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迷宮世界のオデュッセイア  作者: 諭吉
四章 燃ゆる槍と燻る弓
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91. 〈ケカシェ〉

 突然のことに何も言えずにいる間、老女は鋭い眼光で六人を順に見つめていった。


「大いなる海が見定められた〈ケカシェ〉はどなたか」

「いい加減にしろ!」


 叫んだモムルはボウガンを老女に向け、「いいか」とドスの利いた声で威圧を試みた。


「こんなふざけた真似は止めて、今すぐに船を用意しろ」


 次いで、モムルは老女の頭上に向けて矢を放った。

 ばづん、と音がして、短矢は藁葺きの屋根の深くまで突き刺さった。


 油灯に照らされぼんやりと薄暗い部屋の中にパラパラと藁くずが舞う。

 モムルは素早く次の矢をボウガンにつがえ、引き金に弦をかけた。


「次はお前の頭に穴が空くぞ」


 老女の頭に向けられたボウガンの先が僅かに震えているのを、テレミアは確かに見て取った。

 テレミアが感じるものと同じ恐怖が、モムルの身体にも宿っているのだろう。


 老女はモムルをまっすぐに見つめ返している。その視線には微塵の恐れも乗っていない。


「皆様の望みは「船を与えられること」でよろしいか」


 その確認は、老女が意外にもモムルの主張に耳を貸していたことを示していた。

 もしかするとモムルの乱暴な方法でも上手くいくのかもしれない、と希望が胸をよぎる。


 しかし、すぐにテレミアは重大な問題に思い至った。


「よく分かってんじゃ───」

「待って」

「待つんだ」


 テレミアとラズエイダがほとんど同時に、頷きかけたモムルを制止した。


 ラズエイダの顔を見る。ラズエイダもテレミアの方に顔を向けてきて、視線がかち合った。

 そこにあった焦りの色を見て取るに、どうやら二人はほとんど同じ結論を導いたらしかった。


 頷き合った二人は、それぞれの仕事に移った。ラズエイダが言葉をまとめようと目を閉じた隙に、テレミアはモムルの顎に下から手を伸ばした。不自然に発言を中断したまま開いていたその口を閉じさせ、「しっ」と沈黙を命じる。


「訂正する。私達の望みは、「船を与えられ、六人全員が無事に島を出ること」だ。船だけをもらって殺されては叶わない」


 ラズエイダはテレミアが言わんとしたことと寸分違わぬ要求を述べた。

 モムルが一人でまとめかけた「船」という条件だけでは、誰の命も保障されはしない。解釈次第では、全員の亡骸を船に乗せて海に流すというやり方であっても望みが叶ったことになってしまう。


 自分のやり方の間違いに気づいたのだろう、モムルの瞳はせわしなく動き回って落ち着かない。


 ラズエイダの要求に対し、老女は表情一つ変えず頷いた。


「問題なく皆様の望みは叶えられましょう」


 ラズエイダが息を吐いた。

 その肩からは、僅かに強ばりが取れただろうか。


「条件について聞きたい」

「───大いなる海が見定められた〈ケカシェ〉はどなたか」


 老女はラズエイダの質問に答えようとはせず、また意味の分からない問いを投げかけてきた。


「私達はその〈ケカシェ〉というものを知らない。従って、貴殿の質問には答えられない」

「なんと」


 驚いた様子の老女は、一つ呼吸を置いて「では」と問い直してきた。

 何故か視線はラズエイダではなく、モムルの方を向いている。

 

