第二十二話 八犬士、暴走。救えるのは“物語”だけ
呆然と、弥信は目の前の光景を見つめていた。
やけに冷たく光る蛍光灯の白い光の下の中で、仲間同士がぶつかり合っている。息が荒い。床を踏み鳴らす音。誰かの喉が軋むような声。
「……やめて……」
声が出ない。喉が凍りついている。
義翔の腕が、悌の首に絡みついている。背後から深く回され、指が食い込む。悌の顔が赤く変わり、苦しげに歪む。
「やめてください部長!」
弥信が必死に義翔の腕を引くが、びくともしない。怪力。いつものふざけた笑顔はなく、虚ろな目だけが暗闇に浮かんでいる。
(どうしよう……どうしよう……どうしよう)
考えても考えても考えが浮かばす、ただ焦りだけが募っていく。
悌の呼吸が浅くなる。
「!有馬先輩!頑張ってください!部長!いい加減にしてっ!」
弥信の言葉は忠穂によって振り下ろされたハサミに よって途切れた。
咄嗟に交わすが、ハサミは弥信の頬をかすめ赤い線をつくった。
「っ!」
「大丈夫ですか!?先輩!うわっ!」
礼夏が結仁に木刀を振り下ろす。
(どうしよう……どうしたらいいの……)
戸惑う弥信の指に何かが触れる。それはいつも、女性陣が水を取り替える花瓶だった。
冷たい陶器の感触。中には、まだ水が残っている。
弥信は震える手で花瓶を掴んだ。重い。けれど、これしかない。
「……すみません! 部長!」
そう叫ぶと、弥信は振りかぶり、思いきり考希の顔へぶちまけた。
ばしゃり、と鈍い水音が蛍光灯の下で跳ねる。
考希のまぶたが反射的に閉じた。水滴が頬を伝い、呼吸が一瞬止まる。
「っ……!」
考希の腕から、わずかに力が抜けた。
その一瞬を、弥信は見逃さなかった。
「有馬先輩! 今です、こっち!」
弥信の叫びが部室に響く。
智陽が駆け寄り、力を込めて考希の腕を引き剥がす。悌の体が崩れ落ち、結仁が滑り込むように抱え込んだ。
「ゲホッゲホッゲホッ!はっ……はっ……」
悌は激しく咳き込み、空気をむさぼる。首元に赤い痕がくっきりと残っている。顔色は青白く、涙が滲んでいた。
「大丈夫ですか!?」
結仁が悌の背中をさする。
「う……ああ……なんとか……」
かすれた声で悌が答える。
一方、考希は濡れたまま立ち尽くしていた。虚ろな瞳が揺れ、何かを探すように空間を見つめている。まだ、戻っていない。
「部長……」
弥信が不安そうに見つめる。
その時、考希の唇がわずかに動いた。
「……あ……」
何かを言おうとしている。
けれど、言葉にならない。
弥信は息を呑んだ。
「部長?」
弥信が呼びかけるが、反応はない。虚ろな瞳だけが、何かを探すように揺れている。
その時だった。
「有馬先輩! 安堂先輩! 固城先輩!」
鋭い声に、3人は振り返る。
そこには台本を高く掲げている結仁が立っていた。
「台詞です!」
「えっ?」
弥信が息を呑む。
「みんなに台詞を聞かせたら、正気に戻るかもしれません!」
「でも……みんな、こんな状態で……」
弥信が周囲を見渡す。誰もが虚ろな目で、仲間を敵だと思い込んでいる。
「それは部長方式ですよ!」
「やらなきゃわからない!」
三人の声が重なる。
そして、微笑を浮かべ頷く。
結仁はスッと息を吸い込んだ。
「――光だ!」
それは、里見八犬伝のセリフだった。
落ち着いた、凛とした声。普段の結仁とは別人のように、芯の通った響き。
「光を抱くことが、きっと救いになる!」
結仁の手が、ゆっくりと天へ向かって伸びる。
その瞬間、考希の瞳が、ピクリと動いた。
「……ひかり……?」
掠れた声。
弥信は息を呑んだ。
(効いてる……?)
結仁の台詞が、考希に届いている。
「固城先輩!」
結仁が智陽を見た。
その瞬間――
考希の瞳が、ピクリと動いた。
「……ひかり……?」
掠れた声。
弥信は息を呑んだ。
(効いてる……?)
結仁の台詞が、考希に届いている。
「固城先輩!」
結仁が智陽を見た。
智陽は頷き義翔を押さえたまま、叫ぶ。
「――我らが持つは、義の心!」
力強い声が部室に響いた。
「次!空華先輩!」
結仁が叫ぶ。
けれど、礼夏は動かない。
木刀を握ったまま、ただ立ち尽くしている。虚ろな瞳は、誰も見ていない。
「空華先輩!」
結仁が再び叫ぶ。
反応はない。
礼夏の指が、木刀をぎゅっと握りしめた。
「空華さん! セリフ!」
悌が必死に呼びかける。声が震えている。
それでも、礼夏は何も言わない。
ただ、呼吸だけが荒くなっていく。
「空華先輩! セリフ! 舞台が止まっちゃいます!」
弥信が叫んだ。
その声に、礼夏の肩がわずかに震えた。
「……舞台……?」
掠れた声。
弥信は息を呑む。
(届いてる……!)
