8. 二人の出会い
迷宮【彷徨える大蛙の森】は、サランダ島で最も栄える港町から少し離れた森の奥にひっそりと口を開けた洞窟の先にある。
出現するのはその名の通り、蛙だ。ただし、小さなものでも犬ほどの大きさがある。
最奥に出現する踏破報酬付きの大型個体を除けばそれ以外の魔物は存在せず、また蛙自体への対処も比較的容易であることも相まって、難易度はかなり低い。「迷宮初心者にとっては悪くない環境だが、本格的に腰を据えて身体を鍛えるような場所ではない」、というのが専らの評判であり、昼間であっても木こりたち以外に目立った人間の姿はなかった。
島に着いてから四人は適当な宿をとり、荷物だけを置いてすぐに迷宮に入っていた。
テレミアは蛙を串刺しにした剣をそのまま蛙ごと大樹に突き立てて、もう何度目になるかも分からないとどめを刺した。立ち上った光の粒を、意識的に四人に均等に割り振る。
「すまねえテレミア、ちょっと遠くの奴を殺っちまった。拾ってきてくれ」
背後からモムルの声がした。振り返ると、頭を搔くモムルは少し遠くを指さしている。
その先に、短矢を脳天から生やしたままひっくり返って動かない蛙が見えた。どうやら、盾の力で吸収できないほど遠くの蛙を倒してしまったらしい。
「分かったー!」
木々の間を縫うように走ってどうにか空へと溶けていく光を捕まえ、テレミアは追いかけてきた三人に順にそれを流し込んだ。
ヘステスが曲がった腰を伸ばしておぉ、と感嘆の声を漏らした。
「今朝と比べると大分足腰が軽くなった気がするのぉ」
「やっぱり大っぴらに魔物を倒し続けられるっていいね」
「うむ。しばらくここに逗留すると決めたのは悪くない判断じゃったな」
背後からオトがすっと近寄ってきた。
「ミア、たぶんもうすぐ夜になる。今日はもう切り上げて休まない?」
言われてみれば、迷宮に入ってからもう随分と時間が経った。ヘステスの顔を見れば疲れが溜まっているのがよく分かる。
若い三人にはまだ体力が残っているかもしれないが、初日から飛ばしすぎる必要もないだろう。
「そうだね、帰ろうか」
オトの提案を受け入れ、テレミアは展開していた盾を腕に収めた。
四人は各々の武器や防具をさっと点検し、迷宮の外に向かって歩き出す。
「夜はみんなどうするの? 私は適当に武器の修繕とかできそうなお店とか探してくるつもりだけど」
「俺はお前に付いてくぜ、護衛だからな」
「私は情報収集と、ついでに町の構造を把握しておく。万が一襲われた時に逃げられるように」
「ありがとう、お世話になるね」
「儂は疲れた故、寝床に転がっておくとするかの。明日も明後日も続けるとなると身体を労らねばな」
「ヘステスも付き合ってくれてありがとう」
「気にするな、儂かて皆を後ろから支えることくらいはまだできるとも」
ヘステスがどんと胸を叩き、衝撃で咽せたのかゲホゲホと咳き込んだ。
モムルがそれを笑いとばし、オトも呆れた顔で追撃する。
間抜けで、しかし平和そのものと呼べる光景にひとしきり笑ってから、テレミアは隊列の先頭に立った。
みんなそれぞれの役割をしっかりこなしてくれている。
その事実を改めて確認して、テレミアは胸を張って三人の前を歩いた。
手頃な酒場で腹を満たしてから、テレミアは宣言通りにこれからの滞在で利用する店を探すべく町に繰り出した。
交易で栄える港町というだけあって辺りは夜でも人が多く、そこかしこで生活雑貨や武器を扱う店が煌々と道を照らして商売を続けている。
やがて商店の集中する区画を隅々まで巡り、おおよそどこにどういった店があるのかを把握しきったテレミアは、宿に戻る方向に進路を取った。
「モムル、ちょっとした勝負でもしない?」
「ん? いいぜ、何を賭けるんだ?」
「やだな、ちょっとしたって言ってんじゃん。勝っても負けても何もないよ。別に明日の朝のパンくらいは賭けてもいいけど」
