるのです!監禁です!」

 おかしい。何かおかしい。話が致命的に合わない。

 手紙の話だと思ったのに、拘束魔術ということは、まださっきの話を引きづっているのかな?と、そう考えただけで頭が痛くなる。

 押し倒すじゃ留まらず、拘束とか監禁までしたら犯罪だと思う。

 実際、想像してみると…確かにファレンさんなら簡単に押し倒されそうではある。けれど、どう見ても犯罪者はファレンさんの方だ。諸行無常というか、子供は強いというべきか。

「リディちゃん…ちゃんと寝た?」と私が尋ねると、リディちゃんは目線を逸らし。

「3……1…時間…くらいぃ…です…寝ました…」

 目を泳がせているから、多分ちょっと盛っていると思う。

 1時間寝ていなんじゃ…と心配になり「ちゃんと寝なきゃダメだよ」と福祉施設にいた時を思い出しながら、年下の子を注意するように優しく伝える。

 リディちゃんは「あ…面目ありません」と俯きながらも素直に答えてくれた。

 頑固だけど、自分が悪いことをした…となると、素直なのはリディちゃんのいいところだと思う。

 ゲームの悪役でリディちゃんのような貴族なら”黙れ小童!貴様に何が分かる”とか、”下民が!ふはは!”とか言いそうとは思ってしまう。

 リディちゃんにこれを適応すると、”ふはは!素晴らしい…素晴らしい!あなたは素晴らしい!”、となって、これはこれで字面だけみれば悪役だ。

 でも、実際の貴族の方達はどうも違う。

 上に立つ者であるが故に、自由ではあるけれど、礼儀を重んじた上で、対等ではないけれど人として尽くすべき礼は守る…という印象は受けた。

 といっても、私が知っている貴族というのは、レンツ子爵様に…あとは貴族かどうかは定かじゃないけれど、ロマンスグレーさんだ。

 そうなると、アライグマおじさんもそうかもしれないけれど、よく分からない。

 後は…パレードの時にあったライオネル伯爵は…砕け過ぎてて本当にわからなかった。

 今まで会った人がそうだっただけかもしれないけれど、それはいいとして…今の問題は手紙だ。

「そういえばファレンさんから?」と私が話を戻すと、リディちゃんもハッとしたように差し出しているにも関わらず手紙を探し始め、すぐに目の前にあることに気付き私にさらに突き出すようにしてくる。

「はい!どうか!どうぞ!お願いです!是非、一緒に見てください!鑑賞して下さい!御照覧あれィッ!」

 妙に高いテンション…と言いたいところだけど、待ちに待ったファレンさんからの手紙となればリディちゃんの心中は察せられる。

 私が頷いて見せると、リディちゃんは興奮した様子で身を寄せながら手紙を開いた。

「えっと…」と私が読もうとした時、不意にカランと何かが落ちる音がした。

 一瞬気を取られてしまい、音のした方を見ると、マイさんがポシェットから何かを落としただけだと分かり、私は再度手紙に向き直る。

 手紙は封蝋もあり、いかにも中世の荘厳な手紙という出で立ちであった。

 だけど、中身は…簡潔だった。

 2行。たった、それだけだった。 


―色々考えたが、簡潔に書く。退学になりたくなかったら、研究成果の報告に一度『北方』へ戻れ。お前なら大抵”可”はとれるだろ―


 たったそれだけだった。

 ファレンさんらしいと言えばらしいけれど、これはリディちゃんが怒るかも…そう思いながらリディちゃんに視線を送る。

 正直気まずいので、「…えっと」と私が言葉に詰まっていると、リディちゃんは立ち上がり、

「しまったぁあああああ!」

 そう絶叫した。

 その声に私は若干身を引く。

 リディちゃんは頭を抱えながらしゃがみ込み、「迂闊です!失敗です!南無三です!」といつもの妙な三段論法を言ったかと思うと、立ち上がり両手を広げながら私の方へと向く。

「け、研究成果…はあるのです!あるのですが纏ってないんです!」

 それは何処か言い訳のようにも聞こえた。

 それをする相手が致命的に間違っているけれど、私は引きつった笑顔で見守るしか出来なかった。

「あ…」と不意にリディちゃんが虚空を見つめながら声を上げた。

「どうしたの?」と私が尋ねると、リディちゃんは真顔で。

「いっそのこと…退学になって自由の身になってですね。ここで就職するというのはどうでしょう?」

 真剣な声色だった。

 マイさんですら、何かを落とすくらいには衝撃的だった。

 私はこの世界のことはあまり知らない。けれど、リディちゃんが何かとんでもない人で、とんでもない学歴を持っていて、とんでもない魔術師だと言うのは分かっているつもり。

 それを正確に測る物を持っていないだけで、途方もない世界の先の先の頂点バーテックスがリディちゃん…というのは分かっているつもり。

「どうかと思うかな…」

 私が項垂れながらそう答えると、リディちゃんは「そうですか」と少し残念そうであった。

 魔術学院がどういった場所かは分からないけど、著名な大学くらいだとは思うので卒業を待たずに退学は勿体ない…というのは私が福祉施設育ちだからそう思うのだろうか? 

 頭の良い人なら、学習が出来たのが大切で、卒業という箔なんていらないと思うのかもしれない。

 私にはその感性は理解出来ないけれど。

 リディちゃんは、ふむ、と小さく呟いたかと思うと、指を折り始め。

「よし…20分で書きます!移動は…アレを使えばいいですし…あとは、ギルドの方には…」

 そう呟き始めたが、ギルドの方…の先は言葉が続かなかった。

「どうしたの?」と私が聞くと、リディちゃんは口をへの字に曲げる。

「いえ、私…あくまで臨時で団員として雇って貰っているので」とバツが悪そうに答えた。

 それの何が問題なのか、私には正直分からなかった。

 あ~そっか…と、知ったかをしてしまう。

 実際は、答えらしきはあったとしても上手く言葉に出来ない。何となくだけど、もう二度と会えないんじゃないか、という不安のようなものが首をもたげた程度だ。

 それを何と言えば正解なのかは、凡人以下の私には答えが出ない。

 高校を卒業せずにこちらに来たから、最終学歴中卒。成績中程度の私には特に無理難題だ。

 伊達に、超有名小説家の未完の作品で、寝取られを受けた”この時の友人の心境を答えよ”に、”あぁ、無情”と書いたくらいだ。

 配点は5点だったけど、2点は貰えた。だから十分なのだけど、赤ペンで”大体合ってるけれど言葉足らず。もっとあるでしょ?”と書かれたのはいい思い出だ。

「私…ここが気に入ったので…その、また来たいんです」

 それを言葉に出来る。その凄さはよく知ってる。

 その言葉に私の胸が暑くなる。

「そっか。私もここは好きだよ」

 私の答えにリディちゃんは破顔し、「本当ですか!」と私に飛びつかんばかりの勢いで迫った。

 その様子をぼんやりとマイさんが見ていた。


 朝の支度を済ませ、団長室へと向かう。

 私はアポイントメントが必要だと思ったし、リディちゃんもなけなしの理性でそれが必要だとは言っていた。

 なので、副団長のリリアさんに相談しにいったところ…

”そういう事情であれば…あの馬鹿のことなら気にするな”

 とバッサリと言い放ち、怒った様子で訓練場の方へと去って行ってしまった。

 何かあったのだろうか?とそうは思っても、余りの剣幕だったので、聞けずじまいで…その結果、私とリディちゃんは緊張しながらも団長室へと向かった。

 団長室。

 ギルドの中央付近になる高い建物の最上階。

 訓練場を見渡せる場所に作られているソレはいかにも実力主義を体現しているかのように、高い位置にあり、そしてそれに合わせるように大きく立派な木製の開き戸が取り付けられていた。

 緊張する。

 付き添いという形で来たけれど、偉い人がいる場所と思うだけど心がむずかゆい。

 団長が…怒鳴ることはないだろうけど、虫の居所が悪い男性もアルバイト時代に見たことがあるし、実際怖かったのも覚えいる。

 スーパーの品出しに手間取り、「お前、昨日今日入ったばっかか!?」と怒鳴られた。

 怖くて竦み上がったのと同時に、折角雇って貰えたのに辞めなきゃいけないのかな…なんてあの時は暗い考えすらよぎった。

 まぁ、本当にあの時の彼は虫の居所が悪かっただけで、その後は安心できた。

 …それに、私自身に一応とは形容したくないけれど、私は女だ。

 男性は怒鳴って終わり…の場合が多いけれど、女性は長くねちっこいことの方が多い。

 そっちの方が恐怖度では勝っているのも…いい経験だ。

 逆に副団長のリリアさんのように瞬間湯沸かし器で、怒りが持続しない人には本当に憧れる。

 扉を軽く3回叩き、「失礼します!」と声を張り上げる。

 声に応答はない…

 リディちゃんと目を合わせ、出直そうかと。そう思った次の瞬間…私の低い鼻を風が掠めた。日本人で良かった…低い鼻に産んでくれてありがとうお父さん、お母さん…そう思わせるくらい豪快に扉が開け放たれた。

 殺人的なスピードで開かれた扉が壁に叩きつけられると同時に、巨漢の男が大股で私の前に歩き、立ちはだかる。

 黒い平服姿だが団長のシグルドだ。

 顔面に物凄いとしか表現出来ない青あざがあるけれど、間違いなく団長だった。

 リディちゃんも固まり、私も本題を話すべきか、挨拶が先か…ということすら逡巡の果てへと追いやられる。

 シグルド団長はニカリといつも通りの笑顔を見せた。

「カホ!丁度いい。この前のお前の活躍の件、報告書の手直ししておいたぜ!」

 活躍…と言われても首を傾げてしまう。

 ゴブリンロード討伐の報酬もこの前貰ったところだし、最近はウェンディさんの個人的な依頼か、近場の村からの商人護衛任務くらいしか受けていない。

 皆、困った上で依頼しているからあんまり言いたいけれど、私が受けるのはどちらかというと端役の依頼。こういった依頼は特異事項がなければ報告も口頭報告で済むし、後日に依頼主から結果報告を受けて、整合すれば完了となっている。

 報告書が必要なことあったかな?

