修正液の魔術師と「かきあげ」の罠
「自己資金0円」という魔法の言葉。その裏側にあるのは、もはや「営業努力」などという生易しいものではなく、立派な犯罪の領域に足を踏み入れた「錬金術」でした。
富山さんが目撃した、修正液一本で数百万を動かす恐怖のテクニック「かきあげ」。そして、立ちはだかる「年収」という冷酷な壁……。物語はさらに危険な領域へと突入します。
「富ちゃん、ええか。これが『ない袖を振らせる』方法や」
平山さんがニヤリと笑い、デスクで一本の修正液を取り出した。彼が手元に置いているのは、お客様と結んだばかりの売買契約書のコピーだ。
そこにははっきりと「売買代金:二五〇〇万円」と記されている。
平山さんは迷うことなく、その数字を白い液体で塗り潰した。
乾くのを待ち、手慣れた筆致で数字を書き入れる。
「二八五〇万円」
わずか数分の作業で、物件の価値が三百五十万円も跳ね上がった。これを銀行に提出し、融資を引き出す。実勢価格より高い金額でローンを組ませ、浮いた分で頭金や諸経費を賄う——。
業界用語で「かきあげ」と呼ばれる、明白な私文書偽造、そして銀行に対する詐欺行為だ。
「(……こんなことが、こんなに簡単に通ってしまうのか?)」
私は震える手でそのコピーを見つめた。銀行員もプロのはずだが、当時は書面上の数字がすべてだった。この偽造された一枚の紙が、お客様の人生を狂わせる「偽りの借金」の土台となっていく。
さらに、この「裏工作」には法外な報酬が付いてくる。
中田主任や平山さんは、汗を拭う芝居をしながらお客様にこう告げるのだ。
「いやぁ、お客さん! ローン、えらい苦労しましたわ〜。あちこちの銀行に頭下げて、ようやく通したんですわ!」
実際には修正液を塗っただけだ。しかし、恩を着せられたお客様は「ありがとうございます!」と感激し、通常の仲介手数料とは別に「ローン事務手数料」として三十万から五十万円もの現金を差し出してしまう。
中には、ローン金額をさらに「かきあげ」て、浮いた金で新車や豪華な家電を買おうとする欲深い客もいた。彼らは、その代償として一生、割高な金利を払い続けることになるのだが……。
しかし、ここで新たな問題が浮上した。
今回の二七〇〇万円という融資を通すには、銀行の「返済比率」という厳しいルールをクリアしなければならない。
「年収の四〇%以内」。
ざっと計算して、最低でも年収四五〇万円という条件が必要だ。
「平山さん……。このお客さん、年収は大丈夫なんですか?」
私が恐る恐る尋ねると、平山さんはタバコの灰を床に落とし、不敵な笑みを浮かべた。
「富ちゃん、お前はまだ甘いのぉ。金がない客に年収があるわけないやろ」
平山さんの手元にある源泉徴収票のコピー。
そこに記された数字は、二七〇〇万円のローンを組むにはあまりにも心許ないものだった。
「(……年収が足りない。銀行の審査に落ちるじゃないか)」
私が絶望的な予感を抱いたその時、奥の席で新聞を読んでいた山本部長が、ゆっくりと顔を上げた。
パンチパーマの奥で、獣のような目が爛々と輝いている。
「年収か……。まぁ、それも『かきあげ』みたいなもんやな。富ちゃん、世の中にはな、『源泉』を作る職人がおるんやで」
年収すらも「捏造」する。
よいこ不動産の闇は、もはや一企業の暴走を超え、社会のシステムそのものを嘲笑うかのような深みへと私を引きずり込んでいくのだった。
■ 業界用語解説:かきあげ(水増し契約)
「かきあげ」とは、実際の売買価格よりも高い金額を記載した契約書を偽造し、銀行から余剰な融資を引き出す行為です。
リスク: 銀行に対する詐欺罪、私文書偽造罪に問われる重大な犯罪です。
現在: 銀行は契約書の原本確認、振込履歴の照合、近隣相場との比較を徹底しているため、現代でこれを行うのはほぼ不可能です。(ほぼです。。)
自己資金ゼロという「夢」を叶えるために、富ちゃんが見たのは「修正液」という名の魔法の杖。しかし、その魔法が解けた時、残るのは膨大な借金だけです。
次は、ついに「年収」という動かしがたい数字をどう「工作」するのか……。緊迫の展開が続きます。




