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交渉する

交渉の卓と碁盤


スメール都・知恵の宮の交渉室の中、空気は重く、塵がゆっくり舞い落ちる様子さえ見て取れるほどだった。長テーブルの片側には、賢者ナフィスを筆頭とするスメール代表団が座っていた。数名の重鎮賢者、書記官、そしてディシアも加わっている。左肩の傷がまだ癒えていないにもかかわらず、彼女は交渉への参加を固く主張したのだ。


テーブルの反対側には、浅井長政が副官二人と朝倉義景だけを連れて臨席していた。鎧は身にまとわず、濃い紺色の着物を着こなし、腰には相変わらず名刀を差している。お市は交渉の場に姿を現さず、オモス港で防御施設の建設を監督していた。


「まず、この……紛争においてスメールが被った損失に対し、遺憾の意を表する」

浅井長政はこの言葉で口を開いた。口調は穏やかだが、心からの謝意は微塵も感じられない。

「戦争は常に苦しみをもたらす。これは我々誰も望まぬことだ」


賢者ナフィスは老いた指でそっと机を叩いた。

「浅井殿、もし本当に『遺憾』に思うのなら、この侵略を仕掛けはしなかっただろう。余計な世辞は抜きにしよう。我々は大風紀官セノと森林巡視官ティナリの解放、敵対行為の即時停止、そしてオモス港からの完全撤退を要求する」


浅井長政は穏やかに微笑んだ。その笑みは礼儀正しく、しかしどこまでも距離を置いている。

「スメールの立場は理解している。だが事態はそれほど単純ではない。幾多の困難を乗り越えテイワットに辿り着いた我々には、足場となる土地が必要だ。オモス港は我々にとって、砂漠の中のオアシスのようなものだ」


「つまり撤退する気はないというのか?」

ディシアの声には抑えきれぬ怒りが滲んでいた。


「ない」

浅井長政は即答した。

「だが……暫定的な協定を結ぶことはできる。セノとティナリを解放し、スメールに対する軍事行動も停止しよう。ただし、二つの条件を受け入れてもらうことが前提だ」


ナフィス賢者は他の賢者たちと顔を見合わせた。

「どのような条件か?」


浅井長政は身を乗り出し、両手を組んで机の上に置いた。

「一、我が軍がスメール領内を安全に通行し、璃月国境の沈玉谷方面へ進むことを認めること。二、オモス港に対する我々の一時的な支配権を承認し、補給拠点として整備することを許すこと」


交渉室は一瞬にして騒然となった。


「それは無理だ!」

若い賢者が勢いよく立ち上がる。

「オモス港を手放せと言うだけでなく、今後の侵略のために道を開けろというのか!」


浅井長政は顔色一つ変えずに言った。

「念のため言っておくが、これは願いではない。互いに利益を得る選択肢を提示しているのだ。貴殿らは二人の重要な指揮官を取り戻し、一時の平和を得られる。我々は生き残り、勢力を拡げる場を得る。もし応じぬなら……」

彼は一瞬言葉を途切らせ、

「戦争は続く。そして我々は既に、戦場で優位に立てることを証明済みだ」


ディシアは拳を握りしめた。他の賢者たちの逡巡が手に取るように分かる。十万の援軍が大敗した事実は、全員の心に重くのしかかり、セノとティナリの捕縛は耐え難い損失となっていた。


「内々で協議したい」

ナフィス賢者がついに口を開いた。


浅井長政は礼儀正しく頷く。

「もちろん。控え室で待とう」


スメール代表団の協議は三時間に及び、知恵の宮の屋根を吹き飛ばさんばかりの激しい論争が続いた。


「これは降伏だ!恥辱以外の何者でもない!」

教令院の軍事顧問が机を叩き怒鳴った。


「だが我々はこれ以上の損失に耐えられるだろうか?」

別の賢者が疲れた口調で言う。

「十万の援軍は崩壊し、短期間で同規模の軍勢を再編することは不可能だ。敵にはまだ余力が十分に残っているのは明らかだ」


ディシアは立ち上がり、穏やかながら力強い声で語った。

「私は戦場で浅井長政と刃を交えた。この男は……単なる武者ではない、本物の戦略家だ。一歩進むごとに、先の十歩まで読み切っている。もし条件を拒否したら、彼はどう動くと思う?」


「完全に屈服するまで戦争を続けるだろう」

ナフィスは重い面持ちで答えた。


「あるいは璃月への別ルートを探す」

ディシアが分析する。

「海路からスメールを迂回するか、より危険な砂漠ルートを通るか。だが通行を認めれば、少なくとも彼らの動向を監視し、何を企んでいるか把握できる」


「つまり条件を受け入れるべきだと言うのか?」

誰かが驚いて問いかけた。


「違う」

ディシアは首を振る。

「私が言いたいのは、我々には時間が必要だということ。軍を再建する時間、同盟者の助力を求める時間。今拒否すれば戦争は即再開し、勝ち目はない。受け入れれば……少なくともセノとティナリは帰還し、我々も立て直す猶予が得られる」


