層岩巨淵大救出
子の刻の層岩巨淵は、本来なら死に静まり返るはずであった。鉱道の奥から採掘の槌音は絶え、足場の上に労働者の談笑もなく、巡回兵の足音さえ厚い岩壁に吸い取られていた。だが今宵、この静寂の中に嵐が胎動していた。
武田信玄は中層の主足場の端に立ち、暗闇に点在する労働者団の篝火を眼下に眺め下ろした。八万人、まるで八萬の囚われた星々が、底知れぬ巨淵の中でかすかに煌めいている。手には特製の懐中時計を握っていた——織田信長から贈られた品で、文字盤には武田家の紋「武田菱」が彫られ、静寂の中を針が規則正しくカチカチと音を立てる。
「殿、万事順調でございます。」
馬場信房が影から歩み出た。武田家一の忠勇の猛将が今宵自ら巡回を担当していた。「各歩哨は警戒を倍増し、巻上げ機はすべて運転停止、鉱道の入口はすべて封鎖いたしました。鼠一匹すら忍び込もうとすれば、我らの目に留まりましょう。」
武田信玄は振り返らず問うた。
「璃月軍と明軍の動きはどうか。」
「斥候の報によれば、彼らの本陣は篝火が煌々と燃え、戦前の準備を進めている様子です。」
原虎胤が反対側から進み出る。勇猛で名高い老将の瞳には闘志が煌めいた。「さあ来させよ!この層岩巨淵にて、我ら一人が関を守れば万兵も通さぬ!」
原昌胤が頷き追従する。
「殿、彼らが攻め寄せてくれば、労働者たちを人質にして引き下がらせられます。鍾離が同胞虐殺の罪人となることを望まぬ限り、彼は——」
言葉はそこで途切れた。
地面が突如揺れ始めたからである。
初めは遠くの雷のように微かで、机の上の水盤に波紋が広がる程度だった。だが瞬く間に激しさを増し、木製の足場はきしみ、岩壁の小石がさらさらと崩れ落ちる。吊るされた松明は激しく揺れ、光影が鉱道の壁面で狂ったように踊った。
「地震か!?」馬場信房の顔色が変わった。
武田信玄は手すりを強く握り、片眼に疑念が過ぎる。
「この季節に……あるはずがない……」
揺れはますます激しくなる。足場は傾き、支えの柱が限界を超えて折れる音を上げる。下方からは労働者たちの恐怖の叫び、武田兵の怒鳴り声と混乱した足音が湧き上がる。
「殿、お気をつけて!」原虎胤が武田信玄をひっぱり寄せる。巨大な岩塊が真上から墜落し、さっきまで立っていた場所に叩きつけられ、足場に大きな穴が穿たれた。
「自然な地震ではない。」信玄は体を落ち着け、片眼で四方を見渡す。「岩元素力の異常な波動……鍾離よ!」
突如悟る。
「全軍警戒せよ!これは地震ではない、敵の計略だ!」
だが命令は行き届かない。層岩巨淵全体が前例のない混乱に包まれた。鉱道は崩落し、足場は裂け、巻上げ機のワイヤーはちぎれ、悲鳴、崩壊の轟音、一部の鉱道に蓄えられた火薬に引火した爆発音が入り混じる。
さらに悪いことに、パニックが蔓延し始めた。労働者たちは本物の大地震と思い込み、生きたいという本能が武田軍への恐怖を上回った。監視兵に襲いかかり、上方へ逃れようとする。鉱夫の習わしでは地震の際は開けた場所へ逃げるもの、層岩巨淵の出口は上方にある。
「慌てるな!その場に留まれ!」武田兵が秩序を保とうとするが、八万人の恐怖は決壊した堤防の水、どうにも抑えようがない。
一方、巨淵の外。
鍾離は空中に浮かび、印を結び、金色の岩元素ルーンが身辺を取り巻く。額に細やかな汗が滲む——層岩巨淵全体に地震の前触れを同時に作り出すのは、岩神にとっても多大な消耗を強いる行いだ。
「帝君、あとどれほど保てましょう?」萍姥姥が下方から心配そうに問う。
「線香一炷の間。」鍾離の声は苦しげだ。「彼らに伝えよ……計画通り行動せよ……」
命令は元素力の共鳴によって伝達される。巨淵東側では麻貴率いる五千の明軍精鋭が突如強襲をかけた。正面からではなく、「通行不能」とされた険しい山道をよじ登り、神兵天降の如く武田軍の側面に現れた。
