8/5「繋がり、絡まる」
8/5「繋がり、絡まる」
事件の顛末を説明するためにマチルダと連絡が付けられたのはさらに翌朝のことだった。
今回はさすがにマチルダ・レプティスの表情も余裕がなく、ルビエールの報告を眉間に皺を寄せながら聞いていた。ドックに被害が出たことで不利な要求も考えられるところだがルビエールはそうはならないだろうという妙な確信があった。
「私個人としては別段何とも思ってはいないのですが」
そう前置きするマチルダにルビエールは不謹慎にもざまぁみろと思ってしまった。この手の文句は内心を押し隠すために使われることが滅多なのは万国共通である。
マチルダ・レプティスは苦しい立場に立たされた。ルビエールたちの仕出かしたことは何であろうと一旦はマチルダを通過して、そこから然るべき場所に行くのである。この過程は絶対に飛ばされない。イージス隊らの駐留するドックは軍のものだろう。どこの国でも軍と外交とは切っても切れない一方で生まれた時からのライバルでもある。
ルビエールの察した通り、マチルダの頭痛の種は軍部に頭を下げなければならなくなったことだった。だいぶ迷った末の言葉は何重にも衣を被されていた。
「人様の施設に被害が出るようなことはお控えください」
顔を引きつらせながらマチルダに言えるのはそこまでだった。ローズたちイージス隊らはあくまでマチルダたち外務局の預かりでそのことによって生じたあらゆる事態にその責任をとることになる。
もちろんマチルダにはルビエールたちに制裁を加えることもできよう。しかし既にマウラとコンタクトを取っている以上、あまり過度な制裁を加えてそちらの交渉に影響を出すわけにもいかない。
ルビエールはそれを解っているしマチルダを嫌っているから悪びれない。マチルダも腹立たしい一方でその状況を自身の態度で招いた自覚はあった。
「補修費用と、賠償請求は覚悟してください」
この言葉は当然ながらルビエールには響かなかった。ルビエールに払えるわけがないし、払うことになるのはマウラになることをマチルダもルビエールも十分に承知しているのだった。
「あのクソアマ!調子に乗りやがって」
地球のノーブルブラッドの報告を聞き終えたWOZのノーブルブラッドは普段の優雅さを捨てて荒れ狂っていた。と、いうよりはこの苛烈さの方が本性に近い。
この本性を知らずして補佐官は務まらない。キャシーには上司を宥める気も自業自得を指摘する気もさらさらない。気分が反映された早歩きに付き従いながら対処のための方策を練っていた。
「で、どうするんです。軍部さん納得させるのはかなり手間ですよ」
ドック自体は修復すればいいだけのことだ。問題はなぜ修復したのか?これをどう説明して誰にその負担をしてもらうかだ。ストライドの大きい歩調はそのままでマチルダは考えを巡らした。
この件に関してはマチルダの失策とまでは言わないまでもマチルダの案件によって導かれたものであることは間違いがない。しかし馬鹿正直に事情を話すわけには絶対にいかない。
となれば事情を隠して責任をマチルダの方で預かることになるだろうか。まっぴらごめんである。
いや、待てよ。マチルダは急に足を止め、後ろのキャシーは驚いてぶつかりかけた。
「あのドック。どうやって確保したんだっけ」
言葉の意味を咀嚼した後にキャシーは記憶を手繰った。
「そういえばうちで確保してませんね。確か、保安庁から引き継いだ時にはもうそこを指示されてたはずです」
「それよ」
マチルダは会心の笑みと共に指を鳴らすとすぐにその過程を確認させた。
マチルダにとって幸いだったのは件のドックが外務局を通じて確保されたのでなく、航宙保安庁の要請によって確保されたことだった。この要請を引き受けたのはWOZ軍参謀総長であるオガサワラという人物で現在のWOZ軍における最高権威の腹心とされる男である。まぁ要するにマチルダとしてはこの人物に一定の責任を求めることができるのである。外務局・軍務局の関係から言えば好ましいやり口ではない。しかしマチルダとオガサワラに個人的な知己があるとなれば話は別であろう。
「やれやれ、とんだ貧乏くじだったようですね」
諸々の手順を踏み倒して自らの裁量で要請を引き受けたオガサワラ・ナガトキ参謀総長は苦笑した。
