諸経費の迷宮と、消えた三十万円
仲介手数料だけで満足するような「よいこ」は、この会社には一人もいませんでした。
いよいよ物語は、不動産取引の総仕上げである「決済」へと進みます。そこで私を待ち受けていたのは、計算機の数字を魔法のように膨らませる、平山流の「諸経費錬金術」でした。
「お〜い平山! 山下さんのローンOK出たよな。富ちゃん、決済まで面倒みたれや」
山本部長の号令に、平山さんが「うっそぉ〜ん!」と大仰にのけぞった。
「勘弁してくださいや、部長! しょうみ、疲れますわ!」
「ええやんけ。富ちゃんはお前の息子みたいなもんや。息子や思うて『横付け(徹底指導)』したれ!」
「……しゃーないですな。そっか、息子ね……富ちゃんかわいいしな、ウフ」
平山さんのねっとりした視線に、私は背筋が凍った。
「キモ……。よろしくおねがいします!」
こうして私は、不動産取引のクライマックス「決済」のいろはを学ぶことになった。
決済とは、文字通り「金の精算」だ。
物件の残代金はもちろん、登記費用、印紙代、保険料……。山のような諸経費を精算しなければならない。私は自分なりに住宅情報誌(リクルートさん、お世話になりました)を読み込み、完璧な「諸費用計算書」を作成した。
「出来ました! チェックお願いします!」
意気揚々と差し出した計算書を、平山さんが鼻を鳴らしながら眺める。
「……ん? なんじゃい。この『登記費用(司法書士報酬含む)三十五万』っちゅーんは?」
「はい。免許税は決まっていますし、司法書士によっては多少違いますから、報酬も相場より少し多めに見積もりました。住宅情報誌を見て勉強しました!」
自信満々に答える私に、平山さんは冷たく言い放った。
「アホケ! そんな嘘ばっかり書いてる本、信じるな。……ええか、そこ『七十万円』に書き直しとけ」
「な……七十万!? 倍じゃないですか! さすがにそんなにかかりませんよ!」
私の反論に、平山さんはデスクを叩いて身を乗り出した。
「ごちゃごちゃうるさい奴っちゃな! お前さっき『司法書士によって多少違う』言うたよな? ということはやな、金額は自由っちゅーことや。なんぼ取ってもええねん!」
「でも、報酬基準を大幅に超えてますよ……」
「全部司法書士に渡すわけないやろ! 実費三十万、司法書士に礼金十万。残りの三十万は『うちの売上』や!」
平山さんは、まるで「信号が青なら渡る」と言うのと同じくらい当然の顔で続けた。
「客なんか計算わかれへんし、家のことで頭いっぱいや。他の不動産屋もみんなやっとることや。これは『慣習』や、慣習! 黙って書け!」
私は震える手で数字を書き換えた。しかし、もう一つ、どうしても理解できない項目があった。
「……平山さん、この『ローン取組手数料』ってなんですか? 銀行に払う事務手数料とは別に計上されてますが……これ、誰が貰うんですか?」
「ああ、それか。それはうちが貰うんや」
平山さんはタバコに火をつけ、紫煙を吐き出しながらさらりと言った。
「そやな、三十万円って書いといてや」
「さ……三十万!? なんでですか!? 何の手数料なんですか!?」
私の悲鳴にも似た「なんで攻撃」に、平山さんはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
修正液で契約書を「かきあげ」、税務署で「大芝居」を打ち、今度は諸経費で「中抜き」をする。
山下さんが夢に見たマイホームは、その完成を前に、パンチパーマの軍団によって徹底的に「搾取」の対象へと変貌を遂げようとしていた。
果たして、この「三十万円」の正体とは?
そして、このデタラメな計算書を突きつけられた山下さんは、一体どんな反応を示すのか。
決済という名の「最後の審判」が、刻一刻と近づいていた。
■業界用語解説:司法書士報酬の中抜き
「司法書士報酬の中抜き」とは、不動産会社が司法書士に支払う報酬をあらかじめ多めに見積もって客に請求し、その差額をキックバック(紹介料)として回収する行為です。
当時の状況: 2003年以前は「報酬基準表」がありましたが、実際には上乗せして請求し、裏で不動産業者と分け合う「慣習」が一部で行われていました。
現在の状況: 消費者意識の高まりと、司法書士による見積書の直接交付の徹底などにより、こうした不透明な上乗せは非常に困難になっています。
「なんで攻撃」を繰り返す富ちゃん。しかし、その声が届かぬほどに、この業界の「慣習」という名の重圧は強く、深い。
三十万円の「取組手数料」の正体が明かされる次回……富ちゃんの正義感は、いよいよ限界を迎えそうです。




