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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
四章 燃ゆる槍と燻る弓
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98. 槍と弓

 今度は、モムルはすぐには答えなかった。

 閉じられた目の奥に何かの思いが渦巻き、鎮まらないうちに瞼が開いた。


 光を吸い込む黒の瞳が、ファンエーマのことをまっすぐに捉えている。


「私達は、決めなければなりません」

「何をだ」

「分かっているでしょう。私達の命の使い方を、です」


 モムルの瞳を見つめ返しながら、ファンエーマは一切の遠慮無く告げた。


「ヘステス様が仰せであった青龍魔導を授かるため南へと旅を続け、海を泳ぐための魔導を手に入れ、再び穴が開くまでの気の遠くなるような時間をただひたすら待ちわびるのか」


 ファンエーマは立ち上がり、近くに積まれたままの荷物の方へ歩み寄った。

 無造作に手を伸ばそうとした瞬間に、モムルは返り血に汚れたボウガンを向けてきた。


 構うことなく、ファンエーマはかがみ込み、目的の道具を拾い上げた。


「ここに残った一本の【白の杖】を持ち、一人しか救えないことを承知の上で渦に飛び込むのか」


 白く揺らぐ杖の先をモムルに向けると、ボウガンを支えるモムルの肩がピクリと震えた。


 問いかけながらも、ファンエーマは既に確信していた。

 二人の中にある結論は一つで、一つだからこそ、決して交わらない。


「私は、渦に飛び込もうと考えています。ヘステス様さえ救うことができれば、他の三人も治療することができるはずです。それに、島民達が他者に【白の杖】を渡さないという前提を踏まえれば、例え青龍魔導を持とうとも私達の手札は増えません。ならば、例え僅か一本であろうと杖が手元にある今飛び込むのが最も賢明な判断となるでしょう」


 表向き筋の通ったことを並べながら、ファンエーマはモムルの出方を窺った。

 

「……お前が死にたいだけだろ、それは」

「そうかもしれませんね」


 モムルの指摘の半分は正しい。

 ヘステスがあの”魚人”の姿に変身してようやく抜けられるかどうか、という渦に、生身で飛び込もうというのだ。それは自殺同然の行為でしかない。


 しかし、ラズエイダを失えば、この身が生きる意味など消え失せる。

 ならば死んだとして、何も変わらないだろう。未練と後悔だけに満ちた余生を送るより、ずっと楽だと思えるくらいだ。


 モムルがボウガンを下ろして立ち上がり、近寄ってきた。

 