オガサワラとしては外務省に借りを作るという意図あっての便宜だったのだがその便宜は航宙保安庁の要請に対してのものなので外務省から知らぬと言われれば立つ瀬がない。それにドックに少なからぬ被害が出たとあっては軍務局側も一定の説明を必要とする。そうなってくるとイージス隊という外務省の案件そのものが明るみにでるわけである。ギガンティアから不興を買う羽目になるかもしれない。
まさに貧乏くじであった。このことでオガサワラは外務省とマチルダを詰ることもできるのだがあまり魅力的な選択肢ではなかった。オガサワラとマチルダらの関係は軍務と外務の垣根を越えた良好なものであった。それをこの程度の懸案で崩す気はオガサワラにはなく、マチルダらにもない。
「解りました。ドックの改装ということで処理しましょう。もちろん費用はそちら持ち。借りですよ」
「話が早くて助かりますわ。もちろん、この借りは必ずお返しいたします」
さて、どんな形で返ってくるやら。オガサワラの表情は明らかにそれを期待してはいなかった。
これによってドックの被害に関しては内々で処理がされることになった。顛末を聞き終えたリーは苦笑しながら頭を振る。
「オガサワラ君も可哀想に」
言われたマチルダは悪びれる気は毛頭なさそうだった。
「スマートな解決だと思いますが」
「お見事だよ」
リーは素直に認めた。その実態は個人的な人間関係にモノを言わせただけなのだが、当の本人たちで納得しているのなら、それで問題はない。
「ま、これで彼らの状態は当面は安定するだろう。とはいえ、いつまでも抱えておくのは好ましくない。事態が進展した」
リーの転調にマチルダは表情を引き締めた。
「クリスティアーノ・マウラがマウラを掌握した。彼女は欧州軍閥の長として名乗りを上げることになるだろう」
「つまり、我々の交渉相手としての要件を満たしたと」
「予定とはだいぶ異なるがね。名実ともに十分と言えるだろう。もっとも、問題はそこではない」
言うとリーは席を立ち、自らの手で外務代表室に備わったコーヒーメーカーを触った。
「この先、クリスティアーノは何を目指し。誰と手を結ぶか。あちらにもあちらで思惑があるだろう。シミズであればもちろん問題はない。しかし、どうもジェンス社もクリスティアーノに興味があるようだ。クリスティアーノとの付き合いを考えるのであれば、彼らの考え、そして付き合い方も考えなおす必要があるかもしれない」
元々ロバート・ローズという札を手にしていたのはジェンス社である。彼らはこの特大の爆弾がWOZの手に渡ることを座して見守っている。その気になればローズの所在を火星に流すことでWOZを火星の敵に仕向けることも可能であるが間諜の報告ではあのディニヴァス・シュターゼンは引き渡して以降は何のアクションも取らず、ただ状況を観察しているだけという。
そこに示唆するところがあるのではないかとリーは考えていた。
「ジェンス社は我々と秘密を共有して共犯者に引き込もうとしている。どう思う?」
リーの言葉にマチルダは首を僅かに傾けた。
「どんな企みでしょう」
「彼らの企みと言えば現在の国家体制を崩し、次の体制において影響力を持つこと。ということになるだろう」
「その企みにマウラがキーになる、と」
「そう。で、我々に一枚噛まないか、と誘っているのかもしれない」
心の中でリーの言葉を整理してマチルダは軽くため息をついた。ありえる話だ。
もちろんそうと訊ねたところで連中は何のことかと惚けるだろう。あくまで暗黙の了解。互いにクリスティアーノを援助しつつ、マズいと思えば尻をまくってトンズラをこけるようにする後ろ向きな同盟相手ということだ。
「リスクはありますが面白いと思います。彼の計画を補強することにもなるでしょう」
マチルダはそう言いながらも次の言葉のために顔を険しくした。
「しかしそうなってくればギガンティアのご判断も必要になるでしょう」
もちろん。自分たちだけの判断でできることではない。リーは肩を竦めた。実はそこが難題なのだ。
有体に言えばギガンティアはジェンス社のことをよく思っていないのである。WOZとジェンス社の仲は不可侵で安定している。もちろんそうなるまでには歴史がある。それも120年前という大昔にまで遡る。
グラハム・D・マッキンリーの歴史講義「グラスゴー事件」
WOZとジェンス。この二つ勢力は奇妙な関係性を持っている。共にいずれの法治にも属さない無法の宇宙で誕生し、かたや企業、かたや国家という体を持ちながらそのいずれにも当てはまらない独自の政体を獲得するに至った。
