20/2「ノーバディ」
20/2「ノーバディ」
310年8月中旬その日WOZ軍務局には陸海空の3軍の長に海兵団の長、そして参謀本部を含めたWOZ軍の最高幹部がVR上で顔を揃えていた。
WOZ軍務局代表にしてギガンティア騎士の一人であるコウサカ・レオノール・ホロクはグラスノーツ事件によって崩壊した軍事組織を僅か2年で立て直し史上最強と称されるWOZ軍を作り上げた男。
陸軍長官ヒューゴ・ストランドバーグはいかにも古強者と言った老軍人で伝統的なウォルシュタット陸軍の生き字引とでも言うべき古参である。グラスノーツ事件の前と後でその立場が変化しなかった稀有な高位軍人であり現在のコウサカ体制の保守的な意味での象徴存在と言える。
海軍長官ナガミネ・エミリア・アンダーセンは対照的にグラスノーツ事件において前任である父を排斥してその席についたグラスノーツ事件を代表する人物である。コウサカ・レオノールとは士官候補生時代の同期であり現在のコウサカ体制における変革の象徴的存在とされる。
空軍長官ロニー・ブラウンは毛色が違う。彼は現場で艦長として実歴を積み、現場指揮官として順調に出世しながら前空軍長官との個人的な諍いで軍事博物館の館長となった問題児である。この問題児は貴族出身ではこともあって一般市民と現場からの受けは非常によい。しかし軍事貴族たちによって掌握されることが滅多である長官職につけるだけのバックボーンがない。以前までならブラウンのような人材が長官につくことはなかっただろう。ゆえにその抜擢は陸軍、海軍の長が伝統的な人材によって選抜されたことのカウンターと見做されておりその資質を疑問視する向きもある。しかし犬猿の仲とされるエミリアは「実力」こそがブラウン抜擢の決め手だと確言する。
軍務局代表の直下におかれる海兵団の長官ダイドウジ・ミツザネはエミリア・アンダーセンと同期、つまりコウサカ・レオノールとも同期の若き司令官である。海兵団は軍務局が自由に動かす意思伝達手段であり、したがって彼はコウサカ・レオノールの軍事力の代行者と言うべき立場にある。
現在のWOZ軍ナンバー2、軍人としてのトップにあたるのがオガサワラ・ナガトキ参謀総長である。コウサカ、ナガミネ、ダイドウジと共に黄金世代を代表する人物の一人。政治貴族オガサワラ出身のこの男は対敵というよりは味方、あるいはどちらでもない相手との戦いを主としている。WOZ軍の組織体系の根幹を成し、コウサカ・レオノールの右腕とされる男。
そしてもう一人。現在のWOZ軍における主要人物であり、黄金世代の一人であるのが参謀本部属の将校ホンジョウ・マコト・ファヴニである。伝統的に裁判官、判事を輩出してきた中流貴族出身のこの女がWOZ軍内でどのような立場であったかを示す歴史的な資料は存在しない。
この7人こそが人的資源の精粋とされるWOZ軍のトップである。よほどのことがない限りはこの7人がWOZ軍としての意思決定の場から外されることはない。逆説、この7人が揃うということはかなり大きな動きがあるということだった。
コウサカとオガサワラを除く5人はまだその動きを知らされてはいないが予測はできていた。7人以外の出席者に参謀調査室のダイスケ・ロガートがいるためである。参謀調査室はWOZ軍にとっての敵を選別することを第一義としている。となれば、話の内容は限られる。そしてその予測は大筋で当たっていた。
「共同軍が動きました。厳密に言うなら動かされた、と言うべきですが」
オガサワラの言い草にナガミネは眉を釣り上げた。
「誰の用意した脚本だ?身内でなければいいんだが」
「少なくともこちら側ではありませんし、それをどうこうするのは我々ではないでしょう。まずは脚本の説明を。筋書きはお定まり。共同軍内での内輪揉めの結果です」
オガサワラが視線を向けると控えていたロガートが一歩前に出た。
