終章 桜の先に
午後のやわらかな日差しが差し込む部屋の中で、弥信はベッドに静かに横たわっていた。
白いカーテンは半分ほど開けられ、春の光が薄い影を落としている。
窓の外では、咲き始めた桜が春の風に揺れていた。淡いピンク色の花びらが、時折ひらひらと舞い落ちる。
その時、ドアが軽くノックされる。
返事を待つ間もなく、勢いよく扉が開いた。
「安堂! お邪魔するぞ!」
勢いよく開いた扉の向こうで、礼夏が考希の頭をぺしりと引っぱたく。
「うるさいわよ。病院なんだから静かにしなさいよ」
「いてっ……」
頭を押さえたまま、考希が部屋に入る。
その後ろから、礼夏が涼しい顔で続いた。
「そういう空華先輩も大概ですよ」
制服姿の義翔が小さくため息をつき、鋭くツッコミを入れながらあとに続く。
「まぁまぁまぁ」
義翔の背中を追うように、私服姿の悌が苦笑いを浮かべながら部屋に入った。
最後に制服を着た忠穂と智陽、そして結仁が静かに部屋に入る。
それぞれが足を止め、ベッドへと視線を向けた。
やがて椅子を引き寄せ、ベッドを囲むように集まった。そして、まるで部室のように今日あった出来事を話し始める。
「聞いてください! 演劇部に新しい部員が入ったんですよ」
「ほお」
考希が目を丸くする。
「そーか! ついに結仁が先輩か。なんか感慨深いな」
「んー、なんか実感がわかないし、どうしていいかわからなくて困ってます」
結仁はポリポリと照れたように頬をかいた。
「その子すごく優秀なんですよ」
智陽が言う。
「へぇー。その子は今度の劇にも出るの?」
悌がたずねると、全員が頷いた。
「はい。しかも、今回の台本は仲西が書いたんですよ」
そう智陽に言われ、忠穂は照れたように笑う。
「今回の出来事を劇にしてみたんです。みんなが暮らしている世界の裏には、こんな世界があるって意味も込めて」
「ほぉ。面白そうだな。楽しみにしてるぞ!」
「はい」
四人は声を揃えて返事をする。
「弥信にも、ちゃんと役あるからね」
忠穂がベッドのそばに置いた鞄から、一冊の台本を取り出す。
「主役級だぞ?」
義翔が口元をゆるめて言う。
「だから、早く戻ってこいよ」
義翔が静かに言った。
他愛のない会話が続く。
考希が最近見た映画の話をし始め、礼夏がそれに突っ込みを入れる。
智陽が学校であった出来事を話し、結仁が笑う。
悌が新しいお菓子の話をし、忠穂が「食べてみたい」と目を輝かせる。
いつもの、何でもない会話。
けれど、それがどれだけ大切だったか。
今、この部屋にいる全員が知っている。
やがて、看護師が部屋に顔を見せる。
「すみません、面会時間が終わりですので……」
「あっ! すみません」
全員が席を立つ。椅子を元の位置に戻し、荷物をまとめる。
「んじゃ、また来るな安堂!」
考希が明るく言う。
「また来るわね安堂さん」
礼夏が優しく微笑む。
「ゆっくり休んでね」
悌が手を振る。
「またね弥信」
忠穂が小さく手を握る。
「んじゃ」
義翔が短く言う。
「また安堂さん」
智陽が頷く。
「すみません先輩、お邪魔しました」
結仁が丁寧に頭を下げる。
口々に言い、七人は病室をあとにした。
部屋に静けさが戻る。
弥信のベッドの横には、『現代八犬異聞』と書かれた新しい台本が置かれていた。
表紙には、小さく「安堂弥信役:里見伏姫」と書かれている。
ヒラリと、桜の花びらが台本にのった。
窓から入り込む風は、どこか甘くやわらかい。
春の匂いがする。
廊下を歩く七人の足音が、少しずつ遠ざかっていく。
新しい季節が、始まろうとしていた。




