須弥軍殲滅戦
オモス港が陥落して三日目、スメール市の空気は絞れば水が滴るほど重く沈んでいた。知恵の宮の大広間では、教令院の賢者たちが港を奪い返すため激しく論争を繰り広げていた。
「即時反撃せねばならない!」
大風紀官セノの声は冷たき砂漠の夜風のように凛と響き、居並ぶ賢者たち一人ひとりを睨み渡した。「一日遅れるごとに、敵のオモス港防衛は盤石になる。」
老賢者ナフィスは憂いを込めて髭を撫でた。「だが敗走した兵士の報告によれば、敵は十万を超え、装備は精良、戦術も得体が知れぬ。慌てて集めた十万の援軍で、本当に港を奪い返せるのか?」
「我々は地の利を得ている」
ディシアは左肩の傷を包帯で巻き直し、立ち上がった。「砂漠と雨林の民は自らの故郷のために戦う。それに、オモス港を正面から強攻するのではなく、陸路と海路から同時に挟撃することを提案する。」
ティナーリは耳を立てた。「ディシアの言う通りだ。オモス港は海に背を向けている。陸路の全ての通路を封鎖し、海路から補給線を断てば、敵は孤立に陥る。」
三時間に及ぶ激しい協議の末、教令院はついに作戦計画を定めた。
セノが六万の主力を率い陸路からオモス港へ正面進軍。ディシアが二万の砂漠傭兵を率い南側丘陵から側面を包囲。ティナーリは二万の雨林遊撃部隊と千人のアラナラを指揮し、北部森林から奇襲を仕掛ける。同時に、スメール海軍残り三十隻の戦船が海路から港を封鎖する。
「三日後、日の出と同時に一斉攻撃を開始せよ」
大賢者が最後に宣言した。「草神の加護がスメールにあらんことを。」
一方オモス港では、浅井長政と朝倉義景がこの港湾都市を完全に支配下に収めていた。彼らは一部の防御施設を修復し、在地の民を三つに分類した。協力者は保護を与え、抵抗者は即時処刑、大多数の中立者は指定区域に封じ込めた。
「スメール軍は間もなく反撃してくるだろう」
浅井長政は臨時の指揮所で朝倉義景に語りかけ、壁には現地商人から接収したスメール地図が掛けられていた。「敵の主力は西の街道から正面侵攻してくるはずだ。最も直近な進路だからな。」
朝倉義景は頷いた。「我が斥候も、小規模部隊が北部森林と南側丘陵で動いているのを確認した。どうやら多路から挟撃しようとしている。」
浅井長政は地図の上で指を滑らせ、ついに「霧峡」と呼ばれる地域で指を止めた。「朝倉殿、三万の兵を預ければ、スメールの主力をここに誘い込めるか?」
朝倉義景は地形を詳しく観察した。狭い谷地に両側は聳え立つ岩壁、曲がりくねった小道が一本通るだけの地勢。「伏兵を仕掛けるには絶好の場所。だが、スメールの者が引っ掛かるだろうか?」
「引っ掛かる」
浅井長政の唇に微かな笑みが浮かんだ。「追わずにはいられない理由を、こちらから与えてやるからな。」
その頃、浅井長政の妻・お市は港南側の陣営を巡視していた。異郷の女将たる彼女は紫白の軽鎧を身にまとい、長い髪を簡素な簪で束ね、細い体格に不釣り合いな長薙刀『青嵐』を手にしていた。
「奥方、南側丘陵の斥候隊より報告。砂漠の装束をした兵士約二万が集結しているのを確認いたしました。」副将が報告を上げた。
お市は遠くの丘陵に視線を向けた。「ディシア殿の部隊だろう。浅井殿も話していた、敬意に値する好敵手だ。」
「南側の防衛を強化いたしましょうか?」
「いや」
お市はそっと首を振った。「南側守備軍に命じ、防衛が手薄なふりをせよ。砂漠部隊に、ここが突破口だと思わせるのだ。」
副将は困惑した。「では相手が攻め込んできてしまうのでは?」
「攻め込ませるのが狙いだ」
お市は微笑み、瞳に狡い光を宿らせた。「そして、門を閉じて獅子を捕らえる。」
三日目の夜明け前、スメールの総反撃が開始された。
セノ率いる主力軍は街道を急速に進軍し、序盤はまともな抵抗に殆ど遭わなかった。浅井軍は触れれば崩れるように見え、三つの防衛線を相次いで放棄した。
「あまりに順調すぎます」
セノの傍らの副官が警戒した。「殿、これは罠かもしれません。」
セノの赤砂の杖は朝日に冷ややかに煌めいた。「分かっている。だが罠だとしても、進まねばならない。前衛に警戒を怠らぬよう命じ、偵察の元素生物を多数放て。」
午前八時、セノの部隊は霧峡の入り口に到着した。前方の斥候が報告する。「敵主力が峡内を慌てて撤退し、多くの物資を捨て去っております!」
セノは馬を進め峡前に立ち、鋭い眼差しで両側の聳え立つ岩壁を眺めた。「典型的な伏兵地形だ。」
「では迂回いたしましょうか?」副官が問う。
セノはしばらく沈黙し、峡の奥に微かに見える浅井軍の旗を眺めた。「これが罠なら、敵は主力をここに集めている証拠。命じよ。第一、第二兵団は我と共に峡に入り追撃せよ。第三兵団は峡口を守り退路を確保せよ。第四、第五兵団はそれぞれ両崖を登り、伏兵を一掃せよ。」
彼の配置は慎重で行き届いていたが、浅井長政の計略は彼の想像を遥かに超えていた。
セノが三万の兵を率い峡の奥深く進んだ時、背後から突然爆発音が響いた。振り返ると峡口から煙が立ち昇り、留守の第三兵団が急襲を受けていた!
