79. 帰還
郵便船の甲板で、テレミアと中将は別れの挨拶を交わしていた。
「本当に、本当にありがとうございました」
「礼を言われるようなことは何もしていないな。私は諸君に何が起こったのかを把握できていないし、諸君が勝手に進めたことだろう?」
「それでも、です」
いくら言葉にしても足りない感謝の念をありったけこめて、テレミアは頭を垂れた。
「このご恩は忘れません」
「そうか。しかし私は物忘れが激しくなってきたからな。私が諸君のことを忘れないためにも、是非ともレンドンという名前を各所で使い倒し、諸君の活躍がこの耳に届くようにしてくれたまえ。恩返しはそれで構わないぞ」
最初に出会ったときの肌のひりつくような緊張など微塵も感じさせない柔らかさで、中将はテレミアの感謝を包んで送り返してきた。
放っておくだけで無限に積み上がっていく感謝をどうにかこうにか自分の中に押しとどめようと気分を落ち着けていると、船内へと繋がる扉が開き、そこからオトが出てきた。
後ろにはドレッシュがついてきていて、ちらりとテレミアの顔を見て決まりの悪そうな表情を浮かべた。
「話したいことは話せた?」
「満足。住所を書いてもらったから、手紙も送れる」
そう言ってオトは懐から一枚の紙を取り出し、テレミアに向かって掲げた。「ランドグルブ」「182」「ルメナウ小路2」「ドレッシュ」と書かれている。
「私の住所は、手紙を書くときに書いて送る」
「ま、今んとこ私たち家なんて持ってないしね。そういや手紙って皇国の外ともやりとりできるの?」
「近くの国ならできる、だって」
「へー」
大迷宮の島ルーダラムに着いた後、果たして自分たちは定住するための家を手に入れるのだろうか。
六人で住むのか、一人一人住むのか、それとも別の組み合わせになるのか。
遠いようで近い未来のことを想像して楽しんでいたところに、思いがけない声がかかった。
「その、テレミア、少しいいか」
「……何」
ドレッシュに名を呼ばれ、テレミアの声は冷え込んだ。
好かない男の口から己の名前が語られることが、これほどに気分を害するものだとは思わなかった。
ドレッシュは凍てついたテレミアの表情を見て顔を引き攣らせるも、テレミアから目をそらさずに息を吸った。
「あんたらを酷い扱いで働かせたことを、申し訳なく思ってる。オトにはこっぴどく叱られた。許されるものじゃあないとは分かってるが、謝罪だけでも受け取ってくれ」
「……」
テレミアの中で様々な選択肢が浮かんでは消えた。
ボロクソに罵ってやることも、気にしないでと許してやることも、どちらもできるような気がしたし、どちらもあまりしっくり来ないような気がした。
何気なく見たオトの顔が、一番ふさわしい答えを返してくれた。
「オトに良くしてくれてありがとね。それだけは間違いなく思ってるから」
謝罪は受け取らず、許しも罵りもしないで、テレミアはただ事実だけを告げることにした。
ドレッシュは辛そうな顔で「……分かった」と口にして、それっきり空気に溶け込むように影を薄くした。
ラズエイダがオトに身分証の巻紙と、郵便船の中に置き去りになっていた六人分の荷物のうち持ち運べるよう選び抜いたものを手渡した。
どうしてそうするかといえば、それはこれから始まる人知を超えた変化のためである。
テレミアは左手に盾を、ラズエイダは右手に剣を、それぞれ生み出した。
「ほう」
他人の前で堂々とこうするのは、ニラギでニナの修練に付き合っていたとき以来だ。
そのときのニナも、目を丸くしてよく驚いてくれた。
伸ばした手を重ね合わせ、そこを起点に光が爆ぜる。
意識が金銀に飲まれ、ぼやけて、一つにまとまり形となる。
「ほーう!」
わかりやすく興奮している中将を尻目に、二人はオトを手招きした。
「オト、来て」
「わかった」
〈──〉
