第八章 森を出る日
都市進出を目前にした、転移から約四週間後。
Fグループの女子六人は、教室からそれほど遠くない森へ採集に出た。
伊藤明美。
三原和子。
三原昭子。
中田麻衣。
田中真理。
そして、田中麻衣。
目的地は、委員長が採取地域に指定した範囲だった。
教室から遠くない。
昼間なら校舎の屋上からも、周辺の木々をある程度見渡せる。
大型魔物の目撃例はなく、出会うのはウサギや鹿ばかり。危険を感じれば逃げ、こちらから近づかなければ襲ってこない。
それでも、単独行動は禁止されている。
六人前後で行動する。
行き先と帰還予定を書き残す。
できれば先導役を入れる。
委員長が定めた条件のうち、最初の二つは満たしていた。
ヒールを使える伊藤さんもいる。
ただし、山ちゃんのように森を読める者はいなかった。
「今日は、この辺りまでにしよう」
伊藤さんが言った。
採取を始めてから一時間ほど経っている。
マジックボックスには、食用確認済みの葉物、香辛料に使える木の実、畑へ移植するための苗が入っていた。
大きな成果ではない。
だが、危険を冒して珍しいものを見つけることが、採取班の仕事ではない。
毎日の食事に必要なものを、安全に持ち帰る。
それで十分だった。
「もう少し先まで行ってみない?」
田中麻衣が言った。
「予定範囲はここまでよ」
「少しだけ。あっちに、見たことのない花がある」
木々の間に、青い花が見えていた。
大きな葉の陰へ隠れるように咲き、日の光を受けると、花弁の表面が淡く光っている。
「きれい」
中田さんも足を止めた。
「食べられるかな」
「分からないものには触らない方がいいよ」
伊藤さんが注意する。
「場所だけ地図に書いて、山ちゃんか伊沢君に見てもらおう」
「採って帰った方が早いよ」
「麻衣、待って」
田中麻衣は、すでに青い花へ向かっていた。
仲間から離れるつもりはなかった。
ほんの十メートルほど。
花を一輪摘み、すぐに戻る。
それだけのつもりだった。
低木の間を抜ける。
青い花へ手を伸ばす。
そのとき、茂みの向こうで枝が折れた。
重い音だった。
地面へ落ちた小枝を踏む音ではない。
太い枝が、力ずくで押し折られた音。
「麻衣!」
伊藤さんが叫んだ。
田中麻衣が振り返る。
茂みを割って、牛が現れた。
家畜として飼われている牛より、一回り大きい。
肩は盛り上がり、前方へ湾曲した太い角がある。黒褐色の毛に覆われ、片方の角には木の枝が絡みついていた。
牛も、驚いていた。
自分の縄張りへ突然現れた人間を見て、前脚で地面を蹴る。
「戻って!」
伊藤さんが叫ぶ。
田中麻衣は走り出した。
牛も動いた。
距離が近過ぎた。
数歩で加速した巨体が、背後から田中麻衣へ追いつく。
太い頭部が身体を捉えた。
鈍い音が響いた。
田中麻衣の身体が宙へ浮いた。
青い花を越え、低木を越え、数メートル先の地面へ落ちる。
一度だけ身体が跳ね、そのまま動かなくなった。
「麻衣!」
五人が駆け寄ろうとする。
牛が、その間に立った。
鼻から荒い息を吐き、角を振る。
再び突進する姿勢だった。
「バリア!」
三原和子が、両手を前へ出した。
半透明の壁が現れる。
牛が激突した。
バリアが大きく歪み、一撃で砕ける。
衝撃を受けた和子が、後ろへ倒れた。
「逃げて!」
伊藤さんが叫ぶ。
だが、田中麻衣が牛の向こうに倒れている。
置いて逃げることはできない。
田中真理と中田さんが石を投げた。
牛の身体へ当たる。
傷を負わせるほどの威力はない。
それでも、魔物の注意は二人へ向いた。
「こっち!」
「麻衣から離れて!」
牛が向きを変える。
五人は木々の間へ散った。
太い木を盾にし、牛の突進を避ける。
誰かが攻撃を受ければ、死ぬ。
それでも田中麻衣から離れ過ぎることもできない。
助けを呼ぶ声が、森の中へ響いた。
◇
最初に異変へ気づいたのは、校舎の屋上で見張りをしていた生徒だった。
鳥の群れが、森から一斉に飛び立つ。
その直後、遠くから悲鳴が聞こえた。
ホワイトボードを確認する。