「まずい!」
セノは即座に罠に嵌ったと悟り、「全軍後退、峡を突破せよ!」
だが時既に遅かった。峡両側の崖上から、無数の岩や丸太、燃えやすい油脂を詰めた壺が押し落とされた。更に致命的なのは、朝倉義景の三万伏兵は峡の両側に潜むのではなく、既にセノの部隊背後に迂回し、退路を完全に断っていたことだ。
「浅井長政、何処にいる!」
セノは怒りを込めて吼え、赤砂の杖から雷光を放ち、兵士に襲いかかる巨岩を打ち砕いた。
「ここにいる。」
浅井長政が前方の高台に姿を現し、傍らには十数人の親衛しか従えていない。その態度は悠然とし、戦場にいるのではなく庭で月を眺めているかのようだ。
「名高き大風紀官セノ、今日は貴殿と刃を交えられることは光栄だ。」
浅井長政は総三左文字の名刀をゆっくりと抜いた。
「余計な戯言はいらぬ!」
セノは躍り上がり、赤砂の杖が雷霆万鈞の勢いで振り下ろされた。
狭い峡の中で二人の戦いが始まった。セノの雷元素攻撃は狂暴で迅く、一撃一撃岩を砕く威力を持つ。浅井長政は流れるように躱し、刀法は精密で致命的。その刀はまるでセノの攻撃を予見するかのように、最適な瞬間に受け流し、あるいは反撃する。
「貴殿の剣術……単なる武芸ではないな」
攻防の合間にセノは息を弾ませて言った。浅井長政の刃に淡い青い光が流れているのに気づいた。それは元素力ではなく、彼が見たこともない未知のエネルギーだった。
「これは無念流。心に雑念なく、剣は天地に通ずる」
浅井長政は穏やかに答えた。「貴殿の雷は強大だが、神の眼の力に依存し過ぎている。真の力は心より生まれるものだ。」
セノはもう言葉を発さず、全身に雷光が暴涨した。「殲滅の雷!」
狂暴な雷元素が彼を中心に噴き出し、直径数十メートルの雷電場を形成する。浅井長政は初めて険しい表情を浮かべ、両手で刀を握り、刃先を地面につけた。「無念流奥義・鏡花水月。」
彼の姿は突然ぼやけ、同時に複数の場所に存在するかのように見えた。セノの雷電は幻影を捉えるだけで、本体を捉えることはできない。
次の瞬間、浅井長政はセノの背後に現れ、刃をその首元に突きつけた——まるでディシアに対して行ったように。
「貴殿の負けだ。」
浅井長政の声には誇張もなく、事実を述べるだけの平静さが宿っていた。
セノの瞳に不服の念が過ったが、首元の冷たい刃触れが告げている。相手が軽く切りつけるだけで、己は即座に命を落とすのだと。
峡内の戦いも終盤に近づいた。スメールの兵士は勇敢に抵抗したが、前後からの挟撃と上空からの攻撃に、次第に混乱に陥った。二時間後、セノの六万主力軍は四万人が戦死・負傷・捕虜となり、僅か二万人が副官の命懸けの突破で峡を脱出した。
一方、オモス港南側の丘陵地帯では、ディシアの砂漠傭兵部隊も苦戦を強いられていた。
最初は不安になるほど順調だった。彼らは南側の浅井軍外縁防衛線を容易に突破し、まともな抵抗に殆ど遭わなかった。だが二万の砂漠傭兵が三方を山に囲まれた盆地に全員進入した瞬間、伏兵が姿を現した。
「罠だ!撤退せよ!」
ディシアは即座に命じたが、退路は落石と敵の重兵によって封鎖されていた。
お市は盆地北側の高台に立ち、薙刀『青嵐』が陽光に冷たく煌めいた。「ディシア殿、またお会いできましたね。」
「浅井長政の妻……」
ディシアは大剣を強く握り締めた。「貴女ごときに私を止められると思うな?」
「やってみれば分かる。」
お市は高台から舞い降り、薙刀が優美な弧を描いた。
二人の女将の激突は、峡の戦いとは趣が全く異なっていた。ディシアの攻撃は砂漠の嵐のように猛烈で、一撃一撃灼熱の炎を帯びる。お市の戦いぶりは春の小雨の如く、柔らかく見えながらあらゆる隙間に迫る。薙刀の長さを生かし、常にディシアと最適な間合いを保った。
「貴女の剣は剛猛過ぎる」
攻防の合間にお市が囁いた。「剛きは折れやすい。」
「説教は無用だ!」