 そう思っていると、シグルド団長は「ナイフ弾いただろ?」と、キョトンとしていた私にそれとなくフォローしていた。フォローの質が青銅以下の屑石並みだったけれど私には一応それで理解出来た。

 先日、街を散策していた時に出くわした、男女の喧嘩。

 私が見かけた時は女性がナイフを取り出していて、女の子が刺されて倒れていたところだった。

 兵士さんを呼びに行くか、それとも…と考え迷った結果、無我夢中で剣を振るい女性の手からナイフを弾き飛ばした。

 …ただ、やり過ぎたみたいで女性は仰向けに倒れてえ意識を失うし、タイミングが悪いことにすぐに兵士さん達が到着するし…と、本当にタイミングが最悪だった。

 私が助けた男性のその後のことなんて知る由もなく、私は兵士さん達に連れられ、事情聴取を受け、金の翼の偉い人からも詰められて、這う這うの体でギルドへとやっと帰れた。

 帰ってからもリリア副長からは優しく怒られ、ヴォルフさんからはゲラゲラ笑われ、トーマスさんからはこの世全ての不憫と悲しみを集めたような顔で叱られ報告書を書いて提出するように言われた。

 思い出すだけで、気が重い。

「アレですか?と言われても…」と私が苦虫を潰したような表情を浮かべると、シグルド団長は楽し気に手に持っていた紙を私に差し出してくる。

 紙に文字が見える。

 バサバサと揺れる時には違う文字にも見えたけれど、ちゃんと視覚に捉えるとそれらが私の馴染み親しんだ文字だと分かりホッとする。

 文字は大文字且つ豪快。はらい、とミミズのたくり、くずしのコンボで読みにくいけれど、シグルド団長が頭を搔き毟って書いてくれたと何となくわかる。

 男性の文字は感情が出る。

 女性の文字は性格が出る。

 これは持論。

 男性は見た目は冷静にしてても、自筆にそのイライラしている心情が浮き出され、文字が”雑”になる。女性は逆でイライラしてても、優しさが滲み出たり、底意地の悪さが露呈する。

 字は水鏡。文章は鏡。

 これは文芸部の先生の言葉だ。真理かどうかは置いておいて、私にとってはなんとなく納得できる。

 シグルド団長は私が報告書を受け取ると、相変わらずの人懐っこい笑顔で、私の髪をこれでもかとぐしゃぐしゃに撫でまわし。

「ば~か。民間とはいえ一応、国にも認められてるギルドなんだ。ちゃんと、ルールがあるんだよ。ば~か!その辺書き足しておいたぜ!」

 そこには苦労と、優しさが垣間見える。

「ありがとうございます」と私は受け取った報告書を手に取り、その文章に目を走らせる。

 そして、血の気が引いていくのを感じた。

「あの団長…これ」と私が声を出すと、団長はへらへらと笑いながら「お?良く書けてただろ?」と答え。続けるように。

「リリアがお前が書け、ってうるせぇからよ。ったく!」

 そう拗ねたような言葉は、明らかに間違っている…間違っているとは分かっていても、今回ばかりはシグルド団長が正しいと思ってしまう。

「あの…一行すら本当のこと書いてないんですけど?」

 理由はこれ。

 本当のことが書いていない。

 これは報告書ではあっても、虚偽報告書…むしろ、妄想垂れ流しの作文だった。

 私の指摘にシグルド団長は口を尖らせ、

「あ?ばっか、お前、報告書だぜ。全部本当に決まってるだろ?」

「え?だって…」と私はシグルド団長に、シグルド団長が書いた報告書を見えるように傾け、ついでに腰を少し折り、リディちゃんにも見える位置にした。


―此度の件について、かつては銀の片翼であった冒険者ギルド『青き翼』の団員が一人、カーマイン・レンブラン・ハーレンフェルドヘルプ・アイングレイズ・ヴェスパースネイル・シュープリス・リンブルワァ・コレコレクト・ステレオキャットは万民のための剣となる誓いを元に、団の中にしても志し高き者なり。

 その名と、その身に焼き付けられたかのような赤き鎧兜と赤き剣を持ち、その二つからか、それとも身から生まれ出でたか、炎の煌めきのごとく情熱と熱き魂を持った者である。

 故に業務、依頼へは積極的。報酬の見合わない艱難辛苦に対しても臆さず、恨まず信念のみを以て業となす。

 これを先だって人柄とし、当団員については当日について、日々の苛烈かつ過酷な業務により負傷し、団長並びに副団長からの命によって待機任務中であった。

 待機任務中の正午。団長並びに副団長へ外出許可をとった団員は昼食休憩並びに市政の安全確認の為に街へと赴き、その際に悲鳴を聞きつけ推参。

 現場において女性が少女を刺突した状況を目撃し、制圧の為に抜剣。数度の警告を行うも、女性は乱心し団員に対して「人間の屑がこの野郎」、「いいよこいよ」、「ナイフなんて捨てて、かかってこい」などと叫び声をあげ、団員へ斬りかかった。

 団員はこの一撃を肩に受け、『青き風』の法度に乗っ取り、武器を持たぬ手で静止並びに制圧を試みるも女は逆上し、さらに武器を振り上げたことから、『青き風』法度の3条2項。武器を使用しての制圧を適用する以外に団員自身の身、引いては国民の命を守る手段が他に方法がないと判断し、右手に持つ剣で女の持つナイフを弾き飛ばしたものである。

 ナイフを弾き飛ばされた女は金切声をあげ「ナイフなんざいらねぇ。ナイフもいらねぇや!やろうぶっころっしゃー」と叫んだものの、自ら転倒し気絶。

 団員はその後、憲兵隊に女の身柄を引き継いだ。

 また…(以降割愛)

 

 報告書を読み終わったリディちゃんは「わぁ!」と顔を輝かせる。待って、これは嘘だよ…とは言いたい。逆にシグルド団長は、「やろう…じゃなくて、ヤローの方がいいかなぁ?」とまだ途中のようだったけれど、そんなことよりも。

「全部嘘なんですけど!?」

 私が声を上げると、

「あ?ナイフを弾いたのは本当だろ?」とシグルド団長が間髪入れずに返してくる。

「8文字!?」

「大丈夫だ!11文字だ!」

「しかも、なんですか!?この名前!?名前すら違うんですけど!?」

「あ?何か…こう…偉そうな名前だったら、色付けてくれそうじゃん」

「報告書ですよ!?名前すら違うんですが!?」

 私とシグルド団長の応酬の間、リディちゃんはポカンとしていた。それがどういう意味化は察せれない。

 色々考えられるけれど、多分ギルド長ともあろうものが、嘘の報告書を作ったことだろうと信じている。

 シグルド団長は顎に手を置き、一度頷く。

 ため息…ではなく深い息を吐く。その姿には何処か彼にギルド長らしい荘厳さがあった。彼がギルド長であることはこことでは考えないものとするけれど。

「そうだ。報告者は正しく書かなきゃならない。つまり…」

 シグルド団長はそこで言葉を切ると、

「報告書が正しく、現実が間違っているということだ」

 その言葉に私は暗い空をみた。あれは、流星かな…いや宇宙だ。宇宙を見た。

「現実改変しないでください!」

「うるせぇ、これでいくんだよ!とりあえず!カホ!今日の夕方空けとけよ!」

 シグルド団長の言葉に私は歯噛みをする。だけど、折れる。

「もう!分かりました」

 怖かったからじゃない。シグルド団長は怖くない。見た目は怖いし見た目はゴリラだし、性格はゴリラだし、真正のゴリラだけど、ゴリラは優しいから怖くない。ゴリラは怖いけれど。

 報告書の釈明をすればいいか…とか、団長が色々考えて頑張ってくれたんだし…とか、リリア副長に言いつけてやる、とかそういったことで折れることにした。

 シグルド団長は私が折れたと分かると、へらへらと笑い始めた。

「暇なら、夕方まで付き合えよ。飯くらい奢ってやるぜ」

 お食事に誘われた…のはいいけれど、私にも予定がある。

「ウェンディさんの依頼があるので」と私が断ると、シグルド団長は呆れるように私のぐしゃぐしゃになった頭を優しく撫で。

「…そうかよ。頑張れよ!」

 そう言い残し、団長室を後にしようとした…

「待ってください!」と私は慌てて団長を引き止めこちらの要件を伝えることにした。

 団長はキョトンとしていたものの、リディちゃんが頭を下げた時には既に察していた

みたいだった。

 余談だけれど、団長は優しいゴリラな笑顔で。

「二択ってところだな」と前置きして、「彼氏が出来たのか?」と盛大に二択を外し、炎のリディちゃんが氷のような返しをしてから見事引き当てた。

 これも余談だけど、リディちゃんの否定の言葉が”私は将来を師匠と一方的に誓い合ったので、彼氏ではなく未婚の旦那は出来ました”とちょっと何を言ってるのか分からない言葉だったのも…まぁ、いいかと言える。

「お世話になりました」

 そこまで言ったリディちゃんは一度言葉を噤む。先を口にしていいのか、と迷いだったのかもしれない。

「また来な」と団長の返しは、社交辞令だったのかもしれないけれど、それは彼が頼りになるゴリラという証そのものに感じた。幼いリディちゃんには余計に大きく見えたかもしれない。だから。

「私が愛し、私を愛し、私の愛するのは師匠だけです!」

 その謎の啖呵は、私と団長をドン引きさせたけれど、リディちゃんの情操が一つレベルアップしたからかもしれない。

「明日の朝にはここを発ちます」とリディちゃんの思い切りが良すぎる言葉には、ゴリラ団長と私は思わず顔を見合わせ、

「またね、リディちゃん」

「元気でな」

 と呆れたい心を押し殺して、静かに見送ることにした。

 

