第23話 誰が誰を選んだのか
王都アレシアの最高法院。その重厚な扉が開かれ、厳かな公開審理の場に、数多の傍聴人のざわめきが響いていた。
私は被告人席に等しい召喚者席に背筋を伸ばして座り、向かい側に陣取る宰相府の検察官たちを見据えていた。傍聴席には、王宮の貴族たちだけでなく、事の成り行きを見守る大商会の代表や、一般の市民の姿も見える。
「――以上が、リース女伯ヴィクトリア・エルデンに対する疑義の全容であります!」
検察官が、大仰な身振りで声を張り上げた。
「彼女は、自身が婚約を解消されたことへの私怨から、王太子府の有能な官僚たちを不当な高待遇でそそのかし、自領へ引き抜いた! その結果、王都の秋季物流は深刻な滞りを引き起こしている。これは明らかな人材の『盗難』であり、国家に対する重大な妨害行為と言わざるを得ません!」
法廷がどよめいた。検察官の背後にある傍聴席の特別席では、ベルク宰相が冷ややかな笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。
私が国を回していたのだという事実を隠蔽し、行政の停滞の責任を『人材の引き抜き』という私の悪事にすり替える。それが彼らの描いた筋書きだった。
裁判長が静粛を命じ、私に発言を促した。
「リース女伯。検察官の主張に対し、反論はありますか」
「はい、裁判長。検察官の主張は、前提からして事実誤認に満ちています」
私は激昂することなく、手元に用意していた書類の束を一つずつ法廷の書記官へ提出した。長演説で感情に訴えかけるつもりはない。私が王宮で学んだのは、事実と数字だけが最終的に身を守るということだ。
「提出いたしますのは、当領へ移住した三十二名の元官僚および職人の『正規の退職証明書』の写しです。全員が規定の服務期間を満たし、守秘義務に関する宣誓書にも署名しております。次に、リース伯領の『公開採用規則』。当領の給与水準は王都の同職級と同等であり、不当な高給で釣ったという事実は一切ございません。元官僚は将来の王国勤続加算が止まることを、職人は前の商会との契約を清算することを承知の上で、自ら応募してきたのです」
書記官が書類を確認し、裁判長へ頷く。
検察官が焦ったように声を上げた。
「書類などどうとでもなる! 将来の恩給を捨ててまで辺境へ行くなど、常識ではありえない! 彼らは言葉巧みに洗脳され、自由な意思を奪われているのだ!」
「自由な意思がない、とおっしゃいましたか?」
私は言葉を返し、最後の一枚の書類を提出した。
「ならば、この記録はどう説明されるおつもりですか。これは先日、リース伯領を退職し、王都へ帰還した元・救恤局倉庫会計、アデル・モランの『転籍記録』および『家族住宅解約証明書』です」
法廷が再びどよめいた。
ベルク宰相の笑みが、微かに引き攣る。
「アデル・モランは、父親の病気治療と将来の生活設計を再考し、自らの意思で王都へ戻ることを選びました。私は彼女を一切引き留めず、すべての手続きを適法に支援し、送り出しました。……もし私が彼らを不当に囲い込んでいるのであれば、なぜ彼女は自由に戻ることができたのでしょうか」
検察官は言葉に詰まり、額に冷や汗を浮かべた。
私が一人失ったという『事実』が、逆に彼らが『自由であること』の最強の証明となったのだ。
だが、検察官も引き下がらない。
「そ、それは彼女一人の特例かもしれない! 残っている者たちは……!」
「ならば、本人たちから直接聞いていただくのが一番でしょう」
私は振り返り、証言席へ視線を向けた。
そこに立っていたのは、私の『所有物』ではない。自らの足でそこに立つことを選んだ、誇り高き実務家たちだ。
最初に口を開いたのは、元財務官のトーマスだった。
「私は洗脳もされていなければ、盗まれたわけでもありません」
彼は眼鏡を押し上げ、検察官を冷ややかな目で見据えた。
「私が弾き出した不正の報告書を、握りつぶさずに正当に評価し、監査ルートへ乗せてくれたのはヴィクトリア様だけでした。私は、私の数字を正しく読んでくれる場所を、自分のキャリアのために自分で選んだのです。権力に媚びるしか能のない王都の椅子など、私には無価値です」
「なっ……!」
「私も同じです」
続いてエレナが一歩前に出た。
「誰かの手柄として名前を消されるのではなく、自分の名前で仕事をするために退職しました。王宮の歯車に戻る気はありません」
職人のマルクが豪快に笑いながら身を乗り出す。
「あっしら職人も同じでさぁ! 自分の名前が刻まれた道具が使われる場所で働きたい。帰りたきゃいつでも帰れるし、戻る時も自分で戻れるってのは、アデルさんの件でよーく分かってまさぁ」
そして最後に、地元の代官であるオズワルドが、重々しい足取りで証言台の中央に立った。
「私はリース伯領の代官、オズワルド・ケインです。王宮の方々に申し上げたい」
彼の声は、法廷の隅々にまで響き渡った。
「退職してどこに住み、誰の下で働くかを選ぶ自由は、王都の人間だろうが地元の人間だろうが等しく同じはずです。それを、現場も知らぬ者が、自分たちの都合だけで『盗まれた』と権力で縛り付けようとする。……言語道断です。我が領の民の自由を侵すというのであれば、代官として断固抗議いたします」
法廷は、完全な沈黙に包まれた。
誰もが理解したのだ。彼らは不遇な被害者ではない。王都の特権を捨ててでも、自分の意思で「見えない仕事と信頼」の価値を知る場所へ移ったのだと。
人は所有できない。
信頼は、命令して縛り付けるものではないのだ。
「……以上で、尋問を終わります」
裁判長が静かに木槌を鳴らした。
判決は、火を見るよりも明らかだった。
元官僚の引き抜きおよび不当雇用の疑義は全面的に棄却された。それと同時に、ベルク宰相が提出していた『元官僚の一時帰還命令』の勅令案も、その強権性と法的根拠の薄弱さから議会で紛糾し、結果として「軍務・機密など真に義務が残る限定的な例外」にのみ適用されるよう、大幅に縮小されて可決されることになった。
ベルクの一括帰還案は、完全に退けられたのだ。
*
「やりましたね、ヴィクトリア様!」
最高法院の控室に戻るなり、エレナが涙ぐみながら私の手を取った。トーマスも小さく安堵の息を吐き、オズワルドは「当然の結果ですな」と腕を組んで頷いている。
「皆さんの証言のおかげですわ。これで、王都からの理不尽な圧力に怯えることなく、北での仕事に専念できます」
私が労いの言葉をかけようとした時、控室の扉がノックされ、王太子府の紋章をつけた伝令が飛び込んできた。
法廷の余韻が残る中、伝令は血相を変えて告げた。
「エ、エルデン公爵令嬢! 至急、王宮への登城をお願いいたします!」
「登城? 審理はもう終わったはずですが」
「法廷の件ではありません! エドガー国王陛下が、予定を早めて王都へご帰還なされたのです!」
その言葉に、控室の空気が一変した。
病気療養と外交を兼ねて長期外遊に出ていた国王陛下が戻られた。それは、王都の政治のパワーバランスが根底から覆ることを意味する。
「国王陛下は、秋季物流の深刻な混乱と、王太子府の機能不全を重く受け止められております。そして……王太子府の運営状況について、直ちに『監査』を行うよう命じられました!」
伝令の言葉に、私は思わず息を呑んだ。
私が不在となったことで綻び始めた王宮の致命的な欠陥が、ついに国家の頂点から裁かれる時が来たのだ。




