隆崛坂伏撃戦
隆崛坂・岩崩
ナタ、隆崛坂。
これは十余里にわたって続く緩やかな坂地で、両側は険しい崖、中央には広い谷道が通っている。平時は浮羽の湾と火神宮を結ぶ商隊の必経路だった。だが今、谷道には人影はなく、風のうなりだけが響いている。
坂の上には璃月の精鋭三万人がひっそりと陣を敷いていた。
鍾離は坂の最頂部に立ち、金色の瞳で下の蛇行する谷道を見下ろす。背後には巨大な投石機が何列も並んでいる。これらは普通の攻城兵器ではない。璃月の工匠が帰終機の原理を元に改良した岩王投石機である。一機一機が三丈の高さを持ち、投げ腕は古木のように太く、千斤の巨石を五百歩先まで飛ばすことができる。
投石機の傍らには三百基の帰終機が並ぶ。古き仙の機械仕掛けが陽光の下に幽藍の光を放ち、砲口は谷道の隅々まで狙い定められている。
「殿、斥候の報告です。不破光治の部隊が隆崛坂の範囲に入りました」璃月の将軍が進み出て報告する。「兵二万、全速で進軍しており、半時後に伏兵の包囲圏に到達する見込みです」
鍾離は軽く頷き、視線を谷道から離さない。
「投石機に準備を命じよ。私の挙げた手が合図となる」
「はっ!」
命令は段々と下へ伝わっていく。坂の上、三万の将兵は息をひそめ、その瞬間を待ち続けた。
背後から足音、そして馴染みの、少し息の上がった声が響く。
「鍾離先生!間に合いました!」
鍾離が振り向くと、空が大股で歩いてくる。その背後には初潮小隊の全員——刻晴、申鶴、甘雨、夜蘭、シトラリ、胡桃、香菱、八重神子がいる。誰もが長旅の疲れを顔に浮かべながらも、同じ闘志を瞳に燃やしていた。
「間に合ったか」鍾離は微かに頷く。「不破光治の二万の兵が、伏兵の圏内へ進みつつある」
空は鍾離の傍らに立ち、静かな谷道を眺め下ろす。
「不破光治……織田信忠配下の老将。織田信長に従い、幾多の戦場をくぐり抜け、一度も負けを知らぬと聞く」
「負けを知らぬ者も、今日は敗れる」鍾離の口調は淡く、定められた事実を述べているようだ。
八重神子は団扇をそっと揺らし、狐の尾が風になびく。「二万か……織田信忠は本当に焦っているようね。本隊が集結しきらぬうちに、先鋒を死に場へ送り込むとは」
「死に場へ送っているのではない」鍾離は首を振る。「偵察だ。我々の兵力と実力を探ろうとしている。不破光治の任務は道探し、囮である」
刻晴は剣の柄を強く握る。「ならば、この囮にどんな針を飲ませるか、見せてやろう」
坂の上の将兵は全員配置についた。投石機の投げ腕はいっぱいに引かれ、巨大な石弾が革の袋に収められ、いつでも飛び出せる状態になっている。帰終機の弩矢は弦にかけられ、矢先が陽光に冷たく輝いている。
待つこと、それだけが今為すべきことだった。
半時後、谷道の奥から土煙が巻き上がった。
不破光治の二万の大軍が、長い蛇のようにうねりながら隆崛坂へと入っていく。
先頭には老将が馬にまたがり、黒い鎧をまとい、腰に太刀を差し、白髪交じりの髭、鷹のような鋭い眼差し。これが不破光治——織田家の宿将で、織田信忠に従い四方を戦い、数多の武功を立ててきた。六十歳を過ぎても背筋はまっすぐ伸び、虎のような勢いを放っている。
その後ろには三人の部将、安西根川、平谷彦輝、佐政滝が従う。三人は長年彼に従った悍将で、一人は槍、一人は双剣、一人は大斧を手にし、誰もが血に飢えた戦士だ。
「殿」安西根川が馬を進め、谷道を指す。「この地は地勢が険しい。伏兵があれば……」
「知っている」不破光治は言葉を遮り、両側の坂を睨む。「だがこれが火神宮への必経路だ。迂回はできぬ、通るしかない」
彼は一瞬黙ってから冷ややかに笑う。「伏兵か。ならば好都合。璃月の者どもがどれほどのものか、見せてもらおう」
「全軍、聞け!」太刀を抜き、大声で号令する。「陣形を保ち、全速で通過せよ!もし伏兵に遭っても慌てるな、陣を組んで迎え撃て!」