 団長室を後にした私とリディちゃんは自室に戻るか、それとも朝食にするかを悩んでいた。

 マイさんを誘いたい気持ちもあるのだけど、マイさんは大抵この時間には朝食を済ませている。

 気遣い屋で、優しい性格から断れない人だ。誘うと必ずついてきてくれるから、むしろ誘わずに適当に部屋で買って食べられる物を持って行った方がいいかもしれない。

「朝ご飯何にする?」とリディちゃんに尋ねると、リディちゃんは視線を上に向け、「そうですね、師匠…じゃなくて、果物を食べたいですね」と答えてくれた。

 食べたい物を提示してくれるのはありがたい。師匠とか答えたことに若干引いたけれど、そこには触れない。

「北方だとここまで甘い物を食べられないので、帰る前に堪能したいです。あと、コーヒー」

 北方は果物が手に入り難いのか…と、それならと私も思考を巡らせる。

 ついでに、しっかりとカフェイン中毒になっているのには心底心配した。

 ただ、そうなると…あのカフェに行くしかない。

 リディちゃんと私が始めて出会ったカフェ。

 お持ち帰りはなかったと思うし、マイさんもコーヒーくらいなら付き合ってくれるだろう。方針も決まり、私から「じゃあ、カフェ行こっか」と促すと、リディちゃんは目を輝かせ。

「はい!飲み納めしておかないと!私は!私が!私である!存在が消えるんじゃないかと心配してます!」

 …それはどうかと思う。

 やっぱりカフェイン中毒になっていると思う。

 子供の時にコーヒーは飲ませないっていうのは案外正しかったのだと実感する。

 廊下を歩いていると、軽装だが鎧を着こんだ一団が向こうから駆けてくる。邪魔にならないように端によりやり過ごすと、その内の一人がこちらを見るや否や大きく頭を下げ通り過ぎて行った。

 見知らぬ顔だったので、キョトンとしてしまったが、どこかですれ違ったかもしれないのでそれとなく会釈を返して置いた。

 通り過ぎた一団は口々に、ゴブリンの群れ、50以上、赤ずきん等と言っていたのを小耳に挟んだ。

 その言葉に不安を覚える。

 シノの村での戦い。そして、マイさんと戦ったゴブリンロード。どちらも、命を落としても仕方ない程の戦いだった。

 ウェンさん達や、マイさんがいなければきっと私は死んでいた。

 それが真実であるのは、自分が一番よくわかっている。

「そういえば、ゴブリンとかには討伐報酬ってないんですよね?」

 不意にリディちゃんの声が聞こえた。

 その言葉に思考を巡らせる。

 依頼の報酬はあるけど…と思ったものの、それは見当違い。言われてみれば、リザードマンや、ビーストライダー等の魔物は討伐し、その証を持ちかえれば、例え依頼ではなくても幾らかの報奨金が得られる。

 依頼として指定されている場合はその限りではない時もあるけれど、大抵は依頼料に含まれている。

 その半面。ゴブリンにそれはない。

 依頼の報酬という形でしか見たことがない。

 不意遭遇での戦闘も多い上に、賢く武器も使う。正直、下手なビーストライダーよりも危険度は上だと思う。

「ゴブリンは危険な魔物ですし、何故ないんでしょうか?」

「うーん、なんでだろ?」と私も首を傾げるしかない。

「あぁ、それはね」と私達の会話に横からスッと誰かが入ってきた。

 驚き顔を向けると、朴訥で優しそうな表情。スラッとした体躯でありながらへの字の眉と、垂れ目の所為でうだつがあがらないように見える同僚…トーマスさんがいた。

「トーマスさん?」と私が目をしばたたかせて言うと、トーマスさんは顔を赤らめながら、バツが悪そうに。

「ご、ごめんね…あの…たまたまだよ。たまたま報告に行く途中だったから」

 その言い訳は…どちらかというと良くないと思う。

 多分、ストーカーしてた訳じゃない、と言いたいのだろうけど言葉だけなら逆効果だ。勿論、トーマスさんがどういった人か知っているのでそんなことはないとは分かる。

「大丈夫ですよ。信じてますから!」と私が強く否定するとトーマスさんはホッとした表情を浮かべ「良かった…」と力なく呟いた。

 私はサドではない。

 だけれど、大の男性が…こう、なんというか、腰が曲がっているのを見ると、何か良くない心の奥底に巣食うものがくすぐられる。

 メスガキという文化があるけれど、こういう気持ちから生まれるのだろうか?とふと思った。

 トーマスさんは顔をあげると、いつものように優しい口調で。

「えっとね、ゴブリンは弱い魔物だからだよ」

 そう言い切った。

 弱い?

 そう言われても…という気持ちになる。

 確かに子供くらいの体躯で膂力もそれとほぼ見合う。

 私でも力推しで引き倒せるくらいの力しか持っていない。だけど、ホブのゴブリン等になると私の力ではビクともしない。

 ましてや、別にゴブリンの強さというのはソコではない。

 群れる。武器を使う。知性がある。

 そういったところの方が十分に厄介だ。

 人間と同じ厄介さ、なのだろう。力も牙も持たないが故に、知性と群れで世界を支配している。ゴブリンはその次の座に至るには十分な存在に感じる。

 もっとも、この世界には魔族という種族もいるみたいだし、私の知見の狭さでどうのこうの言えた話ではないけれど。

「ギルドにとってはとるに足らないということですか?」とリディちゃんが独特の視点からトーマスさんに尋ねる。トーマスさんは「リディさんだね?僕は調査隊のトーマスだ。よろしくね」と自己紹介をしてから、リディちゃんの言葉に首を振る。

「いや、そんなことないよ。ゴブリンは賢い魔物だ。弱いからと侮っていたら痛い目に遭うし、実際魔物の被害で一番多いのもゴブリンだよ」

 トーマスさんはそう答えると、一度リディちゃんを見る。その視線に釣られてリディちゃんを見ると、「安心しました」と一言。

 それは色々な意味が含まれていたのだと思う。

 賢いリディちゃんだからこそ、ゴブリンの脅威を理解し、その上で試すような発言だったのを、トーマスさんはちゃんと理知と知識で答えを返した…といったところだと思う。

 私もこの二人には賛成。

 正直、ゴブリンは余り相手にしたくない。

 マイさんと依頼へ行くときに対峙することが多いが、それはそれだけ脅威であり、近隣の村が困っているのを放っておけないマイさんならではの選出だと理解しているつもりだから。

 トーマスさんは私達を見比べ、少し満足したように頷き、少し間を置いてから。

「ほら、大きなオーガ達も油断してたら僕たち人間に痛い目に遭っているからね」

 その言葉は少し冗談めかしていた。だけどその通りだから、私とリディちゃんは頷く。

 すると、トーマスさんは少し気まずそうに口を結んだ。もしかすると、彼からするとジョークだったのかもしれない。ジョークとは気付けなかったから、なんとも言えないし、今更、もしかしてジョークですか?なんて言ったら、トーマスさんは傷つくと思う。

 …というか、それはジョークとは思えないのだけど…いや、これ以上はよそう。そうエミールも言っている。エミールが誰かは分からないけれど。

 トーマスさんは、あはは…と気まずそうに笑い、不意に持ち物から何かが零れ落ちた。

 それが廊下にボトリと落ちる。肉の感触…触れずとも分かる。しかし、何処か腐れた感触というのも廊下の振動ではなく空気から伝わる感覚から察せられる。

 触れ得ずとも分かる。その感触というのは、知っているからと、想像の二つから来るものだ。

 指だ。

 大きな指。

 人の五指よりも遥かに大きな指。それでいて色は土気色。

 腐りもあるのだろうけど、端からそれはそうであるべき、というのを示している。

「オーガ?」

 私がそう口に出すと、トーマスさんは顔を真っ赤にして、慌ててしゃがみ込むというよりは這いつくばるかのような体勢で、

「ち、違うんだ!ワザとじゃない!ワザとじゃないんだ!」

 目尻に涙を浮かべながら彼は気恥ずかしさを100%前に出して…いや、本気の100%…つまり、限界突破した120%を前面に出して必死に否定した。

 恰好付かないとはこの事だろうか?

 トーマスさんのジョークは…本当にジョークのつもりだったのだろうけど、実際この人はそのジョークの対象にしてやった。それを誇示するのは恰好付かないというのは私でも分かる。

 威張り散らしたいとか、褒められたい承認欲求の強い人なら恥とは思わないだろうけど、善良で敬虔であろうトーマスさんがそういったことをしないとは私でも分かる。

 私は察する。

 だけど、リディちゃんは察するより突撃する。

「何故です?凄いじゃないですか!素晴らしいです!驚嘆に値します!凶悪なオーガを仕留める程の手腕!それだけでなく、怪我もしていないということは、人間相手に必殺の一撃であるオーガからの攻撃を受けていないということです!誇るべきです!それを誰がそしるでしょうか!?」

 凄い。

 真っすぐに褒めている。

 アメリカンドリーム?まぁ、よく分からないけれど、そういった素直に他人を褒め、謙遜よりも正直であり、他人を認めることを是とするアメリカンな賞賛は眩しい。

 本当に傍から聞いてても耐性がないので恥ずかしい。

「うあ…あああああ…!」とトーマスさんは悶絶…ではなく、発狂が近いくらい顔を真っ赤にし、今にも火が狂ったように出そうだ。

 トーマスさんに親近感を覚える。何処か日本人的な感性をしているからかもしれない。

 自己肯定感が低めで、自分の仕事を必死にしていれば他人からの評価なんていらない。そういった職人気質でありながら、責任感に圧し潰されているから気弱…うん。私にも通じる物がある。

「どうかしましたか?もしかしてオーガから反撃を受けていましたか!?鎧にダメージがないように見受けますが、魔法ですか?それとも…」とリディちゃんは追撃をやめず、トーマスさんの発狂ゲージをさらに溜めている。

 もう赦してあげて欲しい…そうは思っても、気質的なものだけど、ここでの助け船は発狂ゲージじゃなくて直撃で精神にダメージを与えるのでやめておく。

 それに…わかる。

 別に、日本人は評価や賞賛が欲しくない訳じゃない。

 気恥ずかしさが勝るだけで、自分の仕事には矜持を持ってるし、自信も持っている。だから、ただ自分が認めるだけでいい。必死という言葉をただ、言葉通り実直に”必死”にやる。