「貸せ。男の方が、海によく沈むはずだ」


 すっと伸ばされた手を、ファンエーマは振り払った。


「いいえ。身体が小さい方が、穴を通り抜けるのに有利です」

「あんなデケえ渦の底にある穴だぜ、俺もお前も変わんねえよ」


 杖に向けて伸ばされた手を、ファンエーマはひらりと躱した。


「海の底は光の届かぬ暗闇と聞きます。私なら物を見るのに支障ありません」

「目なんざ海の底じゃ真っ先に潰れるだろうが」


 踏み込んできたモムルに、ファンエーマは槍の石突を突きつけた。


「そいつは俺の物だ」

「いいえ。私が先に掴みました」


 モムルの左手が槍を掴もうとしてきたので、ファンエーマは一瞬槍を引いて位置をずらした。

 しかしモムルはそれを予測していたらしく、動かした先で待ち構えていた右手に槍が捕まった。


「奴隷風情が口答えしてんじゃねえよ」

「モムル様の言葉に従う義務はありません」


 ギリギリと力がこもる。

 単純な力はモムルの方が強く、槍の柄に対する力の伝え方はファンエーマの方が優れていた。


「……」

「……」


 拮抗した力の勝負は、モムルが右手を離しボウガンを構えなおすことで終結した。


 いつ矢が放たれても良いように、ファンエーマは杖を地面に静置し、槍を両手でまっすぐに構えた。

 互いの胸に互いの得物を突きつけながら、にらみ合う。


「……もし、だ」


 モムルが口を開いた。

 ファンエーマは黙ってモムルの言葉を待った。


「もし奇跡が起きて、生きたまま”無の世界”にたどり着いたとする。そこにヘステスの代わりにテレミアと王子サマが並んでたら、どうする?」


 ファンエーマは少し考えて、自分の心に従うことにした。

 この期に及んで、自分を偽る必要を感じなかった。


「イダ様のために、この道具を使います」


 そうすることが最も理にかなっているだろう、ともファンエーマは思う。


「イダ様のことです。テレミア様もどうにかしてお救いになるのでしょう」


 なぜならば。


「……あの御方は、テレミア様を必要としていらっしゃいますから。私ではなく」


 テレミアを見るラズエイダの暖かな表情を、ファンエーマは傍でずっと見てきた。

 何もかもを失うばかりだったラズエイダの人生に、初めて形ある何かを与えたのがテレミアだった。

 ラズエイダはきっと、テレミアを取り戻すためなら何だってするはずだ。


「随分と寂しそうに言うじゃねえか。惚れてんのか?」


 モムルが発した挑発を、ファンエーマは凪いだ感情で受け止めた。


「主君に惚れずして臣下が務まりましょうか」


 惚れた腫れたなど、今更何の意味があるだろう。

 今ここにいるのは、手の届かない場所に主君を失おうとしている役立たずの護衛だけだというのに。

 今ここにいるのは、命すら主君のために(なげう)つことを躊躇わない、心の随まで主君のことに染まりきった愚者だけだというのに。


「いくら私が勝手に思い悩んだところで、そんな些細なことは主君の前では全て塵にも等しいのです。遙か昔にこの身の定めは受け入れました。私はただイダ様の槍として一生を終えるのだと」


 ゆっくりと、ファンエーマは槍先をモムルの顔に突きつけた。


()()()は、違うのですか?」


 モムルに向けて不敵な笑みを浮かべた瞬間だった。

 ようやく、ファンエーマの中でとある疑問が氷解した。


 ───ただ槍を黒肌に突き刺すだけで杖は自分一人の物になるというのに、どうしてこの口はモムルに選択肢を与え続けているのか?


 結局、理解者が欲しかったのだ。

 主君を愛しながら、愛した主君の幸福を後ろで願う他にない、この鬱屈した思いを共有できる相手が。


 モムルの心を無理矢理開けば、その中に詰まっているのはきっと、テレミアへの鬱屈した思いであるに決まっている。

 だって、そうでもなければ。

 執拗にテレミアの身ばかりを案じることも、不自然なまでにラズエイダの魔導具を拒絶することも、テレミアを痛めつけた相手に対して狂ったように復讐しようとすることも。


「……違えねえよ、こんちくしょう」


 今、その顔に悲壮な笑みが浮かんでいることも。

 到底、説明できはしないだろう。


「ああ、畜生。そうだ、俺はあいつの護衛として、あいつより先に死ぬ訳にはいかねえんだ」


 二人の交わる視線が同じ感情を帯びていることを、きっと二人は完璧に感じ取った。

 モムルは一歩、二歩と後ずさりながら、ボウガンで戦うのに有利な間合いを作っていった。

 それを分かっていて、ファンエーマはあえて後を追うことはしなかった。


「もう御託はいらねえ。お前のことは、ずっとぶっ殺してやりたいと思ってたんだ」

「ええ、そうなのでしょうね。私の事情も何も知ろうとはしないで、随分と身勝手な男だなと思っていました」

「うるせえ黙れ。俺はテレミアの弓でお前は王子サマの槍なんだろうが。槍にも弓にも余計な言葉を吐く口はいらねえんだよ」

「よく分かっておいでです」


 初めてできた理解者とこうして殺し合わねばならないのが、とても悲しく思えた。

 命を賭けることでしか相手の心を開けない不器用さが、この身を槍と定めているのかもしれない。今更望んだところで、ラズエイダやテレミアのように、言葉巧みに人の心を動かせるようにはなれないだろうが。


「今、【白の杖】は私の足下にあります」


 モムルが十分離れたのを見計らって、ファンエーマは声を出した。


「奪えるものなら、奪ってみなさい」


 返事は風を切り裂く短矢の一撃だった。

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