二万の大軍は速度を上げ、谷道へなだれ込んだ。
坂の上で鍾離は静かにそれを見つめていた。蛇のような部隊が徐々に伏兵圏に飲み込まれ、兵士たちが警戒してあたりをうかがい、白髭の老将の姿を眺める。
彼は手を挙げた。
そして振り下ろす。
「撃て!」
三百基の投石機が一斉に発射された。
その瞬間、天地の色が変わった。
千斤の巨石が空を切り、死の甲高いうなりを上げて谷道へ叩きつけられる。第一波の石弾が敵陣に突っ込むと、馬と人がひっくり返り、血肉が飛び散る。戦馬は肉塊となり、兵士は石の下で押しつぶされ、鎧は紙のように砕けた。
「伏兵だ!伏兵だ!」
織田軍の陣は瞬く間に大混乱に陥った。
だが悪夢はこれからだ。
三百基の帰終機が連続射撃を始める。特製の弩矢が雨のように降り注ぎ、一矢一矢が鎧を貫き命を奪う。兵士たちは逃げ場がなく、ただ矢の雨が降るのを見、傍らの者が次々と倒れるのを眺めるしかない。
「踏ん張れ!陣形を保て!」
不破光治は絶叫するが、その声は石弾の轟音と兵士の悲鳴に飲み込まれる。
第二波の石弾が襲来する。今度は特製の「砕甲弾」——石の表面に鋭い鉄片が埋め込まれ、着弾すると破裂し、鉄片が雨あられに飛び散る。無数の兵士が鉄片に貫かれ、悲鳴を上げて倒れる。
第三波、第四波……
一刻のうちに二万の大軍は半数以上が死傷した。
谷道には死体があふれ、血が川となって流れる。生き残った兵士は固まって逃げ場を失い、次の石弾が降ってくるのを絶望して待つばかりだ。
「殿!退け!」血まみれになった安西根川が不破光治の前に駆け寄る。「このままでは間に合わなくなります!」
不破光治は地に散らばる死体、叫び声を上げる負傷兵、血に染まった谷道を眺め、複雑な光が瞳をよぎる。
「退け……」声はしゃがれていた。「退け!」
だがもう手遅れだった。
坂の上で鍾離は再び手を挙げた。
今度、舞い落ちてくるのは石ではない——人だ。
璃月の精鋭三千人が坂から突撃してくる。先頭には金髪の少年、陽光の下で長剣が煌めく。
旅人、空。
その後ろに刻晴、申鶴、甘雨、夜蘭、シトラリ、胡桃——いずれも幾多の戦場をくぐった戦士で、誰もが殺意を燃やしている。
「討て!」
空が真っ先に敵陣に突入し、剣が閃くと三人の兵士が同時に倒れる。彼の剣術はもうかつての未熟な旅人のものではない。弥助から学んだ日本剣法の真髄を融合し、無数の血戦を経て鍛え上げられた殺しの剣だ。
刻晴が続き、匣里龍吟が雷光をまとい、一撃ごとに電気のパチパチという音が響く。五人の兵士が雷に打たれ、体を痙攣させて倒れる。
申鶴は白衣が雪のように、氷の剣を振るえば通り過ぎた敵は次々と氷の彫像となる。間合いを詰めずとも、通り過ぎるだけで相手は永遠にその姿のまま固まる。
夜蘭の糸は生き物のように駆け巡り、敵の喉に巻きつき、軽く引けば首が地に落ちる。その動作は優雅でゆったりとしており、殺しをしているというより芸術を編んでいるかのようだ。
シトラリの弩矢は百発百中、一矢一矢が敵の頭部を貫く。坂の高台に陣取り、一矢ずつ淡々と命を刈り取っていく。
甘雨の長弓はさらに恐ろしい。遠くから放たれた一矢が三人の兵士の体を貫き、まとめて地面に打ち付ける。
胡桃……胡桃は人を殺さない。鈴を鳴らしながら戦場を駆け回り、死にゆく者たちに最後の慰めを届けている。だが彼女の瞳はこれまでになく真剣だ。
混乱の中、不破光治と空が相まみえた。
無数の戦う人々を隔て、二人の距離は三丈ほどしかない。
不破光治は金髪の少年を睨み、ふっと笑う。
「貴様が旅人の空か。テイワットであちこち騒ぎを起こしている厄介者が」
空は答えず、剣の柄を強く握りしめる。
「よかろう」不破光治は太刀を抜き、刀身が陽光に冷たく輝く。「老夫が織田家のため、この厄介者を討ち取ってやる!」
馬を走らせ突進し、太刀を大きく薙ぐ!