 それでも認められると、恥ずかしいだけ、だから。

 ひとしきり発狂が終われば、耐性がついてくれるだろうから…と私は、日本人特有の面倒事からは一歩退く…というのを実施する。

 トーマスさんがリディちゃんの猛攻に慣れたのは…数分を要した。

 終わった頃にはトーマスさんは少しだけ元気になったのか、にこやかにそれでいて強引の話を戻した。

「討伐報酬…つまり冒険者や旅人が魔物を狩ってお金が貰える理由は、国にとって危険な魔物を防除してくれた謝礼だからね」

 そういう理由…というのは考えはつく。それなら…。

「それだと、ゴブリンはまさにそれに合致するのでは?」とリディちゃんが先に尋ねた。

 この言い方からだけど、リディちゃんの住む『北方』にはそういった冒険者ギルドや、討伐報酬といったものがないのかもしれない…と妄想した。

 どういった場所なのか知らないので本当にただの妄想でしかないのだけど。

 リディちゃんの質問にトーマスさんはニッコリと笑う。

 大人特有というか、何処からそれは物腰が柔らかい教師のようであった。

「”弱いけれど危険”だから、討伐報酬をあてているとね、自然と皆そっちを狩っちゃうんだ」

 その答えは…納得出来た。

 冒険者は危険と隣り合わせ。

 私もここまでの旅路に何度も死にかけた。

 その冒険者の仕事をサポートするのがギルドだ。

 冒険者達が冒険という本来の仕事を行いやすいように拠点を作り、本来なら文無し根無し草のならず者達の為に、依頼という形で仕事を与え給金を作る。

 それを国益の為に落とし込み、合理的な形で形成、完成させている。

 そこで問題なのは、国としては国益として雇う、または囲う形で住まわせている冒険者に、国益となる行動をしてもらうことだ。

 いざという時に、戦力になるかどうかも分からない者達の為に、簡単に給金を渡していては国としても不味い。それなら兵士の給金を上げ、採用幅を上げた方がいい。

 間口を広く、それでいて戦争以外での有事で、金を払えば即応戦力として使える…その腕前も、足の速さもなければ国としては冒険者等いらないのだろう。

 ごく潰しを雇う程、国も…私の過ごしていた世界の会社も余裕はない。ましてや、慈善団体ではないから冒険者には働いて貰わないといけない。

 ゴブリンに討伐報酬が出るなら、日銭を稼ぐのに依頼も受けずに、または簡単な護衛依頼だけを受けて適当にゴブリンを狩って帰って酒をあおぐ…そんな者なら国としてはいらないのだろう。

「結果的に、より危険なリザードマン達や、オーガが防除されず放置される。それは国にとって好ましくない、ですか?」

 そうリディちゃんが続けると、トーマスさんは「正解」と頷いた。

「でも、ゴブリン退治の依頼はありますよね?」とリディちゃんがさらに続けると、トーマスさんも、そうだねと頷く。それに続けるように、「それは個人的な依頼だからだよ」と答えを出した。

 リディちゃんはそこからある程度答えを得ているようではあったものの、その明確な形をトーマスさんは説明を始めた。

「ゴブリンは頭がいいし群れる。村や街にとっては無視できない脅威だ。だから、個人的な依頼としての退治は問題ないし、危険を悟った上で依頼という形で防除しているんだ。そして、国やギルドとしては何匹狩ったからといって報酬は出さないことで、魔物のバランスを保っているんだ」

 成程…そう納得する。

 確かに、ゴブリンの防除依頼…というのは結構来る。

 中には数匹見かけたという内容でも依頼料として見ればソコソコの値段も多い。

 まぁ、実際、値段詐欺、中身詐欺も多い。

 ある程度であれば、正確な数や状況を知る由もないことを考慮してギルド側が折れるのが通常だし、ギルドとしても依頼として正式に引き受けた以上よっぽどのことがないと、詐欺として依頼主を糾弾はしない。

 それも国としてはありがたいのだろう。

 値段以上のこともある程度はやってくれる。いわゆる”安値で使い勝手の良い”というブランド品。それが国にとっての冒険者なのだろう。

「あとは、細かい理由は色々あるかな。毒への耐性とか」とトーマスさんが付け足した。

 毒への耐性?

 そう私が首を傾げていると、リディちゃんは目を輝かせた…かと思うと、

鳥喰蜂ウイングキラー対策ですか?」

 そう喰いつくように答えた。

 勿論トーマスさんはニッコリだ。

「お?知ってるのかい?」と満足そうだ。そして、反応が遅れた私んは「カホさんは知らないようだね」と優しくこちらの手を取るように促してくれる。

「はい」と私が頷く。

 その答えはリディちゃんから発せられた。 

 興奮した様子で新たな知見を得た!とでも言わんばかりの様子で、身振り手振りを加えながら。

鳥喰蜂ウイングキラーというのは大きな蜂でして、名前の通り鳥を捕食している肉食の虫型魔物です。特徴的な捻じれた風切羽を持っていて、鳥が木の枝で休憩しているところを複数での急降下で一気に刺し殺して、巣に持ち帰る魔物です!」

 鳥を捕食…そう聞いただけで会いたくないな…と真っ先に言葉が浮かんだ。

 しかも攻撃方法も、弾丸そのもの。

 大きさは分からないけれど、鳥を刺し貫く…となれば、大きさも鳥と同じくらいと考えれば、大砲の玉くらい大きな拳銃の弾が空から自分目掛けて振ってくる…と例えればいいのだろう。

 地獄かな?

「その通りだよ。付け足すのなら、急降下での攻撃で急所を外せなくても毒により相手を弱らせ何度もその攻撃を繰り返す…かな?」

 地獄だわ…

 そんな魔物…今まで出会わなくて本当に良かった。

 というか、そんな魔物相手にゴブリンがどうこう出来るのだろうか?

 そう思っていると、リディちゃんが興奮冷めやらずといった様子で、「ゴブリンは巣を狙うんですよね?鳥喰蜂ウイングキラーは夜目が効かないので寝ている間に巣を叩いて幼虫を食べ、成虫の針からは毒を採取する」

 リディちゃんの答えに…はえ~と声が漏れた。

 ゴブリンって本当に頭がいいんだ、と実感した。

 確かにウェンさんも言っていたけれど、ゴブリンは夜目が効くらしい。だから寝込みを襲う。これはシノの村でもそうだったけれど、人間に対しても有効だと理解しているのだろう。

 おまけにさっき聞いた鳥喰蜂ウイングキラーの戦法だと再攻撃まで時間が掛かるだろうし、ほぼ一方的な蹂躙劇になるのは想像に容易だ。そこに毒耐性…まさに天敵。

「そうだね。もしかして『北方』でもそうなのかい?」とトーマスさんがリディちゃんの答えに首肯すると共に、尋ねるとリディちゃんは首を振り。

「いいえ。鳥喰蜂ウイングキラーを全く見ないので、むしろあの虫の針を錬金術課程の者が大枚叩いて買う程です」

 その答えにはトーマスさんも苦笑し「よしんば巣を見つけたら大変なことになりそうだね」と返すとリディちゃんも「余裕で金貨以上の価値ですね」と言いながらもその表情は呆れではなく期待に溢れた物だった。

 多分自分も欲しいのだろう。お金ではなく研究材料として。

 毒の研究は世界各地で行われているのは知っているけれど、何の研究をするのだろう…とかは無学な私には検討もつかない。

 ただ、リディちゃんが喜ぶのなら…と思ってもちょっと怖すぎるので関わり合いたくない魔物だ。この前知り合ったゴブリン達に頼んでみようかな?なんて浅はかすぎる考えはあるけれど、実現は不能だろう。

「でゴブリンの件だけど、例外はあるよ」

 トーマスさんの声で本題へと戻る。

 リディちゃんはふむ、と声を出しトーマスさんの講義じみた話に耳を傾けた。

 大学へ行ったことがないから分からないけれど、大学の講義を聞く学生ってこういう感じなのかな?とリディちゃんの真剣な姿と、頭の悪い中卒で高校は死亡で中退の自分を比べる。こういうのを、比べるのも烏滸がましい、というのだろうか?

 勉強の仕方を習うのが小・中学校ならば、私は落第者だ。

「賞金首って分かるかな?」とトーマスさんが尋ねてくる。

 それは分かる!

 …と言いたいけれど、馬鹿を露呈するだけなのでグッと堪える。露呈しているけれど、これ以上氷山の一角どころではないディープウェブの彼方まで馬鹿と露呈させるのは好ましくない。

 私だって、少しは賢い…そう思われたいし、恥はかきたくない。

「分かります」とリディちゃんが答えだした言葉に合わせるように答える。

 トーマスさんは一瞬驚いた表情をしていたけれど、

 それなら、話が早い、と前置きしてから。

「ゴブリンは小集団で群れを作って暮らしていることが多い。なんだけど、大体は無害で狩り以外では自分の縄張りに入ってきた敵とだけ戦うんだ」

 トーマスさんの言葉に思わず、え?と声を漏らしてしまう。

 ただ、その後すぐに木漏れ日の森で出会ったゴブリン達を思い出し、なんでもないです、と発言を撤回する。

 私はまだこの世界についてよく知らないから、どうしてもいきなり訳も分からずに攻撃してくるのがゴブリンの気質だと勘違いしていた。

 縄張りに入ったから襲われたのか…と上の空になってしまう。

 思えば初めてオーガと戦った時もそうだった…のかもしれない。それくらいの想像はつく。

 私の反応にトーマスさんは少し驚いていた様子だったのものの「どうしても襲ってくる方が印象に残るからね」とフォローをしてくれた。

 頼れる大人な態度だ。さっきの姿が頭から離れない所為で頭が混乱する。

 気恥ずかしいだけかもしれないけれど。

「ただ、ゴブリンは群れの数が多くなると人間と同じで好戦的になり、近隣の村へ略奪を始め、人間を簡単に狩れる獲物と理解すると次々と襲撃を繰り返していく。だから厄介なんだ」

 知性が厄介。

 そう言える内容だった。

 私で分かる例えなら熊がそうだ。熊は基本的に人間を怖がる。

 本題前にだけど、人間は直立二足歩行とかいう地球上で言えば頭のおかしい狂気染みた進化をし、牙や爪を捨て自身の攻撃能力をすり減らし、二足歩行で機動力を削った分、生き残るために小型化をした。そして、視界の高さ、目の良さを重点的に進化させ、他の動物との生存競争に勝ち残る為に、”情報を正確に得る能力”を得たことにより勝ち残った。

