9/1「クリスティアーノ・マウラ」
9/1「クリスティアーノ・マウラ」
マウラ閥における一連の騒動が収束に向かい、新たな当主の元に秩序は回復されはじめた。クリスティアーノは久方ぶりに自らの館にその身を戻していた。
もちろん休むためではなかった。やることはいくらでもある。表立った反クリスティアーノ派こそ排除できたものの残ったマウラ、及び周囲の諸勢力の全てがクリスティアーノに協力的なわけではない。特に厄介なのはこれまでマウラの運営に中心的な役割を担ってきていた者たちで、これまで通りに彼らに職務を担わせ続けるとそれが派閥化する危険性を持つ。そうなればいずれはクリスティアーノの組織運営に妥協を要求することになるだろう。これを防ぐにはそれらの役割をクリスティアーノ派で掌握する必要がある。
しかしそれら全てをクリスティアーノの子飼いに引き継がせるにはあまりに人手が足らなかった。そもそもその手の雑事に精通した人材と言うのは貴重であるし、そういった能力とクリスティアーノへの信頼を併せ持つ人材となれば猶更のことだった。
つまるところクリスティアーノにとって自らの理念を共有できる信頼のおける部下はいまだ少なのだ。クリスティアーノ自身が手にした影響力と比すれば滑稽なほどに矮小であって場合によっては手にした力の方に振り回されることにもなりかねない。
「これまではあなたの理念に付き従う者があなたの手駒でした。しかし、これからは違う。それぞれの打算と利害によって従う者を見分けながら使わねばなりません。これを誤ればその力は真っ先にあなた自身に叩きつけられるでしょう」
うんざり顔で書類に目を通しているクリスティアーノにサネトウは言い聞かせる。子飼いを増やすというのは簡単な話ではない。利害によらず、理念によって成り立つ信頼関係というものは時間、そして何より縁が必要だ。ましてクリスティアーノの、となれば積極的に増やそうとすることは却って獅子身中の虫を抱える危険も大きい。
「次は利害を共有できる味方を増やす場面であると存じます」
脱皮の時期は終わり、クリスティアーノの組織は羽化の時期にかかった。クリスティアーノが自らの武器を振り回すに足る力を身に着けるためには直参の部下だけでなく、外部の強力な賛同者を必要とするだろう。日和見な者たちが裏切るのを躊躇するだけのバックボーンを手に入れる。ここからは積極的に他者と関りを持ち、味方に引き入れていくフェーズだ。
「面倒な話だな。で、宛てはあるのか?」
サネトウは軽く頷いてリストを追加した。
「まずは各国の特殊戦略師団から味方につけていくのがよろしいかと思います。実体はともかく、お嬢様もいまだローマ師団の長でございますからな。必然、そこから各国自衛軍に影響力を持つことも叶うでしょう」
クリスティアーノは顎に手を当てて各国の特殊戦略師団長を思い並べた。
「M」
この呟きにサネトウはにっこりとほほ笑んだ。
「心強いお方ですな。格、実力、利害。申し分ありません」
あの堅物に見えて野心家のババアはクリスティアーノがマウラを掌握したとすればまた態度を変えてくるだろう。付き合いを深めるには今が絶好の好機かもしれない。例の作戦もその材料として活かせるだろう。
それにミラーもいる。この先、彼が復権するかどうかは未知数だが、貸しは与えてある。
「もう一人。個人的にお勧めしたい方がおります」
そういうとサネトウはリストの一つをピックアップした。
「トウキョウ師団ヨイチ・ハセガワ」
「あいつをか?」
クリスティアーノは驚き、疑った。ヨイチ・ハセガワは有能な将校ではあるがトウキョウ師団を要する太平洋同盟「OPA」は宇宙利権、つまり戦争に関しては完全なアメリカ追随で軍部も能動的に動くことがない。仮にヨイチを味方につけてもほとんど意味がないのではないか?