「敵襲!東側に敵あり!」武田歩哨の切なる警報は混乱の中で虚しく響く。
馬場信房は自ら兵を率いて迎撃に向かう。百戦錬磨の猛将は混乱の中でも驚くべき指揮能力を見せ、速やかに防衛線を張る。
「慌てるな!敵の数は多くない!陣地を守れ!」
言葉が途切れるや否や、西側からも鬨の声が響いた——祖承訓の牽制部隊が行動を開始し、太鼓とどらが鳴り響き、まるで数万の大軍が攻め寄せてくるかのような勢いだ。
「西側にも敵!」原昌胤は顔を青くする。「殿、我らは包囲されております!」
武田信玄は揺れる主足場に立ち、東西両方に現れた敵軍を眺め、片眼についに動揺が走った。だが彼は「甲斐の虎」。すぐに冷静さを取り戻す。
「これは牽制攻撃!敵の主力は他にある!」四方を見渡す。「真田幸村はどこだ?」
「幸村殿は最下層を巡視中です。使者を遣わしました。」原虎胤が答える。
「至急、赤備隊を率いて中層へ来させよ!馬場、虎胤、昌胤、それぞれ東、西、南を守れ。北は断崖で敵は登れぬ。」
任務を割り振り終えると、信玄は下方の混乱する労働者団を眺め、恐ろしい考えが脳裏をよぎる。
「まずい……奴らの狙いは人質だ!」
その瞬間、巨淵最下層、忘れ去られた古い鉱道の一つに、五十の影がひっそり姿を現した。
隊頭のフリーナは顔の埃を拭い、眼前の光景にわくわくと胸を躍らせる。ここは廃棄された鉱石積み替え場で、運び出されない鉱石が山積みされ、壊れた鉱車も数台転がっている。さらに重要なのは、積み替え場から三本の通路が分かれ、それぞれ労働者団の三大区域へ通じていることだ。
「やっと着いたわ!」声をひそめながらも抑えきれない興奮が滲む。「地図によれば、労働者団は上二層だ!」
行秋は速やかに地図を広げる。「一番近い通路はここだが、武田軍の歩哨を通らねばならない。」
重雲は目を閉じ、元素力で感知する。「歩哨には五人。外の混乱に警戒しており、こちらには気づいていない。」
カジャはメロピデ砦から持ち出した小銃を抜く。「俺が片付ける。」
「いや、音を立てれば気づかれる。」フェルヴィルが止める。「俺に任せろ。」
腰から特製の粉の袋を解く——メロピデ砦の厨房から盗み出した唐辛子粉と消石灰を混ぜたものだ。慎重に歩哨の下まで忍び寄ると、勢いよく粉を空中に撒き、叫ぶ。「毒ガスだ!敵が毒ガスを放った!」
歩哨の武田兵は不意を突かれ、粉で咳き込み涙を流し、本当に毒ガス攻撃を受けたと慌てふためく。隙を見てフェルヴィルと身の軽い囚人たちが一気に突進し、短刀で兵たちを仕留める。
「通路、制圧完了!」フェルヴィルが報告する。
「急げ!時間がない!」フリーナが真っ先に通路へ駆け込む。
一行は狭く急な鉱道を上へ這い上がる。途中数組の労働者と出会うと、フリーナはすぐに身元を明かす。「我々は璃月から救いに来た!ついてきなさい!」
消息は野火のように労働者たちに広がる。最初は数十人、やがて数百、数千……フリーナの隊が中層にたどり着いた時、背後には万人近くが続いていた。
「ここを抜ければ巻上げ機の足場だ!」フリーナが前方を指す。「だが重兵が待ち受けているに違いない——」
言葉は鋼のぶつかる激しい音に遮られた。駆けつけると、李如梅・李如柏率いる明軍先鋒部隊が巻上げ機足場を占拠し、武田守備兵と激闘を繰り広げていた。
「フリーナ殿!間に合った!」李如梅が彼らを見て喜びの声を上げる。「早く!労働者を足場に集めよ!巻上げ機は我々が押さえた!」
「だが巻上げ機は一度に五十人しか運べない……」行秋が眉をひそめる。
「ならば分乗せよ!」李如柏は戦いながら叫ぶ。「四本の巻上げ路線を確保した。二分ごとに二百人を地上へ上げられる。八万人を運ぶには……長い時間を要するが、無いよりはましだ!」