 そんなバグみたいな生き物だから熊が恐れる…という訳じゃない。熊からすれば”なんかキモイ生き物がいる”程度の認識だろうけど、それ以上に通常時は直立二足歩行だから自分より図体がキモくてデカい化け物がそこにいる。だから、それを恐れるのは当然。でも、熊も一度人間を襲うと、人間の弱さを分かり、それを学習した熊にとって人間は簡単に狩れる上に、貯め込んでいる食料も得られる。熊からすれば知識を得たことにより、まさに神様から齎された贈物アガペーだろう。ゲーム的にいうと防御力が0で、回避力が低いメタル〇ライムがその辺にいるみたいなものだと思う。

 まぁ、人間なら狩り尽くすだろうけど、熊は日々の糧を得る以外には狩らない。

 山の紳士であり、山の暴君おうであり、山の神とも讃えられる熊はどうやら人間の神の教えにも従順なようだ。

 そう考えると、ゴブリンは人間と熊を足して2で割った存在と言えるのかもしれない。これが厄介でない訳がない。 

 自然界において最も厄介なのは人間だし、その人間にとって陸上最強は象だろうけど、一番の脅威となるのは熊なのだから。

 私がいらない思考をしている間もトーマスさんの講義は続く。

「それでも、大きな群れになる前に大抵家畜を襲い始めたりと、兆候があるから、人間達に気付かれずによっぽどの大群になることは基本的にはない。大群になる前に依頼があるだろうし、大群になる前なら簡単に倒せるから」

 悲しいかな、それも知性の持つ悲劇なのだろう。

 ツキヨタケの毒から始まったであろう魔女裁判。それが人間にとっていい例だと思う。中途半端な知識は時に種を殺す。それを乗り越えられる為にあるのが、宗教で、相手を信じ正道を唱える役目だというのに、宗教側がそれを促進するのでは”そうなるのは当然”としか言えない。

 皆、中途半端な知識で”自分は正しい”と信じているのだし、それが担保されるのだから。罪は現世におわせられない無実な神様達になすりつけられる。人間にとってこれ程都合のいいことはないんだと思う。

 そこまで考えが巡り、一度息を吐く。

 暗い考えをしてしまう。

―自分勝手だな…私。

 呟きたい言葉を飲み込む。

 手だ震える。

 まだ、怖い。

 命のやり取り…それは、現世において私が目を背けていたことで、命の育みを是とすることで、暗闇の彼方へと追いやっていたことだ。

 それを突きつけられ、自分の手でしている。それは、目を背けていたことに向き合うと言えば聞こえはいいけれど、そこから逃げたい自分がいるのは確かだ。

 肉を断つ感触も、血のすえた臭いも、臓物から発せられる吐しゃ物を煮詰めたような臭いも、声にならない悲鳴も…全部が私を突き刺す。

 明日、それをされるのは私かもしれない。それは罪とか罰とかではなく、当然で自然の節理。守られるのが当然ではないという現実。全部が、自分勝手な自分に突き刺さる。

 こういう得体もしれない”おりもの”が”罪”なのかもしれない。

 生きていくのは大変だ。

 手を握り込み、私の歩んだ道を心で振り返る。その道が無駄でなかったと…信じる為にも私は顔をあげる。

 ふと、トーマスさんが優しく微笑んでいるのに気付いた。

 どこか見透かされたような優しい笑顔に思わず、顔が熱くなる。

「で、さっきの例外の話なんだけど、レッドフードっていう個体が問題なんだ」

 レッドフード…

 その名前が出た瞬間に私の顔は引きつる。

 私の腰に差している剣はまさにそのゴブリンから奪ったもの。

 そして、シノの村を襲ったゴブリンの群れ。そのリーダー。

 初めて相対した時はマリアちゃんを小さな群れで襲い、その次は大規模な群れで”戦争”

とも言える程の物量で相対した。

―あれ?

 と疑問が浮かんだ。

”なんで、レッドフードはシノの村を襲ったのだろう?”

 純粋な疑問。被疑者死亡により真実不明。だけど、私の中でしこりのような疑問が生まれた。

「レッドフードはよく賞金首として名前があがる、知能の高いゴブリンだ。群れを秘匿したり、いきなり大群で村を襲い壊滅させたりと、とても厄介なんだ。こいつにはギルドだけでなく国からも報奨金も出る。まぁ、レッドフードが何故赤い頭巾を被っているのかは、正直分からないけれど、知能に優れたゴブリンは何故か被りたがるんだ」

「大きく見せる為じゃないんですか?」とリディちゃんがトーマスさんの最後の一文に返した。

「え?」と私とトーマスさんが声を合わせる。

 リディちゃんは、少し間の抜けた声をあげたかと思うと、

「夜目の効く生き物って確か、色の識別が苦手だったと思うんですよ」

「色?識別?えっと…」とトーマスさんは困惑している。

「タペタムとかの話?」と私が聞き返す。

「き…まく?ちょっとそれは分かりませんが…」とリディちゃんに困惑された。

 私の発音が悪すぎてチタタプと聞こえたのかもしれないので、私も口を閉じる。

 リディちゃんは一度軽く咳払いをし、

「『北方』で研究中の内容なんです。夜目が効く動物や魔物は色への識別能力が低い可能性があるんです」

 言い終わると、まだ仮説に過ぎないのですが、と付け足しながら次へと続けた。

「『北方』にカリンマリンカという果物があるのですが、これをゴブリンが嫌っているんですよ。実が赤くなると美味しいのですが、青い時は毒があるのですが、色だけで判別出来るのに何故かゴブリンは食べないんですよ」

 ゴブリンが食べない実。確かに不自然な気がする。

 多分肉食というより雑食っぽいゴブリンが、森の恵の木のみを食べないのは変だ。

「それで食べない理由として挙げられたのが、カリンマリンカは実が赤くなるのがその年や土壌によって不定期なので、ゴブリン達にとっては赤く熟した状態の見分けが不能なんじゃないか、と」

 リディちゃんはそこまで言うと、続けて呆れたように「ゴブリン避けとして金持ちが家の周りに植えていたりするんですよ」とため息を吐いた。その表情から何か色々察せられるけれど、ついぞ答えには至らなかった。

「けど、ゴブリンには毒への耐性がある。なのに、毒のある実を避けるのは変な話だね」

 これはトーマスさんの言葉だ。

 私も始めこそ変な話とは思ってはいた。だけど、トーマスさんがその言葉を口に出してくれたおかげで反論として言葉が浮かんでくれた。

「耐性があるのは神経毒なのかも?」

 毒には種類がある。

 種類がある。

 …うん、一般高校生よりちょっと知能が下気味な私にはそれしか分からないけれど、テレビや新聞でもみる話だ。

 危険な蛇が逃げ出し~からの、神経毒を持っている、とか。

 ウナギの血は毒で~とか、ツチノコの正体はクサリヘビで、毒の成分は出血毒~

 とか…そういった話で、本当に聞きかじっただけのものだけれど。 

「しん…けい?どく?」とリディちゃんの困惑を隠せない声が聞こえる。

 慌てて「あ…毒って色々あって、その腐食毒とか実質毒とか、血液毒とか…」と説明出来ないのに、言い訳のように聞きかじった情報を口に出そうとしたが、そこで言葉が詰まる。

 リディちゃんが狂気的な笑顔を見せていたから。

 目を見開き、瞳孔を開き、赤く染められらた頬…口の端が異常につりあがった笑み…

 風がないのに、浮き上がる彼女の猫耳白フード付のローブ。

 邪悪だった。まるで魔王の偉容。

 補足:風もないのにローブが舞い上がるのは魔力の”おもらし”という現象。膨大な魔力が放出された際に、使い手の意思を介さずそれ単体のみで質量を持ち、物理的に物に作用する現象。リディ(※今世紀最強)だと興奮しただけで起こりうる 解説:ファレン

「毒の種類ッ!」

 リディちゃんが声を荒げる。その瞳はきっと、宇宙的暗黒を見ていた。

 私を見ていない。

 魔術のオタクだと思っていたけれど…案外、全う(?)な大学院生的な気質なのかもしれない。大学院どころか、大学も行ってないし、高校も死んで中退だから知らないけど。

「ひひ…素晴らしい…素晴らしい!素ッ晴らしいィッ!おっと!なので、ゴブリンには赤は青色に見えているんじゃないか、と」

 興奮冷めやらずとを置き去りに、急に冷静になったリディちゃんにちょっと引いてしまう。気持ち的には廊下の一番奥へ猛ダッシュ。物理的には一歩。

「じゃあ、なんでブルーフードがいないのかな?」と、冷静に笑顔を引きつらせているトーマスさん。目尻に涙が零れている。可愛い。

 トーマスさんの質問はその通りだと思う。レッドフードしかいないのは変な話。

 リディちゃんもその点は疑問に思っているようで「それはそうですね。私も専門外なので」と語尾になるに連れて興奮が消えていった。

 色に対する認識が薄い。

 夜目の効く生き物は赤色が青色に見えることが多い。

 じゃあ…

「レッドフードになる個体は”赤色”が識別出来る…とか?」

 変な話かもしれない。自分でもそう思う。

 色の識別…タペタムが発達しているからといってそれが知能の活性化に爆発的な影響を与えるとは思えない。実際人間にも、色の識別は基本は3色型だけど、ゴッホのように2色型でも天才な画家がいたり、四色型の色彩で有名なコンセッタさんという画家もいる。