「そこの黒い肌の方」

「……あ?」


 喧嘩腰のモムルに取り合うことなく、老女の視線は別の場所に移った。


「そこの白い髪の女性の方」

「わ、私ですか?」


 突如水を向けられたファンエーマは戸惑いをあらわにしている。

 老女は一つ頷いて、そして淡々と言葉を続けた。


「お二人は子を成す契りを結んでいらっしゃるか?」


 発せられたのは、あまりにも、この緊迫した場には似つかわしくない質問だった。


「…………は?」


 かすれたファンエーマの声が、静まりかえったチェリの家の中に響いた。


「なわけねえだろ、馬鹿にしてんのか!?」


 その音に触発されて気を取り戻したか、モムルが先程の脅し以上の大声で叫んだ。


「左様でございますか」

「はぁ!? んなふざけたこと訊いといて答えがそれかよ、ふざけてんじゃねえぞ!」

「お二人はもうよろしい」

「っ、何なんだよ……!」


 老女の中から、一瞬にしてモムルとファンエーマに対する興味は失われたようだった。

 憤りを隠さないモムルを尻目に、彼女の視線はテレミアとラズエイダに向けられた。

 どうやら、次の標的として選ばれたらしい。


「赤髪の方、そして隣の鳶色の目の方。お二人は子を成すための契りを結んでいらっしゃるか?」


 質問は半ば予想通り、テレミアとラズエイダの関係性を問いただすものだった。

 テレミアは一度ラズエイダと視線を交わし、しっかりと首を横に振った。


「いいえ」

「では、鳶色の目の方と、そこで隠れていらっしゃる紺色の髪の方。お二人は───」

「違う。我々の間にそのような関係はない」


 オトにも向けられた同じ質問が完成するよりも早く、ラズエイダが遮った。


 そのまま、


「ここに夫婦はいない」


 冷たく、警戒を前面に押し出すようにして、ラズエイダは老女の捜し物の不在を突きつけた。


「……何と」


 老女の顔には、この島に来てから初めて見る戸惑いの表情が浮かんでいる。


 ちらり、と一瞬彼女の視線はヘステスを向いたものの、何を問うこともなく逸らされていった。


「はっ、随分と無礼なものじゃの」


 小声でヘステスが呟いた。


 突如生まれた静寂の合間に、テレミアは頭を回す。

 今の質問はどういう意図があっての問いかけだったのか。

 チェリは最初に〈ケカシェ〉のことについて問われたとき、「大いなる海の沙汰の下、〈界渦〉に運ばれ島に流れ着いた夫婦をそのように呼びます」と言っていた。つまりケカシェというのは、夫婦の関係にある男と女が任ぜられるものなのだろうか。

 テレミアたち六人は誰一人としてそういう関係にはない。誰も〈ケカシェ〉にはなれないということになる。


 チェリがテレミアたちを歓待したのは、〈ケカシェ〉を迎えるためだということだった。

 仮に適任者がいないことが分かったなら、島民はどういう反応を示すだろうか。理屈などまるで通じない、異常なしきたりに従う彼らは、用済みの外様をどう扱うだろうか。


 ……警戒を最大限に引き上げないといけないのかもしれない。


 テレミアは盾を左手に生み出した。


「ラズエイダ、()()だけはしておいて」

「……そうだな」


 部屋を照らす油灯の鈍い明かりの中に、金色の光が混ざり込む。


 いつでもラズエイダと触れあえるような距離感へと、テレミアはゆっくり身体を寄せていった。


 その時、老女の顔がぴんと糸を引かれたようにテレミアとラズエイダの方に向けられた。

 思わずテレミアは動きを止めた。


 二人の姿を隅々までなめ回すように眺めた老女は、聞き取れないほどの小さな声で何かを呟いた。


 そして、例の微笑みが顔に張り付いた。


「今ここに、〈界渦〉に導かれ〈ケカシェ〉が現れた。封海の民よ、大いなる海の差し伸べられた御手にひれ伏せ!」


 老女の喉から飛び出したのは、老いた身体だからこそ成せる、深く響く号令だった。

 ひれ伏せ、という命に従って、六人を取り囲む全ての人間が一斉にその場に両膝をついた。

 彼らは皆そのまま腰を折り曲げ、頭を地面に擦りつけるかのようにしている。


 その一糸乱れぬ動きにまた怯えをかき立てられる中、ふとテレミアは一切の視線がこちらに向けられていないことに気がついた。

 手を打つのなら、この絶好機を活かすしかない───


「点射せよ!」


 老女が身体を折り曲げたまま叫んだ。

 紫色の光が目に飛び込んできた、と思った。

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