計画は速やかに実行される。フリーナと行秋が労働者に列を作らせ、重雲とカジャが秩序を保ち、フェルヴィルは部下を率いて陣を張り、武田軍の逆襲を防ぐ。
最初の労働者団が地上へ昇る。続いて二陣、三陣……進みは遅くとも、希望が少しずつ形になる。
だが戦局はここで変転する。
「赤備隊、我に続け!」
澄んで断固たる声が混乱の中に響き渡る。真田幸村、武田家最年少の猛将は鮮やかな赤備の鎧をまとい、十文字槍を手に、武田軍最精鋭の突撃部隊を率いて中層足場に現れた。
この地形であっても赤備隊の戦闘力は驚異的だ。馬は鉱道を進めないため徒歩戦だが、それでも凶猛無比である。真田幸村は特に無敵に近く、十文字槍を振るうたび数名の明兵が地に倒れる。
「あいつを食い止めろ!」李如梅は吼え、自ら迎え撃つ。
だが真田幸村の武芸は予想をはるかに超えていた。槍は生き物のように、蛇のように狡く、龍のように剛く、十合過ぎたところで李如梅は危機一髪の状況に陥る。
「二哥!」李如柏は援護に入ろうとするが、他の赤備兵に足止めされる。
真田幸村の槍が李如梅を突こうとした瞬間、二人の間に突如氷の壁が立ち上がる。重雲が駆けつけ、呪符を手に険しい面持ちで構える。
「ほう?璃月の方士か?」真田幸村は眉を上げ、槍先を捻って氷壁を突く。
氷壁は砕けたが、重雲に時間を稼いだ。速やかに呪符陣を敷き、氷の槍が雨あられと幸村に襲いかかる。幸村は槍を振ってすべて打ち砕く。
「面白い。」真田幸村の瞳に闘志が燃え上がる。「だがまだ足りぬ!」
一気に攻め立て、重雲は次第に押され始める。その時、行秋が戦いに加わり、剣光が雨のように降り注ぎ、重雲と共に幸村に立ち向かう。
狭い足場で三人の激闘が展開される。真田幸村は一人で二人を相手に劣らず、むしろ戦うほど勢いを増す。
「この男……恐ろしく強い。」行秋は息を切らし、これほど強敵には出会ったことがない。
「労働者のところへ近づけてはならない!」重雲は歯を食いしばって踏ん張る。
戦いの膠着が戦局全体に響く。赤備隊の逆襲が武田軍の陣を立て直し、労働者の避難速度は低下せざるを得ない。さらに悪いことに、武田信玄は自ら主力を率いて中層足場へ進軍し始めた。
「殿!東側の防衛線が突破されました!」馬場信房は血まみれで駆け込む。「麻貴の部隊は凶猛で、原虎胤殿は……討ち死にされました!」
「なに!?」信玄の片眼が大きく見開かれる。
「西側も……祖承訓の牽制が本攻撃に変わり、原昌胤殿は力戦の末に散りました……」馬場信房の声は咽ぶ。
武田信玄は拳を握り締め、爪が掌に食い込む。原虎胤、原昌胤……長年従ってきた老将たちが、今や失われた。
だが悲しむ暇はない。さらなる危機が迫りつつある——李如松と祖承訓の主力部隊が外周の防衛線を突破し、中層足場へ包囲を迫っていた。
「幸村!」信玄は叫ぶ。「赤備隊を率いて後方を支えよ!残りの者は我に続き、最下層へ退け!」
苦渋の決断である。中層足場を捨てることは大半の労働者と層岩巨淵の支配権を失うことを意味する。だがこの場で戦い続ければ全滅の恐れがある。
真田幸村は命令を聞くと、ためらうことなく答える。
「赤備隊!敵を食い止めよ!」
行秋・重雲との一騎討ちを切り上げ、部隊を率いて李如松・祖承訓の主力へ突撃する。赤備隊は数は少ないが一人一人が死を恐れず、一時的に数倍の敵を堰き止める貴重な時間を作り出す。
この隙を突き、武田信玄は残兵を率いて巨淵最下層へ撤退する。そこに最後の防衛線、最深の鉱道があり、守るは易く攻めるは難しい。
中層足場では労働者の避難が一気に加速する。フリーナと李如梅の指揮の下、次々と労働者が地上へ運ばれる。最後の巻上げ機が空へ昇った時、空の果てに魚の腹のような夜明けの光が広がっていた。