 ただ、見える色によって知能が高いという話は聞かない。

 それなら、一部の鳥はこの地上で最高の知能を持ち、イルカが攻めてきたではなく、鳥が攻めてきた、が現実で起こっていないのだから。

 ダメな私の頭では、碌なことが思いつかない。これを一般的に馬鹿と呼ぶ。

「カホさんッ!それ、いただきですッ!」

 リディちゃんの声が響いた。

「え?」と本当に私は間の抜けた声が出た。

 リディちゃんはビシリと指を私に差し、そのまま天に向ける。

 天才にとっては、馬鹿の馬鹿な呟きすら武器になる…。頭のデキはどうにもならない。

 再度興奮し始めたリディちゃんのローブが揺れる。

「よし!決まりました!魔術の混成系統図よりも今回は冒険です!冒涜です!暴力です!生物学的な内容…魔術以外の論文にします!」

 大声でそう宣言した。

 それは何処か清々しくて、頼り甲斐があって、眩しい。朝日照らされるような勇気そのものに見えた。

「え?そ、それって大丈夫?」と私が答えなんて分かっているのに尋ねると、リディちゃんは自身満々に胸を張り。

「前々から考えていた分があるんですよ!だから…大丈夫じゃなくても、大丈夫です!ダメならここで雇ってもらいますので大丈夫です!」

 それは…一般的に言ってダメだと思う。

 それでも、笑顔で疲れも寝不足ですら楽しさで吹き飛ばした表情には、こちらですら元気を貰える。

 リディちゃんは年相応の元気に溢れた笑顔を浮かべクルリと回る。

「魔術の発展が一番敷居が低く簡単です!ですが、困難で難しい道こそ!崖こそ!谷間こそ!飛び越えて!乗り越えて!挑戦して!新たな一歩が開けるのです!」

 敷居が低いものを選びがち…それがこのお話の一番始めの答えだった。

 ゴブリンは弱く狩りやすい。だけど、脅威。

 しかし、数の抑制や易きに流れるを防ぐために…という苦心をする偉い賢い人達がいる。

 その思惑を受け取り、歯車のように実直にこなす私のような凡人がいる。

 でも、きっと本当の天才というのは、そういった人間のさがを簡単に乗り越える。そして、目の前の困難な敷居を簡単に乗り越えられなくても挑戦し、いつか乗り越える。

 そういった人達が新たな時代を築いていったんだと思う。

 勿論、歯車の私達も必要なんだろうけど、天才の姿にはやはり眩しく映る。

 ひがみではなく、憧れとして。

 ふと目に映る光が、遠くの彼女を映した気がした。

 その影は始めは小さな影が映り、次はもう一人…またもう一人と広がっていく。

 不意に首筋に小さな痛みが走った。

 何となく、拗ねているのが分かる。

 それでも、私の憧れの先に彼女がいるのも間違いない。そう思うと、痛みが柔らかな温かさへと変わっていく。

「頑張ろう」そう自分に呟いた言葉に、リディちゃんは元気に「はい!」と返事をし、トーマスさんは優しく微笑んでくれた。

 その後は、トーマスさんにお礼を伝え私達が廊下を後にする。

 リディちゃんとの分かれが迫る…その寂しさはあるけれど、これからの不安もある。決して後ろから副長の怒声が聞こえてきて、トーマスさんの鳴き声が聞こえてきたからじゃないけれど、未来はどうなるか分からない。

 予定通りにいかないから頑張るしかない。それだけでも、未来へ希望を期待出来る。

 一歩、また一歩と私は先へと歩いていく。

 それしか出来ない凡人だから、それに胸を張るのだってきっと大切なのだから。


 …とここまで良い風にまとめたいけれど…。

 私は…この後、助平心の所為で夕方に帰れなかった。

 ウェンディさんの依頼を終え、依頼途中で狩っていたボアの肉を回収しようと向かったところで鳥喰蜂ウイングキラーの実物を発見した。

 意外に思ったより小さかったのと、リディちゃんが喜ぶだろう…そう思って攻撃したら群れで襲ってきた。

 結果として私は川に潜り…空から降り注ぐ弾丸のような蜂から命からがら逃げる羽目になった。

 けれど…これは、きっと運命だったのだと思う。

 





 木漏れ日の森…そう呼ばれるアルトヘイム近郊の森。その深部。

 深い闇の底…そうしか思えない森の中で、1人の男は感嘆の声を漏らしていた。

 男は平均よりは低い身長、低いものの形の整った鼻、そして黒い髪を持つ…所謂『極東』の人間の特徴を持った容姿をしている。

 その男の着ている衣服も、黒い着物と腰に差す刀と扇子からも彼が『極東』の生まれであることを物語っている。

 男は考え耽るようにしながら、目の前にある、自分の身の丈よりも大きな草や蔦で覆われたドーム状の山に触れる。

「”妖精喰らい”がやられたか…やるなぁ、アルトヘイム…」

 そう溢し、口元をニヤつかせる。

 その口調から想定外のことではあったではあろうが、それすらも彼にとっては愉しみとでも言わんばかりであった。

 彼は草と蔦に覆われたドームにゆっくりと腕を埋没させて行き、その奥にあるものを手探りで探す。

 しかし、その次の瞬間にはドームから茨がまるで剣のように飛び出し彼の体に向かう。

 茨が彼の体を刺し貫く、ほんの数瞬前に彼は腰の刀に手を掛け、茨は彼の体に届く前に全て切り払われた。

 彼は興味なさげに、ため息を吐く。

 精霊による茨の攻撃よりも、大地に喰われたためか、死骸が見つからなかったことに落胆し。

「また探すか。次はもっと大きいのだな」

と欠伸をする。

 彼が背中を向け、歩き出した瞬間…ドームに閃光が走り、真っ二つに割れた。

 静かに草が落ちる音が響く。

 彼はそれに愉悦する。

 命を奪う。とはいっても、それは口や喉を持たない草木が何も言えるはずもない。

 それでも、彼には聞こえていた。

 生まれる前に、その命を散らしていく妖精族フェアリー 達の悲鳴が。その憎悪が。

「愚かだ…」と彼は口元を歪め、笑みを浮かべる。

 そのまま、まるで詠うように。

「敵わぬと分かって、何故立ち向かうのか…」

 その言葉は何処に、誰に向かって言っているのかは分からない。だが、生まれる前に虐殺した妖精族フェアリーだけでなく、確かに誰かに向けて問いかけていた。

 男が不意に着物の袖から小さな石を取り出す。

 赤い石…血の石と呼ばれる魔力を秘めた鉱石から声が響く。

―順調でしょうか?

