第35話 吹雪の冬季回廊
十一月二十四日。
視界を白く染め上げる猛吹雪の中、私は国境交易都市側の低地回廊投入拠点で、凍える指に息を吹きかけながら指示書にペンを走らせていた。
「応急修理完了の報告が来ました! 本日より、回廊への投入便数を一日三便へ引き上げます!」
私の傍らで、厚手の外套を着込んだ連絡将校が大声を張り上げた。
私は頷き、集荷場に待機している御者たちへ向けて積替えの指示を出す。
ハルヴァルトの商人マティアスが集めてくれた穀物を、荷車から雪道用の橇へと換装・積替えしていく。マルクたちが作ってくれた換装具のおかげで作業は極めてスムーズだ。橇十二台で構成される『一便』の積載量は十八トン。今日と明日で一日三便、計六便・百八トンの物資をこの過酷な回廊へ流し込む計算になる。
「中央集積所向けの麻袋は、第二十一番の橇へ! 防水布の結束をもう一度確認して!」
吹き付ける風雪に声を奪われまいと、私も大声を上げる。
私は王都の住民への直接の配給権限は持たない。だが、『どの集積所へ、何便目で何を届けるか』を指定するのは私の契約上の義務だ。私はただ箱の行き先を振り分けることだけに、全神経を集中させていた。
◆
その頃、冬季低地回廊の最も険しい難所である第四吊り橋。
視界ゼロの猛吹雪の中、レオンハルトは橋のたもとに立ち、雪まみれの革手袋で橋の支柱の振動を確かめていた。
魔法の照明弾が、空中でぼんやりとした黄色の光を放っている。
「閣下! 風速が規定を超えかけています!」
副官の怒鳴り声に、レオンハルトは目を細めて風の流れを読み、軋む橋板の音に耳を澄ませた。応急修理は終わったが、木材の耐久値はまだ完全ではない。
「風が落ちた。三番の橇を通せ! 次は待て。前の一台が渡り切るまで橋へ入れるな!」
レオンハルトの力強い号令と共に、橇の部隊が間隔を守って一台ずつ橋を渡っていく。一歩間違えれば、人馬もろとも谷底へ転落する極限の現場。彼は安全責任者として、この物理的な境界線の最前線に立ち、一人の犠牲者も出すまいと命を張って指揮を執り続けていた。
彼が安全の限界を見極めてくれるからこそ、この細い代替路に大量の物資を流し込むことができるのだ。
*
その夜、投入拠点へ戻った伝令が、第四吊り橋を通過した輸送隊に負傷者はなく、レオンハルトも無事だと告げた。
私はペンを止めた。彼は橋の先で、翌朝の通行に備えているという。
詰めていた息を吐き、灯りの下で報告書を押さえ直すと、ようやく次の行へ目を移せた。
*
十一月二十六日。
投入拠点で橋の本格復旧を知らせる報告を受け、私は配車表の上限を「四便」へ書き換えた。
だが、安堵したのも束の間、事態は新たな局面を迎える。
「ヴィクトリア様! 王都へ繋がる中継塔の三番基が、吹雪による倒木で不通となりました! 王都のエミール様と塔電での連絡が取れません!」
通信士が血相を変えて飛び込んできた。
かつての王宮であれば、中央からの指示が途絶えた瞬間、誰も責任を取りたがらずに現場の物流は完全に停止していただろう。
だが、私は顔色一つ変えずに処理中の書類から目を上げた。
「慌てないで。中継塔の不通は想定内です。事前に定めた『通信途絶時の停止判断基準』に従いなさい」
「は、はい! ……風速、積雪量ともに規定値以内。現場判断での運行継続が可能です!」
「よろしい。便数上限の四便は決して超えないよう、間隔を保って投入を続けなさい」
私が指示を出すと、現場の作業員や御者たちは一切の混乱を見せることなく、黙々と橇への積替えと出発準備を進めていった。
誰も王都の指示など待っていない。私とレオンハルトが定めた明確なルールと権限の境界線の上で、この巨大な輸送チームは、完全に自立して自走していた。
そうして、交代を重ねた作業の末。
十一月三十日、夕刻。
ついに全三十便・五百四十トンの大口物資が、すべて十一月中に回廊へと投入された。
「……終わった」
最後の一便が吹雪の向こうへ消えていくのを見送った私は、執務室の机に手をつき、深く息を吐き出した。
物理的な投入作業は終わった。だが、私の心に本当の意味での安堵はなかった。
私は、手元の『王都集積所別・配送順位表』を見つめた。
王都では十一月二十日朝、放出開始前の二千二百五トンから三十一日分の千九百五十三トンを引いた二百五十二トンに、国内買付百八十トンと北の先行分百八トンを合わせ、五百四十トンが残っていた。一日四十五トンへ減らせば、十二月一日までの十二日間は繋がる。
十一月中に回廊へ入った便は、除雪隊の先導や宿駅の割当を予約した『冬季輸送隊編成』として、国境からヴァルグレン三日、そこからリース三日、王都まで五日の各行程で運ぶ。中継地に着いた日に次の区間へ出れば九日だが、今回はそれぞれ翌日まで検収・換装を行う。最初の便なら二十二日発、二十四日にヴァルグレン着、二十五日発。二十七日にリース着、二十八日発で十二月二日に王都へ着く。出発日を含め十一日だ。十一月に出たこの編成は、十二月に入っても同じ宿駅と除雪枠を引き継ぐ。深冬の追加日数が適用されるのは、十二月以降に新しく国境を発つ便からだ。
つまり、橋の損傷により一日二便に制限されていた十一月二十二日と二十三日に投入された最初の四便は、十二月二日と三日に王都へ到着する。
問題は、その二日間で到着する量が「一日三十六トン」しかないということだ。
全六集積所へ、予定していた量を届けるには足りない。私が誓約印を押したあの配送計画により、十二月二日と三日の二日間、南東集積所への新規の救恤配送は「ゼロ」となる。
南東集積所の担当人口は、約三万人。そこには、聖ミレーヌ慈善院が含まれている。
丸四十八時間、彼らには一粒の麦も届かない。
国の穀物在庫は十二月一日で尽きる。別の倉庫から同じ麦を出すことはできない。慈善院に残る自家用の根菜や乾物を融通しても、普段の食事量には届かない。どれほどの負担になるかは、現場の報告を待つしかなかった。
私の決断が、確実に誰かの痛みを引き起こす。
その重さを、私は噛み締めた。
十一月三十日、私とレオンハルトも軽い旅橇で王都へ向かった。大口便とは別に用意した継ぎ馬と先導を使い、荷を持たない連絡隊として六日で南下する。最終便以後の安全管理は、正式に副官へ引き継いだ。
十二月二日、途中の宿駅で、第一大口便が十一日の行程を終えて王都へ入ったという公用の受信票を見た。
だが、その恩恵から切り離された南東地区の集積所には、あの名誉職の慈善監督官、ロザリー・ベルナールが立っているはずだった。