その方角へ出ているのは、Fグループの六人。
予定の帰還時刻にはまだ早い。
しかし、何かが起きたことは間違いなかった。
警鐘代わりの板が叩かれる。
作業場に、乾いた音が響いた。
拠点に残っていた者たちが、一斉に顔を上げる。
「委員長たちを呼んで!」
近くの森で訓練していた委員長班へ、連絡役が走った。
◇
委員長たちが到着したとき、五人は牛型魔物を木々の間へ引きつけ、どうにか突進を避け続けていた。
全員が泣いていた。
恐怖で足が震えている。
それでも誰も逃げていない。
伊藤さんは、牛の向こうに倒れている田中麻衣だけを見ていた。
「委員長!」
田中真理が叫ぶ。
「あそこに麻衣が!」
委員長は、倒れている女子を見た。
動いていない。
「巧、五人を下げて! 吉見は右! 高橋と中川は槍を構えろ!」
委員長が強盾を前へ出す。
牛が、新しく現れた敵へ顔を向けた。
前脚で地面をかく。
「来るぞ!」
牛が突進する。
委員長は逃げなかった。
強盾を地面へ斜めに向け、腰を落とす。
真正面から衝撃を受けた。
全身が後ろへ押される。
靴が地面を削る。
腕が痺れる。
身体強化、強盾、強服。
三つを重ねても、完全には止められない。
それでも、牛の突進速度は落ちた。
「今だ!」
高橋と中川の槍が、左右から牛の肩へ入る。
吉見が後ろ脚を斬った。
牛が暴れ、角を振り回す。
委員長は盾で角を受け止め、さらに注意を引きつける。
「委員長!」
剛ちゃんのヒールが飛んだ。
「俺より、ほかを見ろ!」
「委員長は俺が見る!」
反論している余裕はなかった。
委員長が牛の頭部を押さえる。
高橋が槍を抜き、もう一度突く。
中川の槍が脇腹へ深く入る。
吉見が後ろ脚を斬り、牛の巨体が傾いた。
倒れた。
それでも死んでいない。
首を動かし、立ち上がろうとしている。
委員長は剣を構えた。
動けない獲物へ、とどめを刺す。
これまでなら、そこで腕が止まった。
だが、牛の向こうに田中麻衣が倒れている。
仲間を殺した魔物。
今ここで立ち上がれば、さらに誰かを殺す。
剣を振る理由は十分にあった。
委員長は、牛の首へ刃を振り下ろした。
一度。
二度。
強剣が、太い首を断つ。
血が地面へ広がる。
委員長は、自分の呼吸が荒れていることに気づいた。
手が震えている。
吐き気もする。
それでも、立っていられる。
恐怖も嫌悪も消えていない。
ただ、それらに身体を止められていない。
視界の端に、見慣れない表示が現れた。
――精神スキルを取得しました。
委員長は、表示をすぐに消した。
喜べるはずがなかった。
◇
「伊藤さん!」
巧が牛の脇を回り、田中麻衣のもとへ走る。
五人も続いた。
伊藤さんは地面へ膝をつき、震える手を田中麻衣の胸へ当てた。
呼吸がない。
首へ触れる。
脈も分からない。
「ヒール」
光が田中麻衣の身体を包む。
牛の頭部が当たった箇所。
地面へ落ちたときに負った傷。
目に見える傷が塞がっていく。
血が止まる。
折れた骨も、身体の内側で正しい位置へ戻っていく。
それでも、呼吸は戻らない。
「ヒール」
伊藤さんが、もう一度唱える。
「明美、待って」
三原和子が肩へ触れる。
「まだ。怪我が残ってるかもしれない」
「ヒール」
光が弱くなる。
魔力が尽きかけている。
「お願い。起きて」
田中麻衣の身体は動かない。
「ヒール!」
叫ぶように唱えても、結果は変わらなかった。
傷は治った。
死だけが残った。
「どうして?」
伊藤さんは、田中麻衣の胸へ手を当てたまま、委員長を見上げた。
「傷は治ったよ。全部治ったはずなのに」
委員長は答えられなかった。
ヒールは、生きている人間の傷を治す魔法である。
死者を生き返らせる魔法ではない。
創造主も、死者は蘇生しないと言っていた。
知っていた。
全員、知っていたはずだった。
しかし、実際に目の前で起きるまで、その意味を理解していなかった。
伊藤さんが、もう一度ヒールを使おうとする。
光は出なかった。
「もう、やめよう」
花ちゃんが、いつの間にか到着していた。