この二つの勢力が宇宙開拓歴の大部分で不可侵の間柄であったのには理由がある。
各国に独自の支社を置いて大使館としての役割を持たせることで影響力を獲得してきたジェンス社は独立した宇宙勢力であるWOZにも当然接触し、支社を置こうとした。
このアプローチは実に悲劇的、かつ喜劇的な事件を招いてしまう。
単純な話、ギガンティアに気に入られるか、さもなくばギガンティアに自分たちが有益な存在であることを示しさえすればよかったものをジェンス社はギガンティアの存在を無視したのだ。
ジェンス社には国家、特に専制的な体制を小馬鹿にしているところがある。彼らには法治によらないWOZのギガンティア親政が極めて滑稽なものと映っていたんだ。また法によって存在を認められていないギガンティアを信用できないとも思っていたのだろう。彼らは一貫してギガンティアを無視し、WOZ議会に対してコンタクトを取った。
現実問題としてギガンティアと交渉するチャンネルを持っていなかったのだから手順そのものは問題ない。問題があったのはWOZの行政に対して懐柔を仕掛けたことだった。彼らにとっては常套手段だったのだがWOZという国にとっては致命的な儀礼無視だった。
懐柔を受けた行政官たちは困惑した。WOZの統治体制において私益のために権利を乱用しようと思えば誰にも解らないところでやるか、もしくはギガンティアの近くにいるかのどちらかだった。当然、そのような環境にいる人間はごくごく限られる。要するに勝手な判断をしずらい環境だったわけでジェンス社の望む展開にならなかった。
結果、その手順は徐々に手広くなっていき、ギガンティア自身の目にも留まることになる。自分の足元でコソコソする外部勢力に気を良くする統治者はいない。
しかしギガンティアの方からジェンス社の方にアプローチすることはなかった。ギガンティアは各方面にジェンス社とは関係を持たず、何かあるならギガンティアを通すよう伝えろと命じた。まぁ当然の話だろう。
ここら辺りで両者の関係がこじれ始めた。ジェンス社にしてみれば何の法治にも属さず、保証もない絶対権力者が許容できなかった。WOZに対してどのような約束事をしてもギガンティアの気分一つで覆る可能性があるんだからな。一方でWOZにとってギガンティアは絶対だ。他はともかく、WOZはそうやって回ってきた。ギガンティアをスルーして物事を進めることは重大な背信行為だった。
そして致命的な提案をジェンス社はしてしまう。当時のWOZ上院議会議長に対してWOZ憲章の改定を提案。それによってWOZの主権を定義してはどうかと持ち掛けたのだ。
ジェンス社が実際にどこまで考えていたかは解らん。ギガンティアの統治を明文化してくれればそれでよかったのかもしれなかったが、これを上院議会議長はギガンティアの否定、排斥を目的にしていると受け取った。そう受け取れるのは確かだ。
ギガンティアは激怒した。クーデターの教唆をされたんだから当然だ。
かくしてジェンス社はWOZから叩きだされることになった。この時、悲劇、そして喜劇は起こった。ジェンス社側は自分たちの行動に何の問題もないと主張して当時の準備拠点に居座った。確かに法令上の問題は何もない。彼らはWOZ憲章の改定を提案しただけだ。ギガンティアなどどの法にも存在しない。存在しないものから命令されるいわれはないし、まして追い出される理屈もない。つまり彼らを追い出す法的な根拠は存在しないということだ。
まぁ子供じみた対応だったと言える。何せギガンティアが実際に存在することをジェンス社自身も理解はしてたんだからな。これに対するギガンティアの反応はもっと子供じみていた。
当時の国務局代表は信じられない勅命を受けた。ジェンス社の準備拠点を放棄せよ、と。この指示によってWOZはジェンス社の準備拠点に関する権利の全てを放棄した。つまり、その場所はWOZの土地ではなくなったのだ。誰の者でもなく、そこには何の法治にも存在しないことになってしまった。何を言ってるんだと君たちも思うだろう?しかし実際に起こった事件なんだこれが。
その日から準備拠点から出るということはWOZに入国するということになった。拠点の周りには入国管理所と警備が設けられ、厳しい出入国審査が都度行われた。
