第三幕 野営初日
委員長を先頭に、七人の探索隊が森から帰ってきた。
十羽のウサギは、花ちゃんたちのマジックボックスに分けて収納されている。そのため獲物を担いでいる者はおらず、遠目には手ぶらで戻ってきたように見えた。
委員長の顔は暗かった。
教室の前で帰りを待っていた者たちは、その表情を見て声をかけるのをためらった。
いつか見たテレビドラマで、張り切って釣りへ出かけたのに、一匹も釣れずに帰ってきた父親がこんな顔をしていた気がする。
「お疲れ様。どうだった?」
誰かが恐る恐る尋ねた。
委員長は立ち止まり、教室の前に集まったクラスメイトを見回した。
「待たせたね」
声だけはしっかりしている。
「よい狩りになった。周囲には食べられる魔物がかなりいる。狩りを続けられれば、これから食料の心配はないと思う」
意表を突く報告だった。
一瞬の沈黙のあと、歓声が上がった。
「やったー!」
「よかった!」
「これで生きられる!」
「何を捕ってきたの?」
「ウサギに似た魔物だ。十羽仕留めた」
「十羽も!?」
暗い顔で戻ってきたので、全滅しかけたのかと思っていた者もいる。
実際には負傷者もなく、一日分を大きく上回る食料を確保している。
委員長の様子がおかしい理由を知らない者たちは、素直に成功を喜んだ。
留守を守っていたクラスメイトたちも、自分たちの成果を語り始める。
「こっちも調理場を作ったよ」
部室棟の脇、建物から数メートル離れた場所に、枝を組んだ簡単な屋根ができていた。
地面には、木材を並べた踏み板が敷かれている。
「調理場というより、まだ作業場だけどな。雨が降っても、足元が泥だらけにはならない」
「三段ベッドも作ったぞ」
オタクトリオの渡辺大輔が、誇らしげに部室棟を指さした。
「一部屋に六人。八部屋あるから、四十八人分」
「もう作ったの?」
「枠だけなら木魔法ですぐだ。寝床に敷くものは、各自の毛布と強服で何とかなる」
「強服を敷くの?」
「汚れにくいし、破れても直る。布団として優秀だぞ」
「防具を寝具として評価する人、初めて見た」
明るい笑い声が広がった。
見知らぬ森へ転移した初日である。
帰る方法も分からない。家族へ無事を知らせることもできない。
それでも、水が出る。
寝る場所がある。
そして食料も手に入った。
最低限の生活が成立すると分かっただけで、教室を覆っていた不安が少し薄れた。
その和やかな空気の中で、委員長が神妙な声を出した。
「みんな。和んでいるところ、申し訳ない」
歓声が収まる。
「試練は、これからだ」
委員長は、重大な犠牲を伴う作戦を発表するような顔をしていた。
「捕ってきたウサギを、食材にしなければならない」
何人かが首をかしげた。
「今日の夕食は、ウサギ肉のバーベキューと、探索中に見つけた謎の野菜になる。塩も胡椒もないから、正直、味には期待できない」
そこまではよかった。
委員長は一度言葉を切り、さらに深刻な表情になった。
「それから、調理風景は果てしなくグロい。無理をする必要はない。特に女子は、見たくなければ教室へ避難して――」
「さあ、始めるわよ」
委員長の悲壮な指示へ、桜井花子(花ちゃん)の声がかぶさった。
「山ちゃん。ウサギの解体指導をお願い。精神スキルを持っている女子は、山ちゃんについて習って」
「ちょっと待って、花ちゃん」
「精神スキルを持っていない女子は、全員の冒険者セットから鍋を集めて。水を汲んで、使う前に洗う。巧は男子を集めて竈を作って。謎野菜を茹でるわよ」
「俺の話、まだ途中なんだけど」
「委員長は休憩。顔色が悪い」
「しかし、俺が指示を――」
「必要になったら呼ぶから」
信じがたい仕切りだった。
だが、指示の内容は明確である。
立ち止まっていたクラスメイトたちが、一斉に動き始めた。
「精神持ってる女子、こっちに来て!」