「できた……私たち、やっと。」フリーナは地面にへたり込み、気絶寸前まで疲れ果てる。
行秋と重雲も力尽き、体のあちこちに傷を負う。李如梅と李如柏は死傷者を数え、重い表情を浮かべる——この戦いで明軍は五千人以上を失い、璃月軍は約三千人。労働者は……大半は救われたものの、混乱の中で数千人が死傷した。
鍾離はゆっくりと地上に舞い降り、顔は紙のように蒼白い。一炷の間続けた元素共鳴は多大な力を消耗させ、今は立っているのもやっとの状態だ。
「帝君!」萍姥姥は慌てて支える。
「大丈夫……」鍾離は下方の深淵を眺める。「武田信玄は……逃れた。」
その通りだ。この戦いで八万人の労働者は救われ、武田軍は大打撃を受け、馬場信房(後衛戦で麻貴に討ち取られた)、原虎胤、原昌胤ら多くの将が命を落とした。だが武田信玄自身と、真田幸村率いる残った赤備隊は依然として層岩巨淵の最下層を押さえている。
さらに重大なのは、真田幸村の後衛戦における勇猛が、祖承訓と李如松の追撃を食い止め、武田信玄の撤退に貴重な時間を与えたことである。
「あの赤鎧の若者……化物よ。」祖承訓は戦後、嘆息する。「四十年戦場を渡ってきたが、これほど勇猛な男は見たことがない。」
李如松も険しい表情で言う。「あいつが後ろを支えていなければ、武田信玄は今日ここで命を落としていた。」
層岩巨淵の戦いは、璃月連合軍の戦術的勝利で終わった——人質を救い、敵軍に大打撃を与えた。だが戦略的には、巨淵を完全に奪還するには至らず、武田信玄の主力は生き残り、この重要な拠点を支配し続けている。
何より重大なのは、この戦いの震動がフォンテーヌ廷に伝わったことである。
織田信長は知恵の宮最上階に立ち、届いたばかりの戦報を手に持つ。読み終えると長い沈黙の後、笑う。
「面白い……実に面白い。」戦報を浅井長政に渡す。「鍾離は人質を救ったが、層岩巨淵を落とすことはできなかった。武田は多大な損害を負ったが、真田幸村……この若者、将来有望だ。」
浅井長政は戦報を読み終え問う。「殿、武田へ援軍を送りましょうか?」
「いや。」織田信長は首を振る。「彼自身に層岩巨淵を守らせよ。これさえ守れぬようなら、我が同盟者に値しない。」
窓際へ歩み、東の層岩巨淵の方角を眺める。
「それに、これで好都合だ。鍾離は必ず主力を集め、巨淵を完全に奪い取ろうとする。その時……我はここで、彼と最後の決着をつける。」
身を翻し、征服者の光が瞳に煌めく。
「全軍に伝令せよ。三日後、層岩巨淵へ進軍せよ。この戦争、終結の時が来た。」
浅井長政は深く頭を垂れる。「承知いたしました。」
一方、層岩巨淵の最下層。武田信玄は最深の鉱道入口に立ち、上方にかすかに漏れる光を片眼で眺める。
「幸村、今日はお前のおかげだ。」
真田幸村は片膝をつく。「臣の本分でございます。ただ……損害があまりに大きく、長く巨淵を守り続けることは難しいかと存じます。」
「長く守る必要はない。」武田信玄の口角に冷たい笑みが浮かぶ。「織田殿が間もなく来られる。その時……この層岩巨淵は、鍾離と李如松の墓場となる。」
視線を暗い鉱道の奥へ向ける。そこには武田軍最後の防衛線、そして織田信長が事前に仕掛けたある「特殊な仕掛け」が眠っている。
「さあ来させよ。層岩巨淵の次の戦い……すべての終焉の戦となる。」
完全な夜明けが訪れ、層岩巨淵は表面上の平穏を取り戻した。だがこの静けさの下、双方は傷を癒し、さらなる凄惨な戦いに備えている。
八万人の労働者は沈玉谷へ無事避難した。これは希望の勝利である。だが層岩巨淵は依然として敵の手にあり、戦争の影はテイワットに垂れ込めたままである。
誰もが知っている。次の戦いこそ、最後の決戦になると。
織田信長と鍾離——二つの世界の意志が、層岩巨淵の岩壁の間で、運命を定める火花を散らすだろう。