馬鹿々々しいことをするなとジェンス社は抗議したがWOZ側は取り合わなかった。しばらくすると電気・水道などのインフラ供給もストップした。供給を再開するように交渉に乗り出した社員に対してWOZの担当者は「そんな土地も建物もWOZには存在しない」と跳ねのけた。途方に暮れたジェンス社員の帰り際にWOZはこう声をかけたという。
「ところで君たちはどこの誰かな?」
ここにきてようやく彼らはWOZ側が本気であり、取り返しのつかないところに至ったことを理解した。彼らはギガンティアと同じ場所に立っている。つまり彼らは存在しない場所で存在しない人間として扱われているのだ。
そうして彼らは逃げ出した。
この事件はWOZでは笑い話として、余所ではWOZの異常性を示す例として語られることになる。ちなみにその土地は宇宙開拓歴の間はWOZの首都の一角で放置されたままだったらしい。何とも言えん話だな。
当時の上院議長の名からこの事件はグラスゴー事件として知られる。そのような不名誉なことで有名になってしまったグラスゴーは後にオガサワラの名を新たに与えられることになるわけだが、この名前は後の歴史に少しだけ登場するので覚えておくといいだろう。
「駄目だ」
予想を上回る拒絶っぷりにリーは冷や汗を拭った。
「この話はあくまでクリスティアーノを介した協力体制です。互いの不利益にならないようにするだけで相手に得させるものでもありません。それでもお気に召しませんか」
「召さない」
話にならない。頬を膨らませてそっぽを向くギガンティアに溜息をつくとリーはアスターに助けを求めた。アスターはリーの期待に応える気はなさそうで自らギガンティアに諭すようなことはせず、義務的に話を議論に切り替えた。
「マウラとのコネクションはそれほどまでに重要なのでしょうか」
アスターの意図を察したリーは短時間の思巡のうちに筋道を組み立てた。
「我々にとっては、重要ではありません。しかし、シミズ、彼のためには必要なのです。ここは1つ、彼の為に呑み込んでいただけませんでしょうか」
そう言われるとギガンティアは唸った。シミズは現状のギガンティア円卓の中でももっとも能動的に動きWOZのために働いている勢力でありギガンティアのお気に入りでもある。そんな彼を無碍にはできまいとリーは考えた。
ふん、と鼻を鳴らしてギガンティアは冷ややかな視線でリーを射抜いた。
「そもそもそんな工程は計画になかった、つまりジェンスの手などなくても計画上の支障はないということだろう。あいつならジェンスと組むまでもなくやりきるだろう」
痛いところを突かれてリーは表情を維持するのに苦労した。
「仰る通りですが、世界情勢が変化する中で我々WOZも変化を迫られることは必定。それはジェンスですら同じことなのです。ここは一つ、互いのために転機として過去のわだかまりを一度」
「駄目だ。むしろ何であいつらが関わってくるんだ。はじき出せ」
話にならない。リーは提案自体が藪蛇だったと後悔し始めた。ギガンティアはジェンスのことになると感情が最優先される。あらゆる理屈を抜きにしてWOZがジェンス社の得になることを許さない。普段はこうではないのだが。
リーが折れかけたところで思わぬ人物が助け舟を出した。
「要はジェンスに得をさせなければいいんでしょう?」
シンドウ・アスカ・ジングウジ。ギガンティア保守派に属し、WOZの主要メディア局を支配下におきメディア王と呼ばれている。円卓内では保守派に数えられる。新参ではあるがアスターと違い状況に対して積極的に動くため存在感を増している騎士である。齢40に近い見た目にも成熟した女性であるのだが妙に子供っぽいところがある。それがギガンティアの波長と合うのか気に入られており、本来なら貴族名で呼ばれることの多い円卓にあって家名であるシンドウで呼ばれており、ギガンティアの友人とでもいうべき独自のポジションを得ている。
そのシンドウの言にギガンティアは嫌々ながら耳を傾けた。
「利益共有と言わずに最終的に我々が利用すればいいでしょう」
「言葉で躍らせるなシンドウ。私は乗らんぞ」
「そんなつもりは。私としては勝ったと思ってる人間の横顔を殴りつける方がいい音がすると思って提案しただけです」
この言い草にはさすがにギガンティアも興を惹かれたのか考え込みはじめた。
