90. 集会
案内されたチェリの家は、周りの家と何も変わらない、石積み藁葺きの質素な建物だった。
慣れた手つきで火箸と藁を丸めたものを用意したチェリは、竈から家のあちこちに据えられた油灯に順に火を移していった。
次にチェリは棚に手を突っ込み、幾重にも積まれた白い布と黒く細長い帯を引っ張り出してテレミアたちの前に置いた。チェリや島民たちが身に纏っていたものだろう。
「皆様、まずはこちらの服にお着替えください。濡れた服のままでは風邪を引いてしまいますから。お着替えなさっている間に、お部屋を用意して参ります」
「ありがとうございます」
テレミアが礼を述べると、満足そうに微笑んだチェリは恭しく頭を垂れて家を出て行った。
昼間でありながらぼんやりと薄暗い室内で、テレミアたちは順に服と呼ばれた一枚布を身体に巻き付けていった。慣れない形の布の扱いに手間取り、どうしても見た目は不格好になってしまった。特に、布地の長さが足りず胴から腰にかけてただぐるぐると白布を巻き付けただけのモムルの姿は、ふてくされた顔も相まって非常に面白おかしいものだった。
「さて、無事に命あるまま海を脱した訳じゃが。……どうにも気が休まらんのぉ」
気が休まらん、という失礼に当たる部分は声を潜めながら、ヘステスが何の気なしに空気を震わせた。
テレミアは肩をすくめ、「親切にしてくれるのはありがたいって思っておこうよ、せめてさ」と返した。
どこか心に引っかかる部分があるのは分からないでもない。
「その親切について、何の対価も儂らは払っておらん。払うという約束すら結んでおらん。何か裏があるとは思わぬか」
長い睫毛を揺らしながら、ヘステスは「のう?」とわかりやすい問いかけの形に言葉をまとめた。
ただ、声色には困惑の成分が濃い。知恵者であるヘステスも、今の状況をどう理解するべきなのか図りかねているようだった。
「……チェリさんが帰ってきたらお金払っとく?」
とりあえずヘステスが気にしていた対価という部分に関して解決策を投げかけると、「いいや」と別の方から否が飛んできた。
「ここに来るまでに、店と呼べるような施設をただの一つも見かけなかった。島の外との交易を行っていないのなら、そもそもこの島には金銭による売買という仕組み自体が存在しないかもしれない」
「そ、そんなことある?」
「試してみるか? 一枚で良い、金貨をよこしてくれ」
ラズエイダが要求してきた通りに、テレミアは脱いだ服と一緒に置いておいた財布から金貨を一枚取り出した。
それを受けとったラズエイダは、折良く戻ってきたチェリに向かって「少し良いだろうか」と話しかけた。
「はい、何でしょう」
「宿代だと思って、これを受け取って欲しい」
ラズエイダが差し出した金貨を、チェリは物珍しそうに眺めて、そしてこう言った。
「こちらは何をするための道具なのですか?」
「ああいや、すまない、忘れてくれ。出すものを間違えた」
大げさに手を振ったラズエイダは、金貨をテレミアに投げ返した。
「ほら、言ったろう」
「……あんたすごいね」
「何、少し社会というものをよく学んだことがあるだけさ」
飄々と言ったラズエイダは、彼がさっきまで着ていた服の中から正方形の紙を引っ張り出し、チェリに向き直った。
「これは起符術という魔導によって作られる、治癒の魔導具だ。怪我をしている部位に押し当てながら紙を破ると、初歩の治癒魔導と同じかやや劣るくらいの効果を得られる。止血などの応急処置に使ってほしい」
チェリの顔は、今度はわかりやすく明るくなった。
「これはこれは、貴重なものをどうもありがとうございます」
恭しく符紙を手に取って、チェリは急ぎ足で台所の方へと消えていった。
再び現れた彼女の手には、符紙の代わりに小鳥の人形が握られていた。
その人形は石で作られていて、さっき見た老人の石像と同じように極めて精緻な作りをしている。
「どうぞ、お受け取りください」
そう言って、チェリは手の中の人形をラズエイダに握らせようとした。
ラズエイダはさっと手を引いた。
「私が対価をもらっては、最初に渡した魔導具の意味がなくなってしまう。気持ちはありがたいが、この美しい工芸品は貴殿が持っておくべきだ」
丁寧な断りの台詞だったが、チェリは「いいえ」と首を横に振った。
「私たちの家は、〈ケカシェ〉をもてなすためにあるのです。皆様が我が家にご滞在なさることは大いなる海の御意思ですから、それに対価など求めはしません」
またも、「大いなる海」だ。
この言葉が出てきたら最後、こちらの思う理屈は通用しない。
ラズエイダはしばらく逡巡した末に、チェリから小鳥の人形を受け取ることにしたようだった。
しかし、これではヘステスが気にしていた「何か裏があるのではないか」という部分に対して何の対策にもならない。
「本題に戻りまして。皆様のお部屋をご用意いたしました。ここにお二人、裏手の物置にお二人、エルマの家にお二人。じきにエルマは厩舎での務めから戻りますので、その際にご挨拶をさせていただければ。さて、何かご入り用のものはございますか?」
どうすれば良いのか迷っていると、
「ならば率直に尋ねよう」
ヘステスが一歩踏み出した。
「この島を出るための船が欲しい。儂らは急ぐ旅の最中じゃ。一刻でも早く前に進まねばならぬ」
硬い声色だった。
「ちょっと、ヘステス」
テレミアは老人の肩に手を置いた。
無用な軋轢を生みたくはない。
「黙っておれ」
テレミアを制したヘステスは、チェリに向かって「答えは」と迫った。
