お金貸して
配信者が「絶望感を売りにしろ」と言い切った直後、私は剣を納めるより先にメニューを開いた。広場の端ではまだざわめきが残っているが、そんなことより指が先に動いた。戦闘の熱が残っているうちに、次に触るものを決めておかないと、さっき覚えた感覚が薄れる。メニューの中段にあるストーリーモードを開くと、配信者が横から覗き込んできた。
このプラットフォームは、同じ世界を時代ごとに切り分けて展開している。大洪水以前から近未来まで、千年以上ずつずれて重なる土地の履歴。市場が厚いのは「中世」だ。私はしばらく最新の近未来編に浮気してログインを放置していたが、今の獲物を試すならここが一番手っ取り早い。
時代選択の一覧の中で、中世だけが中途半端な進捗で止まっている。私はそこを押し、さらに難易度一覧を開いた。通常、上級、そして契約金が必要な特別難易度。私は迷わず一番上に指を置く。
その瞬間、横から手が伸びてきて、操作を止められた。
「おい」
配信者の声がさっきより低い。
「お前、今どこを押そうとした」
「一番上だ。効率がいい」
「見りゃ分かる。だが、なんでそこなんだよ」
「報酬の枠が多い。それ以外に理由があるか?」
私は画面から目を離さない。契約金の欄が赤く光っている。今の所持金では足りない。なら、やることは一つだ。
「金を貸せ。後で利子をつけて返す」
そこで配信者の動きが止まった。数秒遅れて、呆れたような、それでいて感心したような笑いが漏れる。
「お前さぁ……」
「足りないんだ。なら、話は早いだろ」
「いや、早すぎる。普通は稼いでから戻るんだよ。だが……そうか、お前はそういうタイプか」
配信者は腕を組んだまま画面を見た。
「やるなら最初から最高難易度。どうせ後でもう一度来る手間を省く……。効率的だが、お前、そこは『掘り場』じゃないんだぜ」
「報酬があるなら同じだ」
「いや、違う。作る側は逆だ。ゲームに話を添えたんじゃない。話を遊べる形にしたんだよ」
配信者が画面の「中世ストーリー」の章題を指で叩く。
「最初はぬるい。だが、そこで顔を出したキャラが後で繋がる。こっちの時代で投げた台詞が、別の時代で回収される。簡単にしてあるのは、話を喉に通らせるためだ。そこを飛ばして高難易度だけしゃぶっても、それはただの作業になる」
「ゲームのおまけだろ、ストーリーなんて」
そう言うと、配信者は真っ直ぐこちらを見た。
「お前にとってはな。だが、この中世編をスキップするのは、攻略のヒントをドブに捨てるのと同じだ。……一回でいい。通常難易度でやれ」
私は赤い数字と、配信者の顔を交互に見た。気に食わないが、こいつの言う「攻略のヒント」という言葉だけは無視できない。
「……一回だけだ」
「それでいい。分かればいいんだよ」
勝ったつもりでいる顔が少し腹立たしいが、私は一番下の項目を選んだ。
画面が暗転し、中世編の第一章が開く。
石壁の質感、雨に濡れた旗、油の匂い。プレイヤーを戦わせるための広場とは、作り込みの密度が違った。
『洪水の後、王都に残された河門の一つは、夜毎に死者を返す』
読み終える前に進もうとしたが、また止められる。
「待て」
「長い。操作させろ」
「一行だけだ。これを読まないと、敵の行動パターンの理由が分からないぞ」
門の前に立つ老騎士が振り返る。モブではない、ストーリー専用の精巧な造形だ。
「河門は閉じるな。閉じれば終わる」
その一言で、周囲の兵士たちの空気が変わる。一見無駄なイベントだが、この場の「歪み」が一瞬で伝わってきた。操作権が戻る。目標は『河門前の死者を退け、門を守れ』。
私は最初に湧いた死者の群れへ踏み込む。
雑魚だ。動きも素直で、攻撃の警告も親切すぎる。エクセキューショナーズソードの重さについてこられる奴はいない。だが、三体目を処理した時、私は門前の地面に目が止まった。
石畳に刻まれた紋様。……さっきの決闘で見た「フィールドロック」の図形と、構成が似ている。
「おい。見たか?」
配信者がニヤリと笑う。
「……床だろ。さっきの図形と繋がってる」
「一章でこれだ。だから『読む』価値があるんだよ」
第一波を処理しきる前に、門の向こうから地響きが三回。中ボスの登場だ。
画面には「弩砲を使用しろ」という支援アイコンが点滅している。無視して、私は門の陰から現れた処刑人風の巨体へ突っ込んだ。
巨槍の横薙ぎ。後ろへは下がらず、踏み込みの内側へ。濡れた石畳を利用して滑り込み、膝、肘、関節を狙う。
ストーリーボスの重い挙動は、さっき決闘で叩き込まれた「崩し」の理屈を試すには最高のサンドバッグだった。
「そこは弩砲を使えよ!」
「使わない方が、こいつの判定の切れ目が見える」
「お前、本当に効率の鬼だな……!」
言いながらも、配信者は楽しそうだった。
巨体の動きが目に見えて鈍る。部位への蓄積が閾値を超えた。そこで初めて、私は弩砲のトリガーを引いた。鉄杭が巨体の肩を貫き、完全に縫い留める。
「支援成功」の文字が出るが、そんなものは見ない。拘束された隙に、一番重い一撃を首元へ叩き込む。処刑武器としての本領発揮だ。
演出が入り、黒い水が噴き上がる。老騎士が呟く。
「やはり、帰ってきたか」
その一言で章が終わった。
「……面倒だな。伏線が多すぎる」
「いい面倒だろ。報酬以上の価値があったはずだ」
配信者が笑う。確かに、報酬欄には通常難易度とは思えない「古い鍵の欠片」があった。
次の章の一覧を開く。
通常で進むか、高難易度へ戻るか。
さっきまで意味のなかった「登場人物名」が、今は嫌でも目に付く。
配信者は何も言わず、ただ私の指先を見ている。
私はその視線が気に食わなくて、次の章の「通常難易度」を叩きつけるように押した。