「何も戦争や軍ばかりが影響力の働く場ではありません。OPAは基本的にアメリカ追従で宇宙利権に興味が薄い。それゆえに列強の中では例外的にドースタンでの非難を受けずに済んでいます。つまりこの先、連合内での列強勢力においては重要なポジションにつくということです」
地球連合内での勢力争いに関連してヨイチを介してOPAとコネクションを設けるということだ。理屈を理解したクリスティアーノは渋い顔をした。ヨイチはそういう使われ方を嫌うだろう。これはクリスティアーノ個人にとってよろしくない。
「もちろん、ハセガワ様がお嬢様のお気に入りなのは承知しております。やるかやらないかの判断はご自由に。いずれにせよOPAには注視しておくべきでしょう」
「クサカを通じる方法はどうだ」
OPAに属するクサカ社とローマにはイージス隊を通じたコネクションがあるではないか。この切り口に対するサネトウの答えは辛辣だった。
「リスクの高い馬に思えます。クサカとだけ付き合う分には問題はありませんが、クサカを通じてOPAとなるとクサカに肩入れしたものと見做されるかもしれません」
「そんなに嫌われてるのか、あいつら」
サネトウはあっさり頷いた。
「クサカは宇宙利権に対して消極的なOPAに不満が強く、近年はアメリカなど各国主戦派とのつながりを強化してきました。当然ながらこれはOPAの方針とは相反するものです。クサカはそれら主戦国とのコネクションによって急激に勢力を伸ばしてきましたがそれにOPA自身はほとんど関わっていないのです」
「なるほど、面白くはないだろうな」
クサカが連合最大の軍需企業の座を狙っていることはクリスティアーノも知るところであり、そのためにかなりの無理を通していることも多少は認知している。OPAにとってはかなり鬱陶しいことだろう。自分たちの方針を無視して権勢を伸ばしているだけでも迷惑な話だが、関与していないと言っても自国企業のやることを知らぬ存ぜぬで済ませることもできまい。両者の仲は悪いとは言わずも冷え切っているのだろう。
そこにマウラがクサカを通してOPAと接触すれば、どう思うか。OPAはマウラをクサカ陣営のものと思うだろう。
「では、クサカ自身との付き合いはどうする」
「それはシミズ、そしてWOZをどうするか、に尽きると思います」
この投げかけにクリスティアーノはそれほど悩むこともなく断言した。
「WOZはともかく、シミズにはこれからも付き合ってもらう」
「なれば、クサカとは付かず離れず、現状の意地が適当と存じます」
それに関してはクリスティアーノも特に不服はない。困るのはそうなるとOPAとの接触にはヨイチを通じるか、別の道を拓くしかないと言うことだ。
「して。WOZとジェンスに関しても考えておかねばなりません」
サネトウの声色が一段低く、重くなった。この話し合いの核心とも言える部分に差し掛かったのだ。
「両者の思惑は似たようなものでしょう。厄介なのは両者が不干渉とはいえ潜在的には敵対関係にあると言う部分です。この二つを相手取って都合よい立ち回りをするのはかなり骨の折れることでしょう」
「どちらかを選ぶ必要があるってことか」
「いえ、骨を折る価値はあると思います」
サネトウの言葉にクリスティアーノは口角を釣り上げた。これまでもサネトウの提案には無理難題に思えるものがあったが今回はその中でも飛び切り挑戦的に思える。
「ジェンスは言わずもがな、WOZも大戦において重要な勝利を得ようと画策しております。このキーに我々が選ばれたという事実は大きな武器となる。この武器は諸刃ですが、互いに反発しあう性質を持っております。適切な距離におけばその刃が我々の肉に届くことを防ぐこともできましょう」
先ほどの話に繋がる。いまだクリスティアーノに対して懐疑的な身内に対してのジェンス・WOZからの援助は強力なバックボーンとなるだろう。
この両者はあくまで外部の者、信用のおけない存在でどちらか片方であればクリスティアーノは操り人形となったと考える者も出てくるだろう。ところがジェンスとWOZ、この二つは両互いに深入りを許さず、警戒しあうことは全ての人間が承知している。二つ同時に相手取ることでクリスティアーノの影響力を誇示できるわけだ。
「そう上手くいくものか?」
「ですから、骨が折れると申し上げました」
が、その価値はある。サネトウの言わんとするところを受け取ってクリスティアーノは不敵に笑った。
「つまり当面の私の宿題はジェンス・WOZ・OPAと誼を結ぶことなわけだな。わかった。やってやろう」
主の宣言にサネトウは深々と一礼をした。この老人には主を試すところがある。その試練を越えてこそ、この老人の忠義は得られるのである。
「政治的な話は解った。で、戦争の方はどうする?」
話を転じると老人は打って変わって口調を軽くした。
「カリートリー殿提案である例の作戦の転用に関しては妙案であると存じます。ただし考え直すべき点はいくつかあります。まずMに中心を担っていただくことは必須ですが、それだけでは陣容に難があります」