チェリは一度透明な表情を作った後に、微笑みを浮かべた。
「それは私の一存では用意しかねます」
ぞわり、とテレミアの背筋を寒気が駆け上がった。
要求の拒絶という答えと矛盾するはずの動かない微笑みに、一切の感情を見つけることができなかった。
「何故じゃ。儂らの頼みは何でも聞くというのが大いなる海とやらの定めではなかったか」
「大いなる海は穢れを嫌います。私たち封海の民には、船を自由に扱うことは認められていません」
ヘステスは即座に、「ならば」と切り返した。
「誰に頼めば手に入るのかを教えるのじゃ。魚を食べておるのじゃろう、船が一隻もないとは言わせぬぞ」
何度も見た微笑み、そして感情のない声がチェリの答えだった。
「それは私の一存ではお答えしかねます」
いらいらとヘステスは頭を振った。
「意味が分からぬ。答えられない理由でもあるのか?」
「それは私の一存ではお答えしかねます」
「ふざけておるのか?」
「いいえ、そのようなことは決してございません」
「ならば答えよ」
「私の一存ではお答えしかねます」
人間味を欠いた一定の調子で、チェリは決まり文句を述べ続ける。
異様な雰囲気が漂いだした中で、ついにヘステスは我慢の限界に達したようだった。
「お主が儂らを迎え入れた理由は何じゃ。この島に閉じ込めるため、とは言うまいな」
ふつふつと湧き上がる黒い感情を滲ませながら、ヘステスは一歩、また一歩とチェリに詰め寄った。
すると、
「一つご提案を差し上げます」
相変わらずの平たい声色で、チェリがさっきまでとは違うことを口にした。
「言ってみるがよい」
ヘステスに促され、チェリは軽く頷いた。
「長老も含め、島の者を一同に集めての集会を開きましょう。その場であれば、皆様にとって良い結果を導くことができます」
「……どういう意味じゃ」
「船を出すために必要な手筈を整えるには、こうする他にありません」
淡々と答えを返したチェリは、さっと身を翻して家の玄関の方へ歩いて行った。
テレミアたちが呆気にとられて見つめる先で、玄関をくぐり家の外に顔を出した彼女は、
「集会を!」
と大声で叫んだ。
ほとんど間を置かず、「集会を!」と男の叫び声が返ってきた。続けて、「集会を!」と女の叫び声が聞こえた。
そこから、まるで雨が屋根を打つかのように叫び声がひっきりなしに上がり続けるようになった。
「集会を!」「集会を!」「集会を!」「集会を!」「集会を!」「集会を!」「集会を!」「集会を!」「集会を!」「集会を!」「集会を!」「集会を!」
「……なに、何なの」
テレミアは思わず腰の剣を握りしめた。
まるで収まる気配のない叫びの雨の中、チェリはくるりと振り返った。
「それでは、集会の開始まで少々お待ちください。身体を休められていないうちに申し訳ありませんが、集会は速やかに行われねばなりません」
「……随分と手荒い”もてなし”じゃの」
「申し訳ございません」
張り付いた微笑みは、もはや不気味にしか感じられない。
そのとき、テレミアの背中を何かがぐっと引き寄せた。
「───おい、テレミア」
「なに?」
小声でささやくモムルに対し、同じように小声で返す。
「ずらかるぞ。こんな場所にいたら気が狂っちまう」
「え」
チェリの視線の中にあって、テレミアは即座には動けなかった。
モムルはテレミアの反応が鈍いことを見て取るやいなや、服を掴んで大股で歩き始めた。
引きずられるように進む先には、家の裏手に続く勝手口が見えている。
「何をしておるのじゃ、モムル」
ヘステスがモムルの動きに気づいて背後を振り返った。
「決まってんだろ。船を探しに行くんだよ」
「待て、余計なことは───」
ヘステスが言い切る前に、二つのことが起こった。
「なっ!?」
モムルが目指していた勝手口から何人もの島民が入ってきて、モムルとテレミアを力ずくで押し返した。
「イダ様!」
「エマ、動くな!」
玄関から押し寄せてきた島民たちが六人を取り囲み、逃げ場を消し去った。
後から後から人間が増えていき、元よりさして広くもなかったチェリの家は、あっという間に人で一杯になった。彼らは皆、小さく固まって攻撃に備えるテレミアたちから数歩の距離を取って、まっすぐ立ったまま動かない。全員の顔に、チェリのものと同じような微笑みが浮かんでいる。
「……外にも何十人といるようです」
ラズエイダを背中に庇うファンエーマが告げた。
「何だって?」
「逃げ場が、ありません……っ」
焦りを隠せないでいる彼女の手に槍は握られていない。
押しかけた人々の足下、そのどこかに転がったまま拾えなくなったようだった。
一方、テレミアと共に一度脱出を図ったモムルの手には、ボウガンが収まっていた。
そのボウガンを、モムルは周囲を囲む人々に向けている。
「それ以上近寄ってみろ、タダじゃ置かねえぞ!」
脅しの文句はしかし、揺らがぬ微笑みの島民たちには全く効き目を持たないようだった。
得体の知れない恐怖が身を包み、呼吸が浅くなる。
しばらくにらみ合っていると、さっと人の海が割れ、その奥から二人の人影が進んでくるのが見えた。
一人はチェリ、もう一人は腰の曲がった老女だった。
「こちらが?」
「ええ」
「そうか」
チェリと短く会話を済ませた老女が、島民の輪から一歩踏み出て、テレミアたちの前に立った。
「大いなる海の〈ケカシェ〉よ。〈界渦〉に蓋し恵みをもたらす封海の担い手よ。封海の民を代表してご挨拶差し上げる。よくぞ参られた」




