第二十五話 八人、最後の布陣
伏姫を囲むように立った瞬間、さっきまで様子を窺っていたはずの小鬼たちが、地面を蹴るように四肢で走り出す。と同時に校舎の壁面を素早く駆け下り、鉄棒から鉄棒へと糸を渡し、その糸を滑るようにして滑空しながら蜘蛛が一斉に距離を詰めた。
「仲西さん、右!」
「はい!」
礼夏が叫び、手にしていたお茶を振り払う。
かかった蜘蛛は長い脚がぎこちなく絡まり合い、体を支えきれずに左右へ大きく揺れる。糸を吐こうと口を開くが、白い糸は途中で途切れ、だらりと地面に垂れ落ちた。
「来ないで!」
忠穂は叫び、カップに入れたハーブティーを振る。蜘蛛は忠穂の前で落ち着きをなくし、行ったり来たりを繰り返す。
「やっぱり、蜘蛛は苦手なのね」
「やるー!」
礼夏と忠穂が顔を見合わせた両手を手を合わせた、その時だった。二人に向かって鬼が突っ込んでくる。
「危ない!」
その声と同時に、悌が拾い上げたトタン屋根の瓦を掲げた。
落下の衝撃で歪んだそれは端が鋭く裂けている。両手で掴むと、ぎしりと嫌な音が鳴ったが、構わず盾のように前へ突き出した。
「っ!」
鈍い衝撃が腕に響き、瓦が軋む。
「はぁぁぁぁ!」
義翔は折れた机の脚を振り抜き、結仁は外れたカーテンレールを、悌に襲いかかろうとしている鬼に向かって振り抜く。二本の棒が鬼の顔面を打ち、巨体がぐらりと揺れた。しかし、その背後で砂を蹴る音。別の鬼が跳ぶ。
鬼の腕が振り下ろされそうになった瞬間、考希が間に入った。
「させないぞ!」
そう言うと持っていた木刀を思いきり振り抜いた。
鈍い音とともに鬼の体が弾き飛ばされる。
一瞬の静まり返り。
「おー、ホームラン」
結仁が言うと、考希は小さくピースサインをつくった。
その時玉梓が歯をむき出した。
「おのれぇぇぇぇ!」
金切り声に近い叫びが響いた瞬間、無数の糸が空を裂いた。
細く光るそれはまるで生き物のようにうねりながら迫ってくる。ひゅるり、と湿った音が四方八方から重なった。
「ヤバい!逃げろ!」
智陽が叫び、全員が一斉に走り出す。
「うわっ!」
振り返ると、悌の腕と胴が糸に締め上げられていた。
「悌! うぉっ!」
助けに踏み出した考希の腕や足にも糸が絡みつく。
「部長!」
叫び声と同時に、考希の体が宙へ吊り上げられた。
「きゃっ!」
「忠穂!」
逃げようとして足をもつれさせた忠穂に、糸が迫る。
その瞬間、弥信が前に出た。
腕に糸が巻きつき、体が強く引き寄せられる。
「逃げて……忠穂」
次の瞬間、弥信も宙に吊るされた。
「ははははは。無惨だのぉ」
玉梓の笑い声が響く。糸は次から次へと仲間たちを絡め取っていく。
「人の身で抗うとは愚かよ。せめて我が糧となれ」
細い針が、弥信の首筋に突き立てられた。
冷たい液体が流れ込む。
息が苦しい。意識がにじむ。視界が揺れる。
(私……死ぬの……やだ……まだ……みんなと演劇がしたい!)