「鍋って、このショルダーバッグの中だよね?」
「男子、石を集めるぞ。大きさを揃えろ」
「木魔法で薪を作る。細い枝と太い枝に分けるから、勝手に混ぜるなよ」
全員に一ポイントで配布された冒険者セットは、肩から提げるショルダーバッグの形をしている。
外見より少しだけ多く入り、内部は六十センチ掛ける四十センチ、深さ二十センチほどの小型マジックボックスになっている。
時間停止機能はない。
それでも、洗面器ほどの鍋、食器、毛布、タオル、替えの下着、冒険者用のシャツとズボン、靴、ナイフまで入っていた。
そして、どういう思想で作られたのか分からない木製の歯ブラシも一本。
強武器だけは、意識すれば素早く出し入れできる。
全員が最低限の旅装を持っているため、初日から煮炊きと野営ができる。
服装についても、別の服を選択しなかった者は、キャラクター作成終了と同時に冒険者の服へ着替えさせられていた。
委員長は強服を選択している。
金貨十枚分、元の世界の感覚では一千万円に相当する防具で、レベル三十相当の防御効果がある。さらに、好きな外見へ変更できる特典までついている。
委員長が選んだのは、白銀の胸当てに青い上着、赤いマントという、疑いようのない勇者スタイルだった。
誰も突っ込まなかった。
最初からあまりにも堂々と着こなしているため、触れてはいけないことのように感じられたのである。
◇
花ちゃんの指示で全員が動き始めたのを見届けると、委員長は作業場の端へ移動した。
腰を下ろした瞬間、身体から力が抜けた。
張り詰めていたものが、まとめて切れたらしい。
このまま横になって寝てしまってもいいだろうか。
目を覚ましたら、自分の部屋に戻っているのではないか。
今日一日の出来事は、終業式で居眠りした自分が見ている夢なのではないか。
「委員長」
ぼんやりしていた委員長へ、本田拓斗が声をかけた。
「明日は三班ほど編成して、岩塩を探しに行こう」
「岩塩?」
「たぶん、今日の夕食は激まずだよ」
「……確かに塩はないな」
「オタクトリオと話したんだけど、創造主は最低限、俺たちが生きていけるものを用意しているみたいだ」
水の出る施設。
食用になる魔物。
野営道具の入った冒険者セット。
敵が入れない安置。
親切と言ってよいのかは分からないが、最初から全滅させるつもりではないことは確かだった。
「だったら、塩も手に入る場所があるはずだ。海まで行かなければ塩を得られない仕様にはしないと思う」
「岩塩が近くにあると?」
「あると仮定して探す。岩塩のある岩場には、塩を舐めに来る鹿や山羊みたいな動物が集まるかもしれない。獲物の種類も増やせる」
委員長は、少しずつ現実へ意識を戻した。
「三班というのは?」
「探索方向を分ける。一班に一人、ヒールを使える人間を入れる。帰ったら相談しよう」
「分かった」
「それと、山ちゃんが目印をつけた位置関係を計測している。明日から本格的に地図を作れる」
「あれは役に立ちそうだ」
「安置の外周には柵を作った方がいい。防御のためというより、生活圏を目で見えるようにするためだ。どこから先が危険地帯なのか、全員が分かるようにする」
「調理場と作業場の整備も必要だな」
「難しい仕事は、オタクトリオに投げれば何とかなるよ」
ちょうどそのとき、大輔が木材を抱えて通りかかった。
「本田。聞こえてるぞ」
「できない?」
「できる。だが、仕様を先に決めろ。後から変更されると面倒だ」
「だそうだ」
委員長は、今日初めて少し笑った。
◇
作業場では、山形清美(山ちゃん)を中心に、ウサギの解体が始まっていた。
精神スキルを持つ者でも、血を見て楽しくなるわけではない。
気分は悪い。
臭いもきつい。
しかし、嫌悪感に行動を止められずに済む。
山ちゃんは枝へ吊るしたウサギの腹を開き、ナイフの入れ方を説明する。
