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第十六話 夢に追われて、夜に救われて

弥信は、上も下も右も左もわからない、完全な闇の中にいた。

光という概念そのものが失われた空間で、視界だけでなく、距離感や時間の感覚さえ曖昧になっている。足元の感触はなく、地に立っているのか、それとも落ち続けているのかも判断できなかった。自分の手すら見えない。声を出そうとしても、喉が引きつって音にならない。ただ、胸の奥に溜まる重苦しさだけが、はっきりと存在している。

 

(ここは……どこ?)

 

そう考えた瞬間、思考が霧に包まれていく。まるで、考えることすら許されないかのように。

 

「……たぁ」

 

不意に、どこからともなく声が響いた。

幼い響きを帯びながらも、耳に残る粘ついた調子――玉梓の声だった。

その声は、あちこちから聞こえてくるようで、同時にどこにもいないような、不気味な反響を伴っていた。

 

(……なんて言ってるんだろ……)

 

考えようとした瞬間、思考が霧に包まれる。言葉を追えば追うほど、意識が沈んでいく感覚に襲われた。頭の中が綿で詰められたように重く、ぼんやりとしていく。

そのとき、すぐ耳元で空気が揺れた。

 

「……っ!」

 

弥信の体が強張る。息を吸うことさえ忘れ、ただ身を固くした。心臓が激しく鼓動を打ち、全身に冷や汗が滲む。

次の瞬間、至近距離で弾むような声が落ちてくる。

 

「みぃつけたぁ!」

 

ぞわり、と背筋を冷たいものが這い上がった。

全身の毛が逆立つような感覚。本能が悲鳴を上げている。

同時に、ひやりとした感触が弥信の頬に触れる。指先なのか、それとも闇そのものなのかはわからない。ただその感触は、生き物のそれではなかった。氷よりも冷たく、死そのものに触れられたような恐怖が全身を駆け抜ける。

逃げ場のない気配だけが、闇の中で確かに笑っていた。

そして、その笑い声は、どこまでも弥信を追いかけてくる。


弥信は布団から飛び起きた。

激しく息を吸い込み、ゆっくりと震える自分の手を見下ろす。


「どうしよう……どうしよう……私のせいで……。そうだ、伏姫さまに伝えないと……」

 

弥信は布団から飛び出すと、そのまま部屋を出た。

冷え切った廊下を足早に進み、縁側に出ると……怖い顔で考え込む考希が腰掛けていた。


「部長?」


呼ばれた考希は驚いた顔をし振り返った。


「おぉ、安堂か。どうした?寝れないのか?」


先程の険しい表情はなくなり、いつもののほほんとした表情に戻っていた。


「……まぁそんな感じです。部長もですか?」

「あぁ……ちょっと考えごとしててな」


弥信は少し笑みを浮かべると考希の隣に腰掛けた。

 

「それ空華先輩が聞いたら“あんたも考えることがあるのね”ってからかわれますよ」

「ひどいな。これでも部長として色々考えてるんだがなぁ」


困ったような顔をする考希に弥信はクスクスと笑いをこぼす。


「今回も大事な時に決断できず、部長として何もできなかった。そのせいで、皆には怖い思いをさせてしまったしまった。」

「んー。そうですかね」


弥信の言葉に考希はキョトンとする。

 

「あの時、部長が鏡に真っ先に飛び込んだから、皆も飛び込んだんですよ。

部長が決断したから、私たちは今、こうして無事にここにいるんだと思います」

 

「そ⋯そうなのか?」

「そうなんです。それに」


弥信は微笑む。


「部長は我が演劇部の太陽です。

部長の太陽と、空華先輩のお月様、

有馬先輩の諍いを吹き飛ばす風を見て……私たち……少なくとも私は、その背中が好きなんですよ」


弥信は腰に手を当てる。

 

「だから、その悩みは杞憂ですよ」

「杞憂なのか?」

「なんです!」


言い切る弥信に目をパチクリさせると考希は微笑む。


「なんだかスッキリしたぞ。ありがとうな、安堂」

 