「あまりいい顔をしないんじゃないか?」
増援をつければMはプライドを傷つけられるのではないか。クリスティアーノの予測をサネトウは評価しない。
「作戦規模と重要性を解さぬ方ではございませんでしょう。問題はどのような陣容にするかです」
そういうものか。クリスティアーノはあっさりと納得するとらしくもなく軍事的な部分に思考を走らせた。
サネトウは気にしないとは言うがロンドンと同格の戦略師団を投入するのはマズいだろう。指揮系統が複雑化する。かといって弱くても意味がない。第七艦隊を失った正規軍から抽出するのも時勢が悪い。
しばらくしてクリスティーノは顔をひらめかせた。
「それなら、うちはどうだ?」
「ローマ・・・でございますか」
「うちも腐っても特殊戦略師団だ。カリートリーの育てた大隊もある。何よりMの邪魔になるような司令官でもない」
そう言うのはクリスティアーノ自身である。サネトウはしばし驚き、そして難しい顔をした。それに気づかずクリスティアーノはさらに持論を展開する。
「いっそ戦力だけを預けてカリートリーを自衛軍に引き上げてもいいかもしれんな」
マウラを掌握したクリスティアーノの権勢はローマから欧州共同体の自衛軍全体に伸びていく。そのために送り込む人員としてカリートリー以上の人間はいまい。クリスティアーノには会心の策に思えた。しかし。
「それはいけません」
きっぱりと否定されたことに驚きながらクリスティアーノは説明を求めた。
「マウラは軍閥。その権勢の本質は武力にこそあります。しかし当然ながら欧州自衛軍はその全てがお嬢様のものではなく、カリートリー殿を差し向けたところで即時に全てを掌握できるわけでもございません。それに比べてローマ師団はお嬢様の本体とも言うべき存在。その気になればいつ、どこにでも動かすことができます。ローマだけは常に掌握しておかねばなりません。カリートリー殿レベルの部下が他にいるのであればともかく、これだけは他の者にやらせてはなりません」
しばしサネトウの言葉を咀嚼してからクリスティアーノは何の考えもせずに口にしたことを後悔した。拗ねたような表情を見せるクリスティアーノに苦笑しながらサネトウはさらに付け加えた。
「いまではない、ということです。いまだ我々は欧州軍閥全ての信任を得たわけでもありません。戦争が本格化したいま、カリートリー殿にはこちらのことより戦力の運用を担ってもらう必要があります。彼に渡すなら戦力を動かす仕事。確保する仕事は我々が為すべきことです」
いずれはカリートリーを欧州自衛軍における実働戦力の長とすることはサネトウにとっても規定路線ではある。しかしそれは何のためかと言えばカリートリーを通じて欧州の自衛軍戦力を活用するためであって掌握するためではない。
万全を期した上で手綱を渡し、カリートリーには戦力を動かすことに集中してもらうべきだとサネトウは考えている。カリートリーに掌握まで任せるのは人材活用に空白を生じる。どれだけかかるかも不透明であるし肝心のローマを自由に動かすことが難しくなる。ましてMに預けて自分たちで使えなくなるのは丸裸になるも同然だった。サネトウには無責任な施策であると見えた。
「エノーお嬢ちゃんは使えたりはしないのか?」
思わぬ選択肢にサネトウは意表を突かれはしたが首を振るのは早かった。
「どうでしょう。本人の意思・能力はともかくとして、職責を預けるにはまだまだ時間は必要と思います。とはいえ」
個人的な期待はともかくとしてサネトウはまだ成熟には時間が必要だろうと前置きをした上で付け加えた。
「WOZとの立ち回りには非凡さを認めますな」
サネトウの言葉にクリスティアーノは嬉し気に頷いた。とはいえ、課題は残ったままだった。
グラハム・D・マッキンリーの歴史講義「太平洋同盟」
太平洋同盟。以下OPAは当時の地球連合列強の一角だ。旧時代の日本をルーツとするこの同盟はアメリカから委譲されたハワイ諸島から日本列島までを領有する超巨大海洋国家だ。
宇宙開拓歴の初期において海は多くの者にとって興味の対象外となっていた。資源の潜在的な埋蔵は旧時代から指摘されていたことではあるものの採掘の手間とコストの採算が合わなかったのだ。
OPAが有史類を見ない巨大な領海を支配することになったのも資源の宛てが宇宙へと移り、相対的な価値を減じたためだ。宇宙に興味を移していくアメリカにとって地球の海は大した価値のあるものと映らなかったのだろう。ハワイ諸島が委譲されたのは歴史的な背景もあるが宇宙利権で割りを喰わされている日本への慰めと言った方が適切だろうな。OPA自身は宇宙利権に関しては旧時代からの名残で基本的にアメリカ追従姿勢で宇宙コロニーも地球圏のごく近い場所に数基を持つのみだ。
ゆえに宇宙開拓歴の初期における太平洋同盟は存在感のない国家だった。悪い言い方をすればアメリカの腰巾着だな。