四人は顔を見合せた。
「そうです! 舞台ですよ!」
智陽が叫ぶ。
「空華先輩のセリフを、みんな待ってます!」
礼夏の唇が、ゆっくりと開く。
「……わたしの……」
「はい! 空華先輩の番です!」
結仁が力強く頷く。
礼夏の目に、少しずつ光が戻り始めた。
そして――。
「――礼の心を、忘れるな」
凛とした声が、部室に響いた。
木刀が、ガランと床に落ちる。
「よかった。元に戻ったんだね」
そう言い嬉しそうに笑う悌を礼夏はキョトンと見つめた。
「……私……ってこれどうゆう状況なの?!」
辺りを見回した礼夏はギョッとした表情をする。
「説明はあとでします!次の人に回してください!」
「次の人?」
礼夏は怪訝そうな顔をする。
「えっと次は……仲西さん!」
礼夏の声に、忠穂がビクリと肩を震わせた。
ハサミを握ったまま、虚ろな目でこちらを見ている。
「忠穂! セリフ!」
弥信が叫ぶ。
反応はない。
「仲西さん! お願いだよ!」
悌が必死に呼びかける。
忠穂の唇が、わずかに震えた。
「……ちゅう……」
掠れた声。
「そう! 続けて!」
弥信が叫んだ。
忠穂の目に、少しずつ光が戻る。
「忠義を……」
「そうだ!続けてください!」
結仁が叫ぶ。
「――忠義を、貫く……」
細い声が、部室に響いた。
ハサミが床に落ち、カランと音を立てる。
忠穂は膝から崩れ落ちた。
「忠穂!」
弥信が駆け寄る。
「弥信……私……」
「大丈夫大丈夫」
弥信はポンポンと背中を叩く。
「次! 原田!」
智陽が義翔を見た。
義翔は荒い息を吐き、まだ虚ろな目をしている。
「原田! セリフだ!」
智陽が叫ぶ。
「セリフ……」
「そうだ!セリフだ」
智陽が声を張り上げる。
義翔の体が震える。
そして――。
「――義を……義を……」
「そう続けて!」
礼夏が声をあげる。
「――義を、守る……」
低い声が響いた。
義翔の体から、力が抜けていく。
「はぁ……はぁ……」
荒い息を吐きながら、義翔は床に座り込んだ。
「……俺……何を……」
震える声で呟く。
礼夏の声に、忠穂がビクリと肩を震わせた。
ハサミを握ったまま、虚ろな目でこちらを見ている。
「忠穂! セリフ!」
弥信が叫ぶ。
反応はない。
「仲西さん! お願いだよ!」
悌が必死に呼びかける。
忠穂の唇が、わずかに震えた。
「……ちゅう……」
掠れた声。
「そう! 続けて!」
弥信が叫んだ。
忠穂の目に、少しずつ光が戻る。
「忠義を……」
「そうだ!続けてください!」
結仁が叫ぶ。
「――忠義を、貫く……」
細い声が、部室に響いた。
ハサミが床に落ち、カランと音を立てる。
忠穂は膝から崩れ落ちた。
「忠穂!」
弥信が駆け寄る。
「弥信……私……」
「大丈夫大丈夫」
弥信はポンポンと背中を叩く。
「次! 原田!」
智陽が義翔を見た。
義翔は荒い息を吐き、まだ虚ろな目をしている。
「原田! セリフだ!」
智陽が叫ぶ。
「セリフ……」
「そうだ!セリフだ」
智陽が声を張り上げる。
義翔の体が震える。
そして――。
「――義を……義を……」
「そう続けて!」
礼夏が声をあげる。
「――義を、守る……」
低い声が響いた。
義翔の体から、力が抜けていく。
「はぁ……はぁ……」
荒い息を吐きながら、義翔は床に座り込んだ。
「……俺……何を……」
震える声で呟く。
「まぁまぁ」
結仁は苦笑いを浮かべる。
「……最後は部長だ」
義翔が顔を上げる。
考希は、まだ虚ろな目で立ち尽くしていた。
「部長!」
「高松くん!」
全員が叫ぶ。
「高松先輩! セリフです!」
結仁が叫んだ。
考希の体が、わずかに震える。
「部長! 頼む!」
義翔が叫ぶ。
考希の唇が、ゆっくりと開いた。
「――孝の心を……持て……」
掠れた声が響く。
次の瞬間、考希の膝が崩れ落ちた。
「部長!」
全員が駆け寄る。
考希は荒い息を吐きながら、自分の手を見つめる。
「俺は一体……みんな……無事か……?」
考希は全員を見回す。
その言葉に、全員が頷いた。
「よかった……みんな戻った」
弥信はホッと息をつく。