伊藤さんの手を取る。
「でも、麻衣が」
「もう、痛くないから」
「まだ何かできるかもしれない」
「明美」
女子同士の呼び方で、花ちゃんが名前を呼ぶ。
「もういいの」
その言葉で、伊藤さんは初めて泣いた。
◇
田中麻衣の遺体は、森へ置いていかなかった。
マジックボックスに入れようとした者もいた。
だが、収納できなかった。
所有権が自分にあるものしか入らない。
人間の身体は、生きていても死んでいても、誰かの所有物ではないらしい。
山ちゃんが木と蔓で担架を作った。
毛布を敷き、その上へ田中麻衣を寝かせる。
花ちゃんが髪と服についた土を払い、身体へ別の毛布をかけた。
委員長と巧が前を持つ。
高橋と中川が後ろを持つ。
ほかの者は、担架を囲むように歩いた。
誰も話さなかった。
森へ入るときには、六人だった。
帰りは、五人と一人になった。
教室が見えても、喜ぶ者はいなかった。
作業場で待っていたクラスメイトは、担架を見てすべてを理解した。
◇
その日の午後、三十九人全員が教室へ集まった。
机の一つを空け、田中麻衣を寝かせている。
元の制服はない。
異世界の冒険者服を着ている。
傷はヒールで塞がっているため、眠っているようにも見えた。
誰も、その席へ近づけなかった。
「ボスを倒したら、帰れるんだよね?」
田中真理が言った。
同じ田中姓。
これまで男子たちは、二人を呼び間違えないよう下の名前で区別することもあった。
今は、もう間違えることはない。
「麻衣も、帰れるんだよね?」
誰も答えなかった。
「死んだら帰れないなんて、創造主は言ってた?」
「死が確定するとは聞いた」
「それって、この世界で生き返らないという意味じゃないの?」
「帰還したら、元に戻るかもしれない」
「ボス討伐が帰還条件なら、討伐するまでは帰還の判定が行われてないんじゃない?」
「希望者だけ、この世界に残れるんだよね」
「麻衣は残るなんて言ってない。だったら帰る方になるはずだよ」
どれも、希望から生まれた解釈だった。
死者は蘇生しない。
帰還も行われない。
拓斗は、創造主からそう聞いた。
はっきり聞いたはずだった。
しかし、白い部屋で与えられた情報は多過ぎた。
制限時間は三十分。
最後には、別ルートへ転移した彼女の追加条件まで知らされた。
正確な言葉を、一字一句覚えているとは言い切れない。
あるいは、そう思いたかった。
「本田君は、創造主へいろいろ質問したんでしょう?」
伊藤さんが拓斗を見る。
「何か聞いてない?」
教室中の視線が、拓斗へ集まった。
春樹だけが、何も言わず拓斗を見ている。
拓斗が何を聞いたのか、春樹にも分からない。
ただ、拓斗が答えを知っている可能性は高い。
帰還できない。
そう答えるべきだった。
曖昧な希望を持たせれば、あとでさらに苦しむかもしれない。
それでも今、田中麻衣は帰れないと断言すれば、Fグループの五人は立ち上がれなくなる。
ボスを倒す意味を見失う者も出る。
次に死ぬのは自分かもしれない。
どうせ死ねば終わるなら、教室から出たくない。
そう考え始めれば、クラス全体が止まる。
拓斗は、嘘をつくことにした。
完全な嘘ではない。
確かめてはいない。
創造主の言葉に、別の意味がないとは証明できない。
そのわずかな隙間を、無理やり希望まで広げる。
「創造主は、ボスAを倒した時点で帰還条件が成立すると言った」
拓斗は、言葉を選びながら話した。
「希望者だけが、この世界へ残る。それ以外は元の世界へ帰る」
「だったら、麻衣も?」
「田中さんは、この世界に残ることを選んでいない」
拓斗は、田中麻衣の顔を見た。
「身体はここにある。俺たちと同じ転移者であることも変わらない。帰還判定が、ボス討伐の瞬間に行われるなら、対象から外れるとは限らない」
苦しい解釈だった。
身体があれば帰れるという根拠はない。
死亡した転移者を、帰還対象に含めるという説明もなかった。
それでも、可能性がゼロだとは誰にも証明できない。
「本当に?」
伊藤さんが尋ねる。
