第九章 迷宮都市
朝は、いつものように訪れた。
目を覚まし、毛布から這い出す。水場へ向かい、いまだに口へ入れることに多少の抵抗がある木製の歯ブラシで歯を磨く。顔を洗って作業場へ行くころには、いつものように人がぞろぞろ集まり始めていた。
森の奥から、朝のランニングを終えた委員長たちが戻ってくる。
どこからともなく忍が現れる。
そして森の中から、ビキニアーマーという、どう考えても森を歩く格好ではない姿のビキニが出てきた。
その少しあと。
「……朝から、そんなに鍛えて大丈夫なのか?」
思わず言いたくなるほど汗だくになったお嬢が出てきた。
最近、農園で採れる果物がかなり美味しくなっている。
俺は朝食代わりの果物を黙々とかじりながら、その時を待った。
「じゃ、出発しようか。伊沢、あとを頼むな」
「了解」
委員長の、あまりにも日常的な掛け声。
それを合図に、俺たちの特別な一日が始まった。
――厳かな雰囲気は、そこまでだった。
森へ入れば、結局いつも通りである。
今回、迷宮都市へ向かうのは総勢二十三名。
少し前なら、二十三人で森の中を移動するとなれば、それだけで大仕事だった。
だが今日は違う。
遅れる者がいない。
息を切らす者もいない。
考えてみれば、みんなかなりレベルを上げている。
だいたいLV10前後。
その中でも、花ちゃん、お嬢、聖女、忍、ビキニの五人はLV12まで上がっていた。
原因は分かっている。
牛である。
こいつらは牛を狙いすぎた。
いや、正確には鍛えることそのものに取りつかれている。
森の道も、最初に来たころとはまるで違っていた。
木々を大きく伐採して道を作っているわけではない。
だが、自然に迷宮都市の方向へ進める。
少し歩くと、こちらだと分かるように草が踏まれている。
枝の向き。
木の間隔。
石の置き方。
よく見れば、人の手が入っている。
ところが振り返ると、どこから来たのか分からない。
帰り道は、法則を知っていなければ目印そのものを見つけられないようになっている。
忍か。
山ちゃんか。
たぶん両方だろう。
どちらにしても、高校生が森の中でやる技術じゃない。
そんなことを考えていると、胸の奥がわずかにざわついた。
予感。
俺が顔を上げるのとほとんど同時に、少し前を歩いていた聖女が忍へ向けて短いハンドサインを送った。
忍が音もなく森へ消える。
そのあとを、お嬢とビキニが追った。
「この先に牛がいるみたい」
花ちゃんが何でもないことのように説明する。
「魔石ゲットですわ」
森の奥から、お嬢のうれしそうな声が聞こえた。
しばらくして、低い唸り声。
枝の折れる音。
重い何かが地面を蹴る音。
そして、
ドン。
一発だけ。
それきり静かになった。
「……終わった?」
「終わったみたい」
花ちゃんが答える。
最近のやり方は決まっているらしい。
ビキニが牛の角をつかんで突進を止める。
そこへお嬢が強鈍器を叩き込む。
以上。
普通なら、猪ですら何度も剣を突き立てなければ倒れない。
それよりはるかに大きな牛が一撃。
もう、こいつらがクラスのエースでいいんじゃないだろうか。
隣を見ると、委員長が微妙な笑顔を浮かべていた。
本人も同じことを考えている気がする。
森を進みながら、委員長が今日の予定を確認する。
「街には一グループずつ入る。五分間隔」
全員が聞きながら歩く。
「入ったら冒険者組合で登録。出身地は南の森の開拓村。登録が終わったら指定した宿へ行くこと」
そこまでは事前に決めていた。
「今日は街を歩いて終わり。明日は迷宮一階層で集合する。軽く狩りをして、そのあとは解散。各自、街を見て回って慣れてくれ」
「好きに歩いていいの?」
誰かが聞いた。
「危ないことをしなければな」
「危ないことって?」
「喧嘩を売るとか」
「売らなきゃいいんだ」
「買うなよ」
そこで笑いが起きた。
やがて、木々の向こうが明るくなる。
森が途切れた。
その先に、巨大な防壁が見えた。
迷宮都市。
前に一度見たはずなのに、改めて見ると城にしか見えない。
森の中で暮らしていた俺たちからすると、それだけで別世界だった。
門が見える位置で全員が止まる。
ここからはグループごとだ。
最初はA1。
委員長、巧、山田太郎、剛ちゃん。
五分後にA2。
吉見武志、嵩原明海、高橋健三、中川謙太。
次がA3。
花ちゃん、佐藤美穂、鈴木陽子、御琴泡姫。
A4は、聖女、お嬢、忍、ビキニ。
そして俺と春樹。