初めて空を飛ぶために少し緊張している様子のオトを抱きかかえて、テレミアとラズエイダは風魔導の準備を始めた。
自分たちを丸く包む空気の泡が、空へと浮かび上がることを想像する。
〈──〉
「『風は私の友、その腕の中が私の居場所、その吹く行方が私の行き先』」
ふっと脚にかかる力が消え去って、視点が高くなっていく。
「いつの日かその魔導について、私に教えてくれるだろうか?」
「こればかりは、なんとも」
「そうか。ならばせめて目に焼き付けておくこととしよう」
宣言通り瞬きすら惜しんでこちらを見つめる中将、そして口をポカンと開けて動かないドレッシュを後に、二人は高度を上げ、辺りの海を見回した。
それほど遠くない場所に大きな船が七隻集まっている。中将の率いる皇国軍艦隊だろう。
テレミアたちの帰る場所は、艦隊からちょうど郵便船を挟んだ反対側にあった。
軍に見つかることを恐れて、死角に隠れているつもりらしい。
空飛ぶ偵察中将のせいでその努力は全くの無駄となっているのだが、今となってはいい笑い話でもある。
「……すごい、空、飛んでる……!」
「気持ちいいよね。ほら、あっちにハーダーンの島も見えるよ」
「わ、わ」
腕の中のオトがはしゃいでいるのを微笑ましい気持ちで眺めながら、二人は木の葉のように波間に揺れる漁船へとまっすぐ飛んだ。
「おお、よくぞ戻った!」
漁船に降り立った三人を、待ちわびていたとばかりに手荒な祝福が包んだ。
「なんとかね」
「オトも入れて全員無事か、良くやったぜ」
「ルカの腕を斬り落とした。いい気味だった」
「本当かよ、たいした度胸だなお前」
「ふふん」
持って帰ってきた荷物をオトが漁船の床に並べ、それぞれが自分のものを回収していった。
「む、これは何じゃ。知らぬぞ」
ふとヘステスが何か違和感に気づいたようで、片方の眉を吊り上げて巻紙を掴み上げた。
「……定三位ディトリーデ皇国名誉国民、とな」
「ああ、ええとね。話せば長くなるんだけど、ルカを倒したら皇国軍の中将と友達になってさ。私たちもう皇国軍から逃げなくても良くなったんだ」
「……友達と言うたか?」
「うん、友達」
皇国軍の中将、という仰々しい身分の人間を相手に、友達、というどうにも丸っこい言葉が使われているのは、事情を知らないヘステスにしてみれば意味が分からないことだろう。
腑に落ちないと言わんばかりの表情で再び巻紙に視線を落としたヘステスは、またすぐに眉を吊り上げた。
「……何やら見知った名前があるぞ。ヴィシュレール・ルルモド・レンドンとは、かの〈暴風将軍〉のことではないか?」
「え、何それ知らない」
「……皇国軍きっての強者じゃ、彼の立つ戦場には敵の船を沈め味方の船を助く嵐が吹く。ジャルダがかつて戦いに行って「まともな戦にならん」と船を返したほどじゃぞ」
テレミアはあんぐり口を開けてヘステスの話を聞いた。
ジャルダを追い返した。
それは、ひょっとせずともかなりの偉業なのではないだろうか。
「剣の腕も達人と称されると聞く。こちらはジャルダが直接やり合ったわけではない故情報がないがの」
「……確かに私たちもかなりいいようにあしらわれたけど、やっぱりあの人大分強かった?」
「得がたい縁を得たものじゃ」
唸るように言ったヘステスは、巻紙の内容に最後まで目を通し、元あったように丸めて糸で結んだ。
「して、どうする? おぬしの言うことを信じるのであれば、儂らはもう皇国の外に逃げ出す必要もないのであろう?」
「今日はもう夜も近いし、とりあえず一回ハーダーンに戻らない? こんな小舟で島渡りの航海はしたくないでしょ」
「じゃな。おい、ラズエイダ、風じゃ。ファンエーマは舵をとれい」
「……『風よ』」
「畏まりました」
主従使いの荒いヘステスの指示でアルタスから来た二人がそれぞれ仕事を始め、漁船はゆっくりと元来た島へと進み始めた。




