税務署の狂騒曲と、五万円の共犯
嘘が「夢」に変わり、犯罪スレスレの工作が「人助け」にすり替わる。税務署という国家権力の牙城で繰り広げられたのは、泥臭くも計算され尽くした、あまりにも鮮やかな「水戸黄門のような(?)の茶番劇」でした。
平山さんの怒号、奥さんの熱演、そして掌を返した役人の態度。富山さんが共犯者として最初の一歩を踏み出してしまった、決定的な一日を描きます。
午前十時、税務署。
私と平山さんは、路線価の閲覧台で小難しい顔をして図面を広げていた。だが、視線は一点、中央窓口に注がれている。
「富ちゃん、奴さん来たで」
現れた山下さん夫婦は、悲壮な決意を顔に張り付けていた。特に奥さんは顔を上気させ、今にも爆発しそうな気合が伝わってくる。
「すんませーん! 先日の修正申告、元に戻してほしいんですわ!」
「は? 元に戻す? 何を言ってはりますの」
横柄な署員の態度に、奥さんのスイッチが入った。
「このアホ亭主が家買う言うて、不動産屋に騙されて収入もないのに申告しよりましたんや! 犯罪? そんなん知らんわ! 子供もおんねんで!」
泣き叫びながら亭主の頭を叩く奥さん。その凄まじい熱演に、周囲の空気が凍りつく。署員が慌てて奥の「偉い人」を呼びに行った。
「そろそろ出番やな」
平山さんが、野獣のような笑みを浮かべて立ち上がった。
「おんやぁ? 山下さんですやん! どうかしはりましたん?」
「あ、町内会長の平山さん!」
ここからは平山さんの独壇場だった。「町内会長」という、公務員が最も扱いをめんどくさがる『地元の顔』を演じ、窓口を震え上がらせる。
「おいお前! 人が下手に出とったら、ちょーしこいとったらあかんど!」
「虚位? なんじゃその横文字は! 人がアホや思てカタカナ並べやがって!」
日本語である「虚偽」すら横文字と言い切り、強引にペースを握る平山さん。
「署長呼べ! 藤田町の平山言うたら知っとるわ!」
その凄まじい「やから(凄み)」に、ついに奥から課長が出てきて、平山さんをVIPのごとく応接室へ招き入れた。
わずか十分後。
平山さんは満足げに鼻を鳴らして出てきた。
「話はつきました。山下さん、手続きしなはれ」
役所という場所が、これほどまでにあっけなく折れるものなのか。私はその光景を呆然と見送るしかなかった。
向かいの喫茶店「カレン」で、平山さんは勝利の美酒ならぬ「レーコ(アイスコーヒー)」をすすっていた。
「役所っちゅーのは、強いものには弱く、弱いものにはめっきり強いんや」
そこへ、手続きを終えた山下夫婦が駆け込んできた。
「平山さん、本当にありがとうございました……!」
涙ながらに差し出された一通の封筒。平山さんは一度は「受け取れまへん」と様式美を見せたものの、二度目にはいとも簡単に懐へ入れた。
夫婦が去った後、平山さんが中身を確認する。
「おおっ! 五万も入っとるやないかい! 富ちゃん、今日はねーちゃんとこ連れてったるわ!」
「えっ!? 会社に報告しないんですか?」
「アホか、わしにくれたんや。……お前、バラしたらあかんど。一緒に行くからお前も『共犯』や。ガハハ!」
共犯。
その言葉が、レーコの氷の音と一緒に胸に沈んだ。
人の弱みにつけ込み、役所を怒鳴りつけ、工作を手伝い、その「お礼」として流れてきた五万円。
「富ちゃん、この世界から抜けられんようになるで」
平山さんの不敵な笑みを見ながら、私は自分の中にある「正義」という名の防壁が、ボロボロと崩れ去っていくのを感じていた。
悪徳か、救済か。
その境界線が溶け出した喫茶店の片隅で、私はついに、この「魅力的な地獄」の住人として、逃れられない契約を結んでしまったのかもしれない。
■業界用語解説:やから(凄み)
「やから」とは、関西方面の言葉で、因縁をつけたり、強硬な態度で相手を威圧したりすることを指します。
不動産業界でのテクニック: 相手が「面倒なことになりそうだ」と感じるラインを見極め、強引にこちらの要求を通す手法として(当時は)使われていました。
町内会長設定: 役所は「地元の有力者」や「陳情」に弱いため、役職を偽る、あるいは強調することで、事務的なルールを突破するための心理戦術です。
富ちゃん、ついに「共犯者」になってしまいました……。
「レーコ」を飲む平山さんの姿が、まるで地獄の案内人のように見えます。この後、初めての「ねーちゃん」の店で、富ちゃんはどんな夜を過ごすのでしょうか? 物語はさらにディープな方向へ進んでいきそうです。




