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第十七話 玉梓の影と、雪うさぎの微笑み

ユサユサと体を揺らされ、弥信は目を覚ました。重い瞼を持ち上げると、まだ眠そうな礼夏が座っていた。

 

「おはよう。もうすぐ朝ごはんらしいから、支度しなさい。……仲西さん!」

 

そう言うと、礼夏は弥信の隣に寝ている忠穂を揺すった。

 

「んぅ……あと五分……」

 

忠穂が寝ぼけた声で呟くと、礼夏は少し強めに肩を揺する。

 

「起きなさい。朝ごはんの時間よ」

 

弥信はゆっくりと体を起こし、ぼんやりとした頭で周囲を見回した。白んだ空気の中、部屋には淡く光が差し込んでいる。昨夜の出来事が夢だったのか、それとも現実だったのか、まだ曖昧な感覚が残っていた。玉梓の声、赤い空、妖怪たちの姿。全てが頭の中で混ざり合っている。

弥信たちは身支度を整え、髪を軽く梳かし、着崩れた服を直してから部屋を出た。廊下はひんやりとしていて、弥信は思わず肩を寄せた。

廊下に出ると、一人の女性が静かに立っていた。白い着物を纏い、透き通るような肌。長い黒髪が絹のように流れ、まるで雪そのものが人の形を取ったかのような美しさだった。その姿は幻想的で、思わず息を呑むほどだった。

 

「おはようございます。お迎えにあがりました」

 

落ち着いた声が、静かな廊下に響く。

 

「お迎え?」

 

弥信が首を傾げると、雪女は丁寧に頷いた。

 

「はい。ご朝食ができましたので、そちらのお部屋にご案内するよう、伏姫さまからご指示をいただきましたので」

 

その言葉に、礼夏はジッと雪女を見つめた。眼鏡の奥の目が、鋭く光る。

 

「そう言って私たちを玉梓の所へ連れていこうとか考えてないわよね?」

 

礼夏の警戒心むき出しの言葉に、弥信は思わずドキリとした。確かに、この女性が本当に味方なのかどうか、確かめる術はない。昨夜のこともあって、誰も信じられなくなっている自分がいた。

雪女は少し困ったような表情を浮かべた。

 

「いえ、そんなことはありませんが、たしかに初対面の皆さんに警戒されて当然ですね。……困りましたね」

 

雪女がどう説明しようか迷っていると、廊下の奥から落ち着いた茨木童子の声が響いた。

 

「雪女さん、どうかしましたか?」

 

振り返ると、茨木童子がゆっくりと歩いてくる。弥信はほっと胸を撫で下ろした。茨木童子がいれば、安心だ。昨夜も助けてくれた、信頼できる人だ。

 

「こちらの方々をお迎えに来たんですが、私が玉梓の手先ではないかと疑われてしまいまして」

「なるほど」

 

茨木童子は短く言うと、三人に向き直った。

 

(失礼なこと言っちゃったかな。怒られるかな……)

 

弥信は身構えたが、茨木童子はフッと穏やかな笑みを浮かべた。

 

「大丈夫です。雪女は長く伏姫さまに仕えてくださっている方ですので、安心してください」

「そうですか。すみません……疑って……」

 

礼夏が慌てて謝ると、弥信と忠穂も深く頭を下げた。

 

「本当にすみませんでした」

「ごめんなさい……」

 

弥信は申し訳なさで胸がいっぱいになった。せっかく迎えに来てくれたのに、疑ってしまって。でも、警戒しなければならない状況なのも事実で、どうすればよかったのかわからない。

雪女は優しく微笑んだ。

 

「お気になさらないでください。警戒するのは当然です。むしろ、それくらい慎重でなければ、この状況は乗り越えられません」

 

雪女はそう言うと、ふわりと微笑む。

しかし、まだ申し訳なさそうにしている三人を見ると、雪女は手のひらにふわりと息を吹きかけた。すると、そこに真っ白な雪うさぎが現れた。耳も尻尾も、細部まで丁寧に作られている。まるで生きているかのように、精巧で美しかった。

 

「どうぞ」

 

小さな雪うさぎが、弥信の手のひらに乗せられた。冷たいけれど、不思議と温かみを感じる。触れた瞬間、心がふわりと軽くなった気がした。

 

「わぁ……」

 