その時、指先が冷たいものに触れた。
指先が冷たいものに触れた。
それは茨木童子からもらった薬だった。
一瞬、アマビエの言葉が蘇る。
(どうしよう……)
視線を上げると、身動きの取れない仲間たちの姿。
弥信はゆっくりと息を吐いた。
そして、注射器を握りしめる。
「さて、そろそろ毒が回った頃だろう?」
玉梓がにやりと笑い、ぐったりした弥信に近づく。
糸をゆるめ、顔を覗き込んだ、その瞬間――
弥信の目が開いた。
空になった注射器が、玉梓の顔へと突き立てられる。
「ぎゃぁぁぁぁ! わらわの美しい顔が!」
弥信は勢いよく弾き飛ばされ、地面に転がった。
「……っ、いた……」
擦りむいた膝を押さえながらも立ち上がる。
落ちていたガラスの欠片を掴み、地面に転がされた考希の元へ駆け寄った。
「大丈夫ですか、部長! 今、助けます!」
糸を切る。
「っ……助かったぞ」
解放された考希が、すぐに体を起こしにっと笑った。そして、近くに倒れていた忠穂の糸へガラスを当てた。
「動けるか!」
糸が切れる。
忠穂が息を吸い込み、悌の方へ這うように近づく。
「じっとしてて!」
三人がかりで糸を引き、ほどき、裂く。
ほどけた悌がそのまま結仁の拘束へ飛びついた。
床に切れた糸が次々と落ちていく。
「許さぬ! 許さぬぞ!」
顔を押さえた玉梓が弥信をにらみ、前足を振り上げた。
「っ!」
弥信の体が強張る。
その時、目の前にひらりと白い紙の人型が現れた。玉梓の足がが触れた瞬間、ぱちりと火花のような音がして、紙が揺れる。
「伏姫ぇぇぇぇ!」
人型を手に玉梓を睨みつける伏姫に玉梓は吠えた。
「ならば、お前から喰ろうてやるぅぅ!」
玉梓の足が伏姫に向かう。
「伏姫さま!」
弥信は踏み出そうとする。だが足が動かない。膝が崩れる。
視線を落とすと、足首から脛にかけて黒い斑点が浮かんでいた。
「……え」
力が入らない。毒が、まだ抜けていない。
それでも手を伸ばす。
届かない。
糸が伏姫へ迫った、その瞬間。
低い唸り声とともに、八房が飛び込んだ。
大きな体が伏姫の前に割り込み、噛み切る勢いで玉梓の腕に向かって牙を剥いた。
「小癪な犬め!」
唸る玉梓を前に伏姫が札を重ね、低く言葉を紡ぐ。
足元に広がった白い光が玉梓を包んだ。
足がピタリと止まる。
玉梓の体も、ぴたりと動きを失った。
「この程度で……」
玉梓の指先がわずかに震えた。
「この程度で……わらわを縛れると思うな!」
拘束されたまま、糸が無理やり軋みを上げる。空気が裂ける音。
伏姫の肩が揺れた。
玉梓が体を引きちぎるように動かし、伏姫へ踏み出す。
「しつこいんだよ!」
結仁がとっさに前へ出た。
外れたカーテンレールを両手で構え、迫る糸を弾く。衝撃で腕が痺れる。
「っ!」
「これなどーだ!!」
その横から義翔が踏み込んだ。
折れた机の脚を振りかぶり、玉梓の側頭部へ叩き込む。
鈍い音がし、玉梓の体が大きく揺れる。
「動きを止めろ!」
「はい!」
八房の言葉に八人は返事をすると、かけ出す。
そして、机の折れた足や落ちていた鉄パイプを玉梓の足にぶっ刺した。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!おのれぇぇぇぇ」
玉梓が糸を吐くか届くことなく落ちる。
伏姫の声が震えながらも、最後の言葉を結ぶ。
重ねた札が淡く光り、足元に描かれた術式が閉じていく。
「――封じる」
光が一点に集まり、玉梓の体を包み込む。
「やめよ……まだ、わらわは!わらわはぁぁぁぁぁぁ!」
悲鳴に似た声と共に玉梓は消えた。
と同時に糸が霧のように崩れ、巨体も、影も、音も、ゆっくりと消えていく。
張り詰めていた空気が、ふっと軽くなる。
気づけば、空は赤く染まっていた。
重たい雲は流れ、いつもの夕焼けが広がっている。
校庭に残っていた小鬼も蜘蛛も、跡形もなく消えていた。
「終わった……の?」
夏礼がぽつり呟く前にはいつもの夕焼けが広がっている。
「戻りました……ね」
「だな」
義翔がその場に座り込み、結仁がその横に座り込み俯いた。僅かに揺れる肩を義翔は何も言わずにぽんぽんと叩いた。
「ははは。やったね」
「はい」
悌は瓦を握ったまま膝をつき、忠穂はそう言うとその場にへたり込んだ。
「みんな!よくやった!お疲れさん!」
まるで劇をやり終わった時のように考希が言うと、やっと全員にホッとした雰囲気が流れた。
「部長もお疲れ様!」
「あんたにしては頑張ったじゃない」
「そうか?」とまた礼夏と考希の漫才みたいな会話がはじまるのを見た弥信は笑みを浮かべた。
(よかった。元の演劇部……だ……)
そこで弥信の体力は限界だった。意識がみるみる遠くなり、最後にみんなが自分を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、確かめることもなく、弥信の意識は暗闇にほおり投げられた。