「深く刺すな。内臓を傷つける。皮だけを切って、指を入れて刃を浮かせる」
「山ちゃん、本当に高校生?」
「祖父ちゃんに聞いてくれ」
「普通のお祖父さんは、孫にウサギの解体を教えないと思う」
「ウサギは初めてだ。猪なら何度もやった」
「猪?」
「竹槍で仕留めたこともある」
周囲の手が止まった。
「今、何て?」
「早く続けろ。日が暮れる」
山ちゃんは、それ以上説明しなかった。
猟師の祖父に仕込まれた彼は、野営だけでなく、竹槍一本で猪と戦い、猟銃を使えば熊撃ちまでこなす。
異世界へ来る前から、現代の高校生としては明らかにおかしい狩人だった。
それを知る者は、まだクラスにほとんどいない。
女子の中では、真田忍(忍)と瀧くれは(ビキニ)が解体に加わっていた。
二人とも、申告上は精神スキルを持っている。
実際には取得していない。
忍は小学生の頃から、本格的な体操クラブへ通っていた。歴史好きの姉の影響で忍者に憧れ、体操だけでは飽き足らず、パルクールや野営訓練まで楽しんでいる。
ビキニは、極真空手出身の父親から古武術まがいの訓練を受けて育った。
正拳突きを顔面で受けながら、相手の肋骨を打ち抜くカウンターを返す。
腹をバットで殴られ、衝撃に耐える。
少々の打撲では痣もできず、病院では注射針が通らなくて看護師を困らせたこともある。
かわいらしい顔立ちで、腹筋も縦に線が入る程度。見た目だけなら、少し鍛えた普通のスポーツ少女にしか見えない。
だが、ときどき人間としての限界がおかしい。
二人とも、血や内臓に慣れているわけではない。
それでも、怖いから動けないという発想がなかった。
「忍。そこ、切り過ぎるな」
「分かった」
「ビキニは力を入れ過ぎるな。骨ごと潰れる」
「これくらい?」
「それでも強い。もっと弱く」
「面倒ね」
「ナイフを使ってるんだから、力で解決しようとするな」
山ちゃんは二人を叱りながら、手際よく作業を進めた。
少し離れたところで、委員長は解体の様子を見ていた。
一羽目の腹が開かれたところで、顔を背けた。
二羽目で口元を押さえた。
三羽目に入る前に、静かにその場を離れた。
誰も呼び止めなかった。
◇
鍋を洗っていた拓斗は、隣に三崎彬子(お嬢)がいることに気づいた。
彼女は高級店でしか見ないような家柄の娘で、普段から持ち物も身なりも整っている。
そのお嬢が地面にしゃがみ、冒険者セットの鍋を洗っている。
「三崎さんが調理に参加するとは意外」
「なんで?」
「お嬢様だから」
「家で何もしたことがないとでも思っているの?」
「思ってた」
お嬢は鍋の水を拓斗へかけた。
「それより、三崎さんは何で冒険者の服なの?」
お嬢は、全員に配られた生成りのシャツと茶色いズボンを着ていた。
似合っていないわけではないが、強服をドレスに変えているものだと誰もが思っていた。
「金貨一枚は百万円よ」
「そうだな」
「良服が金貨一枚。レベル十相当の防御力しかないのに百万円。あり得ないわ」
「強服ならレベル三十相当だぞ」
「金貨十枚。一千万円。デザイン自由というだけで追加料金を取るなんて、完全なぼったくりよ」
「でも、精神スキルは取るんだ」
「当然でしょう」
「金銭感覚はまともなのに、精神は必要だと思ったんだな」
「気合と器があれば、たいていのことは何とかなるもの」
お嬢は、精神スキルを買うべき理由の説明になっていない言葉を、堂々と言い切った。
◇
食べられそうな植物を選別していた伊沢和樹が、赤黒い木の実を掲げた。
「俺が身体を張って見つけた木の実だ。少しぴりっとする。胡椒の代わりになるはず」
「身体を張ったって、また食べたのか?」
「死なないことは俺で実験済み」
「腹は?」
「今のところ痛くない」
和樹は次に、節のある黄色い根を見せた。
「それから、この芋みたいなのは生姜に近い。辛味と香りがある。白菜みたいな謎野菜と一緒に茹でれば、たぶんうまくなる」