少し間を置いて、考希は続けた。


「悩みを聞いてくれたんだ。次は安堂の番だ。何かないのか?」


弥信は少し考え込むと、考希を見た。


「もし……先輩が、自分がいるせいで部活の仲間たちをピンチにするとしたら……先輩はどうします?」


考希は少し考え、やがて顔を上げる。


「まず皆に話す!」

「部長らしいですね」


クスクスと、弥信は笑った。


「その話をするってことは……何かあったんだな?」


一瞬、弥信は口を開き、そして閉じる。

俯いたまま、ぎゅっと唇を噛みしめ――やがて、顔を上げた。


「夢を見たんです」

「夢?」


聞き返す考希に、弥信は頷く。


「玉梓が笑いながら、“見つけた”って言って……私に触れる夢を。

今までも、玉梓が近づいてくる夢を見て、そのあと必ず、何かが起きてて……」


そう言って、弥信は視線を落とした。


「なるほどな。……よく話してくれたな!」


思いもよらない言葉に、弥信は勢いよく顔を上げ、考希を見ると、苦笑いをする。


「責められるのかと思いました」

「なぜだ?」


驚いたように考希は弥信を見た。


「いえ、さっき固城さんが言ったように、みんなを巻き込んであわや死ぬような思いをさせてますし、みんなの家族も……」

「いや、巻き込んだのは玉梓であって安堂ではないだろ。そこは履き違えたらダメだぞ。それに、みんな安堂に巻き込まれたなんて思ってないさ」


ポンと驚いた顔の弥信の肩に考希は両手を置いた。

その瞬間、ポロポロと弥信の瞳から涙が零れた。

考希は泣きじゃくる弥信の頭を撫でながら弥信の涙が止まるまで待った。

しばらくして、弥信はようやくしゃくりあげるのが止まり、俯いていた顔を上げた。

 

「なんか、すみません……」

「全然だ!でだ、1つ提案がある」

「なんです?」


弥信は涙を拭った。


「今の話を伏姫にしないか?」

「……そうですね。何か対策が取れるかもしれませんし」

「よし、決まったなら行こう」


ニッと笑う考希のあとについて弥信は歩き出した。


迷いながら夜の廊下を進み、やっと2人は伏姫の部屋に辿り着いた。薄暗い廊下の先に、わずかに漏れる光が見える。

 

「すみません、伏姫さま……起きてらっしゃいますか?」

考希が静かに扉を叩くと、中から落ち着いた声が返ってきた。

 

「はい。入って」

 

弥信と考希が部屋に入ると、行燈の柔らかな光の中で伏姫が机に向かい、何か書き物をしていた。筆を手に、真剣な表情で文字を綴っている姿は、どこか神聖な雰囲気すら漂わせていた。

 

「すみません。こんな遅い時間に」

 

弥信が申し訳なさそうに頭を下げると、伏姫は筆を置き、優しく微笑んだ。

 

「大丈夫よ。どうしました?」

 

弥信と考希は顔を見合わせた。少しの沈黙の後、弥信は意を決したように口を開き、先ほどの夢と、その後のことを話し始めた。玉梓の声、闇の中での恐怖、目覚めた後の震え。全てを、途切れ途切れに伝えていく。

 

「ただの夢ならいいんですが……今までのこともありますし、一応、伏姫さまに報告した方がいいって部長が」

 

弥信が考希に目をやると、考希は穏やかに頷いて見せた。

 

「なるほど……」

 

伏姫は小さく言葉を漏らすと、少し考え込んだ。眉を寄せ、何かを思案するように視線を落としている。

 

「では、警備を強化しておきましょう。念のため、夜間の見回りも増やします」

「何もなかったらすみません」

 

弥信がそう言うと、伏姫は静かに立ち上がり、弥信に近づいた。

 

「あら」

 

そして、弥信の手をそっと取る。

 

「何もなかったというのは、いいことじゃない。謝ることではないですよ」

「そうだ。安堂は少し悪く考えすぎだぞ」

 

考希もそう言って、弥信の肩をポンと叩いた。弥信は苦笑いしながら「すみません」と頭を下げる。

 

「ふふふ。さあ、もう遅い時間です。今日はゆっくり休んでください」

 

2人は伏姫に深く頭を下げて出口に向かった。と、弥信だけが、扉の前でそっと振り返る。

 

「あの……伏姫さま」

「はい」

「便箋と封筒と……あと何か書く物をお借りできますか?」

 

伏姫は不思議そうに首を傾げると、机の引き出しを開け、中から桜の絵が描かれた便箋と封筒を取り出した。

 

「手紙を書くんですか?」

「はい。さっき部長と話していたら、書きたくなって」

 

弥信の言葉に、伏姫は優しく微笑んだ。

 

「そうなの。えっと……ごめんなさいね。私がいつも墨で書くものだから、ペンがどこにあるか……」

 

伏姫は机の引き出しを軽く開け閉めしながら探す。やがて、下の段から一本の鉛筆を見つけ、そっと手に取った。

 

「これで大丈夫かしら?」

「はい。ありがとうございます」

 

弥信は便箋と封筒、そして鉛筆を受け取ると、小さく頷き、深く頭を下げた。そして、考希と共に部屋をあとにする。

伏姫は、その小さな背中をじっと見つめていた。


弥信は考希と廊下を歩き、部屋の前でわかれると自室へ戻った。

そして、月明かりの中、机に向かい、鉛筆を握る。

一度、鉛筆を持ち上げ深く息を吸ってから、書き始める。

途中、何度か手が止まり、それでも最後まで書き切る。

書き終えた手紙を、そっと畳むと弥信はそれを封筒に入れ、枕元に置いた。


そして布団に入り、目を閉じる。

その夜、弥信は久しぶりに夢を見ずに深い眠りに落ちた。

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