最終的に、苦渋の選択の末、スメール代表団は僅差で浅井長政の条件を受け入れることを決定した――ただし厳しい追加条項を設けることにした。


両者が再び交渉の卓に着くと、ナフィス賢者の声は一層老けて響いた。

「貴殿の二つの条件を受け入れる。だが追加条項を付けさせてもらう」


「申してみよ」

浅井長政は礼を尽くして言った。


「一、スメール領内を通行する軍勢は二万人を上限とし、指定されたルートから逸脱してはならない。我々は監視員を同行させる」


「承知した」


「二、オモス港の駐留軍は三万人以下とし、港の軍事施設を増改築してはならない。定期的に検査に派遣する」


浅井長政はしばらく思案した。

「駐留人数は受け入れよう。ただし港には最低限の防御施設の整備は認めてもらいたい。スメール攻撃の拠点としては決して利用しないことを約束しよう」


「三、そして最も重要な一点だ」

ナフィスは真っ直ぐ浅井長政の目を見つめる。

「璃月における貴殿らの行いについて、スメールは一切の責任を負わない。この件が原因で璃月とスメールの間に外交紛争が生じた場合、貴殿らが自ら説明し収めること」


浅井長政の口角がわずかに上がる。

「当然だ。我々の行いの結果を他人に押しつけるつもりは毛頭ない」


「では……協定は成立ということか?」

朝倉義景が初めて口を開き、微かな興奮を隠しきれない口調で問うた。


ナフィス賢者はまるで力を使い果たしたかのようにゆっくり頷いた。

「協定は成立した。直ちにセノとティナリを解放せよ」


「二人は既に帰路についている」

浅井長政が告げる。

「約束通り、明日の正午までにスメール都に戻るだろう」


協定は重く不穏な雰囲気の中で調印された。両者は文書を交換し、浅井長政はテイワット共通語と自国の文字、二ヶ国語の版まで用意していた。


知恵の宮を離れる際、浅井長政は門口で立ち止まり、スメール代表団の面々を振り返った。

「賢明な選択をしたな。戦争に勝者など存在せず、生き残る者だけがいるのだ」


ディシアは彼の前に進み出、声を潜めて言った。

「これで終わりではない、浅井長政。我々に息がある限り、必ずオモス港を取り戻す」


浅井長政は軽く頷く。

「その日を待とう、ディシア殿。その時が来るまで、それぞれ覚悟を整えるがいい」


その夜、オモス港の指揮所では、浅井長政、朝倉義景、お市が詳細なスメール地図を囲んでいた。


「二万人の制限は厄介だ」

朝倉義景は眉を顰める。

「沈玉谷は璃月の重兵が守っていると聞く。璃月側に準備が整っていたら……」


「彼らに準備などさせぬ」

浅井長政の指が地図の上を滑る。

「我々は本当に沈玉谷へは行かぬからな」


お市は驚いて顔を上げる。

「沈玉谷へ行かないのですか?ではどこへ向かわれるのです?」


浅井長政の指はスメール砂漠の奥地にある地点で止まった。

「ここだ。千壑砂地」


朝倉義景はその地域を詳しく調べる。

「スメールの学者から……入手した資料によれば、この地は危険に満ち、強大な遺跡守護者が徘徊し、過酷な自然環境も立ちはだかる」


「危険であるからこそ、誰も我々の真の目的がここにあるとは思いもしない」

浅井長政の瞳が蝋燭の光の中で煌めく。

「父が遺した手稿によれば、テイワットの『本源の力』は特定の数箇所に隠されている。その一つがスメール砂漠の奥地、『永遠のオアシス』と呼ばれる場所にある」


お市は思わず息を呑む。

「では璃月への通行申し出は、単なる偽りだったのですか?」


「完全な偽りではない」

浅井長政は説明する。

「小部隊を本当に沈玉谷方面に派遣し、スメールと璃月の目を引きつける。その間に主力は密かに砂漠へ転進し、伝説の地を探し求めるのだ」


朝倉義景は思い巡らせて言った。

「つまりオモス港は我々にとって……」


「補給拠点であり、囮でもある」

浅井長政が言葉を継ぐ。

「スメールの者たちはオモス港に目を釘付けにし、我々の戦力がここに集中していると思い込む。だが真の主力は既に砂漠深くへ入り込む」


「だが協定ではスメール領内を通行できるのは二万人までと定められています」

お市が注意を促す。

「主力を砂漠へ向かわせれば、オモス港の守りは手薄になります」


「だから全軍を一斉に動かすわけではない」

浅井長政は計画を述べる。

「朝倉殿は一万五千人を率い、協定のルートに沿って璃月方面へ進み、勢いをつけよ。お市はオモス港に留まり、一万の守備兵を指揮せよ。私は自ら五千の精鋭を率いて砂漠へ入る」


