消える四十八年ローンと、中田の甘い罠
パンチを当てていない「優等生」中田主任。その正体は、山本部長や横田課長の「剛腕」とはまた違う、静かに、そして確実に獲物を追い詰める「毒蜘蛛」のような営業マンでした。
富山さんが目撃した、あまりにも鮮やかで恐ろしい「中田マジック」の後半戦を描きます。
「そうですか……それは残念ですね」
予算の壁にぶつかったお客様を前に、中田主任はあっさりと引き下がった。……ように見えた。
「お客さん、もしお時間があるなら、今後の参考までに『うちが建てた完成物件』を見に行きませんか? どんな家が建つのかイメージだけでも湧くと思いますよ」
中田主任の笑顔はどこまでも親切だ。お客様も「悪いわねぇ、買わないのに……」と恐縮しながらも、その誘いに乗ってしまった。案内されたのは、他社(B社)が販売中の4500万円の超高級物件。タイル張りの外壁に最新の設備。目の保養には最高だが、今の客に買えるはずもない「高嶺の花」だ。
しかし、中田主任はダイニングに立つと、魔法をかけるように語り始めた。
「奥さん、ここに冷蔵庫を置いてね、こっちに食器棚。朝はここから光が入って……」
具体的な生活動線を語られ、お客様の頭の中に「幸せな家族の風景」がカラーで再現されていく。
「……素敵。でも、お高いんでしょう?」
「いいえ、同じですよ。この建物と同じものが、さっきの現場に建つんです(大嘘)」
お客様は、夢のような家を前にして、ついに禁断の「支払い能力」を口にした。
「……毎月13万と、ボーナス25万くらいなら、払う覚悟はあるんですけど……」
その瞬間、中田主任のスイッチが入った。
「ええっ!? そんなに支払えるんですか!? じゃあ、充分さっきの物件(3400万円)は購入可能ですよ!!」
中田主任は、まるで自分のことのように興奮し、身を乗り出した。
「え? でも別の不動産屋では、2700万円が限度だって言われたんですけど……」
不安がるお客様に、主任はトドメの一撃を食らわせる。
「それは『他社』の話でしょう? うちは銀行と特別に提携してますから! その支払い額であの物件、バッチリ買えますよ!!」
「本当……? 本当にその支払いで買えるなら……」
お客様の瞳から、疑念が消え、希望の光が宿った。
隣で見ていた私は、背筋が凍る思いだった。中田主任の言っていることは、算数の計算すら合っていない。当時の金利6%でその支払いなら、どう考えても2700万円が限界なのだ。
事務所に戻る車中、私は混乱していた。
(提携ローンなんて嘘だ。銀行の審査が通るわけがない。一体どうやって契約させるつもりなん……?)
その「からくり」は、あまりにも稚拙で、それゆえに悪質だった。
通常、住宅ローンの最長期間は35年。しかし、中田主任はお客様に渡す資金計画書に、とんでもない数字を叩き込んでいたのだ。
「支払い期間:48年(576回払い)」
期間を13年も延ばせば、月々の返済額は見かけ上、劇的に安くなる。お客様は「13万円で収まるなら!」と、目の前の魔法の数字に飛びつき、ついに契約書に判を突いてしまった。
……だが、現実は無情だ。
契約後、銀行に住宅ローンの審査を出せば、当然「35年まで」と突き返される。
35年になれば、月々の支払いは一気に跳ね上がる。13万円で収まるはずだった生活は、その瞬間に崩壊する。
(……これ、後でどうするんですか? 銀行でバレますよね?)
私が小声で尋ねると、中田主任は窓の外を眺めたまま、いつもの爽やかな、しかし感情の消えた声で囁いた。
「富ちゃん……。契約さえ取ってしまえば、あとは『銀行が厳しくて35年しか無理だった』って謝ればええんや。その時、客はもう手付金を払っとる。後戻りはできへんのや……」
パンチを当てていない「いい人」中田主任。
その正体は、お客様の「人生」を担保に契約を獲る、最も冷徹な「コウノトリ」だったのである。