ところがどっこい。ネイバーギフトがもたらした技術革新は宇宙だけでなく、海にもあまねくもたらされた。海洋に眠る資源がコストに見合う一大鉱床になったわけだ。しかも宇宙と違って明確な自国領域での話だ。これは美味しい。
皮肉なことに宇宙利権に消極的だったこともいい材料になった。ようするに星間大戦にほとんど関わらずに済んだのだ。消費するは少なく、豊富な資源を大海に抱える。OPAは第二次星間大戦による大量消費で行き詰まりを見せることになる諸国の中では例外的に発展を続ける国家となった。地球に3基存在する軌道エレベーターの1基も保有し、少なくとも地球圏内では名実ともに列強と言える立場を得たのだ。
その発展の象徴とも言えるのが人口大陸。メガフロートだ。現在もOPAの首都である「第三新東京」も宇宙開拓歴中期に建造された。さすがに第九惑星とまではいかないがそれでも人類建築の中でもトップクラスの巨大事業だ。これを単一国家で為した辺りに当時のOPAの勢いが感じられるな。この移動すら可能な人口大陸をOPAは3基保有し、太平洋の過半を支配していた。
さて、自国に発展させるだけの資源余地があるOPAはアメリカの手前もあって宇宙利権にほとんど無関心だったが正規軍に対する拠出も多く、ドースタンにおける大敗北には失望することになる。その一方で列強の中では例外的にドースタン会戦における敗北に関して責を負わずに済んだ。とはいえ、これは彼らにとって有利な展開でもなかった。これによってOPAは2つの思惑に挟まれることになる。1つは信頼を失ったアメリカの代弁者としようとする思惑。もう1つは反列強による、列強を分裂させようとする思惑だ。いずれにしても地球連合において重要な役割を果たすことを期待されたわけだ。
マウラ内でのゴタゴタを整理したクリスティアーノがトウキョウを訪れたのはドースタンから2か月が経過してのことだった。クリスティアーノにとっては3度目となる。1度は幼少時の家族旅行で覚えていないが2度目以降は士官候補生としてであってあまりいい記憶ではない。
目的は2つある。1つはイージス隊の現状をクサカ社に報告し、理解を得ること。もう1つは旧友ヨイチ・ハセガワを通じてOPAの軍部と接触することである。
トウキョウでも有数の高級ホテルの1階にあるレストでヨイチ・ハセガワは仏頂面で端末を操作していた。士官学校における同期である2人の間には遠慮と言うものはない。クリスティアーノは何の挨拶もなく席に座り、ヨイチはそれを一瞥するだけだった。
「少しは歓迎できんのかお前は」
「歓迎できるような案件とは思えんからな」
言いながらクリスティアーノはヨイチに歓迎を受けたら熱病にでもかかったのかと訝しむところである。
若くしてトウキョウ師団を駆るヨイチもまたノーブルブラッドではないにしても名家の出身であり、士官学校から既に将来を確約された人材であった。ただし、この2人には大きな差がある。
ヨイチには軍事的な才能があり、クリスティアーノにはなかった。
あるエピソードがある。ある時、候補生たちがチームに分かれて戦術ゲームを繰り広げた。何度となくチームを入れ替えながら行われたそのゲームでもっとも多くの勝利を記録したのがクリスティアーノだった。軍事的な才能がないと思われていた凡才の結果に誰もが驚き、その評価を見直すことにした。やはりノーブルブラッドと。
ところがこの結果にはトリックがある。
このとき二位に甘んじたのがヨイチだった。ヨイチとクリスティアーノの勝敗差は1。その一敗こそがクリスティアーノとヨイチが分かれて戦った最後の1戦だった。つまりそこまでの戦いでクリスティアーノは全試合をヨイチと同じチームで戦っていたのである。チームのシャッフルに厳密な決まりがなく、チーム内での話し合いに全く存在感を見せなかったため誰もそのことに気付かなかった。その時点でほとんどの者はヨイチの見事な戦術指示に注視していたのだ。要するにクリスティアーノは最後の1戦以外はヨイチに乗っかって勝っているに過ぎなかった。
そして最後の1戦。互いに同じ勝利数であることを切り出すとクリスティアーノは最後の1戦をヨイチ対自分という体裁に持って行った。ヨイチがクリスティアーノに苦々しさと共に一目を置くきっかけとなったのがこの駆け引きだった。
この1戦だけは両者がメンバーを順に選出していくことになり、その結果、戦力が拮抗したのである。この戦いにヨイチは惜しくも敗れた。この時点でクリスティアーノにとってこの戦いはボロ負けさえしなければ勝つか負けるかは大した問題ではなかった。どちらに転んでもかまわないクリスティアーノ側はゲーム内のランダム要素を押し付ける博打を仕掛け、その賭けに勝った。勝敗の差は運だった。
クリスティアーノは戦術で勝ったのでなく、場外乱闘と時の気まぐれで勝ったに過ぎない。それに気づいた者は少なくはなかったが士官候補として分別を持った者は黙し、クリスティアーノのやり口を胸に刻むことになる。そういうやり方もあるのだと。
