自己資金ゼロの「夢売り人」
中田主任が「現金をゴミ箱に捨てる」という狂気のパフォーマンスを見せた裏で、事務所ではもう一つの「魔法」が日常的に行われていました。それが、一銭も持たない客に数千万円の借金を背負わせる「自己資金ゼロ」のカラクリです。
今回は、パンチパーマ軍団の中でも一段とガラの悪い平山さんの鮮やかな成約と、山本部長による「夢売り人」の正体について描きます。
「はい! 住まいの『よいこ不動産』です!」
事務所に響く平山さんのダミ声。電話の主は、チラシの「自己資金0円」という景気のいい見出しに吸い寄せられた獲物だ。
「はいっ! 買えますよ、一銭もなしで! ……それよりお客さん、まずは物件を決めんと話になりまへんわな。今から迎えに行きますわ!」
流れるようなまくしたてで客を連れ出した平山さんは、わずか四十分後、満面の笑みで帰還した。
「平山さん、もう決まったんですか?」
「当たり前やがな! 金ない客はすぐ決まんねん」
「なんでですか?」
鼻で笑う平山さんに食い下がると、彼は面倒そうに顎で奥のデスクを指した。「部長、また富ちゃんの 『なんで攻撃』や。あと頼んますわ」
「あのなぁ、富ちゃん。貯金一銭もないお前が、家買えるなんて思うか?」
山本部長がタバコをくゆらせながら聞いてくる。
「とんでもない。夢のまた夢ですよ」
「そやろ。それがやな、チラシに『0円でOK』って書いてあったらどや? 最初は疑うけど、日が経つにつれ『一回聞いてみよか』ってなってくんねん。みんな自分の城を持ちたいねんから」
部長はニヤリと笑い、この業界の禁断の果実について語り出した。
「そこで『のせれる物件』の出番や。たとえば2000万の家があるわな。それを客には『2300万です』って言うんや。ほんだらどや、300万浮くやろ?」
「……えっ、300万ものせて売るんですか!?」
「そや。仲介手数料と合わせりゃ360万以上の儲けや。もちろん、売主の業者にも『バック』として100万くらい握らせる。そしたら売主も『次も頼むで』ってなるわけや。WIN-WINやな」
私は耳を疑った。相場より300万円も高く買わされている客は、その浮いた300万円分を結局、その分もすべてローンとして、客の肩に重くのしかかるのだ。
「でも部長……それって人の弱みにつけ込んだやり方じゃないですか?」
思わず口をついた正論に、部長の目が鋭く光った。
「富ちゃん! それを言ったらあかんわ。資本主義なんてのは、みんな誰かの弱みをついて儲けとんのや。ええか、ワシらは不動産に縁がない奴に、財産を持たせてやる『夢売り人』なんやで!」
部長は椅子から身を乗り出し、まるで説教でもするように言葉を重ねた。
「不動産はみんなの夢や。その夢を叶えてやるんやから、そのくらいの報酬は当然やろ。……まぁ、そういうことにしとけや、な? 富ちゃん」
「(……また丸め込もうとしてる)」
部長の言葉には、毒々しいほどの説得力があった。嘘を「夢」と言い換え、負債を「財産」と呼ぶ。
当時の若かった私は、その論理に圧倒され、「社会とはこういう汚い場所なのだ」と自分を納得させるしかなかった。
こうして私は、リクルートカットの爽やかさを少しずつ削ぎ落としながら、悪徳と情熱が渦巻く「不動産の深淵」へと、さらに深く足を踏み入れていくのであった。
業界用語解説:のせ(上乗せ)
「のせ」とは、実際の販売価格に一定額を上乗せして広告・商談を行う手法です。
目的: 自己資金がない客に対し、上乗せ分を「諸経費」や「頭金」に回す(見せかける)ため、あるいは純粋に利益を増やすために行われます。
リスク: 現在では銀行の担保評価が厳しくなり、大幅な「のせ」は困難ですが、当時はこうした不透明な取引が横行していました。
「金のない客は物件を吟味せず、ローンが通るかだけを心配する」という部長の言葉は、恐ろしいほどに心理を突いています。富ちゃん、ついに「悪の論理」に染まり始めてしまいました。