そのあとに、木村由香、加藤里紗、小林圭子。
最後が、如月里紗と華沢綾乃。
改めて見ると、委員長、聖女組、魔法少女がいい感じにばらけている。
委員長、ちゃんと考えているな。
「じゃ、行くか」
「ああ」
俺と春樹も森を出た。
門に近づく。
「……門番いないな」
「ほんとだな」
出入りする人間は多い。
商人。
荷車。
冒険者。
だが、いちいち止められている様子はない。
流れ者に無頓着だとは聞いていたが、本当に無頓着らしい。
そして街へ入った瞬間。
「……すげえ」
思わず口に出た。
人が多い。
それ以上に、何でもいる。
パステルカラーの服。
目が痛いほどのビビッドカラー。
全身毛皮。
大きな羽根。
どう考えても邪魔だろうという巨大な帽子。
金具や装飾をこれでもかとつけた服。
上半身裸の人間までいる。
「獣人だ」
「いるな」
耳がある。
尻尾もある。
遠くには、耳の長い人間らしき姿まで見えた。
「あれ、エルフかな」
「隣のは竜人じゃないか?」
「分からん」
分からないことだらけだ。
少なくとも一つだけ確実なのは、忍があれだけ自分のくノ一姿を気にしていた努力は、完全に無駄だったということだ。
ビキニも問題ない。
聖女も問題ない。
魔法少女だけは少し目立つかもしれないが、それ以上に奇抜な連中が普通に歩いている。
そもそも委員長は、自分の勇者みたいな服装を最初から一度も気にしていなかった。
あれが正解だったらしい。
「ここだな」
春樹が建物を指した。
冒険者組合。
大きい。
中へ入ると、さらに広かった。
受付窓口がずらりと並んでいる。
人も多い。
「……これ、わざわざ時間ずらして来る意味あったか?」
「俺も今そう思った」
二十三人同時に入っても、たぶん誰も気にしなかった。
受付で名前、年齢、出身地、得意分野を聞かれる。
「出身は?」
「南の森の開拓村です」
「得意分野は?」
「近接戦闘」
登録料を払う。
それで終わった。
「……終わったな」
「終わった」
もっと何かあると思っていた。
新人に絡む先輩冒険者とか。
受付で馬鹿にされるとか。
登録試験とか。
そういうものは一切なかった。
みんな忙しそうにしているだけだ。
「新人に対する嫌がらせとか、しなくていいのか?」
「なんでしてほしいんだよ」
そのまま指定された宿へ向かう。
巧たちが下見していた中級宿だ。
「本田拓斗。予約していると思います」
名前を告げる。
予定通り四連泊。
料金は大銀貨二枚。
部屋について聞いてみると、一人部屋のほかに二人部屋、四人部屋もあるらしい。
なら春樹と二人部屋でもいいかと思ったのだが、宿の主人が妙な顔をした。
あとで聞いた話では、二人部屋は主に夫婦か恋人用。
男二人で入ると、現地人から妙な勘違いをされる可能性があるらしい。
四人部屋は女性の仲間同士で使うことが多い。
「……誰だよ、そこまで調べたの」
「情報収集班の皆さんだろ」
「お疲れ様だな」
本当にお疲れ様である。
俺たちは結局、一人部屋を取った。
荷物といっても、見せられるものしか持っていない。
部屋へ入って荷物を置き、一息つく。
窓から街を眺める。
人が多い。
店も多い。
今まで見たことのないものが、いくらでもある。
「拓斗」
「ん?」
「これ、情報収集大変だぞ」
「うん」
予想と違いすぎる。
もっと単純な町だと思っていた。
冒険者組合。
商業組合。
宿。
武器。
魔道具。
食料。
物流。
仕事。
何ができて、何ができないのか。
確認しなければならないことが多すぎる。
「現地人と一緒に狩りをするわけにいかないから、情報源も限られるしな」
「ああ」
俺たちは、普通の新人冒険者ではない。
装備も能力も、知られたくないものが多い。
だから人と組んで迷宮へ入るという、一番簡単な情報収集ができない。
「明日は迷宮集合のあと、自由行動を願い出よう」
「だな」
春樹が窓の外を見る。
「情報収集が第一だ」
「うん」
俺も街を見る。
迷宮都市。
ようやくここまで来た。
目的の迷宮がある場所。
そして、これからしばらく俺たちが暮らす場所。
知らなければならないことは山ほどある。
でも。
街を歩く人々を見ながら、俺は別のことも考えていた。
もし。
もし彼女も、この世界のどこかにいるのなら。
人が集まるこの街へ来ることもあるのだろうか。
まだ探しようはない。
だから今は、ここにいるしかない。
俺は窓の外を眺めたまま、見たこともないほど賑やかな街の雑踏を聞いていた。