注文を取りに来たウェイターを見送ってからヨイチはようやく旧友を正面に見据えた。
「で、何のようだ」
「トウキョウはいまどこに、どんな状況で置いてある?」
トウキョウとはもちろんトウキョウ師団のことでいまクリスティアーノのいる場所のことではない。本来ならトウキョウ師団はドースタン会戦の後詰め、及びドースタンの拠点化のために投入されるはずだったのだがあの始末である。今は宙ぶらりんになっているはずだった。
「今はハヤブサで待機状態だ。いずれ反攻作戦の折には、と言ったところだがこの情勢だからな」
ハヤブサはOPAの保有する数少ない宇宙コロニーの一つである。そこで来るべき反攻作戦に備えて温存されていると言ったところだろう。しかしヨイチの仄めかす通り、その時期は果たしていつになるか。動かし時に困っているというのが本当のところだろう。
「Mが近く、ピレネーを使った阻止戦線を構築する。そこに協力できないか?」
純軍事的な話になったことでヨイチの目が鋭く光った。詳しい説明を求められクリスティアーノがデータを提示するとヨイチは頷いた。
「なるほど。効果的だ」
ヨイチは戦術家としての顔になって高揚気味に呟いた。
「しかし飛んだサンドバッグだ。よくあのMを…」
言いかけてヨイチは頭を振った。これぞクリスティアーノの真骨頂だった。あらゆる人間を巻き込み、けしかける不可思議な習性。その嵐の中に入れないことにヨイチは少々の寂しさを感じながら別の言葉を吐き出した。
「しかし残念だがトウキョウは投入できん。俺たちだけがワシントンに派兵されているだけでOPAは戦争には加担しないことになっている」
ワシントンの要請ならともかく、トウキョウ独自でロンドンに協力するのはOPAが容認しないだろう。軍事的な理屈などとは無関係のところでトウキョウ師団は雁字搦めになっているのである。
しないことになっている、か。昔のヨイチならもう少し別の言い方をしただろう。クリスティアーノも寂しさを感じた。
「そうか。いや無理を言った。しかしお前さんが太鼓判を押した作戦というなら他の者を説得するのに役に立つだろう」
気にするなというクリスティアーノに対してヨイチはバツ悪そうに付け加える。
「有効なのはあくまで戦術的な話だ。知ってはいるだろうが、その作戦は打たれ役だ。投入した戦力の大部分がダメージを負うことになる。それだけの覚悟を以って当たれる部隊は多くないぞ」
損失覚悟とは決断する者だけが覚悟していればいいという話ではない。その覚悟に殉じることができる兵士たちがいて初めて成り立つのだ。ロンドンは問題ないだろう。しかしロンドンと同じレベルで作戦を遂行できる部隊となると数は多くない。
「なら、お前が思う候補は?」
そう問われるとヨイチはわずかに怯んだ。候補はある。それを紹介してクリスティアーノの説得が成功してしまうことを恐れたのだ。ヨイチの言葉を切っ掛けにその部隊の運命が決まりかねないのである。それであればトウキョウを投入する方が心理的にはマシに思える。それにそれだけ練度の高い部隊を打たれ役にするのは全体に影響を及ぼしかねない。打たれ続ければロンドンと衝突する危険性もあるだろう。
ここでヨイチは別の悪辣な策を思いついた。思いついてしまった自分に嫌悪感を抱きながらヨイチはそれを吐き出した。
「戦線の管理そのものはロンドンで行わせて、打たれ役を各部隊から逐次投入させる手がある」
軍事的には凡才のクリスティアーノはその意味をあまり理解していなかったがヨイチはそのまま続ける。
「船頭はロンドンだけ、手駒だけを正規軍なり、自衛軍なりに出させるんだ。損害覚悟の作戦を引き受ける部隊は少ないだろうが、全責任をロンドンで取るというなら部隊派遣だけなら応じる奴はいるだろう」
そうしてロンドンの戦力はできるだけ温存しつつ、損害の出た手駒だけを入れ替えながら戦えばいい。指揮系統が一本化され、統率も維持しやすい。
「もちろん、派遣させるのにはそれなりの報酬が必要だろうが、それはお前の領分だろう」
その報酬を受け取るのは責任を取ることもなく、手駒を送り出す連中だ。さすがにそこはクリスティアーノも察して忌々し気な顔をした。
「それをやるとMは機嫌を損ねる」
Mは自分の師団を犠牲にする覚悟で作戦を受け入れたのである。しかし実際に犠牲にするのはどこの誰とも知れぬ部隊となればあの老婆の自尊心は大きく傷つくだろう。
「決めるのはそっちだろう。選択に対するケアもな。ロンドンと同じレベルの動きのできる戦力。Mを納得させる理屈。どっちを用意するか」
後者はもっとも効率的だがもっとも忌々しい選択肢である。ヨイチにしても口にはしたもののその選択肢が選ばれないことを願っていた。
「で、話はそれだけか?」
そんなはずはあるまい。この程度の話なら通信で充分だ。別件があるはずだとヨイチが促すとクリスティアーノはしばらく迷ったような仕草を見せてからやおら諦めたようにため息をついた。
「突然だが、OPAのお偉いさんと付き合いが欲しい」