「五千?少なすぎはしませんか?」

朝倉義景は心配そうに言う。


「永遠のオアシスを探すのに大軍は不要だ。必要なのは精鋭と知恵だ」

浅井長政は穏やかに答える。

「それに人数が少ないほど、発見されにくい」


同じ頃、スメール都では解放されたセノとティナリが治療を受け、状況を報告していた。


「浅井長政の剣術は……異質だ」

セノが語る。

「元素力ではないが、普通の武芸でもない。彼の刀は攻撃、いや元素攻撃さえも吸収あるいは逸らす力を持っているようだ」


ティナリが補足する。

「朝倉義景の部隊は訓練が行き届き、戦術規律が極めて厳格だ。彼らの使う武器や装備の中には、スメールで見たこともないものが多い」


ディシアは二人の報告を聞き、眉を強く寄せた。

「つまり彼らの真の目的はオモス港どころか、スメールですらないのか。いったい何を狙っている?」


ナフィス賢者はため息をつく。

「何を狙おうとも、我々は警戒を怠ってはならない。既に璃月とフォンテーヌに使者を派遣し、外交的支援を要請した。同時に、領内を通行する彼らの軍勢を厳重に監視せねばならない」


「監視隊を率いさせてくれ」

セノが即座に申し出る。


ナフィスは首を振る。

「いや、お前は療養し回復する必要がある。それに浅井長政はお前を知っている、すぐに正体が露見する」


「なら私が行きましょう」

ディシアが言う。

「砂漠の隊商の一員に偽装し、遠くから彼らを追跡できます」


協議の末、教令院はこの案を承認した。ディシアは二十名の精鋭からなる監視小隊を率い、スメール領を通行する浅井軍を密かに追う任務を負う。彼らの使命は浅井軍の動向を記録し、弱点を探りつつ、協定違反がないか監視することだ。


三日後、協定に従い、浅井軍二万人がオモス港を出発し、指定ルートを璃月方面へ進軍し始めた。朝倉義景は軍馬にまたがり隊列の先頭に立ち、協定のルートを厳格に守り、スメールの監視員とも進路の詳細を積極的に調整している。


この大軍が進発するのと同時に、五千人の精鋭部隊は小グループに分散し、ひっそりとオモス港を離れ、正反対の方向――スメール砂漠の奥地へと進んでいった。


浅井長政は特有の鎧を脱ぎ、砂漠の旅人の装いに着替え、顔は砂除けの布で覆った。愛刀は丁寧に包まれ、普通の荷物に偽装されている。


「殿、全小隊が出発いたしました」

副将が低く報告する。

「計画通り、巨人の峡谷で合流いたします」


浅井長政は頷き、西に広がる黄金の砂漠を眺めた。父の手稿に記されていた通り、千壑砂地の奥地にはテイワット世界の根源に繋がる古き秘密が隠されている。そこには全てを変える力が眠り、滅びに瀕した故郷を救う可能性が秘められていた。


その秘密の正体も、力を手に入れる代償もまだ分からない。だが自分は必ずそれを探し出さねばならない。亡き父のため、従う将士たちのため、滅びゆく世界のために。


風が砂粒を巻き上げ、覆い布に細やかな音を立てる。浅井長政は深く息を吸い込み、未知の大地へと足を踏み入れた。


背後ではお市がオモス港の見張り塔に立ち、彼の去りゆく姿を見送り、静かに祈りを捧げた。


「どうか無事に帰られますように」


一方、遠く砂丘の陰ではディシアが望遠鏡でオモス港の動きを窺っていた。分散して離れていく小部隊たちに気づいたが、目的地も目的も判別できない。


「隊長、これらの小隊を追いましょうか?」

隊員の一人が問いかける。


ディシアはしばらく逡巡した。

「いや、我々の任務は主力部隊を監視することだ。だが……二人をスメール都に戻し、この件を報告させよ。事態は単純ではない気がする」


望遠鏡を収め、朝倉義景の主力部隊が巻き上げる砂煙を眺める。不安な予感が心に広がっていく。浅井長政は通行制限をあまりにも容易に受け入れ、セノとティナリをあまりにも素直に解放し、協定をあまりにも快く調印した。


この全ては、周到に演出された芝居のようだ。そしてディシアには、スメールの賢者たちも自分自身も、璃月さえも、この芝居の役者に過ぎず、台本は既に浅井長政によって書かれてしまったように思えた。


砂漠の烈日が大地を焼きつけ、風は砂丘の間を吠え、まるで古き秘密を囁いているかのようだ。浅井長政の隊列は次第に黄金の砂海に消え、一滴の水が海に溶け込むように、跡形もなく去った。


だがディシアは知っている。この駆け引きはまだ終わっていない。ただ碁盤が変わり、駒が入れ替わっただけに過ぎず、真の決戦はこれから始まるのだと。

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