2-4:自由な人なんて
2-4:自由な人なんて
その夜、恒一は自室のベッドに寝転んだまま、天井を見ていた。
机の上には教科書とノートが積まれ、その端に進路希望調査票が二つ折りのまま置いてある。提出期限まではまだ少しある。そう思って先延ばしにしているくせに、視界に入るたびに胸の奥を薄く引っかかれる。
スマホを見ても、動画を流しても、何となく落ち着かなかった。
結局、電気を消す前の静かな時間に、今日までのことが少しずつ頭の中へ戻ってくる。
宮坂凛。
画面の中では自由で、明るくて、軽やかだった。
でも実際には、誰かの反応を何度も見返し、たった一つの言葉に気持ちを揺らしていた。
あの明るさは彼女の一部なのだろう。けれど同時に、“そう見られるための形”でもあるのかもしれない。
黒田透。
何もかも拒絶しているように見える。
けれど、その拒絶は自信からではなく、最初から傷つかないようにするための壁のようにも思えた。
選ぶ前から意味がないと言ってしまえば、失敗したときに全部が自分のせいになるのを、少しは避けられる。
白石紬。
静かで、落ち着いていて、自分のことをちゃんと分かっているように見える。
でもその内側には、家族のために小さくしてきた願いがある。
行きたい場所があっても、そこへ向かうことが“自分だけ自由になること”みたいに感じられてしまう痛み。
旬は、空気に縛られているのかもしれない。
綾人は、期待に縛られているのかもしれない。
凛は、見られ方に。
透は、失敗に。
紬は、家庭に。
誰もが別々の形で何かに縛られている。
自由そうに見える人ほど、別の不自由を抱えている。
そのことに気づいたとき、恒一は少しだけ救われる気がした。
自分だけが弱いわけではない。
自分だけが決められないわけでもない。
みんなそれぞれ、何かを抱えたまま教室に座っている。
けれど同時に、もっと厄介なことも見えてくる。
不自由の理由が親や学校だけなら、まだ分かりやすい。
誰かが押しつけてきたものなら、反発する相手もはっきりしている。
でも本当に厄介なのは、外側の問題だけじゃないということだった。
恒一は、自分の胸の奥にあるものへ触れかける。
選びたくない。
できることなら、誰かに決めてほしい。
正解があるなら、それを教えてほしい。
失敗したときに、「これは自分で選んだ道だ」と引き受けるのが怖い。
その気持ちは、誰かに押しつけられたものではなく、自分の中から出てくる。
そこが、いちばん厄介だった。
親の期待や教師の言葉だけのせいにできれば、どれだけ楽だろう。
けれど本当は、自分自身の中にも“選びたくない気持ち”がある。
自由を望みながら、同時に自由を怖がっている。
その矛盾が、自分の足を止めている。
恒一はまだ、そのことをはっきり認めることができなかった。
認めてしまえば、もう「何となく決まらない」では済まなくなる気がしたからだ。
怖いのは未来が見えないことだけじゃない。
自分が、自分の責任で何かを選ぶ人間になることそのものなのかもしれない。
窓の外では、雨上がりの夜気が静かに流れていた。
遠くで車の音がひとつ通り過ぎ、また消える。
恒一は寝返りを打ち、机の上の進路希望調査票をぼんやり見た。
白い紙は暗い部屋の中でもそこにあるのが分かる。
何も書かれていない空欄が、まだ埋まらないまま自分を待っているようだった。
自由な人なんて、本当はいないのかもしれない。
そう思うと少し楽になる。
でもその考えは、同時に別の問いも連れてくる。
それでも、人は選ばなければならないのだろうか。
その答えは、まだ分からなかった。
ただ、分からないままでも時間は進んでいく。
それだけは、教室でも、家でも、変わらず確かなことだった。