ヨイチは不愉快そうに顔を顰めたが彼の普段の態度から言えば別段特別なことでもなかった。
「そんなところだろうと思った。もちろん、できなくはない。だが、OPAは大戦には関わらん。そこは動かんぞ」
よりによってトウキョウ師団長がそれを言うことには皮肉がある。ヨイチ率いるトウキョウ師団はワシントン師団の援護のために度々使いまわされている。OPAにあって例外的に大戦に直接的な関りを持っているのがトウキョウ師団なのである。OPAとしての立場と軍人としての立場に思うところがあるのかヨイチは自嘲気味に笑った。
「もちろん。だから今後も関わらずにいるために我々の協力が必要になるはずだ」
我々というクリスティアーノの表現にわずかに眉を動かしたヨイチは少しの思索と打算を巡らした。彼とて旧友の状況変化は耳にしている。
「なるほど。戦争における協力でなく、内部での共闘ということか」
アメリカの信頼が失墜した今、OPAは難しくも重要な機会を得ている。新興勢力として誕生したばかりのクリスティアーノ閥とのコネクションはOPAにも興味深いところだろう。
「俺の領分ではないな。だからこそ好きにしてくれ、と言えなくもないか」
ヨイチは複雑そうな顔をした。やろうと思えばできる。損得も問題ない。いま目の前にいる女が同期の友人でなければ理屈だけで判断もできるのだが。このやり取りは2人の友好関係に否応なしに変化をもたらす。その変化の不確定さがヨイチの後ろ髪を引いた。それはクリスティアーノも同じだった。
かなり長い時間をかけてからヨイチは変化を選択した。
「俺の親父からが良いだろう。堅物だが尊敬のできる人間だ」
「息子さんをくださいと言えばいいのか?」
「俺はお前のそういうところが嫌いだ」
ケラケラと笑った後にクリスティアーノは不意に表情に影を落とした。
「親子関係良好そうで羨ましい限りだ」
深い事情を知らず、また深入りする筋合いもないとヨイチは無表情を維持し、しばしの沈黙の後に話を転じた。
「これからマウラをどう動かしていくつもりだ?」
この質問は多くの者が抱き、また永遠の謎となる質問だったが、クリスティアーノは最後の友人である男にだけは打ち明けた。
「天使と出会った」
明らかに反応を探ろうとする切り出しにヨイチは何とか苦笑するだけに留めることに成功し、相手をがっかりさせた。
その時、ウェイターが注文のティーセットを持ってきた。しばし2人は熟練の手さばきを儀式のように凝視していた。
「続けろよ」
クリスティアーノが入れられた紅茶に一口をつけたところでヨイチは促した。腰を折られたクリスティアーノはしばらく目を泳がせて紡ぎ出す言葉を探していた。
「そいつは世界を諦めてる癖に人間を諦めてないんだ。もっとやれるはずだ。もっと高く、もっと遠くへってな。まぁ、そいつが今の世界をどう思っているかなんてのは私には関係がないんだが、そいつは一つの手札を持っていた。ジョーカーだ」
ヨイチはクリスティアーノの言う言葉を探りはせずに静聴の姿勢を維持した。手ごたえのなさに自信をなくしながらクリスティアーノは続ける。
「5年後。人類は転機に立たされる。地球人でも火星人でも宇宙人でもなく、人類がだ」
「フォースコンタクトか」
その言葉がヨイチから飛び出すことを予期していなかったクリスティアーノは驚いたが情報とは常に拡散と変質を続けるものである。既にその情報は以前ほどの機密レベルにないのかもしれない。
「どこから、どこまで聞いている?」
ヨイチは考えあぐねた上で首を横に振った。安易に口にしたものの本来は機密情報であって手の内を晒すことは避けねばならなかった。クリスティアーノもそれに思い至ってその点は避けて仕切り直した。
「では、ここで一つ質問だ。天使は一つの切り札を持っている。そいつは戦争を終わらせるためのカードだ。しかしそのカードは天使自身には切ることのできないカードだ。もちろん、私にも切ることができない。では、そのカードをどうする?」
「そのカードとやらは信頼できるのか?」
そんな手段があるとは思えない。ヨイチの言はどちらかというとそのカードそのものを否定しようとしていたがクリスティアーノは笑って応じる。
「できると仮定した上で、お前はそのカードをどうする?」
少しの思案をした後、ヨイチは答えた。
「それを実現するのなら、方法は2つだ。カードを切れる人間を探すか、切れる人間になるかだ」
「そういうことだ」
我が意を得たりとクリスティアーノは笑った。ヨイチにはクリスティアーノの選択する方法がどちらかは解らなかった。恐らく、この女はどちらであってもかまわないと考えている。天使とやらの持つカードが使える場を整えること、それを目的にしているのだろう。
ヨイチは自分自身に当てはめてみた。と、いってもカードの中身を知らないのだからそれほど真剣に考えたわけではない。
例えば世界を平和にするスイッチがある。そのかわりに自分と自分の大切なものが世界から消える。押す価値はあるだろうか?
