第16話: 祝福の形をしたもの
夜は静かだった。
静かすぎた。
森の奥に焚き火が揺れている。
火の粉が、暗い空へゆっくりと昇る。
聖女と賢者は既に横になっている。
眠ってはいないが、動かない。
勇者は火の前に座っていた。
剣を膝に置き、刃を見つめている。
刃は鈍っていない。
欠けてもいない。
むしろ美しい。
だが、何かが違う。
そこへ足音が一つ。
軽い。
気配を殺さない歩き方。
暗殺者が隣に腰を下ろす。
少し距離を置いて。
火の音だけが間にある。
しばらく、何も言わない。
勇者が先に口を開く。
「明日で着くな」
「……ああ」
「魔王城まであと少しだ」
自分に言い聞かせるような声。
暗殺者は炎を見る。
「なあ」
「なんだ」
「今の状態、どう思う?」
勇者はすぐ答える。
「順調だ」
即答。
迷いなし。
それが逆に硬い。
「本当にそう思うか?」
勇者の眉が寄る。
「何が言いたい」
火が爆ぜる。
暗殺者は視線を動かさない。
「今日も戦闘、一人で終わらせたな」
「全員守れた。何が悪い?」
声がわずかに強くなる。
暗殺者は首を振らない。
「良い悪いじゃない」
間。
火の揺らぎ。
「後ろから見てて、お前の剣、落ちてるぞ」
勇者の指が止まる。
「……は?」
「腕が落ちてる、じゃないな」
暗殺者はようやく勇者を見る。
淡々と。
「意思がない」
静かに刺す。
「獣と同じだ」
空気が凍る。
勇者の喉が鳴る。
「どういうことだよ」
「力任せに振るってるだけだろ」
炎が揺れる。
「間合いも、呼吸も、駆け引きもない」
勇者の拳が震える。
「勝ってるだろ」
「勝ってるな」
即答。
「だから厄介だ」
勇者は立ち上がりかけるが、止まる。
「勇者というより」
暗殺者は言葉を選ばない。
「魔王だぞ」
沈黙。
火の音だけ。
勇者は座り直す。
視線は炎に落ちる。
「……魔王城まであと少しだ」
声が低い。
「終わったら、全部元通りになる」
願いの形をしている。
暗殺者は数秒、何も言わない。
「……そうかよ」
それだけ。
終わるはずだった。
だが勇者は続ける。
「俺には神からの信託が聞こえる」
暗闇を見る。
「神からの祝福が」
強く言う。
自分に。
暗殺者はわずかに目を細める。
「祝福?」
火の向こうから。
「呪いじゃないのか?」
世界が止まる。
勇者の呼吸が途切れる。
「……の、ろ、い……?」
言葉が崩れる。
暗殺者はそれ以上強く言わない。
「一回向き合ってみろ」
静かに。
「自分とな」
勇者は何も言わない。
怒鳴らない。
否定しない。
沈黙。
炎が揺れる。
その沈黙は長い。
暗殺者は立ち上がる。
「寝ろ。明日も早い」
去る。
勇者だけが残る。
炎の前に。
⸻
夜は深い。
信託が降りる。
——急げ。
頭の奥に響く。
いつもの声。
いつもの圧。
だが今、
勇者の胸に別の言葉が残っている。
呪い。
その単語が、
信託の輪郭を歪める。
祝福。
呪い。
どちらだ。
息が浅くなる。
耳鳴りがする。
視界の端が白む。
信託は続く。
——停滞は許されない。
胸が締め付けられる。
これが祝福なら、
なぜ苦しい。
これが祝福なら、
なぜ眠れない。
勇者は剣を握る。
刃は冷たい。
だが手の震えは止まらない。
翌日。
魔物の群れ。
信託が走る。
——斬れ。
勇者は踏み込む。
速い。
強い。
だが。
一瞬。
迷う。
祝福か。
呪いか。
その一瞬。
牙が頬を掠める。
血が流れる。
初めての浅い傷。
勇者は反射的に力を解放する。
世界が応える。
出力が跳ね上がる。
群れは消える。
静寂。
勝った。
だが。
胸の奥が空洞になる。
今のは、自分か?
それとも。
補正か?
呼吸が荒い。
聖女が一歩出かけるが止まる。
賢者は観測している。
暗殺者は何も言わない。
勇者は傷を拭う。
「……問題ない」
声が乾く。
その夜。
信託は強まる。
——急げ。
——急げ。
——急げ。
祝福の形をしている。
だがそれは、
常に不足を前提にしている。
足りないから補う。
遅いから押す。
弱いから与える。
勇者は気づき始める。
これは祝福ではない。
常に“お前は足りない”と言っている。
だから与える。
だから命じる。
だから急かす。
胸が軋む。
剣を握る手が痛い。
鏡を見る。
目が濁っている。
炎を映さない。
そこにいるのは、
守りたいと願った少年ではない。
勝つために振るう存在。
目的のための刃。
自分が薄い。
声がする。
——討て。
勇者は目を閉じる。
祝福か。
呪いか。
答えは出ない。
だが一つだけ分かる。
このまま進めば、
魔王は倒せる。
だが。
自分は残るのか?
焚き火が消えかける。
勇者は火を足さない。
暗闇が広がる。
祝福の形をしたそれが、
ゆっくりと彼の輪郭を削っていく。
静かに。
確実に。
誰にも見えない形で。
呪いは外から鎖をかけない。
内側を空にする。
勇者はまだ立っている。
まだ進む。
だが、
足音が軽すぎる。
意思の重さがない。
自分を失うとは、
こういうことだ。
そして。
それを取り戻す戦いが、
すぐそこまで来ている。
もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想などをいただけると執筆の励みになります! よろしくお願いいたします