 その声に応えるように、男はまるで傅くような慇懃な態度を取り。

「あぁ、これは我が王。」と挨拶をしてから。

「えぇ、勿論ですよ。既に神はこの手に」

 そう続けると、赤い石から響く声の主は小さく笑う。

―お遊びが過ぎますよ

 そう声が響くと同時に男は「分かってますよ」とニタリと笑う。

 森がざわめき、草を搔き分け、風切り音が響く。

「天誅!」

 そう高らかに声を上げ、月光を背に、反りの強い刃…三日月に満たぬ二日月のような白刃が男に向かって振り下ろされる。

 刀は真っ直ぐに男の脳天目掛けて振り下ろされるが、男に当たることなく地面を切り裂き土ぼこりを舞わせる。

 男はニタニタと笑い、「この程度が天の裁きかい?」と、刀を振り下ろした少女…。

 長い薄い赤い色の髪を持ち、臙脂色着物と薄桃色の袴を纏った、”菊”にそう告げた。

 菊は不意の一撃を躱されたことに驚きつつも、しっかりとそれを見ていた。

 男がいつの間にか抜いた刀を…

 自分の一撃が弾かれた感触もなく、逸らすだけで避けられた。

「ねぇ…菊花きっか?」

 男は余裕の表情で口を彼の剣技のように三日月に曲げながら…彼女の幼名を口にした。

「黙れぇッ!」

 菊は吼え、彼女の刀…月輪ノ大太刀を振り回すように振るう。

 力任せの一撃は男が軽く後方へ飛ぶだけで避けられる。

「それとも、菊千代と呼べばいいかい?ねぇ、菊花きっか?」

 下卑た、挑発…そうとは分かっても菊は抑えられない。

 怒りを滲ませ、歯を食いしばり、絞り出すように、「…この時をずっと待っていました…」そう言いながら刀を脇に構え、男を睨みつける。

「…殺してやる!師匠!」

 菊は吼えると共に、大きく踏み込み、一気に飛び込む。

 腰を落し、深く沈み込みながら、肩と腰を連動させ捻り。

「奥義の太刀!」と吼える。

 それは…古い『戦技』だ。

 『東方』より伝わった『武技』を原型とし、『極東』により原型すら残さぬほどに変質し、研ぎ澄まされた一撃『秘剣』を放つ。

「『初の太刀』皓月こうげつ!」

 菊は腰と肩の捻りを全力で使い、男の水月に肩で体当たりを加えながら、下段から相手の左腰から右肩へ掛けての逆袈裟斬りを…満月を描くような軌跡で一閃を放つ。

 白い残光が残る程の速度の一撃…それでも男は笑顔のまま体を半身にするだけで避けてしまう。

 振り切った刀…。普通なら体が無防備となり、死に直結する。

 無謀な一撃…そうは見えても、男は打ち込んでこない。

 この技が『初』なのだ。

 菊は肺に一気に空気を取り込み、肩の後ろまでいった刀を膂力と腰の旋回で二の太刀を振るう。

「『前の太刀』青月せいげつ!」

 相手の胴を狙い、膂力による二段目、水平薙ぎ―。

 普通ならば…この二段目を知らぬならば…刀を振り切った菊の無防備な体に一撃を加えようとするだろう。

 だが、この二の太刀はそんな相手に対して、逆にこの水平薙ぎを放ち、恐れで強張る敵を一撃で斬り捨てる技だ。

 …そして、恐れずとも敵が打ち込こんでくれば、慣性の法則を利用し、相打ちを狙う捨て身の技。命を的にして、掛け値なしの捨て牌の一撃。

 …男はそれが分かっていた。

 涼し気な顔で刀を斜に構え、下から掬いあげるように剣閃を逸らす。

 今度こそ振り切った―

 菊は分かっていた。この剣では彼に勝てないと…。

 彼より教え込まれた一撃では届かないと。

 それでも、彼女はこの二つを選んだ。

 彼女の切り札である『雷花』を使わないことで、相手の注意を『雷花』に注がせるために。

 弾かれた刀…掬いあげられた刀を両手でしっかりと握り、八相の構えを一瞬だけ取り、振り上げと同時に左足を踏み込む。

「『後の太刀』残月ざんげつ!」

 八相の構えから、振り上げ、左上段。そして、継ぎ足を踏んでから右足で踏み込むことにより、斧を振り下ろすかのように膂力を増した野蛮な一撃。

 だが、ただの力任せな一撃ではなく、手首と腰の引きを合わせた全力の一撃を、相手の右肩から左肩に掛けての袈裟斬りだ。

 そして、刃が相手に当たる瞬間に腰を回しながら、半身になるように右足を一歩下げ振り下ろす。

 三段目は…初太刀の軌跡をなぞるような軌跡を描いた一撃だった。

 名の通り、初太刀の青月が描いた残月のように。

 菊の一撃は全て必殺の一刀。

 当たれば…真っ二つどころか、触れるだけでも致命傷に至る程の一撃だった。

 …だが、美しい月は男の体には届かなかった。

 三段目は、まるでなぞるように刀の背で受けられ…手習いでもするかのように男の体には当たらぬよう逸らされた。

 技は完成させたまま、ただ届かぬように。

 技の熟達だけを見るために”振らせてあげた”とでも言わんばかりに。

 簡単に、赤子の手を捻るかのように。

「…何故…まだ諦めないのか」と男がニヤつく。

 刀を振り切った菊は大きく息を吸いながら一歩後退しようとする。

 しかし、男は軽くステップを踏み菊の刀の刃を撫でるように、自分の刀の刃を当てながら近づく。そして、男の刀が鍔に当たった瞬間に腰を軽く落し、菊の刀を抑え込む。

「何故…敵わぬと分かって、何故立ち向かうのか…」

 菊は怒りで歯を剥き、力を込めるが刀はびくともしない。

 そうとなると、足掻くのは人間の本質だ。

 菊は腰のホルスターから、切り札である『雷花』を抜く。

 折れたナイフの先に筒を付けた…等とこの世界で形容される異質な武器…。

 菊は『光の剣』と呼ぶが、その本質は―『銃』だ。

 所謂ハンドガン…ピストルの形をした武器。

 ピストルといってもそれは、異世界から来た『勇者』達が取り合えず造ろうとして、機械文明が魔法文明のおかげで発達していないが故にマスケットやフリントロック式のピストルに落ち着くようなものではなく、魔法文明を取り込んで尚造られた文字通り機械式のハンドガンだ。

 ヒヒイロカネ製の長い銃身。霊樹より切り出された反動を吸収するグリップ。親指以上の大きさを誇る雷輝石から削りだされた弾丸。その弾丸には。破邪の雷、黄金の雷の力を秘めた鉱石を使用する…文字通りの大口径拳銃。