「帰れるの?」
拓斗は、帰れるとは答えなかった。
代わりに委員長を見た。
委員長も拓斗を見ている。
拓斗が何をしているのか、理解していた。
事実を説明しているのではない。
ここにいる全員が、明日へ進むための理由を作ろうとしている。
委員長は立ち上がった。
勇者姿の赤いマントが、椅子の背から落ちる。
今までなら場違いに見えた姿が、そのときだけは不思議なほど似合っていた。
「確かめる方法は、一つしかない」
全員の視線が委員長へ向く。
「ボスを倒すことだけだ」
教室の空気が静まった。
「ここで諦めれば、田中さんが帰れる可能性もなくなる」
委員長は、田中麻衣の眠る机へ向き直った。
「だから、倒す」
強く言い切る。
「どれだけ時間がかかっても、どれだけ強くならなければならなくても、俺たちはボスAを倒す」
声は震えていない。
「田中さんも帰す」
田中真理が、顔を上げた。
伊藤さんも、涙を拭う。
「一人も置いていかない。俺たち三十九人全員で、元の世界へ帰る」
できるという証拠はない。
正しいと保証した者もいない。
それでも、その言葉は教室にいた全員へ届いた。
田中麻衣の死によって、帰還は約束された報酬ではなくなった。
死者まで取り戻すための、戦う理由になった。
◇
田中麻衣は、教室から見える場所へ埋葬された。
結界の内側には十分な土地がない。
農園や泉から離れ、校舎の屋上から見渡せる森の縁が選ばれた。
山ちゃんが場所を決める。
水の流れがなく、木の根も少ない。
オタクトリオが木魔法で土を掘り、墓穴を作った。
冒険者セットの毛布で身体を包む。
皆が一人ずつ、何かを添えた。
青い花。
木の実。
小さな木彫り。
元の世界から持ってきたものは、何も残っていない。
だから、この世界で見つけたものを入れるしかなかった。
最後に土を戻し、木製の墓標を立てる。
名前。
転移した日。
亡くなった日。
そして、帰還予定者と記された。
誰が書いたのかは分からなかった。
誰も消そうとはしなかった。
◇
事故から数日間、Fグループの五人は教室から出られなかった。
作業場までは行ける。
部室棟にも入れる。
結界の内側なら、泉の近くまで歩ける日もある。
しかし、森へ入ろうとすると足が止まる。
葉が揺れる。
枝が折れる。
遠くから魔物の声が聞こえる。
それだけで、牛の突進と、宙を舞う田中麻衣の姿を思い出す。
夜になると、同じ部屋で泣いた。
眠れない者もいた。
伊藤さんは、何度も自分の手を見ていた。
傷は治せた。
それでも、麻衣を救えなかった。
「無理に出なくていい」
委員長は五人へそう伝えた。
「教室に残ってできる仕事はある」
料理。
洗濯。
裁縫。
農園の管理。
食料の記録。
街から持ち帰った紙への地図の清書。
武器や道具の貸し出し管理。
戦えない者にも、役割はある。
だが、それを聞いた五人は安心するより、自分たちは役に立たないのだと思った。
立ち直るには、時間が必要だった。
◇
迷宮都市へ進出する日。
居残り組は、No.24からNo.38までの十五人になった。
オタクトリオの三人。
支援男子七人。
Fグループの女子五人。
そして、No.39――田中麻衣の墓。
拠点をまとめるのは、伊沢和樹だった。
「何で俺?」
和樹は、委員長から居残りリーダーを任され、最初にそう尋ねた。
「ヒールを使える。採集もできる。毒見もできる。魔法の使い方も考えられる。何より、必要な人間を見つけて動かせる」
「最後のは、山ちゃんを探索隊に押し出したことか?」
「あれもある」
「委員長の評価基準が分からない」
「伊藤さんもヒールを使える。拠点にヒーラーが二人残れば、事故が起きても対応できる」
和樹は、都市へ向かう顔ぶれを見た。
「その代わり、向こうのヒーラーが足りなくならないか?」
「分かっている。だから、全員で一度に迷宮へ入ることはしない」
主力組にとって、ヒーラー不足は深刻だった。
しかし、精神的に傷ついた五人から伊藤さんだけを引き離すこともできない。