「つまんねぇな。ま、勝負の中身を言ってみろや」
「ここから宿に戻るまでに私が道を何回曲がるかで丁半。ただし、さっきまでのお店巡りで通った道はなるべく通らない」
「マジでちょっとだな、じゃあ丁で」
「うし。じゃあまずは一回」
テレミアは目の前の角を折れ、細い路地に入った。
後ろからランタンを手にしたモムルがのっそりと付いてくる。
「なあ、宿が近づいたら曲がる回数を調整するとかは当然無しだよな」
「まーねー。一応お互い納得できるようにするよ。でも、勝ち負けとかはあんま気にしないで気まぐれに行くから。ただ私が町を見てみたいだけのお散歩だしね」
「好きにしろ」
時たまに道を塞ぐ木箱や樽をどかしつつ民家と民家の狭間の細い道を進んで、今度は路地と路地の交わる小さな十字路に出た。
「どうしよっかなー」
「宿に戻るなら真っ直ぐだな」
「知ってる。それだと何だか楽しくないから……ん?」
なんとなく覗いた路地の奥に、テレミアは一人の少年が蹲っているのを見つけた。
何も持っておらず、ただその場で静かに息をしている少年の目線は、虚ろに地面を彷徨っている。
乞食か、孤児か。
そうした存在と出くわすことは別に珍しいことでも何でもない。カライアにだって、どこかから流れ着いてきた物乞いくらい何人もいる。
ただ、少年の風貌に、テレミアは少し興味を持った。
腰にまでかかりそうな、男にしてはかなり長い黒髪を後ろに束ねていて、乞食と言うにはやけに髪の艶が感じられる。気力を全く感じさせない顔の表情や痩けた手足とは完全に食い違って見える。
まるで生きることを諦めた状態で誰かにかいがいしく世話をされているような、そんな痕跡を少年に見てとって、テレミアはなんとなく己の母親の姿を思い出した。
彼女もこんな表情をしていることがよくあった。
部屋に入ってくる娘の姿に気付いた後は綺麗な笑顔を見せてくれたものの、そうやって顔色を切り替えるまでは、ああした無気力な、世界との繋がりを拒むかのような姿をしていた。
あの頃のテレミアには、それがどうしてなのかは分からなかった。
今ならよく分かる。一生を囚われの身として好きでもない男に好きにされる人生に、生きる意味も、希望も、ありはしないだろう。
「こっち」
エレーリィとの思い出がそうさせたのだろうか、なんとなしに、テレミアは十字路を右に折れた。
足音が近づいてくるのを察知してか、少年は小さく身体を丸めた。警戒の色が濃く現れている。
背後のモムルがそれとなく前に出ようとするのを手で制しながら、テレミアは少年を見つめた。ランタンの灯りに照らされた彼の鳶色の瞳には、やはり昏い影が落ちているように見える。
目が合ってほどなくして、厄介ごとに巻き込まれたくないと思ったか、少年は視線を外した。
構わず少年に近づく。
すぐ側で見れば、彼はテレミアと同じくらいの年頃のように思われた。
テレミアは少年の正面で立ち止まった。
「悲しい目をしてるんだね」
「!」
弾かれるように顔を上げた少年の視線に籠もる色は、少し強くなっていた。
それは果たして怒りだろうか、怯えだろうか。
「憐れんでいるのか?」
探るように、少年が声を発した。
見た目の割に落ち着いた声色だった。
「気にしないで。ただアンタが私の知り合いに、その……似てたってだけ」
「ならば早く去れ、私は見世物になっているつもりはない」
落ち着いた声色のまま、少年はテレミアの存在を拒絶した。
路地裏の浮浪児が口にするにしては、異様なほどに重みの感じられる言葉遣いだった。ヘステスに読ませられた童話の中の、王様や貴族様と呼ばれる登場人物が似たような口調だっただろうか。
考えるまでもなく、この少年は何か大層な事情を抱えているのだろう。そして、その事情を事細かに詮索しても、おそらく良いことはない。
「悪かったね」
テレミアは肩をすくめ、路地を進む方に身体を向け直そうとして、少し考え直した。