「たぶん?」
「料理したことがないから、保証はできない」
「何で自信満々に発表したんだよ」
「食えることは確認したから」
和樹は、集められた野草と根菜を指した。
「無理にでも野菜を食った方がいいぞ。肉だけだと、すぐ便秘になる。ここには牛乳も野菜ジュースもないからな」
「肉を生で食えば、野菜を食べなくてもいいんだっけ?」
「エスキモーは内臓を生で食べて、ビタミンを補っているという話は聞いたことがある」
「そんな知識はいらない」
「ウサギの生レバーを食べたい者だけ覚えておけばいい」
「もっといらない」
悲鳴と笑い声が同時に上がった。
◇
異世界転移の初日とは思えない、穏やかなキャンプの光景だった。
人間は、非常事態も度を越すと、目の前の仕事をこなすしかなくなるらしい。
森に落ちている薪を拾う。
石を積んで竈を作る。
鍋へ水を張る。
肉を切り分け、木の枝を削って串にする。
火魔法を持つ者が乾いた木片へ着火すると、歓声が上がった。
木魔法を使うオタクトリオが、燃えやすい太さへ薪を加工していく。
辺りが暗くなり、竈の周りへ肉串が立ち並び始めると、全員のテンションはさらに上がった。
「これ、高一のときの登山キャンプみたいだな」
「先生がいないけど」
「先生がいない方が楽しいだろ」
「遭難中みたいなものだけどな」
「今それを言うな」
肉から脂が落ち、火が音を立てる。
煙と一緒に、焼けた肉の香りが広がった。
最初の一本へ、和樹が見つけた胡椒もどきを振りかける。
山ちゃんが火の通りを確かめてから、全員へ配った。
「食えるぞ」
最初は誰も手を出さなかった。
少し前まで生きていた、巨大なウサギ。
自分たちで殺し、自分たちで皮を剥いだ肉である。
それでも空腹には勝てなかった。
巧が最初にかじった。
肉汁が口の中へ広がる。
「うまい」
本当にうまかった。
鶏肉に似ているが、もう少し味が濃い。肉質は柔らかく、胡椒もどきの刺激が獣臭さを消している。
「何これ。普通においしい!」
「もう一本焼けてる?」
「こっちにも回して!」
肉串が次々に消えていく。
白菜に似た謎野菜と、生姜もどきを煮込んだ鍋も好評だった。
「私、普段は野菜なんか全然食べないのに、これ、おいしい」
「味つけ、ほとんどしてないよ?」
「身体が欲しがってるんじゃないか。野菜を食え、野菜を食えって」
「本当はまずいのかもしれないな」
「生存本能が、味を脳内変換してる?」
「おいしく食べてるときに怖いこと言わないで」
三十九人が、竈の周りに集まっている。
椅子は足りない。踏み板や丸太へ座り、食器を膝に乗せて食べる。
火に照らされた顔には笑みがあった。
泣き出す者はいない。
家へ帰りたいと言う者もいない。
今夜を無事に迎えられた。
その安心感が、明日の不安を一時的に遠ざけていた。
◇
バーベキュー大会のような騒ぎの中、委員長は明日の編成を考えていた。
拓斗の提案どおり、ヒール要員を中心に三つの班を作る。
第一班は、委員長、巧、熊川剛士、吉見武志、高橋健三、中川謙太。
回復役は熊川。
委員長を中心に、正面からの戦闘へ対応できる男子主体の班である。
第二班は、花ちゃん、御琴泡姫、五光聖子、三崎彬子、忍、ビキニ。
回復役は聖子。
本人の構成と衣装を考えれば、もう聖女と呼んでよいだろう。
お嬢、忍、ビキニと、見た目だけでも濃い班になる。
忍とビキニは、精神スキルを取得したと申告している。血まみれの解体作業にも平然と参加していた。
まさか二人とも精神スキルを取っておらず、素の精神力と家庭環境だけで耐えているとは、委員長は知らない。
第三班は、伊沢和樹、山ちゃん、拓斗、春樹、佐藤美穂、鈴木陽子。
回復役は和樹。
狩猟知識を持つ山ちゃん、予感を持つ拓斗、風魔法と魔法効率を持つ春樹をまとめた、探索重視の班である。