それくらい稚拙な発想である。しかし、もし仮にそれが現実であるとしたら。ヨイチは答えを出せなかった。
「で、お前はそのカードに賭けるのか」
「バカだと思うか?」
狂気の沙汰だと多くの人間は言うだろう。クリスティアーノは重々承知で問う。この回答はヨイチとクリスティアーノの関係を決定づけるものになる。しかしヨイチの方は何のことはないと笑いながら答えた。
「そいつは随分前に結論が出ている」
クリスティアーノは破顔して認めた。この態度にヨイチは大きくため息をついた。
「俺には度を過ぎた願いに思える」
人間の歴史とは、争いの歴史だ。これから先もそれが変わるとヨイチは考えていない。この女とその天使とやらは、その理に挑もうとしているらしい。
「だから、そいつは天使なのさ」
皮肉っぽくクリスティアーノは笑う。その天使とやらとクリスティアーノはどうやら本質的に同調しているわけでもなく信義や理念によって結ばれた間柄とは違うらしい。
「そいつに協力してお前自身は何を得るんだ。世界平和か?それとも次の世界の覇権か?」
言いながらこの女がそんなものに興味があるとはヨイチは思っていない。それでは興ざめもいいところだ。
「そこまで極端なことは考えてない。私はただ、いまここにある閉塞しきった世界に風穴を開けて、空気を入れ替えてやりたいのさ」
「穴は考えて開けないと恐ろしいことになるぞ」
ヨイチとて今の世界には閉塞感を感じている。何もヨイチだけでなく、多くの者が大なり小なり抱えている感情ではないだろうか。しかしそれを打破する手を持っているものはいない。この閉塞感は分厚く、巨大なダムとして世界を行き詰まらせている。これに穴を開ける方法を考え付いたとしても、その先に訪れる決壊がそれまでの世界の全てをなぎ倒すことになる。その後に残るのは混沌の世界だ。
「もちろん、それ単体でやるなら間違いなく歴史上でも最大級のテロリズムになるだろうな。だが、時代はそういう流れじゃないらしい。どっかの誰かがダムを破壊し、その下流に自分に都合のいいダムを築こうとしている。しかもそのどっかの誰かはそこら中にいるんだ。気に入らんと思わんか?」
ヨイチの中で滞留していたこの先の世界と戦争への展望がじわりと実態を持ち始めた。それは建材に群がる白アリのような悍ましさを伴っていた。
「確かに気に入らんな。そうは言っても軍人には分不相応な感情だろう」
そうは言いながらもクリスティアーノ・マウラを軍人として定義するのはバカげていることを知っているヨイチである。その言葉はどちらかというとヨイチ自身に向けられているようだった。
「話を戻そう。いま世界は5年後を見据えて動いている。誰もが自分たちにとって都合のいい世界を生み出そうと根回しをしているところだ」
ヨイチもその考え方には異論はなかった。権力者たちがその情報を得たならば、どのようにしてそれを活かすべきかを考えるだろう。実のところヨイチの知る者にも思い当たる動きをしている連中がいないわけでもない。もちろんクリスティアーノもその一人だ。
「で、お前さんもそのカードを持って参戦するわけか」
心外だ。と言わんばかりにクリスティアーノは顔を顰めて見せた後に意地悪く笑う。
「さっきも言ったが、そいつは私が切る必要もなければ、持っている必要もない。誰かが切ればいい。まさしくそいつはジョーカーなのさ」
ジョーカーという手札の持つ役割はゲームによって変わる。どのような意味にせよ、クリスティアーノの持つジョーカーは単にゲームに参加して、勝つための手札ではないことを示しているようだった。ベニーでもワイルドでもない。かといってオールドミスでもないだろう。
「解らんな。そんなカードで何ができるんだ」
「お前は頭が固いな。そいつはあくまでプレイヤー目線だ。ジョーカーに与えられる効果はゲームごとに違うが、その役割はどれも同じだ」
ゲームにジョーカーが入れられている理由。プレイヤーでなくゲーム側からの視点。なるほどその考え方はなかった。ようやくヨイチは自分なりにクリスティアーノのやろうとしていることを理解した。
「ブレイクか」
場を覆すための要素。膠着した場の打破。ジョーカーとは不確定要素として場の流れを転換するために存在する。世の中全体が5年後の先を見据えて行う戦争という性質を変える。そう考えればそのジョーカーが誰の手によって切られるかは大した問題にはならないのも頷ける。