懐に手を突っ込み、指に触れた硬貨を何枚か引っ張り出す。
テレミアはしゃがみ、少年と顔の高さを合わせて、銅貨を乗せた左手を差し出した。
「これでなんか食べればいいよ」
「おい、覚えられたら面倒だぞ」
「一回だけだから」
呆れの混じった声のモムルに毅然と言い返しつつ、テレミアは少年の出方を待った。
しばらく逡巡した後、少年はおそるおそるといった具合に頷いた。
「……感謝する」
少年の右手がゆっくりとテレミアの左手に向かって伸び、そして手のひらに触れた。
夜風に晒された肌の冷たさが伝わってくる。
冷たさを乱暴に上書きするように、身体に膨大な熱が生まれるのを感じた。
それが、全ての始まりだった。
脚から、腹から、胸から、腕から、頭の中から、とにかくあらゆるところから、なにかとても大事なものが、大切な何かが、無理矢理に絞り出されていくような感覚がした。
その何かは熱という形をとって、身体中で暴れ回る。
「あうっ!?」
「ぐっ!?」
テレミアは衝撃を受け止めきれず、地面に膝をついた。
どうしてだろうか、少年のうめき声も聞こえてきた。しかしそれがテレミアの頭の中で疑問として形をなすよりも早く、身体中があげる叫びと軋みに意識は押し流されてしまった。
何が起こっているのか、全く分からない。
「どうした!」
モムルの叫びが遠くに聞こえる。
返事をする余裕など全くない。ただ苦しみに喘ぐだけで、テレミアの喉は焼き付いてしまうほどに熱を帯びた。絶えることなく発せられる熱が、身体をはじけ飛ばしてしまいそうなほどに煮えたぎらせていた。
熱い。
熱い。
熱い。
怖い。
存在を上書きされるような恐怖に駆られて、テレミアはただ一つだけ確かだった感触に縋り付いた。
少しかさついた少年の肌の感触を伝える左手だけが、今も静かなままだった。
己をつなぎ止めるべく、強く、強く左手を握りしめる。
同時に、少年の右手がテレミアの左手を強く握り返した。
それが何らかの引き金を引いたのか、テレミアの身体を満たしていた熱が一斉に動き始めた。
どこに行くのかと探ることなく、テレミアはどうしてか、その熱が行き着く先を感じ取った。
目をこじ開け、左腕に焦点を合わせる。
無数の銀の光がテレミアの左腕から飛び出していた。
似た光景に、覚えがある。
盾を呼び出すとき、こういう風になる。
ただ、いつもならすぐにまとまって盾となるはずの光は、のっぺりとした塊となって蠢き、一向に形を定めない。
すると突然、一筋の金色の光が蠢く銀に飛び込んだ。また一筋、そして二筋。すぐに幾重もの金色が差し込むようになる。もうろうとする意識の中で光の出所を探ると、それらは少年の右腕から飛び出しているようだった。
いつしか塊はぐんぐんと大きくなって、二つの色が複雑に折り重なった模様の球体になった。
そして、何の前触れもなく、ぱっ、と光がはじける。
そこには少し金色の意匠が混じったらしい見慣れた盾と、町の路地裏には似つかわしくない、煌びやかな鍔から伸びた滑らかな刀身を湛える一振りの剣が浮かんでいた。
テレミアにはどうしてか、その剣が夜の闇の中にあって光り輝いているように見えた。
ほどなくして盾と剣は金銀入り交じった光に解け、盾だったものはテレミアの身体に、剣だったものは少年の身体に向かって一斉に走り出す。
それぞれにまとわりついた金銀の糸は続々と編み上がり、二人を覆い隠していく。
全身に向かって駆け回る光の布は肌を透過し身体の中に入りこみ、金銀が溶ける身体の芯から先ほどまでの湧き出る熱とはまた違う熱が産まれる。
それは柔らかく、優しかった。
染み渡る温かさが、苦しみに悶えた身体を癒やす。
「あ、ぁ……!」
「く、ぅ……!」
思わず声が漏れてしまうほどの充足。
苦痛などもはや微塵も感じない。
頭に向けて駆け上がってきた二色の光が視界を閉ざすのを、テレミアは何か夢を見るような心地で眺めた。