弥信は目を輝かせた。本物のうさぎみたいに、耳も尻尾も繊細に作られている。忠穂も興味深そうに覗き込んでくる。

 

「すごい……本物みたい」

「かわいい……」

 

三人は顔を見合わせ、ほっと笑顔になった。緊張が少しだけ解けていく。さっきまでの警戒心が、少しだけ和らいだ。

 

「それでは、ご案内いたします」

 

雪女に導かれ、弥信たちは廊下を進んだ。弥信は雪うさぎを大切に手のひらに乗せたまま、そっと歩く。溶けてしまわないように、慎重に。

案内された部屋に入ると、卓の上には湯気の立つ膳が並び、ひとつめ小僧が小さな体でせっせと運んでいる。

 

「お待たせしましたぁ」

 

ひとつめ小僧の元気な声が響く。その明るさに、弥信の心も少しだけ明るくなった。

ご飯に、わかめと豆腐の味噌汁。塩鮭に、漬物、切り干し大根。

素朴な献立なのに、弥信のお腹がぐぅと鳴った。昨夜の緊張で、まともに食事を取れていなかったことを思い出す。実際、最後にちゃんと食べたのはいつだっただろう。

 

「いただきます」

 

弥信は箸を取り、味噌汁を一口含んだ。出汁の香りが鼻を抜け、体に染み渡っていく。温かさが胸に広がり、ほっとした。

 

「あ……おいしい」

 

思わず声が漏れた。その一言に、場の空気が少し和らいだ。忠穂も礼夏も、黙々と箸を進める。久しぶりに、落ち着いて食事ができている気がした。

境内の朝は穏やかで、昨夜の出来事が遠い夢のように思えた。窓の外からは小鳥のさえずりが聞こえ、風が木々を揺らす音が心地よい。こんな平和な朝が、まだこの世界にあるんだと実感する。

やがて食事を終えると、伏姫がゆっくりと口を開いた。

 

「さて、皆さんはこれからどうしたいですか?」

 

伏姫が優しく問いかけると、弥信は考え込んだ。どうしたいか。何をすればいいのか。全然わからない。ただ、一つだけ気になることがあった。

 

「あの……向こうの様子が見たいです。家族がどうしてるのか、気になって……」

 

弥信は少し考えてから口を開いた。もしかしたら、家族が心配しているかもしれない。自分がいなくなって、混乱しているかもしれない。

伏姫は静かに頷くと、部屋の奥から古い鏡を取り出した。木枠には細かな彫刻が施され、歴史を感じさせる。

 

「この鏡で、あちらの世界を映すことができます」

 

鏡の表面に手をかざすと、ゆらりと光が揺れ、やがて弥信の家の前を映し出した。そこには、あの赤い空はなく、青い十一月の空が広がっていた。そして家のリビングでは、いつも通りの両親の姿があった。母親はキッチンで料理をしていて、父親はソファーで新聞を読んでいる。何も変わらない、いつもの光景。

 

「元に戻ってる……」

 

弥信はほっと息を吐いた。胸の奥にあった重い塊が、少しだけ軽くなった気がした。よかった。家族は無事だ。

全員の家を確認すると、やはりいつもと変わらない光景が広がっていた。忠穂の家も、礼夏の家も、皆同じ。平和な日常が、そこにはあった。

 

「……私」

 

小さく呟いた忠穂の声に、弥信は顔を上げた。忠穂が何か言いたそうにしている。

伏姫が振り返る。

 

「忠穂?」

「私も……普通に過ごしたいです」

 

忠穂は顔を上げ、伏姫を真っ直ぐに見つめた。

 

「家族みたいに、いつも通りに。友達と笑って、授業を受けて……学校に、行きたいです」

 

その言葉に、弥信は驚いた。学校に? この状況で?

 

「忠穂……」

 

弥信は思わず呟いた。

伏姫は少し驚いた表情を見せた。

 

「学校に?」

「はい。ずっとここにいるだけじゃ、逆に不安になってしまって……。普通の生活も送りたいんです」

 

忠穂の真剣な眼差しに、伏姫はゆっくりと頷いた。

 

「わかりました。では、学校に通えるよう手配しましょう。ただし、何かあったらすぐに戻ってくること」

「はい! ありがとうございます!」

 

忠穂は嬉しそうに笑顔を見せた。

弥信はその笑顔を見て、少しだけ安心した。少しずつ、前を向けるようになってきた。きっと、大丈夫だ。

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