第4話 :「あなた」
勇者が戻ったとき、朝はもう高くなっていた。
聖女は庭にいた。
小さな花壇に水をやっている。
白い衣が風に揺れる。
勇者は立ち止まる。
声をかけるべきか、迷う。
聖女が振り返る。
「おかえりなさいませ」
いつも通り。
何も問わない声。
勇者は目を逸らす。
「……ちょっと、城までな」
「はい」
それだけ。
責めない。
詮索しない。
勇者は苛立つ。
「何も聞かないのかよ」
聖女は首を傾げる。
「聞いてほしいのですか?」
言葉に詰まる。
聞いてほしいのか。
止めてほしかったのか。
わからない。
聖女は水差しを置く。
勇者の前に立つ。
距離は近い。
だが触れない。
「お顔が、少し違います」
勇者は笑う。
乾いた笑い。
「空っぽだってよ」
聖女は目を細める。
否定しない。
同意もしない。
ただ、静かに言う。
「わたくしは」
一拍。
「勇者様を見ているのではございません」
勇者の喉が鳴る。
聖女は続ける。
「あなたを、見ております」
風が止まる。
音が消える。
勇者は動けない。
「強いからでも」
「必要だからでも」
「世界がそう呼ぶからでもなく」
聖女の声は揺れない。
「あなたが、あなたであろうとする姿を」
勇者の胸が軋む。
「俺は……」
声が掠れる。
「勇者じゃないかもしれない」
聖女は微笑む。
「それが、何でございましょう」
勇者の視界が滲む。
必死に堪える。
「俺、最近……」
言葉が零れる。
「被害が出ればいいって、思った」
「必要とされたいから」
「勇者でいたいから」
醜い告白。
吐き出した瞬間、崩れそうになる。
聖女は目を逸らさない。
「ええ」
受け止めるだけ。
「それでも」
一歩、近づく。
「それでも、あなたは今、悔いておられます」
勇者の拳が震える。
「そんなの、勇者じゃない」
聖女は首を横に振る。
「勇者かどうかは、わたくしには関係ございません」
静かな断言。
「わたくしは」
胸に手を当てる。
「あなたを、信じております」
勇者の中で、何かが崩れる。
役割。
期待。
称号。
全部、剥がれ落ちる。
残るのは。
ただの男。
泣きそうな、弱い男。
「俺は……」
膝が震える。
聖女は支えない。
ただそこにいる。
「俺は俺で、いいのか」
やっと出た言葉。
聖女は微笑む。
「はい」
迷いなく。
「あなたは、あなたでございます」
世界が静まる。
勇者は息を吐く。
深く。
長く。
胸の奥の硬い何かが、少し溶ける。
勇者は顔を上げる。
「……ありがとな」
聖女は首を振る。
「礼など不要にございます」
「わたくしは、ただ見ているだけ」
勇者は小さく笑う。
今度は乾いていない。
遠くで雲が流れる。
わずかに光が差す。
勇者は剣を握る。
重さは変わらない。
だが、意味が変わる。
“勇者だから”ではない。
“俺が選ぶから”。
聖女は静かに問う。
「どうなさいますか」
勇者は空を見る。
城の方向。
世界の方向。
どちらでもない。
「俺は」
一拍。
「俺として、生きていく」
まだ小さい決意。
だが本物だ。
聖女はうなずく。
「それでこそ」
風が吹く。
花が揺れる。
世界は何も変わっていない。
だが、
勇者の中で、
わずかに、断裂が走る。
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