第二十四話 霧の校庭、刻む決意
薄暗い廊下を駆け抜け、ようやく八房と伏姫の姿を捉えた。合流した安堵感からか、弥信たちはこれまでの惨劇を堰を切ったように話し出した。部室が潰されたこと、餓者髑髏に追われたこと、仲間が操られたこと——全てを一つずつ、息継ぎも忘れるほど必死に伝えた。全てを聞き終えた八房は、険しい表情で弥信たちを見つめ直す。
「事情はわかった。だが、ここから先は引き返せねえぞ。お前ら、最後まで戦い抜く覚悟はあるか?」
その問いに、場がしんと静まり返った。弥信は喉の奥が震えるのを感じる。誰かが小さく鼻をすすり、耐えきれずに視線を落とす者もいた。重苦しい空気が、逃げ場のないプレッシャーとなって肌にまとわりつく。誰も答えられない。
「俺はある!」
静寂を叩き割ったのは、考希のひどく大きな、馬鹿正直な声だった。
「うるさいわよ、あんた!」
「いてっ!!」
直後、礼夏の鋭いツッコミと共に考希の頭に拳骨が落ちた。あまりにいつも通りな二人のやり取りに、張り詰めていた空気がふっと緩む。あちこちから、微かに笑いが漏れた。緊張が、少しだけ解ける。
その笑いに背中を押されるように、一人、また一人と力強く頷いていく。最後に弥信も「私も」と短く、けれど真っ直ぐな声を重ねた。
八房は全員の目を見て、牙を覗かせてニッと笑った。
「よし! ならついてこい」
八房の声に背中を押されるようにして、弥信たちは震える足を覚悟で支え、一歩ずつ校庭へ踏み出していく。足音が、廊下に響く。
だが、その決意を嘲笑うように、校庭の中央で着物を揺らし、圧倒的な存在感を放つ玉梓が立っていた。月明かりに照らされ、その姿がくっきりと浮かび上がる。
「久しいのお、伏姫。まだこの世にしがみついておったか」
「それはお互いさまです。いい加減貴方も諦めなさい」
「諦める?」
玉梓はふっと薄く笑った。
「一族を皆殺しにされ、愛する者を奪われ、泥水をすするように生きてきたわらわを、『悪』と切り捨て、奪い、踏みにじる理不尽がこの世にある限り、わらわは何度だって蘇る!」
両手を上げ、玉梓はケタケタと笑う。その声が、夜の校庭に響き渡った。
「講釈はいいんだよ。あんたの顔、もう見飽きてるんだわ!」
そう言うと義翔はニヤリと片頬を上げた。
「ほぉ。その減らず口、いつまで続くか試してやろう」
玉梓が細い指先を向けると、背後の霧がさらに深く、濃く、蠢き始めた。
視界は瞬く間に白く塗りつぶされ、仲間たちの足音すら、どこか遠い世界の出来事のように消えていく。湿った静寂の奥から、心の一番柔らかい場所を撫でるような声が響いた。
「弥信、やっと見つけたわ」
霧を割り現れたのは、あの穏やかな微笑みを湛えた母親だった。記憶にある石鹸の匂い。幼い頃に焦がれた温もりそのままに、母親は慈しむように両腕を広げる。
「もう、怖がらなくていいの。さあ……一緒に帰りましょう?」
甘い囁きは毒となって弥信の思考を泥濘に引きずり込み、凍りついた心を強引に解かしていく。抗う術など最初から持たなかった。弥信はゆらりと、吸い寄せられるようにその胸へと手を伸ばす。
「……お母さん」
指先が重なり、偽りの愛に触れようとした、その刹那。
「目を覚ませ、安堂ッ!」
空間を切り裂く怒号と共に、一本の木刀が母親の首筋を容赦なく一閃した。
乾いた衝撃。陽炎のように揺らぎ、不気味な嘲笑を残して霧散する幻影。その背後から立ち現れたのは、憎悪に瞳を燃やす玉梓だった。
「……小癪な小童がッ!」
玉梓が忌々しげに腕を振る。不可視の圧力が、正面から考希の肉体を叩き伏せた。
「がはっ……!」
考希の体は木の葉のように宙を舞い、重低音を立てて地面へと叩きつけられる。土煙が上がり、考希の姿が一瞬見えなくなる。
「部長!!」
地面に叩きつけられ、ぴくりとも動かない考希の背中が視界に焼き付く。