「この場にいる皆さんに説明するのもどうかと思いますが、共同体は両極端な立場にある集団を内包している国です。地球よりの連中、火星よりの連中、どっちつかず。両方と仲良くしたい連中、両方とも信用できない連中。etc。開戦からこの方、共同体は火星との連携に流れているわけですが、この流れはあくまで火星よりの側、特にプロセロから起こったものにすぎません」
共同体内部の意識の流れはドースタン会戦の結果によって一時的に反地球、親火星に傾いた。しかしその流れは常に一定方向に流れているわけではない。共同体内ではむしろ波のように寄せてはひくを繰り返しているのである。今現在の流れに不満を持っていたり、または今の流れから別の方向に持っていきたいものまでが複雑に絡み合っている。
「そもそも共同体が火星と組んだ目的は地球の打倒というよりは自分たちの影響圏の確保にあります。その程度であるからこそ他派閥の同意も得られていたわけですが、当然方針には食い違いがあります。今回の場合、悪さをしたのは火星と組んで影響力を拡充したい勢力。もしくは純粋に敵対勢力である我々や月を叩きたい勢力など。つまりより過激な展開を望んでいる勢力です」
「外部勢力にとっても動かしやすい勢力だな」
「仰る通り」
ナガミネの言葉にロガートは薄ら笑いを浮かべて頷く。この手の連中は自分たちの目的がはっきりしており、機会と手段を与えれば勝手に行動してくれる。利用しやすい勢力である。ナガミネはいまだにその勢力を操っているのが身内なのではないかと疑っているようだったがそれを探る愚は控える。次はもう一人の黄金世代が話を進めた。
「まぁ要するに。火星と組んでいるのを好機として勝手に戦端を開いて自分たちの都合に火星を巻き込もうとしている連中がいるってことでしょ。話は解ったよ。それで、今までは偶発的な遭遇戦ってことでいなしてきたわけだけど。集まって話してるってことは方針を変えるってことなのかな?こっちの苦労も少しは減るんだったらいいんだけどね」
海兵団長官。もっとも身軽な実行者であるダイドウジはこれまで共同体との小競り合いを主に担当してきた。今回に限らず共同体は火星との結託以降は地球への対応が及び腰な一方で対WOZの動きを活発化させて領域境界付近での衝突が急激に増えていた。これまでは彼の手腕を持って双方の被害を最小に抑え、本格的な紛争を避けてきた。今回の場合もそれで済ませられるなら済ませてもいいのではないか?方針の転換に皮肉交じりに疑問を呈している。
オガサワラも私的には同じ意見だった。しかし今回の戦いは純軍事的な都合で起こるのではない。共同体の状況変化がその切っ掛けとなる。そして、それに合してWOZの都合もまた変化することになる。もっともそれは
「それは我々の考えるべきことではありません。少なくとも外務局は外交的な手段で回避する気はないようです」
この言葉に空軍長官ブラウンが目を丸くする。
「ほう。外務局さんはこっちに丸投げとは。お上も随分とやる気のようじゃないか」
外務局はその性質ゆえにギガンティアと繋がりが深い。当然、他国との紛争ともなれば外務局が勝手な判断などするはずがない。つまり外務局の意向=ギガンティアの意向に限りなく近くなる。外務局は共同体に対して対話をする気がないことをコウサカに明言していた。つまり殴ってくるようなら殴り返せということである。これも外務局独自の判断ではない。リーは共同体に敢えてリアクションをする必要がないことをギガンティアに提言し、それに承認を得ている。
「国として方針が決まっているなら我々から言うべきことはないでしょう。ご指示を」
陸軍長官ストランドバーグが話を切り上げると結びは一人の男に委ねられた。全員の視線が一人の男に集まる。
「オーダーはシンプルだ」
軍務局代表でありWOZ軍のナンバー1であるコウサカ・レオノール・ホロクは淡々と命令を下した。
「撃滅しろ」
4人の司令長官を含めた全員が立ち上がり最敬礼でその命令を受諾した。
会議を終えるとオガサワラはすぐに呼び出しを受けてチャットを切り替えた。相手は即座に用件を切り出した。
「例の件ですが」
「どうぞ」
