7-3:自由は楽じゃない
7-3:自由は楽じゃない
恒一が朔とちゃんと話したのは、放課後の図書室だった。
補習のあと、参考書を返しに行くと、窓際の席に朔が座っていた。
机の上には借りたらしい数冊の本と、薄いノート。周囲に人は少なく、空調の低い音と、時折ページをめくる音だけが静かに流れている。
恒一は最初、声をかけるつもりはなかった。
ただ返却棚へ向かって本を戻し、帰ろうとしたとき、朔が顔を上げた。
「朝比奈だっけ」
「あ、うん」
「夏の補習、よくいるよな」
その言い方に特別な意味はなかった。
単なる事実確認みたいな口調だった。
でも、だからこそかえって自然で、恒一も少しだけ気を抜けた。
「秋月も」
「家にいても暇だから」
そう言って、朔はまたノートに目を落とす。
話を終わらせたがっているわけではないのに、必要以上に会話を広げもしない。
その間合いが、恒一にはまだ少し不思議だった。
少し迷ったあと、恒一は近くの席に腰を下ろした。
図書室の窓から見える空は、夕方に向かって少しずつ色を薄くしている。蝉の声も、ここまで来るとだいぶ遠い。
何となく沈黙が続いたあと、恒一はぽつりと聞いた。
「秋月って、あんまり周り気にしないよな」
朔は顔を上げる。
「そう見える?」
「見える」
「まあ、必要以上には」
答えは短かった。
けれど、そこで終わりにしないで少しだけ言葉を足す。
「気にしても、たいてい意味ないから」
その一言に、恒一は少しだけ引っかかった。
意味がない、という言い方には、単なる性格の問題ではない響きがある。
「でも、そういうの楽そうだよな」
気づけば、そんなことを口にしていた。
言った瞬間、少し軽率だったかもしれないと思った。
自由に見える相手に、楽そうだと言うのは、もしかするとかなり浅い言葉かもしれない。
案の定、朔は少しだけ首を傾けた。
「自由って楽じゃないよ」
その言い方は静かだった。
説教する感じでも、わざと深いことを言おうとする感じでもない。
ただ、そういう結論を一度通ってきた人間の声だった。
恒一は何も言えずにいる。
朔はノートを閉じ、窓のほうへ視線を向けたまま続ける。
「自分で決めるってことは、間違えたときに言い訳ができなくなるってことだろ」
その言葉に、恒一の胸がわずかに強張る。
「誰かに決められたなら、そのせいにもできる。でも自分で選んだなら、失敗しても自分で引き受けるしかない」
透が言ったことに似ている。
けれど、朔の言い方には怒りよりも、もっと乾いた重さがあった。
「だから、自由を羨ましがるだけの言葉ってあんまり意味ないと思う」
朔はそう言って、恒一を見る。
「明るい感じで言うやつ多いけど。好きに生きればいいとか、自分らしくとか。でも、そういうのって、選んだあとに何が残るかまでは言わないから」
恒一は、自分が図星を突かれた気がした。
自由を“明るい解放”だけで考えていた。
息苦しい場所から出られること。
好きなものを選べること。
縛られないこと。
それは間違ってはいないのかもしれない。
でも、それだけでは足りない。
選んだ先に責任がある。
後悔も失敗も、自分のものとして引き受けなければならない。
その重さを、自分はちゃんと考えたことがあっただろうか。
朔の言葉は説教くさくなかった。
それがかえって重かった。
正論を振りかざしているのではなく、経験の底から出てきた言葉に聞こえるからだ。
恒一は、自分の考えの浅さを少し恥ずかしく思った。
自由を望みながら、その先に何を引き受けることになるのか、ちゃんと見ようとしていなかったのかもしれない。
「……秋月は、そういうの考えたことあるんだな」
ようやくそう言うと、朔は少しだけ笑った。
それは初めて見る、ほんのかすかな笑みだった。
「考えたっていうか、考えないといけないことがあっただけ」
その言い方に、恒一はそれ以上踏み込まなかった。
けれど、その一言だけで十分だった。
朔が今の距離感や態度を“生まれつきの性格”だけで持っているわけではないと分かるには。
図書室の窓の外では、空がゆっくりと夕方の色に変わっていく。
自由は楽じゃない。
その言葉だけが、静かな図書室の中で長く残った。