信じられない、どうしよう。驚きと底知れない不安が弥信を支配し、目の前が真っ白になった。
「……次は、貴女の番ですよ」
玉梓が冷酷に、死を宣告するように手を伸ばす。その瞬間、弥信の中で何かが弾けた。
「あぁぁぁぁぁ!!」
喉が張り裂けるような叫びを上げ、弥信は足元に転がっていた考希の木刀をひったくった。震える両手でそれを握りしめ、なりふり構わず玉梓へと突っ込む。
「不愉快な羽虫ですね」
玉梓が鼻で笑い、軽く指先を弾く。弥信の体は衝撃波に打たれ、無様に地面を転がった。木刀は手から離れ、冷たい土の感触が頬に伝わる。息が詰まる。
「ふん。まずはあなたから食してあげましょう」
玉梓の体が歪み、次の瞬間、巨大な蜘蛛へと変わった。
吐き出された糸が弥信の体に絡みつき、一瞬で動きを奪う。
気づけば、全身をぐるぐる巻きにされ、宙へ持ち上げられていた。
巨大な口が目の前で開く。
暗い穴の奥に、鋭い牙が並ぶ。
(このまま、飲み込まれる)
死の恐怖が一気に押し寄せ、意識が遠のきかけた。
「嬢ちゃん!」
酒呑童子の叫び声がした次の瞬間。
「弥信を……離して!」
忠穂が一歩前に出て、手に持ったハーブティーの蓋を開け、玉梓に向けて勢いよくぶっかけた。ハーブの液体が光を反射し、玉梓は悲鳴を上げて後ろへよろめく。蜘蛛の脚が暴れ、糸が緩む。
「ぎゃあああ!」
玉梓の悲鳴が響く。
弥信はそのまま宙に放り出された。
「うわぁぁぁぁ」
弥信は重力に従って地面に向かって落ちて行った。風が顔を叩く。
「安堂!」
「安堂さん!」
みんなの呼ぶ声がする。
「弥信!」
そして忠穂の叫び声が聞こえる。
(落ちる!)
ギュッと目を閉じた瞬間、「ぐえっ」という声と共に何か柔らかい物の上に落ちた。
「あいたたた……」
目を開けると、自分の下に悌がいた。
「わっ! すみません!」
「大丈夫大丈夫。安堂さんは大丈夫?」
「はい。ありがとうございます、有馬先輩」
弥信は悌の腕を握り返しながら体を起こす。足が地面に着き、現実感を取り戻す。全身に力が戻ってくる。
少し先を見ると、礼夏が渡した布で額を押さえながら考希が立っていた。額から血がにじむが、考希は弥信の視線に気づき、にっと笑って親指を立てる。
「……よかった」
弥信は小さく息を吐く。膝の震えを抑え、拳を握ったまま周囲を見る。
「小癪な……小童どもが!」
玉梓の叫びが響き、地面が揺れた。砂が跳ね、小石が転がる。振動が足裏を伝わり、窓ガラスが微かに震える。
ドンッ、ドンッ、と規則的な音が響く。
「なに……?」
忠穂が顔を上げる。
視界の端で、悌が腕を組み、考希は額を布で押さえながら玉梓をにらむ。忠穂は少し前に進み、弥信の前に立つ。
その瞬間、校庭の隅から音が響いた。低く、重く、規則的な足音。次々に近づいてくる。
地面が揺れる。砂が跳ねる。
「今度はなんだ?!」
歯を噛み締めながら智陽が視線を向けた先には、白く光る頭蓋骨から目が覗く餓者髑髏が顔を出した。
「あははははは!」
玉梓が笑う。
「これが私の力よ! さあ、八犬士の末裔たち! 死になさい!」
玉梓が手を振り上げた。
「またお前かよ」
歯を噛み締めながら智陽は言うと、餓者髑髏を睨みつけた。
「餓者髑髏だけじゃないですよ」
結仁の言葉に視線を向けると、地面には無数の小鬼と蜘蛛がいた。
「ほぉ。これは手応えがありそうだわ」
ポキポキと酒呑童子は指を鳴らしながら前に出る。
「暴れすぎて建物を壊さないでくださいよ」
そう言いながら茨木童子も前に出た。
「八房さんは伏姫さまをお願いします」
「おう! 任された」
そう言い八房は頷く。
「行きますよ、酒呑童子」
「おうよ! くたばるなよ!」
「それはこっちのセリフです!」
そう言い二人は蜘蛛と鬼たちに走って行った。二人の背中が、妖怪の群れに飛び込んでいく。
「俺たちもやるぞ!」
「はい!」
考希の一言に部員一同が返事をした。