ディシアは怒りを込めて吼え、大剣の炎が暴涨した。「炎獅子舞!」
彼女は旋風のように回転し攻撃を繰り出し、炎が竜巻となる。お市は正面から受けず、軽やかに後ろに跳び、薙刀を地面に薙ぐ。「水流斬・逆巻!」
地面の砕石が見えぬ力で巻き上げられ、逆流の砕石流となりディシアの炎竜巻と激突した。爆発の衝撃波で二人は数歩後ろに弾き飛ばされた。
ディシアは息を弾ませ、古傷が動きを妨げ始めていた。お市は隙を見逃さず、薙刀が毒蛇のように突き出て、ディシアの右手首を的確に貫いた。
大剣が手を離れ、ディシアはよろめき後退した。お市の薙刀は既に彼女の胸元に突きつけられていた。
「命を奪うこともできたが」
お市は言った。「浅井殿は強き敵を生かしておきたいとおっしゃる。兵士を率いて去れ。スメールの民に伝えよ、抵抗は無駄だと。」
ディシアは歯を食いしばり、屈辱の念が炎のように心を焼いた。だが包囲された砂漠の戦士たちを見れば、彼らの命を守る責任が己にあることを悟った。
「撤収……撤退せよ!」
北部森林ではティナーリも同様に窮地に立たされていた。彼と雨林遊撃部隊は熟悉した地形を活かし攪乱戦を仕掛けるはずだったが、朝倉義景はセノの主力を撃破した後、直ちに兵を北上させ、森林に布陣していた浅井軍と合流し、ティナーリの部隊を包囲した。
森林は本来ティナーリの庭であるはずだったが、朝倉軍は特殊な煙玉を使用し、刺激の強い臭気を撒き散らしてティナーリとアラナラたちの鋭敏な嗅覚と聴覚を狂わせた。
「ティナーリ隊長、東側防衛線が突破されました!」血まみれの遊撃隊員が報告に駆けつけた。
ティナーリは弓を引き絞り矢を放ち、奇襲を仕掛けようとした敵兵を射抜いた。「陣形を縮小し、南西へ突破せよ!」
だが朝倉義景は既に最前線に自ら赴いていた。この中年の将は浅井長政ほど剣術に優れはしないが、経験豊かな戦術家だ。彼の部隊は精密な機械のように、徐々にティナーリ部隊の活動圏を圧縮していく。
「耳の長い隊長とやらか?」
朝倉義景は重装歩兵に守られ姿を現した。「降参せよ。貴殿たちの援軍主力は潰走し、セノは捕らわれ、ディシアは敗走した。貴殿はもう孤立無援だ。」
ティナーリの心は重く沈んだが、表情は冷静を保った。「スメールの戦士は決して降参しない。」
「残念だ。」
朝倉義景は手を振った。「殲滅せよ。」
最後の戦いは凄惨で束の間だった。ティナーリは奮戦したが、兵力も質も劣勢な状況で、部隊は瞬く間に崩壊した。彼自身は朝倉義景の親衛に生け捕られ、アラナラたちは彼を掩護する間に大半が命を落とした。
夜が訪れた時、スメールの十万援軍は跡形もなく消え去った。六万の主力は霧峡で半数以上が死傷、セノは捕虜に。二万の砂漠傭兵は南部盆地で三分の一を喪い、ディシアは負傷して敗走。二万の雨林遊撃隊は北部森林でほぼ全滅し、ティナーリも捕らわれた。
オモス港では一晩中祝宴が続き、浅井軍・朝倉軍の兵士たちは港倉庫から接収した美酒を飲み明かした。だが指揮所の中の雰囲気は一変していた。
「此方も損害は少なくない」
朝倉義景が浅井長政に報告する。「死傷約二万五千人、主にセノ主力を包囲殲滅した際の損失だ。」
浅井長政は頷いた。「必要な代償だ。今やスメールは短期間で大規模な反撃を組織できず、占領地域を固める時間が得られた。」
お市がそっと部屋に入ってきた。「捕虜たちはどう扱いますか?特にセノとティナーリ。」
「厚遇せよ」
浅井長政は言った。「特にセノはスメールの大風紀官で、民衆や軍の威望が高い。こうした人物は生かしておく必要がある。」
「寝返らせようとお考えか?」朝倉義景は眉を顰めた。「あの男は骨の強い頑固者だ。」
「寝返らせるのではない」
浅井長政は窓の外の祝う兵士たちを眺めた。「交換だ。彼とティナーリを使い、スメール当局にオモス港の占領を認めさせる。少なくとも一時的な承認を引き出す。」
お市は思案に耽った。「上手くいきますでしょうか?」
