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0/1歴史的補項「戦力の価値について」

ナリス・エリクソンの戦史講義「宇宙戦争の時代」より抜粋


 戦争とは何かと言われれば様々な表現があるだろうが私の視点からは価値の変遷を語ることになる。

 古代、戦力とは人だった。剣にしても槍にしても人の戦力を補強するための道具でしかない。戦力を集めるとは兵士をどれだけ集めるかであり、活用するとはその集団をどう動かすかだった。そして資源もまた人だった。軍事力とは、国力とは、つまり人の数だった。確かに塩や金といった資源を争って戦争は起こってきたのも事実だが、そもそもそれを必要とするのは人を維持するため、人を呼ぶためでしかなかった。

 その力の単位に変化が見られたのは海の上だった。船に人が乗せられたとき、戦力の単位は船の数によって数えられることになる。ただしそれは海の上という限られた場所での話で陸上においてはやはり力とは人そのものを差す。

 かのナポレオン・ボナパルトによって軍団が整備されたころから戦力の構成単位も細分化されたが、それでも戦力とは人によって構成されるもので最小単位が人であったことは変わらない。この頃から兵器の体系は槍と弓から銃にとって替わり、兵の運用も大きく変動したが、その時代においてすら兵器の概念とは基本的に兵士を強化するためのもので、兵士を倒すためのものでしかなかった。

 兵士と兵器の戦力概念が融合を始めたのは世界大戦を境とすればよいだろう。その少し前、戦争の形態が大きく変わった。総力戦と呼ばれる戦争戦略はそれまでの軍事力をぶつけ合う戦いを一変させ、文字通り国家の全てを投げ打つ戦いになった。必然、軍事力がその力を行使すべき対象も急拡大した。経済・技術・生産・思想。国家の根幹を成すもの全てが標的となった。

 兵器の為すべきことも急激に変化する。兵器が殺すべきは兵士だけでなく、国家そのものとなった。建物を破壊し、畑を焼き、街を消す。それを効率的に達成するために兵器は人間の延長を越えた。戦力の根幹は人でなく、兵器になった。何人の兵士を抱えて、運用するかではなく、どれだけの兵器を持ち、運用できるかが戦力の意味するところになった。

 軍艦・航空機・戦車・砲・爆弾。兵士とはそれらの兵器を運用するための端末でしかなくなった。

 以後、人間が基本的に進化しないのに対して兵器は飛躍的に進化することになる。兵器は高性能化、多様化され、より効率的、効果的に目的を果たせるように際限なく発展していく。それにどんな意味があるのかも考えずに。

 西暦2000年以降、これら兵器進化の方向性に一つのテーマが現れる。

 無人化、自動化だ。人道的な建前、現実的なコスト諸々と理由はいくつもあってともかく戦力構成から人を排除する試みがあったのだ。

 当時は今ほど人類人口も多くはなかった。まだ人間の方が貴重な資源であったし、人類文明を維持するためのコストも今ほど莫大ではなかった。貴重な人的資源よりも兵器を自立化させる方が魅力的に見えたのだ。要するにバカげた大量消費が行える程度には余裕があったわけだ。いい時代だ。

 人を介さず、兵器によって戦争を行えると信じられた時代が引き換えに要求したのは莫大な製造・維持コストと終わることのない開発競争だった。兵器は人工知能による自動化を含め歪な発展を遂げ、兵器の消費・維持・整備のコストは際限なく膨らみ続けた。戦争の有り様は命の奪い合いから資源の潰し合いへと変わる。恐竜的な進化を遂げた兵器群がもたらしたものが何だったのか。当時の開発者に聞いてみたいところだ。