さすがに慣れているな。内心で苦笑しながらリーはジングウジの手際を見守る。しばらくするとギガンティアはいかにも不服そうにリーを睨みつけた。
「してやられた、などと報告は聞かんぞ」
リーは即座に頭を下げて請け負った。実際にはそう上手くはいかないだろうが、それは言うだけ無益というものだった。
「全く助かりました」
円卓を後にして即座にリーはジングウジに声をかけた。言葉と裏腹に内心は気が気ではない。ジングウジは保守派、シミズは実働派、そしてニジョウは中道派である。ジングウジの助け船がただの好意とは思えないのだった。
「ギガンティアにも困りますね。ところでニジョウ様」
そらきた。ニコニコ顔のジングウジにニジョウは溜息をついた。
外務局に戻ってきたリーの不機嫌そうな顔にマチルダは一瞬悲観的な予測をしたが、それが個人的に払うことになった代償に由来することを知ると他人事として笑った。
「お疲れ様です」
マチルダの言葉にリーは呆れながら首を振った。本来ならこの代償はシミズかマチルダ辺りが払うべきなのだ。
「とりあえず、あくまでとりあえずだがギガンティアの許可は頂いた。後はご不興を買わないようにうまく立ち回るしかない。全く厄介だな」
正直なところこの課題はかなり難しい。ギガンティアの言う通りにする必要はなく、ジェンスと上手く折り合いをつけるやり方もないではないがさすがにリー個人でそこまでやる筋合いはない。
「私にお任せくださいませんか」
リーの心情を見越してのことか。マチルダの言葉にリーは考え込む。現状でマチルダは公的にはリーの部下という立場にはなるが円卓内では同列の騎士である。若くにレプティス家の当主としてギガンティアに出仕することになったマチルダを自身の城である外務局に迎えたがいつまでも部下として使い続けるわけにもいかない。もともとマチルダはシミズとのつながりも強い人物であり、能力的にも問題はない。そもそもこの件を引き込んだのも彼女であって引き継ぐ理由は充分あるだろう。
「いいだろう。ジェンスとマウラに関してはこの先は君でやってみてくれ。独り立ちの課題としてはかなり重いが、そうも言ってられなさそうだ」
リー自身もやることは多い。この先は共同体・火星との折衝にエネルギーを振り分けねばならないだろう。実際問題としてマウラとジェンスにだけかまけてはいられない。
マチルダは神妙に頷いた。
「マウラとの折衝にはCJを向かわせている。君の判断で動かしてくれていい。彼をそのまま使ってもよし、君自身が動いてもよし、他の者を使ってもよし。もちろん、CJが空くならすぐにこっちに回してくれると嬉しい」
CJとはマチルダと同じ外務官であり先輩格にあたる。数いる外務官の中でもエース級の人物として方々を飛び回っている。
「先輩に任せておけば安心でしょう」
体よく使える人材を確保するマチルダの図太さにリーは苦笑する。
「さて、マウラの内紛といい、思ったより急な展開になったようだけど、結果的には話が早く展開するから僕らには都合がいい。気に乗じて早いところ片付けた方がいいと僕は思うね」
「同感です。では例のドックの件も適当に片を付ければよろしいですね」
「君に任せると言った。責任ともどもね」
この先は主にマチルダが責任を負わねばならない。円卓での後見人としての関係は終わり、これからは同士としての関係になる。
結局のところイージス隊に課されたのはドック改修費と課徴金のみだった。もちろん払えるような額ではなかったのでルビエールは厚かましくもクリスティアーノ・マウラに宛てるように言い放ち、請求したマチルダはあっさりと了承した。後日、その請求をクリスティアーノは一笑に伏すと自身の資産からポンと支払ったという。
「なんだこれ」
機体の調整をしたいから来てくれという報に首を傾げながらハンガーにやってきたハヤミは目の前にある機体に呆然とした。
「ハヤミ曹長ですね。クサカのモーリ・シエナ出向伍長です。ルビエール・エノー大尉の指示によりHV1機お運びしました。受領お願いします」
開いた口が塞がらないとはこのことである。損傷したVFH11に代わってハヤミに宛がわれたのはクサカの新型試作機XVF16だったのである。
「な、なんで俺が」
冗談ではない。アニメじゃないんだ。新型機なんて得体の知れないものをいきなり与えられても扱えるわけがない。これが仮に役に立つと言うんならそれこそもっと他に乗るべき人間がいるだろう。