空は身をかわし、逆に喉元へ剣を突く。不破光治はさすがの老将、刀身を返してその一撃を払い、左手の拳で空の顔面を殴りつける。
空は頭をかわし、拳が頬をかすめて風を切る。その隙に身をかがめ、剣の先を馬に突き刺す。
戦馬は悲鳴を上げ、前足が崩れる。不破光治は馬から墜落するが、着地と同時に一回転して立ち上がり、太刀を前に構える。
二人は見つめ合い、周りの戦いの音が遠くなったかのようだ。
一の回合:空が胸へ剣を突くが太刀で払われる。
二の回合:不破光治の太刀が腰を薙ぐが、空は跳躍してかわす。
三の回合:空は空中から剣を突き下ろす。不破光治は身をかわしつつ、空の脛を斬りつける。
刀が肌を切り、血の玉が飛ぶ。空の脚に傷がつくが命には別状ない。
四、五、六の回合……
二人は死体と血の海の上で激闘を続ける。不破光治の剣捌きは老練で重厚、一撃一撃に数十年の鍛錬が宿る。空の剣は変幻自在で、一撃一撃が相手の予想を裏切る。
七の回合:空の剣が不破光治の左肩を貫く。
八の回合:不破光治の太刀が空の左腕を斬り裂く。
九の回合:二人は同時に後退し、息を切らして見つめ合う。
不破光治の肩からは血がどくどく流れるが、それでもまっすぐ立っている。彼は空を見て、瞳に複雑な光が宿る——称賛か、遺憾か、それとも別の何かか。
「見事な剣さばきだ」と彼は言う。「老夫の若き頃よりも上だ」
空は返事をせず、剣を握り直し、再び突進する。
十の回合:空は虚撃を放つ。不破光治は本能的に受けるが、それは見せかけの技だった。空の本当の必殺技は蹴りである。
膝裏に一撃が入り、老将はよろめいて片膝をつく。
十一の回合:空の剣が彼の右手首を突き通す。太刀が地に落ちる。
十二の回合:剣の先が喉元に突きつけられる。
不破光治は顔を上げ、若き旅人を見つめる。瞳に恐怖はなく、穏やかな、ある種の解脱した光だけがある。
「斬れ」と彼は言う。
空は彼を見つめ、しばらく黙る。
「何か言い残すことはあるか」
不破光治は少し考えてから、淡く笑う。
「鍾離に伝えてくれ……この戦い、老夫は心から負けを認める」
空は頷く。
十三の回合、剣が煌めいた。
不破光治の首が宙に舞い、回転しながら地面に落ちる。老戦士の眼は死んでも閉じられなかった。
遠くで安西根川、平谷彦輝、佐政滝の三人が死闘を繰り広げていた。
安西根川は槍を刻晴に突き出すが、申鶴の氷の剣に槍の軸を凍らされる。刻晴は隙を突いて一撃、彼の心臓を貫く。
平谷彦輝は双剣を舞わせるが、夜蘭の糸に手足を縛られて動けなくなる。シトラリの弩矢がまさに眉間に突き刺さる。
佐政滝は大斧を振り回すが、甘雨の氷矢に行く手を阻まれる。最後に胡桃の鈴の音に目をくらまされ、空の剣に討ち取られる。
三人の部将は相次いで命を落とした。
織田軍二万は全滅した。
谷道には死体が敷き詰められ、血が大地を浸す。夕日が沈み、大地一面を血の色に染め上げる。
空は死体の山と血の海の中に立ち、転がり落ちた首を眺める。剣からは血が滴り、体には傷が無数に刻まれているが、瞳に勝利の歓びはなく、深い疲労だけがある。
鍾離が坂からゆっくりと下り、金色の瞳で戦場を見渡す。
「終わった」
空は顔を上げる。「織田信忠にはまだ八万の兵が残っている。これは始まりに過ぎない」
鍾離は頷く。「そうだ。だが良い始まりである」
彼は振り向き、東、浮羽の湾の方角を眺める。
「行こう。あの狂人に伝えよ、彼の先鋒は消え去った、と」
夕陽の下、璃月の旗が隆崛坂の上で風に翻る。
味方三万、一人も死傷なし。
敵二万、ことごとく討ち取られた。
これが鍾離の戦いだ。
戦わぬときは静かに待ち、戦うときは必ず勝つ。