「芳しくありません」
参謀調査室のロガートは悪びれる様子もなく、オガサワラも咎める様子はない。オガサワラの端末には調査に関する報告が転送されてきた。いずれの調査も空振りになったことが最後に記されている。
例の件とは先のWOZで発生したテロ騒動の調査に関する内容だった。そのテロと火星情報大臣兼外務大臣であるアマンダ・ディートリッヒに線を繋げる調査。
「らしくもありません。が、見方を変えればそれほどのものが隠れている、ということですね」
「考え方の一つではありますな」
オガサワラはロガートらを信任しているがゆえにそう考えるがロガートは成果が出せないことに無心なわけではない。ただ、申し訳なさ以上にやり応えを感じているだけのことだった。
ディートリッヒは情報を武器にすると同時に防壁とする手腕にも優れている。あらゆる手段を用いて情報をかき集めながらも自身はその中の必要最低限としか接触しない。情報を武器とするこの手の人間はあらゆることを知りたがり、その結果として痕跡を残すものだがディートリッヒは必要な情報にしか接さず、したがって痕跡が極端に少なかった。つまり、手強い。
ロガートは面目なさげを表情に繕いながらもディートリッヒから秘密を暴き出すことに燃えている。
「ガードが堅い、というだけなら時間の問題と思っていたのですが。それを突破しても空振り続きでしてね。どうやらアプローチからして間違っているようです」
「と、いいますと?」
「ディートリッヒが関わっていると思われる。我々はその一点のみでその計画とやらの出所を火星と括っていましたが果たしてそれは正しいのかどうか、と」
確かにディートリッヒが火星以外の勢力と結んでその伝手を得ている可能性も理屈上はある。しかし現実にそんなことがあるのだろうか?その手の企みごとならジェンス社がもっとも怪しいところだが両者の関係性から考えればそれはないだろう。
「ディートリッヒの情報網は全世界的に広がっていますが、その中で少しばかり異質な線がありまして。次はガニメデを洗ってみるつもりです」
ロガートの言葉にオガサワラは軽い驚き、後に納得という反応をした。ディートリッヒの情報網がそんなところにまで拡がっているのは違和感がある。一方でそこに求めるものがあるとするなら納得もできる。
ガニメデ。現在の人類最果ての開拓地である。この地は宇宙開拓歴の中期に地球連合により開拓の先鞭が付けられたのだが星間大戦の勃発後に火星の妨害によって頓挫。以降、その地に取り残された各国の企業体が無国籍化、独立して開拓を続けている状態だった。火星の成り立ちに近い、と言えなくもないがガニメデの場合は複数の企業体がそれぞれの勢力を主張して争っており、それぞれ好き勝手にガニメデの土地を開拓して領土を主張し、そして相争う無法地帯と化していた。この性質を利して後ろめたい行いを隠す格好の場ともなっており、一つのヘイブンとなっている。
「なかなか骨の折れる場所ですね」
「つきましてはゴーストの助力も願いたいのですが」
ゴーストとはコウサカ・レオノールが持っている実行部隊であるがその本質は武力を伴う諜報活動にある。まさにガニメデのような場所には打って付けな存在である。
「解りました。打診してみましょう」
「助かります」
しかし場所が場所である。オガサワラは余計なものを拾ってくるのではないかと一抹の不安を覚えた。
「目的を忘れないようにお願いしますよ」
「もちろん。こちらも手あたり次第にはしたくありません。別のアプローチからのヒントもあれば有難いのですが。対象Hの調査はどうなっています?」
確保した暗殺者が何者であるのか。それが解れば別の突破口を開くヒントにもなるはずだった。
「そちらに関してもその筋の第一人者に分析を依頼するつもりです。彼で解らないなら正真正銘、ただの人間として考えるしかないでしょう」
ロガートは首を捻った。その筋の第一人者という人間に心当たりがなかったのだ。軍部の研究者以上の人間など他にいたか?