「僕が推薦しました」
聞き覚えのある声が頭上からして見上げると新型機のコクピットから眼鏡の少年がひょっこり顔を出した。その顔を見てハヤミは納得した。なるほどあいつなら面白がってそういうこともやる。
「そう心配しないでください。それなりに役に立ちますよ。いまあなたのコマンドログをぶち込んでますんで説明は後で。操作感はそんなに変わりないはずです」
そういうとマサトはまたコクピットに引っ込んでいった。
「よかったじゃねーか。最新鋭機だぞおい」
茶化しにやってきたヘリクセンの声にハヤミはついにぶちギレた。
「バカじゃねーのか!どうやってこんなもん扱うんだよ!」
「こんなもんで悪かったわね」
ハヤミが振り向くとクサカ社のスタッフの不機嫌な顔が映った。エリカ・アンドリュースの美貌とその険の強さにハヤミは思わず後づさった。
「あなた、パイロット歴は?」
「さ、3年」
完全に気圧された様子でハヤミが答えるとエリカはしばし絶句するとありったけのため息をついた。
「大した試験データだわ」
悪態をつく気も失せたか残りの作業をモーリに任せるとエリカはその場を後にした。ハヤミが得体の知れない機体を嫌うのと同じように、エリカはエリカで得体の知れないパイロットに機体を預けることが不服なのである。それは当然モーリも同じでそれは口調にもでた。
「装備はあれでいいですか?」
唐突な投げかけにハヤミは目を瞬いた。
「ですから、装備はあの機銃でいいんですか!」
モーリの指先にはハヤミ機が装備していた分隊機銃があった。唐突に投げかけの意味を理解したハヤミはしどろもどろになって答えた。
「あぁ、頼む。ちょっと珍しいやつでカスタムもしてるから面倒かもしれない」
ハヤミの補足に何の反応もせずにモーリは置かれた機銃に歩み寄るとまず外見を確認し続けて端末に接続した。
「M68分隊機銃。状態は良好。30分で済ませます」
そう宣言するとモーリは連れてきていたスタッフに指示を出し即座に作業に入った。
モーリたちのチーム作業を見たアルトマンはほうと嘆息した。素っ気なく言い切ったが30分というのは簡単な数字ではない。さすがはクサカの本職エンジニアということか。
知らぬうちに自分の機体ということになった新型機を見上げながらハヤミは途方に暮れた。
「今度はモルモットかよ」
「そうは言ってもな。ブラッドレーの機体もいざという時は使わなきゃならん。一番効率のいい判断はこれになるんだよ」
尚且つ、見栄えもいい。そう付け加えるヘリクセンにハヤミはこれまでと違う反発を抱いた。ヘリクセンはまだハヤミのプロデュースを続けるつもりでいるらしい。その一連の立ち回りが今回の件を引き起こしたところがあるとハヤミは思っている。
「まだ続ける気かよ」
「お気に召さないか?」
「召さないね。つーか召したことなんて一度もねーよ」
「そういえばそうか。まぁご安心しろ。答えは聞いてない。第一お前も解ってるだろ、お前で駄目なら次はライナスたちだ」
拒絶の言葉を持たないハヤミは視線だけで何とか一矢報いようとしたが到底通用する相手ではなかった。軽く笑ってそれを受け流すと次の瞬間、ヘリクセンは軽薄さを消した。
「悪いとは思ってるよ。ただお前さんは投げ出さない、そう思えるからこそ俺たちは全力でお前さんを盛り上げてんのさ」
「他に選択肢がないだけでしょ」
「そうとも言うかな」
その選択肢のなさはハヤミも同じだった。ホーリングスの連中には任せられず、いまやブラッドレーの人間たちも当てにはならなくなった。敵との戦いでなく、味方同士のゴタゴタの結果なのだから情けのない話だ。今や諸隊の結束がガタガタになっている。ハヤミはその状況を押し留めなければならない。誰のためでもなく、自分自身の生存のために。
「それはそうとして、いいチャンスだと思いますよ」
作業を終えたのかコクピットから出てきたマサトが口を挟んだ。
「性能的な問題はありません。他の機体を使ったところでログとあなたが馴染むのに時間がかかるのは一緒で程度の問題です。あとは、あなた次第です」
望んでねーよ。とは思いながらハヤミは口に出すのを思いとどまり、いつものうんざりという表情を浮かべるだけだった。
ワシントン師団と別れた第八大隊が身を寄せたのはダラスというコロニーだった。WOZの領域にかなり近い位置にあるこの場所でカリートリーはWOZ側との交渉とイージス隊との合流を行うつもりである。
