第3話: 「城」
勇者は一人で歩いていた。
誰にも告げず。
夜明け前に出た。
聖女は眠っていた。
賢者は書物を抱えたまま机に伏していた。
暗殺者は起きていた気がしたが、声はかけなかった。
背中が軽い。
仲間がいないという意味で。
重い。
自分だけが残ったという意味で。
魔王城は遠くに黒く立っている。
空は曇っていた。
何をしに来たのか、はっきりしない。
倒すためか。
確かめるためか。
終わらせるためか。
城門は開いていた。
拍子抜けするほど静かだった。
罠もない。
兵もいない。
勇者は中へ入る。
足音が石に響く。
広間の奥。
一人、立っている。
魔王。
剣を持たず、背筋を伸ばし、ただ立っている。
勇者は言う。
「久しぶりだな」
魔王はわずかに口元を上げる。
「遅かったな」
声は穏やかだ。
勇者は肩を竦める。
「放浪してた」
「知っている」
魔王は一歩も動かない。
「困り事を解決していたそうだな」
勇者は目を細める。
「監視か?」
「違う」
魔王は静かに首を振る。
「情報が勝手に余の耳に届くだけだ。」
沈黙。
広間は広いのに、音が重い。
勇者は剣を抜かない。
魔王も抜かない。
やがて勇者が言う。
「やっぱ、一回ちゃんとやっときたいなって」
魔王の眉がわずかに動く。
「何をだ」
「俺が勇者なのかどうか」
言ってしまった。
口に出した瞬間、軽くなる。
魔王は笑わない。
ただ、問い返す。
「貴様はどう思う」
勇者は黙る。
長い沈黙。
魔王は歩き出す。
玉座の横。
そこに鏡がある。
大きな、古びた鏡。
「見るか」
勇者は眉を寄せる。
「何を」
「貴様だ」
勇者は動かない。
魔王は鏡の前に立つ。
「余は魔王だ」
一拍。
「だが」
わずかに息を吐く。
「鏡に映るのは、ただの男だ」
静寂。
「役割は外側に貼り付いた名札にすぎぬ」
勇者は一歩、鏡へ近づく。
映るのは自分。
痩せた顔。
疲れた目。
迷い。
「勇者様だな」
魔王が言う。
勇者は顔をしかめる。
「やめろ」
「では何だ」
鏡の中の自分は答えない。
魔王は続ける。
「貴様は“勇者”としてここへ来たのか」
勇者は首を振る。
「……わからねぇ」
それが本音。
魔王は小さく頷く。
「それでいい」
勇者が顔を上げる。
魔王の目は静かだ。
敵意はない。
「余もな」
一瞬の間。
「己が魔王である必要があるのか、考えたことがある」
勇者の胸が揺れる。
「なら」
言いかけて、止まる。
魔王が続ける。
「だが磨く」
「己を」
剣を持つ。
構えない。
ただ、握る。
「戦うかどうかではない」
視線が交わる。
「どう在るかだ」
勇者の喉が鳴る。
「俺は……」
言葉が出ない。
魔王が静かに問う。
「鏡に映った貴様は、どう見える」
勇者は見る。
勇者らしくない。
誇りもない。
輝きもない。
ただ迷っている男。
小さく呟く。
「空っぽだ」
魔王は否定しない。
肯定もしない。
「なら埋めろ」
それだけ。
「余は余を磨く」
静かな宣言。
「貴様はどうする」
勇者は剣を抜く。
だが構えない。
「……まだわからねぇ」
正直な声。
魔王はうなずく。
「なら、今日は帰れ」
勇者は目を見開く。
「いいのか」
「貴様が貴様でないまま立ち会っても、意味はない」
魔王は剣を下ろす。
「また来い」
広間に静寂が落ちる。
勇者はゆっくり剣を納めた。
振り返る。
歩き出す。
城を出る。
空は少しだけ明るい。
雲が薄く裂ける。
勇者は空を見上げる。
何も解決していない。
だが、
ほんのわずか、
息がしやすい。
魔王城の麓。
岩場に背を預け、勇者は座っていた。
城は背後に黒く沈んでいる。
夜は静かだ。
虫の音もない。
剣を横に置く。
手はまだ震えている。
戦っていないのに。
「空っぽ、か」
自分で言った言葉が耳に残る。
鏡に映った顔。
誇りも確信もない。
“勇者様”
その呼び名が重い。
勇者は目を閉じる。
思い出す。
最初に剣を握った日。
村が襲われた日。
助けられなかった命。
守りたいと誓った夜。
あのときは、確かに燃えていた。
“誰も泣かせない”
それだけで十分だった。
いつからだ。
“必要とされたい”
に変わったのは。
胸の奥が軋む。
困り事を探して歩いた。
解決すれば感謝される。
感謝されれば、まだ勇者でいられる。
いられる?
勇者は目を開く。
夜空は曇っている。
星は見えない。
「俺は」
声が小さい。
「役割がないと、生きてられねぇのか」
答えは返らない。
城の影が長い。
勇者は剣を手に取る。
鞘から少し抜く。
刃が鈍く光る。
「お前は、俺の何だ」
勇者の証か。
ただの武器か。
世界の装置か。
自分の延長か。
わからない。
ふと、暗殺者の声がよぎる。
“今のお前を、前のお前はどう思う”
胸が痛む。
あの頃の自分は、今の自分を軽蔑するだろう。
被害が出ればいいと、ほんの一瞬でも思った自分を。
「最低だ」
もう一度言う。
だが今回は、
誰かに聞かせるためではない。
ただ事実として。
勇者は立ち上がる。
城を見る。
倒せば終わる。
魔王を斬れば、世界はまた“勇者”を必要とする。
だが。
それでいいのか。
“勇者だから斬る”
それは楽だ。
考えなくていい。
役割に従うだけでいい。
「違う」
小さく否定する。
「それじゃ、俺ではない。」
風が吹く。
雲がわずかに流れる。
城の塔が月に照らされる。
勇者は剣を地面に突き立てる。
その前に膝をつく。
祈りではない。
誓いでもない。
ただ、考える。
何が欲しい。
名声か。
称号か。
必要とされることか。
違う。
胸の奥を探る。
深く。
もっと深く。
静かな記憶。
聖女の笑顔。
賢者の呆れた顔。
暗殺者の冷たい目。
魔王の静かな問い。
“どう在るか”
勇者はゆっくり息を吸う。
「俺は……」
言葉がまだ見つからない。
だが、
“勇者であるかどうか”ではない。
“どう生きるか”だ。
その感覚だけが、かすかに残る。
夜が更ける。
やがて東の空がわずかに白む。
雲が薄く裂ける。
細い光が差す。
勇者は立ち上がる。
剣を抜く。
城を見る。
「俺には、まだアイツの前にたつ資格がない。」
それは逃げではない。
確認だ。
自分を。
城を背に、勇者は歩き出す。
仲間の元へではない。
世界の方へでもない。
ただ、
“自分で選ぶ道”を探すために。
朝の光が、わずかに地を照らす。
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