ISE社第三開発部所属テストパイロット。それがハヤミのIDカードに記されている肩書である。
運転手の間違いだろ?さもなくば子分だ。
嘆きの通りハヤミの仕事は実質的にはマサトの付き人のようなものだった。ISE社の社員となって2週間。ハヤミはひたすらマサトの送迎に付き合わされるだけだった。
WOZ最大の軍需企業ISEの実質的な支配者であるマサトに関わりのある勢力は多い。ハヤミはその交流に都度駆り出されていた。
肩書は意味を為さない。
ベリサリオの言葉をハヤミは色々な意味で理解する。行く先行く先で身に覚えのない評価と立場で扱われるのである。他所からやってきたイレギュラーとして奇異な目で見られたり、新興貴族シミズの側近と見做されたりもする。しかしてその実態はただの運転手。肩書はテストパイロット。ハヤミ自身、自分が何者であるかを説明できない。
しかしマサトは笑いながら言う。何者でもないことが重要なのだと。
この言葉の意味をハヤミが理解するのは先の話なのだがこの間にハヤミは一部の界隈で有名人となりつつあった。得体の知れない男。イレギュラー。ストレンジャー。ブギーマン。シロウ・ハヤミは何者なのか?誰もが気にし、注目する。実際には中身は空っぽなのだが。
その日、マサトを迎えにきたハヤミは早々に予定の変更を告げられた。行先は軍務局。数多の送迎の結果としてウォルシュタットの地理にも慣れたハヤミは迷うこともなく車を走らせた。
軍務局ということは呼んだのは十中八九オガサワラだろう。予定を変更したということは明確な用件があるということだろう。
「何の用なわけ?」
「あの人に呼ばれるときは大体「お願い」をされます」
変更した予定を調整していたマサトは素っ気なく答えた。強調された単語でハヤミは大体察した。
軍務局に到着すると2人を出迎えたのは予想通りオガサワラだった。参謀総長の執務室に通されるとオガサワラは自らの手でコーヒーを出した。これまで見たことのない対応にハヤミは戸惑った。不穏である。
「その後、少しは落ち着きましたか?」
この切り出しにもハヤミは違和感を覚えた。この男とは何度かやり取りしているがこのような周りくどい切り出しは初めてである。マサトも同じものを感じたのか訝しんだ。
「そりゃまぁ少しは落ち着きましたけどね」
マサトがWOZを離れていた間にたまった仕事の多くはベリサリオらが処理していたがそれでもマサトなしでは裁断できないものも多い。ここ最近のマサトはそれらの処理であちこち動き回っていた。そして、まさにそれが落ち着いた頃でもあった。
「では、そろそろゴースト貸し出しの件について話がしたいのですが」
げ。察したマサトは防壁を立てはじめた。
「その話はもう済んでるはずですけど」
地球での強奪作戦諸々のための特殊部隊ゴーストの貸与。当然それには諸々の取引がある。もちろんマサトは全て前払いしたのだが。
「ええ。予定分に関しては」
オガサワラは目を細めて後ろに控えているハヤミを見やった。察してハヤミは天を仰いだ。
ハヤミとモーリ。この二人のイレギュラーの処理に関してゴーストは散々に振り回されている。オガサワラはその超過作業の分を取り立てようというのである。
「あくどいなぁ」
言いながらマサトはオガサワラがここまで悪辣な手法を取ることに興味を抱いた。WOZ軍参謀総長のオガサワラは目的のためなら手段にこだわりを持つようなタイプではないが相手の心理を十分に考慮した上で手段を選択する。不用意に敵を作ったり信頼を損なうことはしないはずである。
「で、何をお願いしたいんです?」
オガサワラはハヤミを一瞥した。
「外した方がいいっぽい?」
ハヤミの気の回しにオガサワラは好意的な表情を見せた。が、それが悪かった。
「ダメです。いてください」
まぁ雇い主がそう言うならねぇ。ハヤミは上げかけた腰を降ろして視線を彷徨わせた。マサトの意趣返しにオガサワラは困った顔をした。無理やりハヤミの退席を要望してもマサトは応じないか「支払い」を別の形にしようと言い出すだろう。それではオガサワラの「お願い」は叶わない。観念するとオガサワラはハヤミに向けていった。