佐藤美穂と鈴木陽子には、戦闘と探索の経験を積んでもらう。
明日はこの三班で別方向を調べる。
岩塩。
水場。
獲物。
食用植物。
人間の通る道。
今日より少しだけ遠くへ進み、教室を中心とした地図を広げる。
◇
食事を終えると、部室棟のシャワーを順番に使った。
温水は出ない。
夏とはいえ、冷水を頭から浴びると悲鳴が上がる。
それでも、汗と血と煙の臭いを落とせるだけでありがたかった。
最後に待っているのは、冒険者セットの木製歯ブラシである。
「これ、本当に口に入れるの?」
「新品だろ」
「木の味がしそう」
「明日、木魔法で改良できないかな」
「毛の部分まで木だぞ。どういう構造なんだ、これ」
全員が少しずつ覚悟を決め、不審な道具を口へ入れた。
歯は意外にきれいになった。
それでも見た目に対する抵抗は消えなかった。
就寝場所は、グループと男女をもとに八部屋へ分けられた。
一階の第一部屋には、委員長を含むAグループ男子六人。
第二部屋には、Aグループ男子二人とEグループ男子二人。
第三部屋には、Eグループ男子五人。
第四部屋には、拓斗と春樹、それにオタクトリオ三人。
二階の第五部屋には、Aグループ女子四人。
第六部屋には、聖女、お嬢、忍、ビキニ。
第七部屋には、魔女と魔法少女を含むCグループ女子六人。
第八部屋には、Fグループ女子六人。
三段ベッドへ毛布を敷き、それぞれの最初の夜が始まった。
◇
第一部屋では、委員長を中心に明日の作戦会議が続いていた。
委員長はホワイトボードから写してきた班編成を床へ置き、それぞれの役割を説明する。
「深追いは禁止する。今日のウサギより危険な魔物が出たら、熊川のヒールを前提に戦うのではなく、まず撤退する」
「委員長、今日のウサギはどうだった?」
吉見に尋ねられ、委員長は一瞬黙った。
「速かった」
「強さじゃなくて?」
「速かった」
それ以上は聞くなという圧力があった。
勇者の格好をした委員長は、ウサギの首を落とせなかった。
その事実を知る者は少ない。
明日は自分でできるだろうか。
できなくても、また前に立たなければならない。
委員長は不安を抱えたまま、班員へ指示を出し続けた。
◇
第二部屋では、別の話が行われていた。
「結局、ボスは誰が倒すんだ?」
「今の時点で考えても仕方ないだろ」
「でも三年しかない。俺たち全員が強くなれるとは限らない」
「本田は何か知ってるんじゃないか?」
「どうして?」
「あいつ、質問をかなりしてたみたいだ。今日も委員長に、ずっと情報を渡してただろ」
「細川もだな」
「二人だけで何か隠してる?」
疑っているというほど強い感情ではない。
ただ、拓斗と春樹が、他のクラスメイトより多くの情報を持っていることに気づき始めた者がいた。
◇
第三部屋では、山ちゃんの野営教室が始まっていた。
「木の桶で風呂は作れるか?」
「作れる。直接火にかけたら燃えるけどな」
「じゃあ、お湯はどうする?」
「石を火で熱して、桶の水へ入れる。石を交換しながら温度を上げれば、木の桶でも湯を張れる」
「山ちゃん。その知識、おかしいだろ」
「明日から必要になる知識だ。覚えろ」
「熊を撃ったことがあるって、本当?」
「ある」
「竹槍で猪を倒したって?」
「一回だけ」
「やっぱりおかしい」
「異世界では普通になるかもしれない」
誰も反論できなかった。
◇
第四部屋では、拓斗、春樹、オタクトリオが、この世界の攻略について語り合っていた。
「木魔法は、もっと悪いことができる」
大輔が言った。
「悪いこと?」
「木製の弓を量産する。矢も規格を揃える。春樹の風魔法で射程を伸ばせば、安全地帯から一方的に撃てる」
「敵が安置の近くまで来ればな」
「罠で誘導する」
智也が続ける。
「落とし穴の底へ、木魔法で作った杭を並べる。生きている木を曲げられるなら、ばね式の罠も作れる」
