第15話: 選ばれたという呪い
空は、異様に澄んでいた。
雲がない。
風もない。
音がない。
勇者は歩いている。
速い。
昨日よりも。
一昨日よりも。
足取りは軽い。
身体は熱を帯びている。
後ろを振り返らない。
三人がいることは、気配で分かる。
ついてきている。
遅れない。
置いていかない。
それでいい。
守れている。
それでいい。
だが。
胸の奥が、静かすぎた。
達成感がない。
魔物を斬る。
終わる。
あまりにも簡単に。
剣が肉を裂く感触が軽い。
抵抗がない。
成長の実感もない。
最初は震えていた。
初めて命を奪ったとき。
初めて仲間を守れたとき。
今は違う。
ただ処理している。
まるで決められた作業のように。
そのとき。
世界が、鳴った。
音ではない。
頭の奥に直接触れる何か。
視界が白む。
足が止まる。
三人が気づく。
だが声はかけない。
勇者の周囲の空気が歪む。
降りてくる。
言葉が。
命令が。
信託。
——討伐を急げ。
——停滞は許されない。
——魔王を滅せよ。
短い。
明確。
逃げ道がない。
勇者の呼吸が荒くなる。
「……は?」
喉がひきつる。
まただ。
また“上”から。
また決められる。
昨日の覚醒。
あれもそうだ。
必要だから、与えられた。
今度は急げと言う。
勇者の拳が震える。
違う。
違う。
違う。
「俺は……」
声がかすれる。
三人は見ている。
何も言わない。
勇者は空を睨む。
「それみろ」
笑う。
乾いた笑い。
「俺は選ばれた勇者じゃない!」
声が荒れる。
「世界が認めたんだろ!」
胸を叩く。
「俺が選んだ! 俺が掴んだ役割だ!」
叫びが森に響く。
鳥が飛び立つ。
「俺は傀儡じゃない!」
息が乱れる。
だが止まらない。
「指図するな!」
空を睨みつける。
目が血走る。
必死だ。
本気だ。
誰よりも真剣に、自分を信じている。
最初の日。
剣を握ったとき。
震えていた。
怖かった。
逃げたかった。
だが踏み出した。
自分で。
誰かに押されたのではない。
だから今もそうだ。
この力も。
この覚醒も。
信託も。
全部、自分が掴んだ結果だ。
そうでなければ。
全部、空になる。
自分の選択が、空になる。
三人は動かない。
聖女は、目を伏せる。
涙は出ない。
もう泣く段階を越えた。
賢者は、勇者の周囲の歪みを観測している。
干渉は強まっている。
急げという圧力。
物語の進行速度が上がっている。
暗殺者は木にもたれ、腕を組む。
静かに見ている。
勇者が空に向かって叫ぶ姿。
痛々しい。
だが止めない。
止めれば壊れる。
止めなくても壊れる。
勇者は息を整え、歩き出す。
「行くぞ」
速い。
異様な速度。
もはや行軍ではない。
強行軍。
魔物が出る。
一瞬で終わる。
斬る。
進む。
斬る。
進む。
休まない。
休めない。
止まれば、追いつかれる気がする。
何に?
分からない。
だが急がなければならない。
信託が、背中を押す。
いや、刺す。
焦燥が増幅する。
呼吸が浅くなる。
それでも足は止まらない。
夜。
野営。
勇者は眠らない。
焚き火を見つめる。
炎が揺れる。
火の粉が上がる。
あの夜を思い出す。
二つの火。
別々の夜。
違う。
違わない。
あのときから、何かがずれていた。
だが戻れる。
早く終わらせれば。
魔王を倒せば。
全部終わる。
信託も。
補正も。
役割も。
自由になれる。
勇者は拳を握る。
「俺は……俺だ」
小さく呟く。
だが声は揺れている。
聖女は離れた場所で火を見ている。
祈らない。
祈れない。
賢者は地面に数式を書く。
消す。
また書く。
干渉の強度が増している。
勇者への集中。
他三名の希薄化。
盤上に残る駒は一つ。
暗殺者は星を見る。
「痛いな」
ぽつりと。
誰にともなく。
翌日。
勇者はさらに速い。
三人は遅れない。
遅れられない。
追いつくためではない。
見失わないために。
勇者の背中は遠い。
近いのに遠い。
信託は断続的に降りる。
急げ。
止まるな。
討て。
命令。
圧。
勇者は叫ばない。
歯を食いしばる。
笑う。
「ほらな」
魔物を斬り伏せる。
「俺は強い」
返り血が頬を染める。
「俺が守る」
だが目は笑っていない。
焦点が合っていない。
夜。
ついに勇者の手が震える。
疲労ではない。
拒絶だ。
「俺は……」
焚き火に向かって言う。
「選ばれたんじゃない」
何度も繰り返す。
「俺が選んだ」
炎が揺れる。
その背後で、
三人はただ見ている。
介入しない。
もう駒ではない。
観測者だ。
勇者だけが盤上にいる。
世界は急かす。
勇者は抗う。
だが進む。
止まらない。
止まれない。
止まれば、
自分が空になるから。
その姿は。
痛々しい。
正しい。
そして、
壊れかけている。
遠く。
魔王は静かに目を細める。
余は言う。
「追い詰めるな、世界」
低く。
「壊れれば、断たれるぞ」
勇者は知らない。
自分が今、
世界と戦っていることを。
魔王ではなく。
仲間でもなく。
“選ばれた”という呪いと。
焚き火が爆ぜる。
勇者の目に、光が揺れる。
それは希望か。
錯覚か。
まだ分からない。
だが確かなのは。
このまま進めば、
どこかで決壊する。
そしてその瞬間こそが、
循環を断つ唯一の刃になる。
勇者は立ち上がる。
眠らない。
進む。
壊れながら。
自分で選んだと叫びながら。
世界に急かされながら。
それでも。
前へ。
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