「くれぐれも他言は無用にお願いします」
ハヤミは肩を竦めた。そこから先、ハヤミはいないものとして話が始まった。
「昨年の襲撃事件のことは多少なりともご存じですよね」
「まぁ、多少は」
昨年の襲撃事件。WOZで起こった要人暗殺未遂のことである。妙な話だがその事件の折にはマサトもWOZにいたのだが人伝でしか知らず詳しいことまでは聞いていない。
「その襲撃事件の実行者は同じ姿をして同じ遺伝子を持った集団でした」
クローン兵。マサトは努めて無表情を維持したが初めて聞いたハヤミは口角を引き攣らせた。またしても質の悪い冗談のような話だ。しかしどうやら事実らしい。
「ここからがお願いなのですが。そのうちの一人をこちらで確保しています。あなたにはその正体を調査していただきたいのです。それも内秘で」
マサトの表情が変わった。調査するだけなら構わない。同一遺伝子を持った暗殺者集団。単純な興味はもちろん、その特性からE計画が関わっている可能性もある。しかし調査への流れが不自然だった。
「内秘で?」
話から推測するにオガサワラは暗殺者を確保したことそのものを隠しているようである。なぜそんなことを隠す必要があるのか。しかもいまさら。マサトが話に喰いついたのを確認してオガサワラは話を進める。
「本来なら然るべき手順を持って処置すべきことは承知しています。ですがその対象がかなり奇妙なことを言っていまして。正直なところこちらもどう処理すればいいのか確信が持てないのです。だからこの筋の第一人者であるあなたの帰還を待っていた」
この筋の第一人者ねぇ。マサトは表情を歪めた。全く持って不服だが否定するだけの論拠も持ち合わせていない。
「もちろん僕も興味はありますから調査するのはいいんですが。で、何を言っているんです?」
オガサワラはいかにも言いたくなさそうに眉を顰めた。付き合いの浅いハヤミでも滅多にしない仕草だと解る。これはかなりバカげたことが起こっているらしい。ある種の好奇心でハヤミは耳をそばだてた。
「コウサカ・レオノールに会いたいと言っているんです」
ん?ハヤミはその言葉が持っている意味を掴めなかった。それはマサトも同様である。
「もう一度お願いします」
伝わらないことは先刻承知だったのか。オガサワラは耳をかっぽじれとばかりに身を乗り出すと区切りながらはっきりと言った。
「ですから、正体不明の暗殺者が、こちらに投降してきたと思ったら、レオノールに会いたいと、言い出したんです」
言葉は一字一句聞き取れたのだが突飛過ぎて2人にはやはり意味不明だった。3段くらい話を飛ばしているようにしか思えないのだが。
「えーと、なんでです?」
「それが解らないから苦労してるんです。本人はそれ一辺倒でして」
オガサワラは頭を掻いて俯いた。普段のオガサワラではありえない仕草にマサトは思わず苦笑した。これはかなり難儀なことになっているようである。かなりの貸しを作れそうではあるが相当厄介なことにもなりそうだ。
「とりあえず話を聞きましょうか」
マサトが取っ掛かりを見せるとオガサワラは安どのため息をついて持っていた端末をマサトに手渡した。そこには一人の女のプロファイルが表示されている。マサトはしばらくそれを眺めていた。
蚊帳の外のハヤミはテーブルの上に出されていたアイスコーヒーを取った。丁度それを口につけたとき、マサトは徐に端末画像をハヤミに向けた。女の裸の画像が表示されていてハヤミは盛大にむせた。
「やめい!」
ケラケラ笑いながらマサトはオガサワラに端末を差し戻したがオガサワラはそれをハヤミに渡した。いいのか?と思いながらもハヤミは端末を受け取ると可能な限り映像には意識を向けないように情報を読み取った。
表示されているファイルのタイトルには「対象H(自称:ハロルド)の身体調査」と記載されている。ハヤミが見たのは捕縛されたとされる件の暗殺者の身体データだった。ハヤミには一般的な成人女性の数値が並んでいるようにしか見えなかった。強いて何か特徴を挙げるとするなら健康であることとグラマラスだということくらいである。
