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婚約破棄ですか。では、明日からの決裁はお任せします~北の領地で辺境伯と交易を始めたら、王宮から戻れと言われました~  作者: 他力本願寺


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第6話 北境伯は数字が読める

秋の気配が一段と深まった、九月二十四日の朝。


 リース領主邸の広い会議室には、私と数名の領地管理官、そしてレオンハルト辺境伯と彼の副官たちが長机を挟んで向かい合っていた。


 今日の議題は、先日渋滞を解消した関所を抜ける「北ルート」の定期化についてだ。秋の収穫物が集まりつつある今、これをいかにして王都側へ安全かつ採算の合う形で大量輸送するか。その具体的な運用計画が、いまだ白紙のままだった。


「――以上が、王都の市場需要から逆算した、我がリース領の中継倉庫の目標回転率です」


 私は手元の資料を置き、向かいに座る辺境伯たちを見据えた。


「利益を出すためには、大量の荷を一度に運ぶ必要があります。荷馬車一台あたりの積載量を最大化し、輸送業者との契約単価を『一トンあたり銀貨十枚』に抑えることが、定期便を採算ベースに乗せるための絶対条件となります。中途半端な積載量では、護衛費用と馬の飼葉代で赤字になりますわ」


 私が行政と商流の観点から導き出した数字に、リース側の管理官たちは深く頷いた。机上の計算としては、これが最も美しい完璧な利益計画だ。


 しかし、レオンハルト辺境伯は腕を組んだまま、私の提出した計画書を鋭い目で見つめていた。


「商流の計算としては見事だ。だがヴィクトリア、この積載量では三日持たずに輸送網が崩壊するぞ」


「崩壊、ですか?」


「ああ。君の計算は、街道が王都の石畳と同じ平坦さであることを前提としている」


 彼は地図の上に置かれた木駒を指先で弾いた。


「北の街道は未舗装の勾配が多い。この最大積載量で走らせれば、馬車の車輪の損耗率は平地の二倍に跳ね上がる。先日君が雇い入れた職人のマルクが車軸を強化したとしても、街道にある三つの木橋の耐荷重を超えてしまう」


 私はハッとして計算書を見直した。確かに、物理的な地形の負荷まで完全に組み込めてはいなかった。


「……ならば、一台あたりの積載量を減らし、馬車の台数を増やすしかありませんか?」


「いや、台数を増やせば列が延び、我々国境軍が出せる護衛兵のカバー範囲を超えて山賊の標的になる。護衛の交代シフトを考えれば、一度に動かせる馬車は三十台が限界だ」


 彼は卓上に広げられた詳細な街道図に、次々と赤インクで線を引いていく。


「橋の耐荷重と車輪の損耗率をクリアし、かつ護衛の陣形を維持できる最大積載量は、君の提示した数字の八割だ。その代わり、道中の野営地を我々国境軍の砦の敷地内に設定し、民間の宿場代と夜間警備費を浮かせよう。それで『一トンあたり銀貨十枚』という君の採算ラインには届くはずだ」


 彼が淀みなく口にした修正案に、私は目を瞠った。


 王宮の会議であれば、ここで「財務省の予算が」「軍の規定が」と不毛な縄張り争いが始まるところだ。しかし彼は、私の専門領域である「商流と採算」を一切否定せず、それを実現するための「物理と兵站」の最適解を提示してきたのだ。


 私の計算と彼の計算を重ね合わせて、初めてこの計画は現実のものとなる。


「……素晴らしいですわ。野営地の件、感謝いたします。ですが、冬場はどうされますか? 雪が降れば、馬車はそもそも――」


「通年使えるルートはある。川沿いの『冬季低地回廊』だ。除雪隊と橇を使えば冬でも通れる」


 レオンハルトは即答した。


「ただし、あちらは細い代替路だ。安全に通せる便数には厳しい上限があり、輸送単価は通常の三倍、一トンあたり銀貨三十枚は下らない。高価で低容量なルートになるため、冬場は利益を出すための商流ではなく、緊急物資や小口の輸送に限定せざるを得ないだろう」


 私は彼の言葉をノートに書き留めながら、内心で舌を巻いていた。


 軍人でありながら、輸送単価の高騰と便数上限の制約をこれほど正確に理解している指揮官がどれほどいるだろうか。


「では、安価に大量輸送ができるのは、舗装と勾配が良い主路である『レヴィン高地峠』を使える期間のみということですね」


「その通りだ。そして、そのレヴィン高地峠が使える期間は限られている」


 レオンハルトは表情を引き締め、地図の北側、山脈を越える太い線を示した。


「高地峠の今年の最終通行日は、十月十五日だ。十月十六日からは積雪と雪崩の危険が高まるため、春まで原則閉鎖となる」


「十月十五日……」


 私は手元のカレンダーに目を落とした。


 今日は九月二十四日。当日を含めずに数えれば、最終通行日まで残り二十一日しかない。


「時間がありませんね。本格的な雪が降る前に、最初の大型便を通し切り、北の市場へ十分な塩と薬を届ける必要があります。急ぎ、馬車と物資の手配を」


「ああ。護衛と道路の補修は私が指揮しよう」


 明確な期限が設定されたことで、会議室の空気が一気に引き締まった。


 各々の役割が明確になり、管理官や副官たちが足早に準備のために退出していく。


 静かになった会議室で、私はふと、書類をまとめているレオンハルト辺境伯を見つめた。


「どうした?」


「いえ……少し、気になりまして」


 私は手にしていたペンを置き、仕事の成果とはまったく無関係な、個人的な疑問を口にした。


「閣下は軍の指揮官でありながら、どこであれほど正確に物流の数字を覚えられたのですか? 損耗率や耐荷重、輸送単価に至るまで、まるで熟練の商人のようでした」


 王宮の将軍たちは、精神論や戦術ばかりを語り、補給の数字などは下働きの官僚がやるものだと見下している者が多かった。彼のような存在は、私の常識から大きく外れていた。


 レオンハルトは書類を束ねる手を止め、窓の外の遠い山並みに視線を向けた。


「……最前線では、数字はただの金や記録ではないからだ」


 低く、落ち着いた声だった。


「何日後に、何トンの食糧と薪が届くのか。車輪が一つ壊れれば、到着が何時間遅れるのか。王都の安全な部屋で帳簿をつけている人間にとっては、それはただの『遅延』という文字に過ぎないかもしれない。だが、国境で吹雪に耐えている軍にとっては、その数字のズレが、兵士が生きるか死ぬかの境界線になる」


 彼は視線を戻し、私を真っ直ぐに見た。


「誰も助けに来ない辺境で生き残るためには、軍事力だけでなく、物流と数字を読む力が不可欠だった。だから、必死で覚えただけの話だ」


 その言葉の重みに、私は息を呑んだ。


 彼が背負ってきた責任の重さが、痛いほどに伝わってくる。


 同時に、私は彼に対して、これまでにない強い敬意と興味を抱いている自分に気がついた。私を「都合の良い調整役」として扱うのではなく、私の数字の裏にある労力を理解し、対等な専門家として同じ目線で仕事をしてくれる人。


「……閣下と共に仕事ができて、光栄です」


「それはこちらの台詞だ、ヴィクトリア。君がいなければ、あの計画は利益が出ずに頓挫していた」


 彼は少しだけ表情を和らげた。


「さて、残り二十一日だ。高地峠が閉じる前に、雪の前の大仕事を終わらせよう」


「ええ。必ず、通してみせますわ」


 私は力強く頷いた。


 王宮を去ってからまだ一ヶ月も経っていないというのに、私の心は、かつてないほどの充実感で満たされていた。

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