第4話 止まっていた二十七台の荷馬車
リース伯領の入り口となる、大きな石造りの橋の手前。
私の馬車がそこで見たのは、目を疑うような光景だった。街道の片側を完全に埋め尽くす形で、二十七台の商人の荷馬車が長蛇の列を作って停滞していたのだ。
秋の冷たい風が吹く中、荷台の上や車輪の横で、御者や商人たちが疲労困憊した様子で座り込んでいる。待機列の先頭では、馬たちが重い引き具をつけられたまま首を垂れ、時折辛そうに鼻を鳴らしていた。
「これは……酷い有様ですね」
「ああ。ざっと見たところ、先頭の連中は三日はここで足止めを食らっている顔だ」
私の馬車と並走するようにして進んできたレオンハルト辺境伯が、馬上から険しい視線を列の先頭へ向けていた。
私たちは示し合わせて馬車と馬を降り、渋滞の元凶となっている関所の検問所へと歩いて向かった。
検問所の中では、三人の担当官が書類の山に埋もれるようにして座っていた。誰もが目の下に濃い隈を作り、ひっきりなしに怒鳴り込んでくる商人たちに声を枯らして対応している。彼らは決してサボっているわけでも、無能なわけでもなかった。
私は商人たちの波をそっと掻き分け、一番手前の机にいた初老の管理官に声をかけた。
「お仕事中、失礼いたします。なぜこれほど荷が滞留しているのですか?」
「見れば分かるだろう、処理が追いつかないんだ! 橋を通るための『通行許可』と、領内での『倉庫割当』と、商業ギルドの『積荷検品』の三つが揃わないと馬車は入れられん規則なんだよ!」
管理官は顔も上げずに苛立たしげに叫んだ。
「ギルドの検品が終わらないと、俺たち領地管理官はどのサイズの倉庫を割り当てていいか分からん。だが、橋の守備隊は『通行許可印がない馬車は検品所のある広場へは入れない』と突っぱねる! 結果として、商人は検問所と守備隊の詰め所とギルドの出張所を、書類を抱えて何往復も走らなきゃならんのだ!」
なるほど、と私は瞬時に事態を理解した。
王宮でも頻繁に目にした光景だ。「権限と窓口の縦割り」である。
守備隊も、領地管理官も、商業ギルドも、それぞれの規則を忠実に守っているだけで、誰も間違ってはいない。ただ、それらを横断して「順序を整理する責任者」がいないため、手続きが互いを待ったまま止まっているのだ。
「……事情は分かりました」
私は告げ、懐から銀の紋章印を取り出した。エルデン公爵家の意匠ではない、リース伯爵位の正当な継承者であることを示す印章だ。
「なっ……あ、あなたは……!」
「本日付で、このリース伯領へ戻って参りました、ヴィクトリアです。皆様、連日の激務、本当にお疲れ様です」
私の名乗りに、周囲の担当官たちや商人たちが息を呑み、慌てて姿勢を正そうとする。私はそれを手で制した。
「畏まる必要はありません。現在の手続き規則は、平時の少ない交通量を前提としたものです。これほどの荷を捌くには不適格でした。――今から、私が臨時の横断決裁を行います。事後承認の責任は、領主である私がすべて負います」
私は周囲を見渡し、通る声で指示を出した。
「まず、あちらにある三つの離れた窓口を廃止します。そこの一番大きな机を外の天幕の下へ運び出し、守備隊、領地管理、商業ギルドの三名が横並びに座ってください。商人を歩かせるのではなく、書類を一枚の卓の上で横へ流す『一括窓口』とします」
「し、しかし女伯様! それでは待機する馬車が広場に溢れてしまいます!」
「馬車は時間帯で分離します。午前中は検査に時間のかかる『小口の食料と雑貨』のみを通し、午後は台車ごとの重量計算で済む『大口の鉱石と木材』を通します。混在させるから列が詰まるのです」
担当官たちが目を見開いた。彼らには「窓口を物理的にくっつける」という発想も「荷の種類で時間を分ける」という権限もなかったのだ。
「……見事だな」
背後で、レオンハルト辺境伯が感嘆の息を漏らした。
彼は即座に振り返り、自身の率いていた国境軍の兵士たちへ鋭い号令を飛ばした。
「聞いたな! 我が軍はこれより、リース伯領の交通整理を支援する! 天幕の設営を手伝え! その後、街道に待機している馬車を荷の種類別に二列に分け、指定の時間まで待機列を維持しろ。列の誘導は我々が引き受ける!」
軍の兵士たちが一斉に動き出す。
私が書類と制度の「手続き」の詰まりを解き、彼が馬車と人の動線という「現場」の詰まりを解く。事前の打ち合わせなど何一つしていないのに、私たちの指示は二つの歯車のように噛み合っていた。
*
それからの半日は、怒涛のような速さだった。
三つの印章が一つの机の上で次々と押され、レオンハルト辺境伯の兵士たちが鮮やかに馬車をさばいていく。
太陽が西の山際に沈みかける頃。三日間、微動だにしなかった二十七台の荷馬車の列は、幻だったかのように綺麗に解消されていた。
関所を抜け、領内の広い休憩所に入った一台の馬車を、私は少し離れた場所から見つめていた。
初老の御者が、安堵の涙を浮かべながら、進めるかもしれないと今朝からつけていた重い引き具の金具を外している。
解放された馬はブルルと大きく鼻を鳴らすと、御者に引かれて石造りの水桶へと歩み寄り、冷たい水を勢いよく、何度も何度も喉を鳴らして飲み始めた。御者はその馬の首筋を、愛おしそうに撫で続けている。
「……良い景色だ」
いつの間にか、私の隣にレオンハルト辺境伯が立っていた。
彼もまた、水を飲む馬と、地面にへたり込んでようやく足を伸ばせた商人たちの姿を見つめている。
「辺境伯閣下の兵の皆様が、的確に動いてくださったおかげです。私一人では、書類の処理を早めることしかできませんでした」
「いや。君が『責任は私が負う』と言って壁を壊さなければ、私の兵も動かしようがなかった」
彼は真顔で私を見下ろし、そして、ほんの少しだけ口角を上げた。
「私は今まで、あれほど見事に数字と人の流れを読む人間を見たことがない。王都の連中は、君に何をさせていたんだ?」
「……さあ。各省庁の機嫌を損ねないように、毎日お茶会の席順を決めるような真似事をしておりましたわ」
自嘲交じりに答えると、彼は短く鼻で笑った。
「馬鹿な連中だ。あのまま君を手放したことを、いずれ後悔するだろう」
夕暮れの風が、彼の黒い外套を揺らす。
彼は空になった街道へ視線を戻し、ふと真剣な声音になった。
「これほどスムーズに荷と書類が捌けるなら……いや、君とならやれるかもしれないな」
「やれる、とは?」
「冬が来る前に、この安価な『北ルート』を使った大規模な輸送路を、正式に定期化することだ。王都から国境まで、かつてない太い商流を作れる」
彼の目には、単なる辺境の警備責任者ではない、領地を豊かにするための野心を抱いた為政者の光が宿っていた。
王宮で誰にも見られなかった私の仕事を、正面から見て、真っ当に評価してくれる人がいる。
私は、自分の領地であるこのリース伯領の乾いた土をしっかりと踏みしめ、彼を見上げて深く頷いた。