ふと気づくとマサトとオガサワラ二人の視線がハヤミの反応を伺っていた。何か言わなければならなそうだったのでハヤミは思った通りのことを言った。
「何の異常もないように見える」
オガサワラは頷いた。
「ありませんね」
「それじゃいけないわけ?」
「いきませんね。次のデータを見れば解ります」
そう言われたハヤミは端末をスライドして次のデータを表示した。そこには対象の運動能力などのテストデータが並んでいた。今度は一瞥しただけで異常なものだった。
「サイボーグじゃないよね?」
「さっき身体データを見たでしょ」
「なぁるほど」
ハヤミも話が見えてきた。そんなはずはないのだ。対象「ハロルド(自称)」の運動能力は常人のそれをはるかに上回っている。抜きんでているのは動体視力と反応速度。それと正確無比な身体コントロールである。いずれも訓練どうこうでたどり着けるようなレベルではなかった。これと同一の遺伝子を持った複数人がいることから対象ハロルドが真っ当な人間でないことはあからさまである。
「順を追って説明します」
前提を共有した上でオガサワラは奇妙な出来事を説明し始めた。
ことは309年末のWOZでの襲撃事件当日の話である。オガサワラら軍務局は要人の保護と暗殺者の対処に大わららになっていた。襲撃12、暗殺者と思われる一団31名。この同時多発テロ事件はしかしいずれも未然に対処され被害は警察機構に僅かに出た程度だった。
「よく防ぎきれましたね」
マサトはこの事件の際にWOZには居ながらにして居ない状況だったので襲撃は未然に対処されたとしか聞かされていない。しかし対象ハロルドの身体情報を見た後では簡単な話ではなかったと推測できる。
マサトの疑問に対してオガサワラは脚色せずに答える。
「一つはゴーストとティアフォルクが尽力してくれたためでしょう。あの二人だけは単独で対処が可能でした」
だろうな。とマサトもその点には疑問は抱かない。ゴーストとはコウサカ・レオノールが唯一個人的な意思伝達手段として隠し持っている非正規部隊であるがそれは一個人を示す場合が多い。隊長であるカンナギと呼ばれる謎の女がそうである。あのカンナギもカンナギでティアフォルクに劣らぬバケモノでハロルドに対抗出来ても不思議ではない。
が、それだけで対処できまい。襲撃地点12か所を同時に対処するなどいくらあの2人でも不可能だ。続きを促すとオガサワラはあまり面白くないのか表情を殺して言う。
「情報が筒抜けで実行直前に対処することができたんです。なのでこちらは警察機構も導入した力押しで無理矢理鎮圧したというわけです。それと作戦そのものもひどく杜撰でしてね。暗殺者の能力頼みで緻密さの欠片もない。素人が立てたような作戦でした」
逆に言えばもう少し敵がまともな作戦を立てていれば抑えようがなかったわけだ。敵が勝手に失敗しただけというのがオガサワラの所見なのだろう。不機嫌さも納得できる。
ふむ。不意にマサトは思いついてそれを口にした。
「なるほど。その筒抜けの情報の出所が彼女、ハロルドなわけですね」
オガサワラは頷いた。対象ハロルドは襲撃事件の直前に突如として軍務局に出頭してきたのである。ハロルドは襲撃事件の内容を伝え、その実行者の潜伏場所を密告した。もちろん軍務局の者達は信用しなかったのだがその場に居合わせたオガサワラは薄気味の悪さを覚え、エルンスト・ティアフォルクに確認を依頼。その情報が事実であることが判明したのである。
ここまででも随分と奇妙な話だったがオガサワラらにとって摩訶不思議なのはここからである。自分の仲間を売ったハロルドはその見返りとしてある要求をした。
「それがつまり、レオノールさんに会いたい、なわけです?」
オガサワラは無言で肯定した。マサトとハヤミは顔を見合わせたが見解は全く同じだった。
「意味が解らない」
オガサワラは溜息をついた。
「ですから、それを調べるためにあなたに御願いをしているんです」
今度はマサトが溜息をついた。聞いた話が事実であるなら誰でも頭を抱える話だろう。