 それが『雷花』。

 銃に彫り込まれた金のエングレービングは、ヒヒイロカネという神に愛された『奇跡』の触媒をさらに増幅器とする為の祝福。

 エングレービングの紋章は『極東』では『カミノナリノダヂカラオ』と呼ばれる…黄金の雷、天雷の神にして、破邪と正義の雷帝にして雷霆神『ユピル』を現わす雷と雲。

 機構はまだ拙く幼いながらも、シングルアクションシステムを採用している。それが故に、連射には向かない作りだ。

 それは、この武器が敵を一撃で屠ることをなによりも重点としており、故に単発式だからだ。

 現世でいうのであれば、中折れ式ハンドガン…カンプピストル。

 菊が『雷花』を左手で抜き放ちながら、撃鉄に親指を添え一気に下ろす。

 撃発準備が整うのと、大まかな照準が付けられたのは同時だった。

 菊がその引き金をまさに引かんとする…その瞬間だった。

 菊の目から照準が逸れ、その目に星一つない暗黒の夜空が映された。

 それに気付いた時には、菊は口から血を吐き胴体が万力のような力で締められ持ち上げられたことを理解した。

 ゴツゴツとして大きく、醜悪な手…そして、その手に相応しいボロボロの肌で土気色の肌を持つ魔物。

「…白痴鬼オーガ!?」

 菊はその名前を叫び、脱出を試みようとするがオーガの腕はビクともせず、悲鳴をあげるしか出来なかった。

 そして、逡巡してしまう。

 体と本能が命を求める。心は復讐を求める。

 銃口をどちらに向けるか…

「菊花はカワイイねぇ…」

 男の声が彼女の耳を打ち、菊は怒りを向き出した。

 故にそれは起こった。

 体に力を入れた瞬間…引き金を引いた。

 その武器の名の通り、雷の花が天空に向かい咲いた。

 乾いた爆裂音に似た雷鳴を轟かせ、辺りを黄金の光で包み込み、一筋というには余りにも大きすぎる流星の如き光の剣が空へと伸びる。

 『雷花』は暴発した。

 奇しくも、その衝撃と光でオーガ怯み、菊は地面に受け身も取れず背中から落ちる。

 肺を圧迫され空気と共に、碌に食べていなくても胃から液体が逆流し口から漏れる。

 意識が暗闇に侵蝕され、酸素すらまともに吸えない。それでも、ただ喘ぐような声を漏らし、菊は息を諦めない。

「ぐ…こ…う…うぇ…あ…この!」

 強靭な意志か、それとも狂人の意地なのか、菊は目の前が碌に見えていない状態でも、四つん這いとなり、必死に『雷花』を探す。

 肩を震わせ、足をばたつかせ、血を吐き、胃液を溢しながらも…最愛の師匠を殺す為にかつての勇者が残した『光の剣』を探す。

 その手が何かに触れる。

 それを必死に手繰り寄せようと力を入れると、菊の顔に衝撃が走った。

 くぐもった悲鳴を上げながらも、菊はそれを本能で理解し、飛びそうな意識を歯を食いしばり留め拳を振り下ろす。

 力一杯で…菊の手は地面に振り下ろされた。

 いや、正確には地面から露出していた石を殴りつけた。

 痛みが菊の手に伝わり、熱い感触と乾いた骨の折れる音もした。

「うあ…あぁ…ああああ!うぁあああああ!」

 菊が悲鳴とも咆哮とも分からない声を上げ、そこに再度…男が菊に足蹴りをする。

「女の子の顔は大切にしないとね。だから、優しく…」

 男は這いつくばり、悲鳴をあげる菊を見下ろし、愉悦に浸る。

 その顔には下卑た笑みが浮かんでいた。

 その表情は何処か子供じみてもいた。他人の玩具を壊す、または自分の支配下へ置いた感覚に酔いしれるような無邪気さもあった。

 男は這いつくばる菊にしゃがみ込み、顎に手を触れる。そのまま顎を自分の方に寄せるように上に上げ、目線を合わせる。

 朦朧としながらも、菊は仇を瞳に入れ、目に怒りを滲ませ、自分の未熟さに涙を流す…。混沌とした表情でただ睨みつける。

 男は手を振るう。

 その手から青白い一本の光の糸が走る。

 それが、菊の放った『雷花』の反動に吹き飛ばされ頭を打ち付け昏倒していたオーガの額に刺さる。

 瞬時に光が根を張るようにオーガの顔面に広がり、オーガが起き上がった。

 ゆっくりと、涎を垂らし、ふらふらと意識などない様子で一部を肥大させ菊へと近づいて来る。

「…尊厳を犯し尽くされ、身は喰われて死ね…さよならだ」

 男はそう言い残すと、菊から手を放す。

 その手に縋りつくように菊の腕が伸びる。

 だがそれも男に軽く払われ、菊の手は空を切った。

 オーガが碌に動けない菊の体を抑え込む。

「戦え!私と戦え!戦えッ!」と菊はただ叫び、自分の怨敵に只管怨嗟の声を投げる。

 恐怖を噛み殺すためだったのかもしれない。

 だが、恐怖すら復讐の怒りの前では些事だったのかもしれない。

 菊は地面を掻き、男が消えて行った闇をただ見つめ、歯を食いしばる。

「絶対に…殺してやる…」

 自分がどうなっても、例え尊厳も体の一部を喪ってでも自分の『使命』を果たす…

 そう決意するために声を振り絞る。生きて、師匠を殺すために。

 憎悪から勇気を振り絞る…。

 歯を食いしばり、手を握り込み、ただ耐える…その覚悟が決まった時。

 師匠の声がした…それを掻き消すように風切り音と共に、大地を踏みしめる音、鈍い衝撃音…そのどれもが殆ど同時に起こった。

 それに気付いた時には…

―赤い髪が揺れた

 燃えるような、炎のような真っ赤な髪が…月光を浴びていた。

 暗雲と木々で隠されていたはずの月の光が…その一刀により切り払われたかのように彼女に降り注いでいた。

 美しい白き月の光が、彼女を導いたかのように。

 細い体躯、痩せた体、簡素な鎧と短い剣…。

「カホ…さん…」

 菊がその冒険者の名前を口に出すと、涙を抑えきれなくなっていた。

 悔しさの涙ではなく、隠していた恐怖が溢れだしていた。

 安心したが故に零れだした涙だった。

 カホは一撃を撃ち据えたことから菊から離れたオーガへ向かって歩みを進め。

「菊さん…私に任せて」

 剣を構え、オーガ目掛けて駆け出した。

 オーガはカホの全身全霊の一撃をまともに受けたからか、それとも『雷花』の反動で相当のダメージを負ったからか動きは鈍い。

 ましてや、カホの先ほどの不意打ちの一撃は胴体に閃いたものの、オーガはその一撃とは関係のない左腕が動かない様子だった。

 オーガが右腕を大きく振りかぶり、カホに向けて振り下ろす。

 単調な力任せの一撃をカホはその腕に剣の刃を添えるように当て、逸らすように受け流す。

―パリィ

 それも、流れるような軌跡を描き、オーガの腕の軌跡を書き換えるかのようなパリィだ。

 オーガの堅牢な腕と、カホの剣が擦れ…澄んだ音を奏でた。

 少年とも少女とも見えぬ外見の冒険者と、オーガという醜悪な化物が奏でるには余りにも場違いな、美しい音だった。

 その音に菊は言葉を失った。

 恐怖すら失った。

 その剣から奏でられる音は、まるで『極東』の祭具にして”邪なるものを祓う”祭具、神楽鈴の澄んだ音色のようであった。

 澄んだ鈴の音が響き続ける。

 オーガの蹴りを、拳を、体当たりでさえ、カホは刃を当て引くように柔らかに弾く。

 オーガの力だけを利用し、軌道だけを変えて柔らかに弾き続ける。

 月光がカホを照らす―

 散る汗が月光を受け光を放つ。

 カホの頬が髪色のように朱を帯び、紅潮する。

 彼女の何処か物鬱気で儚い瞳は一種の艶やかさすらも感じる。

 激昂した醜い顔の化物…オーガとは対照的な静かな美しさ。

 カホの剣閃が美しい弧を…月を描く。

 風と遊ぶように剣は閃き、鳥の囀りのようにオーガの一撃を逸らす。

 時折、剣が甲高い音を鳴らす。

 それは、オーガの手に当たり、鳴り響くものだ。だが、その高い音すらもそれは演目の一つのようであった。

 まるで演舞のように、初めから取り決められていたかのように…それはまるでオーガすらも儀式の一部の様だった。

 オーガが真っ直ぐに拳を突き出せば、カホは真っ直ぐに進み、その腕に剣を添え自分の後方へと流す。

 オーガが蹴りを繰り出せば、カホは回るように足を踏みかえつま先に剣を当て、オーガの足を空へと導く。

 オーガが無茶苦茶に腕を振り回しても、それらに軽く触れ、ただ軽く…風と鳥と謡うように小さな動きで弾き返す。

 その姿はまさしく、月を背に受けた月光の巫女…。

「『ツクヨノミコ』さま…」

 菊がそう口に出す。

 それは『極東』に伝わる神にして、正体不明とも呼ばれる月の神。

 そして、男神とも女神とも…両性具有とすらも呼ばれる剣舞の神。

 月の満ち欠けのように現れては消え…現れては消える。

 その剣技は『月』の剣技の始祖とされ、そして伝説で彼の神は…


 心喪こころな悪鬼あっき調伏ちょうふくせしために、は『神楽鈴』を手に舞にて鎮めた


 その一節の通りにオーガが吼え、拳をさらに猛然と振るう。

 だが、どれも稚拙な一撃だ。音が間隔が短くなるが、間隔が短くなるだけだった。

 オーガが必死に腕を振り回し、カホはそれに応え、ただ静かに弾き続ける。

 水面に落ちる葉の音すらも聞こえる程、雲の流れが音になる程にそれは静かで、清らかな剣舞だった。

―届かない

 それに焼きもきしたのだろう。

 いや、本来のオーガならそんな感情は持ち合わせないハズだ。

 だが…オーガの怒りでない怒りが、苛立ちがオーガの体を軋ませながら、渾身の一撃で拳を突き出させる。

―邪魔をするな!

 何処かでオーガではない誰かが慟哭しているようだった。

 その声にカホは応える。応えをしないという応えを。

 カホが大きく息を吸うと同時にさらに一歩前へと踏み出し、風に舞う羽のようにオーガの拳を寸でで躱す。

 紙一重。されども、悠久とも永遠とも思える距離で躱し、刃をその腕に添える。

 そのまま、腰と肩を、酷くゆっくりと舞うように廻し、オーガの渾身の一撃を自分の後方へ導く。

 オーガはきっと、逸らされたことも理解していない。

 オーガではない誰かですら、自らの意思のみで振りぬいたと思っていただろう。

 虚空を殴るが、それはカホを捉えていたと錯覚するのが当然のように。

―赤い髪が揺れる

 風が舞う。

 激流の如き舞いではない。奔流の如き量でもない。

 ただただ優しい風が、カホに導かれ纏い、そしてその赤い髪を撫でるように彼女はまるで回るように体を回転させて、剣を腰だめに構え。

―肩と腰…よくしなる腕が同時に動く


 轟音…そういうには涼し気な風切り音。


 それでも暴風のような一撃。

 竜巻を思わせる強風。それでいて優しく葉を揺らす一迅の風。

 『極東』にて雪解けを告げ、桜花と春雷を告げる…

―春一番の風。

 澄んだ音色が夜闇に響く。

 月光の光が赤い髪に受け、月が輝く夜でさえ暁が差すかのような光。

 オーガは胸を一文字に裂かれ、咆哮を上げる。

 血でさえ遅れる。痛みも、理解も、全てを巻き取る、触れ得ざる剣。

 ただ春を告げる一撃。

 そして、そこに怒りはない。ただ過ぎるだけの一撃。

「春風の剣…!」

 自然と菊はその言葉を口に出していた。

 カホは剣に付いた血を払い、再度剣を構える。

 息切れもなく、彼女はただ静かに。

 剣先がオーガの目を捉える。

 オーガは誰にも命令された訳でないのだろう。ただ、切り裂かれた胸に悲鳴をあげ、折れた腕を庇うように森の奥へと走っていく。

 その後をカホは追わずただ、静かに剣を構えていた。

 オーガが去ると、赤い髪の冒険者はそのまま膝を折りへたり込む。

 がくがくと振るえる足を何度か叩き、力を振り絞るように立ち上がるが足取りは重い。

 彼女が向かう先には、菊がいる。

 カホは菊の前に屈むとただ一言。

「大丈夫?」

 そう涙を浮かべながら、嗚咽にまみれた大切な友人を抱きとめた。

 今度は守れた―

「良かった…」

 そう彼女は安堵と、達成感と、ボロボロで痛ましい菊に心を痛めながらも、確かにある菊の体温をしっかりと受け止めた。

「カホさん…私…!」

 菊が言葉を漏らす。だが、ぐちゃぐちゃで支離滅裂な彼女の思考ではその答えは出ない。

 カホもそれを理解してか、ただ静かに彼女の涙を受け止めていた。

 二人の少女が世闇の月光に映し出される。

 赤い野蛮な髪と、桜のような淡く美しい髪をした少女。

 二人はただ静かに抱き合っていた。

 そんな二人を、息を咳切らし、血走らせた目で睨み、臍を噛む者がいるとは知らずに。

 その男が、逃げたオーガを文字通り肉片へと変えたこと等も知らずに。

 カホの背に白い糸が伸びる…。

 だが、その結果を男は知っていた。だから、ただ血走った瞳で野蛮な赤髪の屑を睨みつけるしか出来なかった。

 荒廃した大地に草が芽吹くことはある。

 だが、死滅した場所には何も咲かぬ。

 それを当然と見せつけるように、白い糸は崩れ消えていった。

 世の不条理にただ彼は…この世界の歪みを睨みつけていた。

「貴様のような屑はこの世界で生きてちゃいけないんだ…」

 そう彼は吐き捨てる。

 赤髪の屑…カホをただ睨みつけ彼は森の奥へと消え行った。




 余談


『冒険者・カーマイン』


 執事の日記より抜粋


 豪奢な貴族の館。そう現わす他ない偉大なる我が主×××様の館だ。※1 

 私がここに勤めあげて既に10年が経つ。

 今日は王からの勅命を受け、エアリスの片翼である『青き風』の冒険者の功労を労う為に客人を招くから始まった。

 主人は懐深く、また少年の心と情熱を変わらず持つ。

 それ故に今回の勅命については、快諾の気持ちと共に少々の残念を持っているようであった。

 1つに、冒険者と対談出来るのは彼にとって喜び。

 1つに、冒険での逸話ではなく、あくまで市政での功労であったことの残念さ。

 主人の目が輝けるのは我ながら嬉しく思うが、それが十全でなかったとして腹を立てるは執事として三流。なればこそ、主人の為に何か面白そうな冒険譚がないか、と『青き風』の狼へとそれとなくメイドを使いに出したら、これまた多くの収穫を得た。

 何やら新人が、安値の値段の依頼をこなし続けているや、たまたま受けた依頼が詐欺であり結果として大物を狩った。

 そういったサプライズを感じさせるものは、主人も喜ぶだろう。

 メイド達に主人にそれとなく聞こえるように話すように伝えると、彼女たちも楽し気であった。

 おそらくすぐに主人が喰いつき、メイド達と茶会をするだろう。

 その間、私は一人…いや、メイド長と二人で仕事をすることになるだろうが、主人が笑顔であるならそれでよい。

 なので、夜の会は肩透かしでもよい…そう思っていたのだが、これにも良いサプライズがあった。

 もしかすると、『青き風』の団長はやり手かもしれない、と思わせる程には。

「貴殿は、素晴らしいな!平素よりエアリスの片翼として自覚!市内の巡回などそうそう出来るものではない!」

 そう主人が声を懸ける相手は、長い髪に、女性らしい起伏に富んだ体つきをしていた。

 その少女はおずおずといった雰囲気であり、少し気まずそうではあるがその表情には安堵も浮かんでいる。

「…して、君の名前だが…確か…前に会ったな。」

「あの…はい。お久りぶりございます。イシハラ マイです」

 彼女がそう答えると、主人は困ったように眉を寄せる。だが、その目は輝いている。

 彼は少年の心を忘れない。だから彼の目の輝きは、それはイシハラ マイが小柄ではあれど、女性として魅力的だから、ではない。

「だな。そうだよなぁ。…当人は?」

 主人がそう聞くと、イシハラ マイは少し困った様子で、依頼が長引いているようだ、とそう告げる。 

「そうか…」と主人は分かっていた答えにワザと落胆した様子を見せるが、次の瞬間には口元を隠せていなかった。

「そうか!なれば、カーマイン殿※2には私だけでなく、王も皆が感謝していたと伝えてくれ!」

 主人はもう止まらない。さっさと次を言いたくて彼はうずうずとしいる。

「ではマイ殿!最近の貴殿の話を聞いてもよいかな!?」

 主人はエアリス信仰に傾倒している。さらにいうとその意思の直系の後継者として『青き風』を推す程の人物だ。

 中でもとりわけ、『勇者』であり、人民の守護者を体現しているイシハラ マイには一目置いている。

 誰もが嫌がる安値のゴブリン退治を積極的に受け、内容が見合わなくても彼女は人々の為に戦う。そういった姿が主人の心を射止めていた。

 勿論、主人にとって奥方様が愛するものである。だから、主人にとってイシハラ マイは御伽話ではなく、英雄譚に出てくる『勇者』そのものなのだ。

 


※1 これは挨拶として書き出されたものであり、近年の研究では彼は主を讃えるのを日常とし、書き残した書にも全て同様のものが掛かれている。

※2 男性とされる冒険者。赤い鎧兜と赤い剣を持つ貴公子とされる。他の書面にもその特徴は書かれているが初老の白髪の老人との記載があるため真偽不明。

夜を渡らなきゃ…

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