クリスティアーノもヨイチの導き出した単語に頷いた。
「天使は壁を越えて人間が先に進めると思っている。私はそんなことを信じちゃいないんだが、壁の向こう側、それが見れるもんなら見てみたいと思っている。だから、ぶち壊すのさ」
クリスティアーノの言うことには何の具体性もなかったので結局のところ彼女が何をしでかすのかは解らないままだったがその時点で聞き出せる全てを聞けたとヨイチは判断した。
改めて考える。果たしてこれは笑うところなのだろうか?多分そうだろう。これが同期の友人でなければヨイチは失笑して相手にしまい。
では知人としてこの狂人のように思える女をどうすべきだろう?これが問題だ。
要するにヨイチ・ハセガワは天使と出会ったという狂人と出会ったわけだ。この女は戦争に対して何やらとんでもないことを仕掛けようとしている。
警察にでも突き出すべきか?もちろん無意味だろう。
物語においてはある日いきなり空から天使が舞い降りてきて「世界を救って」と言われて戦う主人公がしばしば登場する。実際にその立場になってみて言えることは主人公たち全員が狂人だということだ。なぜに彼らは事情も深く知らずに身を投じることができるのだろうか。
結局ヨイチは何も言わずに肩を竦めるだけにした。しかしこの時、ヨイチ・ハセガワはしっかりとクリスティアーノの目的を受け取っていた。それに対する結論が出たのが随分と先の話だったというだけのことである。
ヨイチからは後日、コンタクトを取れるよう計らってもらうことを確約されてクリスティアーノはホテルを出た。即座に車が滑り込んで何の躊躇もなしにクリスティアーノはそれに乗り込んだ。
「旧友との親交はいかがでした?」
隣に座る大柄な男モートンが気さくに話しかけてきた。
クリスティアーノの護衛役ということにはなるが子供の頃から付き合いのある侍従のような存在で親よりも身近にいる。軍事的、政治的な差配とは無関係ではあるもののクリスティアーノにとってもっとも重要な臣下の1人である。
「ちょっとばかりに官僚的になったな」
クリスティアーノが不満げに漏らした言葉にモートンは苦笑する。人のことを言えるほどクリスティアーノも軍人ではないはずである。
「クサカ本社までは時間があります。お休みになられてはどうです?」
「そうする」
そう言うとクリスティアーノは目を閉じ、眠りに落ちた。バックミラー越しにモートンは静かに微笑む。
寝てる分には天使のような人なんだがなぁ。
グラハム・D・マッキンリーの歴史講義「欧州共同体」
地球連合の中の小地球連合。そう呼ばれるのがEU、欧州連合の流れを汲む欧州共同体だ。だいたい想像はつくだろうが欧州大陸の旧国家の集合体だ。この国は地球連合には欧州共同体として参画する一方で共同体内部ではそれぞれの国家主権は維持されたままという特殊な政体を持っている。
特徴的なのは自衛軍を各国の共同出資で持っている一方で特殊戦略師団に関しては正規、非正規含めて各国が独自で抱えている点だ。自衛軍が欧州共同体の共有であるがゆえにこれらの戦力は各国主権の象徴と言え、各国政府とのつながりが非常に深い。
地球連合において欧州共同体はまごうことなき列強国ではあるのだが、実際には加盟国それぞれの思惑が噛み合うことは少なく曖昧な立場をとることが多かった。
内部での主導権争いは耐えることがない。このような状況では当然ながら各国が抱える特殊戦略師団の重要性も増す。それは各国の師団に力を与えることを意味している。そうして、戦略師団の軍閥化が起こる。誕生した経緯が経緯だ。当然ながら各軍閥は反目しあい勢力を競い合う。武力衝突に発展しなかったのが不思議なくらいだがそれはそれ、他の列強国の干渉だけは避けたいという点は一致していたんだろうな。
そしてこの軍閥による争いは自衛軍にも及んだ。欧州自衛軍は欧州共同体という列強国の規模に対して矮小と言わざるえない。各国が出資を最低限にして戦略師団につぎ込むことを優先したからだ。この点は皮肉にも同じ名を持つコロニー国家共同体の正規軍と同じ傾向だ。
この自衛軍は当然ながら欧州属の領域全体をカバーするに十分とは言えない。必然、その不十分な戦力を取り合う勢力争いも起こる。欧州自衛軍は常に各軍閥の主導権争いで自縄自縛の状態にあった。
まさに小地球連合なわけだ。