「で、会わせたんです?」
「まさか。レオノールの身に何かあったらどうするんですか」
そりゃそうだろうな。レオノールの身に何かあればマサトらの計画の大部分が破綻する。得体の知れない暗殺者と接触させるなどマサトとしても賛同できない。
「だとすると半年以上も拘置しているわけですか」
「一応は亡命希望としてニジョウさんには伝えていますが内容が内容なので迂闊に表にも出せないんです」
「なるほど。そりゃまぁ襲撃事件のメンバーと思しき女がレオノールさんに会いたいとか、下手なことはできないでしょうねぇ」
意味不明過ぎてとても理解されるとは思えない。事件そのものにレオノールが関わっているとか噂されでもしたら厄介だし、そうなる可能性はかなり高い。だからオガサワラとしては内秘で調べることしかできず、それにも行き詰まってマサトが戻ってくるのを待っていたわけだ。
「話は解りました。けどこっちもやること山積みですし、当たりをひける保証もないですよ」
「もちろん解っています。あなたでどうにもならない場合は最悪処分することも考えています」
理解した上で無理を通そうと弱点を突いてきたほどである。オガサワラは相応の覚悟をしているようだったがそれはマサトには有難いものではない。要するにその女の運命が自分次第になるのである。
本心では関わりたくない。されどそうもいかない。断りがたいお願いであることもそうだがマサトのスタンスにも関わる部分でもある。断るべきではない。マサトは次のフェーズに移った。
「解りました。引き受けますけど時間は貰いますよ。とりあえずこれまでの調査報告をうちに転送してください」
「そう言うと思いまして、既に用意してあります」
言うとオガサワラは懐からメモリディスクを取り出した。
「本人に会いたい場合は私を通してくだされば手配します」
「手際のよいことで、大変結構ですよ」
良すぎて迷惑だ。オガサワラは可及的速やかに結果を求めているようだがマサトは急がないことを心に誓っている。納得のいく結論を出すために。
「なんか俺らの為に申し訳ないね」
帰り際ハヤミは儀礼的に口にした。本来なら調査の見返りに何かを要求できるところだろう。
「ハヤミさんがいなくても結局引き受けることになってましたよ。お気になさらず」
心配しなくても気にしてないけどな。ハヤミたちを巻き込んだ責任はマサトにあるのだ。知ったことではない。最近のハヤミは開き直って図太い思考になっていた。
「で、ビックリドッキリ人間の第一人者としての所見はどーなのよ」
第一人者か。マサトは皮肉と不服で複雑に顔を歪めた。オガサワラもそうだがどうもこの手の亜人間の専門家になっているらしい。しかしまぁ他に適当な人物がいないことも確かである。それにマサト自身、このハロルドという人間もどきに興味がないとは言えない。しかし現状では結論の出しようがない。ただの人間であるという結論を出すわけにはいかない。非人間であることの証明。マサトの持つE計画のデータにその手がかりがある可能性は高いだろう。とはいえ
「まずは調査報告書を見てからです。本人にも会う必要がありますね。考えるのはそれからです。まぁ、いずれにせよE計画が関わっている可能性はかなり高いでしょうね」
マサトの知らないE計画のいずれか。そうではないとしてもそこから派生した新たな研究計画である可能性はかなり高い。どちらかと言えば後者だろうとマサトは睨んでいた。共同軍の強化人間計画ネピリムもE計画の残滓から派生したものである。もっとも、今はそう考えられるというだけで先入観は持つべきではないが。
「とりあえず手を付けるのはいま抱えてる仕事をちゃんとしてからですがね。ああ、連絡係にハヤミさんを使うかも知れないんで、調査報告は読んでおいてくださいね」
「うげ、めんどくせー」
嘆くハヤミを笑ってマサトはこの件に関しては一端思考を打ち切った。この後、マサトが人間ではない人間「ハロルド」に関して降すことになる判断はいずれかの個人だけでなく、世界全体に影響を及ぼすことになるのだがもちろんこの時点でそれを知る者はいない。