数日後にWOZ側からの使者が証人と連絡役を兼ねた者と共に現れた。
「WOZ外務局外務官のクリスティアーノ・ジェンセンです」
自らの主と同じ名前の外交官は如何にも有能な官僚に見える男だった。
「少々ややこしい名前だ」
あいさつ代わりの冗談に相手は気さくに笑う。
「全くですよ。僕の考えではわざとですね。うちの上司はそういうことをやるんです。ちなみに僕は仲間内ではCJと呼ばれています。そのように覚えて頂ければ」
握手を交えたカリートリーは一筋縄ではいかない相手であることを確信した。
「さて、案件の話に行きたいところですが、まずはこちらが預かっているものをご確認いただくためにも1名をそちらに返還させていただきます。こちらへどうぞ」
CJに招かれてイージス隊の事務官であるマオ・ウイシャン准尉が部屋に入ってきた。予め聞かされていたカリートリーは安心させるよう頷いて見せ、エイプリルに後を任せた。
2人の退出を見届けるとCJは本題を切り出した。
「さて、我々WOZとしては早急にパッケージの受け取りをお願いしたいというのが本音です」
「我々としても早急にお返し願いたい。子供ではないのです。自由にしていただければ勝手に帰ってくるでしょう。」
CJはにっこりとされどきっぱりと拒絶した。
「いえいえ。こちらも火星に睨まれる覚悟をして抱えたのです。これも何かの縁。少しはそちらのやろうとしていることに噛ませていただきたい」
でしょうね、と一言。カリートリーは続きを促した。
「我々WOZは他国との争議一切お断り、が基本スタンスとなっています。もちろん、いまの時勢ではそれが難しいことくらいは承知しています。火星と共同体が手を組んだ以上は、彼らに覇権が渡りでもすれば次に共同体は我々を圧迫してくるでしょう」
「つまり、我々に勝ってもらいたいと?」
そんなはずはあるまい、と思いながらも会話を円滑に進めるためにカリートリーは合いの手を入れるように質問を投げた。予想通り、相手は首を横に振る。
「勝利は目的達成のための手順であって、目的ではありません」
カリートリーは目を細めた。戦争は手段、その勝利も当然ながら目的達成のための過程でしかない。勝利を求めるあまりにその目的を履き違える者が多いなかでこの男はそれを少なくとも言葉状では理解しているようだった。
「極論、あなた方が戦争で敗北しようが火星と共同体に覇権を握らせることがなければ我々としては充分なのです。何なら今からでも講和という手を取られてもよいと思います。我々は喜んで仲介しますよ」
カリートリーは破顔した。なるほど確かにここで講和すれば戦争は地球の敗北、つまり火星の勝利となる。しかしそれでは火星は目的を充分に達成できなくなる。共同体に至ってはただの骨折り損。WOZとしてはそれもありだろう。
だが、だからこそそんな講和が実現するはずはない。もちろんこれはジョークの類だ。CJはWOZの考え方、目的をそういう形で伝えてきた。これはカリートリーという人物には効果的だった。
「なるほど。そちらの考えは理解しました。で、あれば我々は協力できるかもしれない。マウラは戦争の勝利を目的としていませんし、手段としても重視していない。この戦争の終結と、その先に訪れる世界にこそ我々の目的はある」
CJは苦笑しながら頷いた。
「シミズ。ですね」
カリートリーも苦笑しながら頷く。CJとカリートリーはしばしの間感情を共有するようにその人物のことを思い浮かべていた。
「結構、そちらの意思と目的は確認できました。具体的な話は置いておくとして、我々WOZはマウラを頼りにさせてもらうことにしましょう」
形はどうであれマウラは大戦にWOZを巻き込まないようにかつ、火星というよりは共同体が力を持たないための戦争妥結を目指す。WOZはそれに協力する。場合によっては戦争終結時に仲介を担ってもいい。この時点でマウラとWOZに結ばれた秘密協定はそんなところである。
一見するとマウラが一方的に得しているように思える。しかしこの両者は「シミズ」という別の意思によっても結び付けられていた。
両者は不敵な笑みを見せどちらからともなく手を差し出し握った。歴史に記されることのない転換点がここに刻まれたのだ。
次の更新は7月の予定です