 皮肉にもそんな戦争のやり方に否定的な結論を出したのは他ならぬAIだった。

 イヴィーの憂鬱で知られる戦術シミュレーションAI「イヴィー」は人道派どころか戦争を賛美するフィクサーたちですら眉を潜める戦術を提示した。

 それは人間を用いてAI兵器に対抗し、相手国の資源破綻を誘発させる作戦だった。兵と兵器の立場が逆転した瞬間だ。

 際限なく増加を続ける人口は、その文明レベルを維持するためのコストも跳ね上げる。一方で資源は有限だ。効率的な戦争運営においてどちらがより重視されるべきかは自明の理だ。誰も認めなかっただけで当の昔にその時代は来ていた。人命の価値より資源の価値が勝る時代が来た。イヴィーは無慈悲にその真理を人類に突きつけたのだ。

 それでも人道的な見地から、また軍事産業側の見地双方からイヴィーの論理は否定された。それは感情と利害によるもので、先の展望があるわけでもなく見なかったことにしたというべきだろう。

 しかし、戦場のリアリズムは容赦なく彼らの足元を侵食した。程なくして劣勢に立っていたとある貧国がイヴィーの理論を実行に移した。

 AI兵器が人間を蹂躙した例は珍しくはない。AI兵器運用国は貧国の行動を苦し紛れの戦術と考え、これまでの例に漏れないだろうと考えていた。事実、一方的な戦いが繰り返された。しかし、人間は無尽蔵に投入され、やがて兵器側の対応力を超越した。いくらAI兵器が高性能でもそれは整備・保守が行き届いての話だ。それには高度なシステムが要求される。つまり、それにもやはり莫大なコストがかかるということだ。予想に反して貧国は粘り強く戦いを継続した。対抗できるということが解ったからだ。そうなれば心は折れない。人間という低コストな戦力で高コストなAI兵器群を相手取って消費戦争を押し付け続けた。やがてその資源被害に目をつぶっていることのできなくなった強国は緊急的な措置としてやはり人間を投入してAI兵器を防衛させ、露払いまでもさせるようになる。人を戦場に立たせないために作られた兵器が人を戦場に立たせ、あまつさえ守らせるようになったわけだ。

 貧国の戦術は単純で非人道的、かつ人道的だった。AI兵器の運用を取りやめそれらの資源を人間インフラに投資し、兵士を集めそれを決死隊とした。彼らの士気は高い。それに対する強国側の人間は戦う意思を持った兵士とは言い難い。訓練も覚悟も半端なまま送り出された兵士たち。少なくともこの点において強弱は完全に逆転していた。必然、投降者が続出した。これらを貧国は手厚く遇して取り込んだ。それが無人兵器にとって致命的な穴になった。中には無人兵器ごと寝返った部隊もあったという。人的な大損害を出しながら貧国は強国の資源環境に大打撃を与え社会基盤を圧迫した。人道主義者はヒステリックに貧国の戦いを非難したが彼らが戦っているのは主に機械だ。人命を奪っている数では強国の方がはるかに多い。果たして人道的なのはどちらだったのか。

 強国は際限のない軍事費の増大と人口増加を抱え、兵器群を維持するために資源投入比率を増やして社会インフラの弱体化を招いていた。この戦争でそれがさらに悪化した。一方で貧国はAI兵器を切り捨てたことで戦争以外の場ではかえって豊かになった。そのことが強国の市民たちの不満と疑心を掘り起こした。

 我々は何を守っているのか、何と戦っているのか。人を殺すための兵器を命賭して守らせる。では無人兵器は何を守っているのか。

 もちろん国だろう。

 では、国とは何なのか。このテーマに答えはあってないようなものだ。国というものも時代と共に変化するものであるからだ。強いて言うなら価値観の共有だろうか。この価値も時代によって変化する。その価値の変化こそが無人兵器が成り立たなくなった原因になる。

 かつて資源よりも人がもっとも尊ぶべき時代に生まれた無人兵器は、資源がより貴重な時代の到来によって時代錯誤な存在になりつつあったということだ。建前はどうであれ人間の文明を維持するために資源を浪費することの許されない時代に無人兵器の進化は折り合わなかったのだ。


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