表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『自由になるのが、怖かった』  作者: Yukiya


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/40

7-2:空気を読まない人

7-2:空気を読まない人


 秋月朔は、時間が経ってもあまり変わらなかった。


 転校してきた最初の数日は、たいてい誰でも少しは緊張したり、周囲に合わせたりするものだと恒一は思っていた。少なくともこの教室では、そういうふるまいが自然だった。最初は控えめに笑い、相手の話にうなずき、少しずつ距離を測っていく。浮かないように、変に思われないように、場の温度を確かめながら自分を置いていく。


 けれど朔は、慣れて打ち解けるというより、最初から最後まで同じ温度でそこにいる感じだった。


 必要なことは言う。

 授業で当てられれば答えるし、プリントを回されれば隣へ渡す。誰かに話しかけられれば無視はしない。

 ただ、余計な愛想は振りまかない。


 「秋月、昼どうしてる?」と聞かれれば、「弁当」とだけ答える。

 「ここの先生ってどう?」と聞かれれば、「まだよく分からない」と返す。

 「前の学校のほうがよかった?」と少し踏み込まれれば、「比べても意味ない」と言う。


 その答え方が、突き放しているように見える瞬間もあった。


 だから、冷たいと感じる者もいた。


 実際、凛の周囲にいる女子の一人が、小さくこんなことを言っていた。


 「なんか、感じ悪くはないけど、壁あるよね」


 別の女子は肩をすくめる。


 「でも、ああいう人ってそういうタイプなんじゃない?」


 凛はその会話を聞きながら、少しだけ朔のほうを見た。

 何か言いかけたようにも見えたが、結局「まあ、悪い人ではなさそうだけどね」と軽くまとめた。場が妙に重くならないようにする、いつもの凛の言い方だった。


 反対に、透は一度、朔の返しを聞いて小さく笑っていた。

 誰かが「もうちょっと愛想よくすればいいのに」と言ったとき、透は机に頬杖をついたまま、ほとんど独り言のように呟いた。


 「別に、愛想よくする義務なんかないだろ」


 その声は小さかったが、恒一には聞こえた。

 透の口元には、「変に媚びないの、楽でいいかもな」とでも言いたげな薄い笑みがあった。


 旬や凛のように場を整えるタイプとは、朔はまるで違う。


 旬は周囲の空気をすばやく読んで、誰も居心地が悪くならないように言葉を選ぶ。自分が少し笑われる側に回れば済むなら、迷わずそうする。

 凛はその場の温度を上げることができるし、自分も相手も気まずくさせない話し方を知っている。沈黙が落ちそうになれば、自然に別の話題へ流していく。


 朔には、そういう“場の調整”がほとんど見えなかった。


 そのため、彼の存在自体がクラスに小さな波紋を生んでいた。


 それは派手な変化ではない。

 誰かが怒るわけでもないし、朔が何か問題を起こすわけでもない。

 ただ、ほんの少し会話のリズムがずれる。

 笑って流れるはずだった冗談が、そこで止まる。

 相手の期待する返しが返ってこなくて、一瞬だけ空白が生まれる。


 その空白が、恒一には妙に気になった。


 ある昼休み、旬が珍しく朔に話しかけているのを恒一は見た。

 教室の後ろの窓際で、旬がペットボトルを片手に笑いながら立っている。朔は窓枠に軽く背を預け、弁当の包みを片づけていた。


 「秋月って、あんま緊張しないタイプ?」


 旬がそんなふうに聞くと、朔は少し考えてから言った。


 「してるけど」


 「え、そう見えない」


 「見せる必要ある?」


 その返答に、旬が一瞬だけ言葉を詰まらせた。

 すぐに笑ったが、その笑いはいつものようにすべてを柔らかく包むものではなく、少しだけ戸惑いを含んでいた。


 「なるほど。そういう感じか」


 「どういう感じ」


 「いや、なんか……正直な感じ」


 「正直っていうか、聞かれたから答えただけ」


 朔は淡々と言った。

 旬はペットボトルを軽く振りながら、少しだけ苦笑する。


 「それができるのがすごいんだよ。普通、もうちょいこう、場に合わせるじゃん」


 「合わせたほうがいい場面なら合わせる」


 「じゃあ今は?」


 「合わせなくても困らない」


 旬は今度こそ声を出して笑った。


 「強いな、お前」


 「別に強くない」


 朔はそう言って、視線を窓の外へ向けた。

 会話としては成立している。険悪でもない。むしろ、旬のほうも少し面白がっているように見えた。

 でも、たぶん旬が普段慣れているやり取りとは少し違う。相手の空気に合わせて、程よく返してくれる人間ではないからだ。


 恒一はその様子を見ながら、妙な戸惑いを覚えていた。


 朔は、誰かにどう見られるかをまるで気にしていないように見える。


 もちろん本当に全く気にしていないわけではないのかもしれない。

 人間なら、少しは周囲の視線を意識するはずだ。

 それでも、少なくともこの教室の多くの人間が自然にやっている“嫌われないための調整”を、朔はほとんどしていないように思えた。


 そのことが恒一には少しだけ眩しく、同時に落ち着かなかった。


 自分たちが普段やっていることの多くは、本当に必要だからやっているのだろうか。

 それとも、嫌われないために、波風を立てないために、そうしているだけなのだろうか。


 旬が場を和ませるのも。

 凛が明るさを崩さないのも。

 綾人が迷いを見せないのも。

 紬が「十分」と言うのも。

 透が先に拒絶するのも。

 そして、自分が曖昧に頷くのも。


 それらは全部、“必要だから”ではなく、“そうしないと何かが壊れる気がするから”だったのかもしれない。


 朔の存在は、その問いを言葉にしないまま教室に置いていた。

 誰もそれを正面から口にはしない。

 けれど、皆どこかで少しだけ気づいている。

 今まで当たり前にやってきたことが、実は“当たり前だから”ではなく、“そうしないと関係が揺らぐ気がするから”だったのではないか、と。


 教室は相変わらずいつも通りに見える。

 誰かが笑い、誰かがスマホを見て、誰かが宿題の答えを写している。

 神谷が廊下を通れば、自然と声の大きさが落ちる。

 進路の話題になれば、誰かが軽く茶化して場を逃がす。


 でも、その中に一人、空気を読まない人がいるだけで、普段見えなかったものが少しずつ浮き上がってくる。


 空気とは、読まなければならないものなのか。

 それとも、読まされているものなのか。


 恒一は、自分の机に肘をつきながら、朔の横顔をぼんやり見ていた。

 自由に見える、というより、余計なものを背負っていないように見える。

 その感じが、なぜか少し恐ろしくもあった。


 もし自分が同じように振る舞ったら、何が壊れるのだろう。


 そんな問いが胸をよぎった瞬間、恒一は視線をノートへ落とした。

 考えたくないのに、考えてしまう。

 朔はただそこにいるだけで、恒一が見ないようにしていたものへ、静かに光を当ててくる。


 それが少しだけ、苦しかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