「スメールは十万の大軍を喪ったばかり、内部に対立が生まれるのは必定。主战派は強硬だが、和平派の声も大きくなる」
浅井長政は分析した。「我々には時間が必要だ——防衛を固める時間、香辛の果実や古代の知識を研究する時間、そして……」
言葉を途切らせたが、朝倉義景とお市はその意味を悟っていた。彼らがテイワット大陸に来た真の目的、世界の本質を変え得る原始の力を探す時間が。
オモス港の地下牢では、セノとティナーリが同じ独房に収監されていた。二人とも負傷はしているが、命に別状はない。
「スメールに申し訳ない」
ティナーリは耳を力なく垂らし、低く呟いた。「私が率いた二万の戦士、そしてアラナラたち……」
「我々は皆敗れた」
セノの声は依然として冷静だが、瞳には不服の炎が燃えている。「だが戦争はまだ終わっていない。スメールに一人でも抵抗する者が残る限り、敵はこの地を本当に支配することはできない。」
「教令院は妥協すると思いますか?」ティナーリが問う。
セノは長く沈黙した。「賢者たちは我々の解放を条件に、一時停戦を考えるかもしれない。だが浅井長政が求めているのは、オモス港だけではないはずだ。」
「では何を求めているのでしょう?」
「分からぬ」
セノは鉄窓から差す月光を眺めた。「だが感じるのだ。彼らが求めているのは領土ではない。スメールの大地の奥に隠された、何か特別なものだ。」
同じ頃、スメール市では大賢者が前線潰走の戦報を受け取っていた。十万援軍のうち七万以上が喪われ、主な将三人は一人捕虜・二人負傷。オモス港は依然敵の手中にある。
知恵の宮の大広間は死の静寂に包まれた。しばらくしてナフィス賢者が口を開いた。「我々……敵と交渉を考えねばならない。」
「交渉?この殺戮者たちと?」
若き賢者が怒りを込めて立ち上がった。「彼らは我が守備兵二万余人を殺し、援軍七万余人を屠った!これは血の仇だ!」
「だが戦い続ければ、更に多くのスメールの民が命を落とす」
ナフィスは疲れた面持ちで言った。「それにセノとティナーリは敵の手中にある。」
論争は夜更けまで続いた。最終的に教令院は使者を派遣し、浅井長政と予備的な交渉を行うことを決定。同時に密かに璃月、フォンテーヌ、ナタへ使者を遣わし、七国連合の外交的支援を請うた。
オモス港最高台の見張り塔では、浅井長政が星空を眺めていた。お市がそっと傍らに寄り、上着を肩にかけてやった。
「何を考えていらっしゃるの?」柔らかく囁く。
「父の臨終の言葉を思い出していた」
浅井長政は彼女の手を握りしめた。「我々の世界は滅びつつある。テイワットの『本源の力』を見出す以外に、民を救う術はないと。」
「そんな力が本当に存在するのでしょうか?」
「存在せねばならない」
浅井長政の瞳は鉄のように固く決意に満ちていた。「故郷を捨て、世界の境界を超え、血に染まった我々の行いが、無意味になってはならない。」
お市は彼の肩に寄り添った。「どんな時も、私はずっと傍にいます。」
遠く海面には月光が銀の道を描き、未知の彼方へ続いているように見えた。浅井長政は知っている。真の戦いはこれから始まるのだ。オモス港を奪うのは第一歩に過ぎない。これからはスメールの大地で、古い伝説にだけ語られる力——世界を創り、滅ぼし得る力を探さねばならない。
知識の国たるスメールには、明らかにその力へ通じる鍵が隠されている。スメールの民が再び有効な抵抗を組織する前に、時間を稼ぎ、研究し、この国の秘密を解き明かさねばならない。
夜は更け、オモス港の祝い声は次第に静まった。だがこの平穏な表象の下、暗い流れが渦を巻いている。浅井長政と異郷の軍勢はスメールの大地に根を下ろし、スメールの反撃は一時的に挫折したものの、決して止むことはない。
戦争は新たな段階に入った。より複雑で、より危険な段階だ。この段階では刀剣も依然重要だが、知恵、忍耐、謀略こそが勝敗を分ける鍵となる。




