第5話: 『確率の偏り』
魔王は、過去の記録を開かせた。
勇者の記録ではない。
歴代勇者の記録。
千年単位で保存された、戦闘推移、成長曲線、討伐到達日数。
石板が並ぶ。
闇宰相が淡々と読み上げる。
「初代勇者、討伐到達まで三年七ヶ月。戦闘不能四度。致命傷一度」
「二代目」
「四年一ヶ月。戦線離脱二度」
「三代目」
「三年九ヶ月。仲間一名戦死」
魔王は目を閉じて聞いている。
歴代は、滑らかではない。
停滞があり、失敗があり、逸脱がある。
遠回りがある。
事故がある。
成長曲線は波打っている。
誤差が、残っている。
「今回」
魔王の声は低い。
闇宰相は別の巻物を開く。
「現勇者、到達予測二年十一ヶ月。戦闘不能なし。逸脱率〇・五%未満」
短い。
滑らかだ。
魔王はゆっくりと石板へ歩く。
過去の波打つ曲線。
今回の直線に近い推移。
明らかに違う。
「偶然か」
「統計上、否定はできません」
「肯定もできぬ」
「はい」
沈黙。
魔王は過去の石板に触れる。
勇者は常に強い。
だが常に、不完全だ。
失敗する。
仲間を失う。
回り道をする。
それが戦だ。
それが、命の選択だ。
だが今回。
逸脱が削られている。
削られすぎている。
「確率は揺らぐ」
魔王は言う。
「揺らぎは、均されるものではない」
闇宰相は静かに答える。
「均されている、と?」
「偏っている」
魔王の視線は冷たい。
「勇者側に」
◇
勇者は森を歩いている。
空は曇り。
だが降らない。
魔物は出る。
だが過剰ではない。
強い。
だが致命的ではない。
経験値として最適。
賢者が呟く。
「理想的だ」
理想的。
その言葉は、重くはない。
ただの評価。
勇者は笑う。
「俺、ついてるな」
聖女は祈る。
「神の加護です」
暗殺者は数える。
出現頻度。
被弾箇所。
回復のタイミング。
敵の撤退速度。
乱数。
ばらつき。
本来なら、もっと荒れる。
もっと削られる。
もっと失う。
だが。
失わない。
削られない。
事故が起きない。
危険はある。
だが、破綻はない。
揺らぎが。
常に安全側へ傾く。
暗殺者は剣を拭う。
まだ言わない。
まだ確信とは呼ばない。
だが。
比較が始まっている。
前回。
前々回。
その前。
偶然の方向。
すべて同じ。
勇者が強くなる方向へ。
◇
魔王城。
「もし」
魔王が言う。
「確率が偏っているとするなら」
闇宰相は黙って聞く。
「それは誰の意思だ」
「意思とは限りません。構造かもしれません」
「構造」
「循環維持のための自動調整」
魔王はゆっくりと振り向く。
「余は討たれねばならぬか」
「討たれた瞬間、循環は再始動します」
既知の事実。
だが。
「そのために、勇者が最適化されていると?」
闇宰相は即答しない。
否定しない。
肯定もしない。
「可能性の一つです」
可能性。
だが数字は偏っている。
歴代との差。
逸脱の消失。
最短到達予測。
「これは戦か」
魔王の声は静かだ。
「それとも、工程か」
工程。
完成へ向かう手順。
余白のない直線。
失敗の許されない道。
魔王は目を閉じる。
怒りはまだない。
あるのは疑問。
もし工程なら。
余は部品だ。
勇者も部品だ。
聖女も。
賢者も。
暗殺者も。
「偏りを観測せよ」
命じる。
「揺らぎが反転する事例があるか、探れ」
「は」
闇宰相は一礼する。
魔王は独りになる。
確率は揺らぐ。
本来なら。
勇者にも不運はある。
失敗はある。
致命傷はある。
だが。
削られている。
静かに。
誰にも気づかれぬまま。
魔王は窓を開ける。
外では嵐が吹いている。
勇者の進路は、晴れている。
偏りは、まだ小さい。
だが確かだ。
勇者は今日も強くなる。
予定通りの速度で。
暗殺者は今日も数える。
偶然の方向を。
誰にも告げず。
静かに。
確信へ向かって。
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