教室の生活を維持する側にも、治療手段が必要だった。
「山ちゃんは、狩りを頼む」
委員長が言う。
「任せろ」
山ちゃんは、この十日間で風魔法を習得していた。
春樹や魔女たちから、音を集める方法と、投射物へ風の道を作る方法を教わった。
猟師としての経験。
投的スキル。
風魔法による遠距離索敵。
魔物の分布が薄い森でも、山ちゃんがいれば一定量の獲物を確保できる。
「危険地域へは行くな」
「食料を取るだけなら、採取地域と注意地域で足りる」
「単独行動は禁止」
「分かってる」
「本当に?」
「お前は俺の保護者か」
「居残り組を預けるんだ。当然だろ」
和樹が割って入る。
「委員長。その辺にしておけ。山ちゃんには俺がつく」
「お前は拠点全体を見るんだぞ」
「拠点全体を見るために、山ちゃんを狩りへ行かせるんだ。食料がなければ全員困る」
委員長は少し考え、うなずいた。
「任せる」
「任された」
和樹は軽く答えた。
その表情には、自分が残されたという不満はなかった。
森の拠点を守ることも、迷宮攻略に必要な役割だと理解している。
◇
迷宮都市へ向かうのは、No.1からNo.23までの二十三人。
委員長。
巧。
花ちゃん。
拓斗。
春樹。
剛ちゃん。
聖女。
お嬢。
忍。
ビキニ。
主力男子。
主力女子。
魔女と魔法少女。
教室に残る者より、街へ出る者の方が多い。
全員が都市へ移住するわけではない。
まず冒険者登録を行い、迷宮の低層を確認する。
宿に泊まる者もいれば、その日のうちに戻る者もいる。
オタクトリオも、必要に応じて教室と迷宮都市を往復する予定だった。
今朝は三人とも居残り組に入っている。
だが、すでに大輔は街の工房と魔道具店へ再び行く計画を立てていた。
同じ場所に暮らしてきたクラスが、初めて二つに分かれる。
誰もが少し落ち着かなかった。
「毎日、連絡役を行き来させる」
委員長が最終確認をする。
「緊急時は予定を待たず、すぐに知らせてくれ」
「そっちもな」
和樹が答える。
「迷宮で無茶するなよ」
「分かっている」
「委員長は、分かっていても前に出るから」
「花ちゃんと巧がいる」
「剛ちゃんもいるしな」
剛ちゃんが強くうなずいた。
「委員長は俺が治す」
「ほかの者も治してくれ」
「もちろん。委員長を治したあとで」
「順番がおかしい」
重かった空気が少しだけ緩んだ。
◇
出発前、二十三人は田中麻衣の墓へ立ち寄った。
木製の墓標は、校舎の屋上からも見える。
青い花が、その前に供えられている。
彼女が摘もうとしていた花だった。
拓斗は墓標を見ながら、自分が教室で言ったことを思い返した。
田中麻衣も帰す。
三十九人全員で帰る。
何の根拠もない。
創造主の説明を考えれば、おそらく実現しない。
それでも、言葉を取り消すつもりはなかった。
ボスAを倒す。
帰還を成立させる。
その瞬間まで、田中麻衣が帰れないと決めつける必要はない。
「行こう」
委員長が言った。
二十三人が森へ向かう。
振り返れば、教室と部室棟がある。
木床の作業場。
農園。
泉。
屋上のオープンテラス。
そして、森の縁に立つ一つの墓標。
転移初日には、何もなかった場所だった。
今は、帰るべき拠点になっている。
「いってらっしゃい!」
居残り組の声が響く。
「気をつけて!」
「街でいいもの見つけたら買ってきて!」
「紙と布!」
「香辛料も!」
「魔石を無駄遣いするなよ!」
大輔の注文に、誰かが笑った。
委員長は一度振り返り、居残り組へ手を上げた。
そして、再び前を向く。
街まで三十キロ。
道は分かっている。
身体も、転移初日より強くなった。
剣や槍などの基本スキルを、新たに習得した者もいる。
魔物を狩れる。
野営もできる。
森の中で、自分たちの生活を作ることもできた。
一か月前、彼らは終業式を終えただけの高校生だった。
今は、死者を一人背負い、迷宮へ挑もうとしている。
生き延びるための一か月は終わった。
ボスAを倒すための時間が、ここから始まる。
二十三人は、森を出る日を迎えた。




