第9話: それでも勇者
朝は静かだった。
誰も、昨夜の戦いに触れない。
あの一撃。
二度の致命。
生きているのは、偶然ではない。
だが誰も口にしない。
俺は剣を研ぐ。
音がやけに乾いている。
賢者は計算をしていない。
紙は広げているが、式は書かれていない。
聖女は祈らない。
目を閉じているが、光はない。
暗殺者は、何もしていない。
ただ見ている。
観測している。
俺は立ち上がる。
「進もう」
声は落ち着いている。
いつもの勇者の声だ。
だが、空気は軽くならない。
歩きながら、考える。
守られている。
勝たされている。
調整されている。
全部、仮定だ。
証明はない。
だが——
体は知っている。
あの角度は死だった。
あの重さは死だった。
それでも俺は立っている。
ならば。
俺は足を止める。
「なあ」
三人が見る。
「もし俺が守られてるとして」
言葉が重い。
「それの何が悪い」
沈黙。
俺は続ける。
「俺は勇者だ。魔王を倒す。世界を救う。そのために強くなる」
喉が乾く。
「多少、世界が手を貸してくれてるなら、合理的だろ」
賢者の視線が揺れる。
聖女の指が白くなる。
暗殺者は、動かない。
「勝てばいい」
言い切る。
「結果が出ればいい」
それが勇者だ。
そうだろう。
何が問題だ。
俺が死なないなら、仲間も死なない。
補正があるなら、利用すればいい。
俺は顔を上げる。
「俺は勇者だ」
自分に言い聞かせるように。
暗殺者が口を開く。
「それ、お前の意思か」
空気が凍る。
俺は睨む。
「どういう意味だ」
「勝てばいい、はお前の言葉か」
「俺の言葉だ」
「本当に?」
静かだ。
責めていない。
ただ、確認している。
それが腹立たしい。
「俺は選んだ。勇者になると」
「選ばされた可能性は?」
その瞬間。
胸のひびが大きく鳴る。
ぱき、と。
「やめろ」
低い声。
「何を根拠に戦ってる」
「世界のためだ」
「世界が、お前を動かしている可能性は?」
「黙れ」
感情が滲む。
暗殺者は一歩も引かない。
「お前は、死ぬはずの場所で死なない」
「……」
「祈りが届かなくても傷は塞がる」
「……」
「理が証明できない強さを持つ」
全部、事実だ。
「それでも“お前が選んだ”と言えるか」
俺は拳を握る。
「言える」
「どうやって」
言葉が詰まる。
どうやって?
俺は、選んだ。
選んだはずだ。
あの日、剣を取った。
あの日、魔王を倒すと誓った。
だが——
それすら、敷かれた道だったら?
違う。
違う。
「俺は勇者だ!」
声が荒れる。
ついに。
「そうだな」
暗殺者は肯定する。
「勇者だ」
「だったら何が悪い!」
怒鳴る。
賢者が息を呑む。
聖女が震える。
「世界が俺を使うなら、使わせればいい! その代わり、俺は勝つ!」
胸が焼ける。
「守られてるなら守られればいい! 勝たされてるなら勝たされればいい!」
言葉が止まらない。
「それで魔王が倒せるなら、構わない!」
沈黙。
俺は息を荒げる。
怒りの矛先は、暗殺者に向いている。
世界じゃない。
揺らすな。
壊すな。
俺の立っている足場を。
暗殺者が静かに言う。
「じゃあ最後に聞く」
視線が突き刺さる。
「魔王を倒したあと、お前はどうする」
息が止まる。
その先。
考えたことがない。
勇者は魔王を倒す。
その先は——
「……終わる」
「何が」
「役目が」
「役目が終わったら、お前は何だ」
言葉が出ない。
勇者でなくなった俺は、何だ。
想像したことがない。
怖い。
暗殺者が続ける。
「今は勇者でいられる。守られているから」
静かに、残酷に。
「守りがなくなったら?」
俺は一歩踏み出す。
「やめろ」
「怖いか」
拳が震える。
怖い。
認めたくない。
勇者であることが、俺の全てだ。
それが“役目”でしかないなら。
俺は、空になる。
「俺は勇者だ」
もう一度。
「それでいい」
自分に言い聞かせる。
「それでいいんだ」
暗殺者は目を細める。
「……そうか」
それ以上言わない。
だが視線は離れない。
俺は背を向ける。
「進むぞ」
声は戻っている。
整っている。
勇者の声。
だが内側は、崩れかけている。
夜。
一人で剣を握る。
守られている。
勝たされている。
それでもいい。
それでもいい。
繰り返す。
それでも。
胸の奥で、別の声がする。
それは、本当にお前か?
耳を塞ぐ。
聞かない。
聞けば壊れる。
「俺は勇者だ」
最後に、静かに呟く。
それは宣言ではない。
祈りに近い。
焚き火が揺れる。
風はない。
だが炎は、不自然に傾く。
世界は、静かに見ている。
俺は、目を閉じる。
壊れない。
まだ壊れない。
だが。
限界は、もう近い。
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