「投石器も作れるぞ」
雄介が言った。
「迷宮内へ持ち込めないだろ」
「部品をマジックボックスに入れて、現地で組み立てる」
春樹が笑う。
「やっぱり、異世界転移はオタクが最強だな」
「違う」
拓斗が訂正した。
「仕様を調べて、使えるものを全部使うやつが強い。オタクかどうかは関係ない」
「それを世間では、オタクの発想と言う」
五人は、消灯時間を過ぎても話をやめなかった。
◇
第五部屋では、女子たちが強服のデザインについて話していた。
「異世界を楽しむなら、かわいい服が欲しいよね」
「でも強服、金貨十枚だよ」
「レベル三十相当の防御力なら、いつか買う価値はあるんじゃない?」
「デザインを変えるだけなら、木魔法で装飾品を作ってもらえないかな」
「布を作る魔法も欲しい」
「迷宮で服がドロップするかもしれないよ」
「それ、誰かが着ていた服じゃないよね?」
「考えない方がいいと思う」
◇
第六部屋は、部室棟で最も濃い部屋になった。
シャワーを終えたビキニが、何も身につけずに部屋へ戻ってくる。
「なんで、あなた裸なの!」
お嬢が叫んだ。
「装備を外せば、裸になるのは必然」
「下着の替えが冒険者セットに入っているでしょう!」
「強服を装備すれば見えない」
「装備するまでが見えているのよ!」
ビキニは気にせず、ベッドの上で体育座りになった。
「そのまま寝ようとしないで」
「服を着ると、敵に襲われたとき対処が遅れる」
「ここは安置よ。そもそも、あなたは何と戦っているの?」
部屋の隅では、聖女が両手を組み、目を閉じていた。
「天にまします我らが神よ。今日一日の糧に感謝し、明日の旅路に祝福を――」
忍が冷静に指摘する。
「あなたの家、お寺でしょ」
聖女は目を開けた。
「今は聖女だから」
「何、聖女ムーブをかましてるの!」
お嬢が、深いため息をつく。
「少し静かにしなさい。ほかの部屋に迷惑でしょう」
忍が、お嬢を見る。
「まるで絵に描いたような悪役令嬢」
「誰が悪役令嬢よ!」
第六部屋からは、しばらく笑い声が絶えなかった。
◇
第七部屋では、魔法の話が続いていた。
火魔法、水魔法、風魔法、木魔法。
それぞれが何をできて、何をできないのか。
魔女たちは、真剣に発動条件と消費MPについて議論している。
一方、魔法少女二人の関心は別のところにあった。
「技の名前を先に決めようよ」
「効果が分からないのに?」
「技より、まず変身でしょう」
「強服は一瞬でデザインを変えられるよね。変身の台詞を言っている間に着替えられるかな」
「変身中に攻撃されたら?」
「そこは敵が待つのが礼儀じゃない?」
「魔物に礼儀を要求しないで」
研究は、初日から迷走していた。
◇
第八部屋は、ほかの部屋より静かだった。
誰かが小さな声で言った。
「もう、ホームシックかも」
返事はなかった。
やがて、暗闇の中で鼻をすする音がした。
「私も」
「お母さん、心配してるかな」
「こっちで三年たって帰ったら、向こうでも三年たってるのかな」
「分からない」
「帰れるよね?」
誰も、確実に帰れるとは言えなかった。
それでも、隣のベッドから手が伸びた。
「今日は寝よう。明日考えよう」
「うん」
一人で泣き始めれば、不安は止まらなかったかもしれない。
六人で同じ部屋にいたから、眠ることができた。
◇
教室と部室棟の明かりが、一つずつ消えていく。
森の暗闇は深かった。
どこか遠くから、昼間には聞かなかった低い鳴き声が響いた。
しかし、安置の中へ入ってくるものはない。
三十九人は、異世界で最初の夜を迎えた。
狩りができる者。
料理をする者。
建物を作る者。
地図を描く者。
回復する者。
人をまとめる者。
まだ何もできない者。
今日の時点では、それでよかった。
明日から少しずつ、自分にできることを探せばよい。
夜は、静かに更けていった。




